襲撃篇
二十人くらいに声かけて集まったのは人だけ。おれの人徳のなさにおれはがっかりするけど、まぁこいつらは本気で信頼できるのかな、なんてくさいことを考えてもしまう。
ザリおじ討伐部隊は全部で三人。
おれ。
二中からヤッピー。 八島賢太郎。
三中からハルヒコ。 坂本晴彦。
――こんなもんかよぁ⁉ みんなカタキとりたくねぇんか⁉ と騒ぐのはもちろんヤッピーで、ぎゃんぎゃん騒いでは金属バットを振り回している。おれは親父の古いゴルフクラブを持ってきていて、ハルヒコは肥後守を二本。それぞれやる気だけはあるらしい。
んじゃいくべとおれたちは夕方の空の下カッパ池に向かう。
ハルヒコが言う。「みんな噂しとるぜ。ザリおじはやっぱやばいんじゃ。人間ではないのや。あれはカッパ池に住む妖怪なんじゃ。こんど市役所がお祓いの人を呼ぶらしい」
「ほんまけ。まぁでもザリガニ喰いよったし、たぶん生き物なんやろう。生き物なんやったらおれらでも殺せるわ」おれはそう言いながらもちょっとビビっている。お祓いのひと? ならそいつに任せるのがいいんじゃないか?
「そうじゃ! おれらがやるんじゃ!」ヤッピーはさっきからなんかおかしい。こんなにトンだ奴だっけ?
――ざあぁぁぁぁりりりりりぃぃぃ! ぶっっころろしちゃるぞぉぉぉ!
と森中に響く怒鳴り声で、ヤッピーは気合を入れる。
「テンちゃん」とハルヒコがおれを呼ぶ。なにかがおかしい。
「あのさ。噂、噂なんだけど、ヤッピーさ……」ハルヒコが続けた。
ハルヒコによれば、ここ最近、ヤッピーがなにかヤバいものに手を出しているという噂がある。ヤバいものってのはヤバいもので、つまりは、酒とか煙草とかじゃなくもっとヤバいものだ。二中のボンの親父は町の警察署で警部をやっていて、その親父が言うことには、「とにかく、もう八島には関わったらいかん」のだと。そう言われたボンは、親父の仕事鞄を漁り、その中から覚せい剤所持の疑惑がある者のリストを見つける。そこにヤッピーの名前があったらしい。マジかよ。っていうか鞄にそんな大事な文書入れんなよ警察官。
おれはザリおじに対する怒りを確かにもっていたが、ぼんやりとそれがヤッピーに移っていく。シャブは駄目だろ。こんな田舎にシャブを持ち込むなよ。ヤッピー。
「ヤッピーおめぇシャブやりよんか」おれははっきりヤッピーにきく。ヤッピーは聞こえなかったみたいで、ざりおじぃぃぃぃ。と叫びながらカッパ池を目指しずんずん山道を歩いていく。
あたりはだんだん暗くなっていく。おれたちはもってきた懐中電灯をつける。おれにはヤッピーが聞こえていないふりをしているのだとわかる。
「八島ぁ。お前ほんまのこといえやボケが」
ヤッピーは急におとなしくなる。そして振り向くと、マジで気持ち悪い笑顔をおれに向ける。おれは吐きそうになる。
――ちがうんよテンちゃん。シャブなんかたいしたことないんやって。もっとやばいんいっぱいあるけぇ。あれならやるで。ハルヒコもやるって。ぜったいええから。めっちゃ力でんねんて。ほんますごいで。これあったらマジでザリおじ殺せるって。
「やめややめ。こんなん無理や。いったん中止や。ハルヒコ、ヤッピーつれて警察いくで」
「てんちゃん……」ハルヒコが怯える。
おれだってこわいよ。おれにはもうヤッピーが怖くてたまらない。
案の定ヤッピーは逆ギレする。ヤッピーは金属バットでおれのドタマかち割ろうとしてくる。おれはそれをスウェーでよけて、隙だらけのヤッピーの胴体にミドルキックをかます。奴の脇腹を脛あたりの芯でとらえるのがミドルキックとしてはベストなのだが、それはうまく行かない。最近さぼりがちだった空手道場に行かなくては。
失敗キックでもちゃんとヤッピーは悶絶してくれる。当たり前だ。こちとら朝昼晩毎日米二杯喰ってる健康不良少年だぜ。ヤクチュウに喧嘩で負けてたまるかよ。……ちょっぴり安心する。おれはハルヒコと一緒になんとかヤッピーをぼこぼこにしてことなきを得る。ヤッピーの鞄をあさってみると、眼鏡ケースみたいなやつからパッキングされた注射器とステンレスのスプーン、そして白い結晶の入った小さな小さなビニール袋。
おれたちはヤッピーが呻いているのを見張りながら煙草に火をつける。煙を吐き出すと、どっと疲れが噴き出すような感じがする。
「あかんな。こんあんでは。ザリおじどころではないで」
「ほんまよ。もうおれしんどいって。帰ろう。ヤッピーも連れてったろうや」
おれとハルヒコがこれからの方針に同意したところで、森の地面のうえでぼろ雑巾になっているヤッピーが言う。
「あかんって。あかんよぉ。ザリおじに会わなあかんのよ。もうザリおじしかおらんねんてば……」
うわごとか? と思うけど、ヤッピーの目は素面に戻っている。なんやねん。ザリおじしかおらんってなんやねん。
ハルヒコがなにかに気づく。
「ヤッピー。ザリおじ殺しに行くのにさ。ほんまは別の目的があるん?」
ヤッピーが笑う。くくふ。あははは。おれは腹が立ってまたヤッピーを蹴る。
「八島こら」
「嫌や、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌……」
様子がおかしい。ビビっている。おれたちにではない。この状況で? ビビる相手なんて一人しかいない。ザリおじだ。
「ザリガニ、食べん?」
という声がしておれとハルヒコはギャアと叫ぶ。おれたちの背後にはいつのまにかぼろぼろのホームレスみたいなジジイが立っている。持ってるポリバケツからがさがさと何かが蠢く音と気配がする。ザリガニだ。ザリガニおじさんだ。ザリおじが来てしまったのだ。
――はわあぁぁぁぁぁぁぁぁっ! と叫んだのはハルヒコで、もう全部投げ出してハルヒコは走ってどこかに消えていく。おいおい。頼むから。おれを置いていかないでくれよ。
ザリおじはおれからザリガニを買い取ったあのときと同じ見た目で老けてもいなければ若返ってもいない。ただしわくちゃの顔でにんまりわらって、おれにバケツの中のザリガニを見せる。「たべん? おいしいよ」
「喰うわけねぇやろ!」
おれはビビりながらも怒鳴ってザリおじのバケツをバットで叩き落す。おれはