図書室の座敷童
ふさふさしっぽ
図書室の座敷童
仕事の都合で引っ越し、小さなアパートで暮らし始めて一週間が経った頃、わたしは仕事の帰りがてら、最寄りの図書館に訪れた。
まだもろもろの作業が残ってはいたが、根っからの本好きなわたしは図書館に行くことを我慢できなかったのだ。
本が好き、というよりも図書館の雰囲気が好きなのだ。独特な本の匂いと、静謐さ。前後左右本だらけで、読みたければすぐ手に取って座ってじっくり読める。まわりに自然と本好きな人が集まるのもうれしい。だから、最近流行りのカフェと併設しているようなカジュアルな図書館は何処か苦手だ。明らかに本に興味がなさそうな人が休憩所として使い、子供が走り回っている。本を読む作法がなっていない! というのはわたしの我儘だとわかっているので、自分のお気に入りの図書館は自分で探す。
最寄りの図書館は、図書館、というより「図書室」だった。片田舎なのでおおかた予想はしていたが、市内にいくつか点在している「学習センター」内の一室が「図書室」としてあてがわれているのだった。
「図書室」は学習センターの二階、階段を上がって右手すぐのところにあり、うっかりすると通り過ぎてしまいそうだった。
両開きの扉は左側だけ開けられ、入ると左手に受付カウンターがある。閲覧スペースが申し訳程度に設けられており、広さは二十畳ほどといったところ。ざっと見まわすと十人ぐらいの人がいた。わたしは初めに本を借りるための登録を済ませた。
「外はまだ暑いですか」
化粧っ気がなく、髪の毛をひっ詰めた司書さんが、愛想よくわたしに話かけた。年は三十前ぐらいで、自分と近いと思った。
「ええ。ここのところ日が暮れても蒸し蒸ししますね」
まったく、もう夜の七時半をまわっているというのに、外の空気は熱気を帯びていて汗ばむくらいだった。今年の夏の暑さは異常としか言いようがない。図書室内は空調が効いているので快適だけれど、もう一度外へ出るのが嫌になる。
八時で閉館なので、目についた本を早速何冊か借りて、図書室を後にした。児童書のコーナーを見ているとき、十歳くらいの女の子とすれ違い、こんな時間に「おや?」と思ったが、そのときは特にそれ以上気にしなかった。
しかし、その女の子はわたしが図書室を訪れるときに、必ずそこにいた。児童書のコーナーをうろうろしているときもあれば、閲覧スペースの丸椅子に腰かけて熱心に星座の本を読んでいるときもある。
よく会うなあ、よっぽど本が好きなんだなあと最初は思ったけれど、親らしき人物や友達と一緒にいることは一度もなく、いつも一人きりで、閉館時間いっぱいまでここにいる。わたし自身も閉館時間になるまで図書室にいたことは何度もあるが、決まって女の子は最後の一人になるのだ。
この学習センターに勤めている人のお子さんなのか? 不思議に思い、本を借りるとき何となく小声で例の司書さんに聞いてみた。
すると彼女はもう一人の司書に仕事を任せると、わたしを図書室の外に連れ出して、こう言った。
「あの子は幽霊なんです」
え、とわたしは思わず聞き返してしまった。ゆうれい?
「見える人と見えない人がいるんですけど、図書室の常連さんは大体見えるみたい。貴方にも見えるんですね。わたしも前の司書から聞いたから詳しくは知らないんですけど、十五年ぐらい前、この学習センターができて間もない頃、本が好きな女の子がこの建物の前の車道で、自動車事故にあって亡くなったそうなんです」
司書さんの奥二重の目はきりりと真剣そのものだった。とても嘘をついているようには見えない。というかわたし相手に嘘をつく理由が見当たらない。
「あの子は毎日図書室にいます。だから常連さんの間ではこう呼ばれているんです。図書室の座敷童、って」
司書さんはそう締めくくった。
「座敷童? なぜです」
「そのうち分かります」
彼女は図書室に戻っていった。
アパートに戻ったわたしは何気なくインターネットで「座敷童」を調べた。
「岩手県を中心とした、東北地方の子供の姿をした妖怪」
「座敷ぼっこ、蔵ぼっこなどの異称がある」
「旧家に出没し、家に幸福をもたらす守護霊」
おおかたわたしが思い描いている座敷童と相違ない。とくに、家に幸福をもたらす、というのはよく聞く話だ。座敷童に会える旅館、会うと幸せになれる、なんていうのもある。きっとこの辺からあの女の子に「図書室の座敷童」という名前がつけられたのだと勝手に推測する。
あの女の子が幽霊だというのも未だに半信半疑……いや、正直言って信じられない。あの女の子はどこからどう見ても普通の大人しい子供で、体が透けているわけでも宙に浮いているわけでもない。妙な怖さも感じない。大きくなれば目立ちはしないけれど、清楚な文学少女とかになるんじゃないだろうか。そんな風に妄想してしまう。
いくら考えても答えはでない。明日は仕事が休みで、何の予定もないから午前中に何か本を借りに行こう。その本を持って電車に揺られながらぶらりと何処かへ行こう、そんな風に考えてわたしは眠りについた。
予定は未定というが、そのとおり、起きたら昼過ぎで既に日は高く昇っていた。素早くシャワーを浴びて手早く支度を済ませて図書室に向かう。せっかくの休みが台無しになってしまう。
玄関のドアを開けてむっとする熱気にしり込みしそうになりつつも、今日もあの女の子はいるんだろうなと思いながら学習センターに向かった。中に入ってその涼しさにほっとし、図書室にたどり着く。ちょうどお昼どきだからなのか、いつもより人は少なく、四人しかいなかった。そのうちの一人はいつもの女の子だ。丸椅子に座って児童向けの怖い本を読んでいる。わたしも好きで小学生のころ読んでいたやつだ、とわたしはなんとなく嬉しくなった。
さっそく借りる本を物色しようとしたところ、それは起こった。中学生らしき男子生徒三人組が、ジュース片手にどかどかと図書室内に入ってきたのだ。
「はー、ここ涼しー。神だわ」
「で、どれだっけ、課題図書」
「後でいいよ。あーあ、読書感想文とか、かったりーよなー」
まるで自分たちの存在を誇示するかのように大声で会話する。どうやら読書感想文のための本を借りに来たらしい。
「ねー、ここの本、勝手に借りていーの?」
三人の中の一人が、片足に体重をかけ、けだるそうに司書さんに聞いた。司書さんは眉を顰めたが、努めて冷静に答えた。
「本を借りるためのカードを作ってもらいます。中学生は、生徒証を出してね」
「はあ? 嘘、ねーよそんなもん。めんどくせー、何とかなんないの、おばさん」
「申し訳ないけど身分証明書がないとできません。ごめんなさいね」
そう言われて中学生はつまらなそうな顔をしたけれど、諦めたらしく、それ以上何も言わなかった。だからこれで帰るだろうとばかり思っていたが、なぜか彼らはここに居座り、スマホを取り出し、おしゃべりをはじめた。持っているジュースをすする。
「図書室内は飲食禁止ですよ」
司書さんが注意するも三人はにやにやするだけで無視している。他の利用者は年配の女性が一人と、わたしより若い女性が一人。それとおじいさんが一人で、成り行きを見守るしかなかった。わたしも何か言おうとしたけれど、やはり勇気がでない。向こうは中学生とはいえ三人だし、さっさと立ち去ってもらいたいのが本音だ。
そんな状況の中、司書さんが意を決して立ち上がった時、なんとあの「怖い本」を読んでいた女の子が、トコトコと中学生達に近寄り、三人の輪の中をするりと通り抜けた。その瞬間、突然ばささっという音が、図書室内に響いた。
気が付けば、立っておしゃべりをしていた三人組の足元に、三冊の本が置かれていた。まるで魔法のように現れた本に、図書室内がしいんとする。少年たちはぽかんとしていた。
しかしややあって少年のうちの一人が、
「あ、これ俺が幼稚園のとき読んでもらったやつだ、懐かしい」
と、一冊の絵本を取り上げた。続いてあとの二人も
「タイムトラベラー、分岐する歴史? なにこれ、面白そう」
「この表紙、なんかカッコいいな。読んでみるか」
次々に本を手にする。彼らは閲覧スペースに並んで座るとスマホをしまい、ジュースを置いて、黙々と本を読みだした。さっきまでの態度が嘘のようだ。すぐそばでは何ともない顔であの女の子が「ちきゅうのふしぎ」という本を繰っている。
わたしは何が起こったのか理解できず、思わず司書さんのほうを見た。すると司書さんは静かにわたしに近づいて、
「ね、あれが座敷童の力です」
と耳打ちした。ほかの利用者も何もなかったかのように読書に戻っていた。
あとで司書さんに詳しく聞いた話だと、こういうことなんだそうな。図書室で今日のようなトラブルが起こっても、なぜか丸く収まり、しかも皆本に興味を持つようになるという。本にあまり関心がない人でも、ここに来ると、自分に合っている本に出会えるというのだ。今回の中学生たちも「またカード作りに来ます」と言って帰っていった。
前任の司書によると、このような現象が起こり始めたのはあの女の子の幽霊が出るようになってからだという。あの女の子が毎日図書室にいるようになってから、本の紛失は減り、返却の遅延もない。この図書室に来ると本を読むのが以前より楽しくて、一日があっという間に終わる、という利用者も少なくないのだそうだ。定年してなんとなくここを訪れたら本好きに目覚め、全国の図書館と、本屋巡りを趣味とした方もいるという。
これらのことが、「図書室の座敷童」と女の子が呼ばれる所以だろう。図書室を幸せにする。人々に本の魅力を伝える。
わたしはこれからもきっとたくさん本を読む。読んだ年齢によって感じることが違うから、同じ本を十年後、二十年後、おばあさんになったころまた読み返すかもしれない。ある日ふと、苦手と思っていた本のジャンルが好きになっているかもしれない。自分の気持ちのうつり変わりを本を通して感じとると客観的に自分を知ることができた気分になる。
そういうのは、わたしにとって毎日の中で素晴らしいことだし、正直ちょっと自己嫌悪に陥ることもある。
だけどあの女の子は、もし本当に幽霊だったのなら、あれ以上成長できない。どんなに本が好きでもあれくらいの年齢で読むことができる本は限られてしまう。本当は、もっと大人の本、難しい本も読みたいだろうに。
司書さんはそれを考えて特に児童書を定期的に仕入れるようにしているという。あの子がこの図書室にいるかぎり、読む本が、無くならないように。
読む本の種類が違っても、女の子とわたし、その根底にある気持ちは同じだ。結局は、理屈ではなくて本が好きで本が読みたいという気持ちは同じ。
だから、あの女の子にはずっと本を好きでいてもらいたいと思う。本当に座敷童なのかどうなのか確信はないけれど、女の子の本に対する気持ちはきっと本当だ。わたしはそう思って、今日も、図書室に向かう。
(終わり)
図書室の座敷童 ふさふさしっぽ @69903
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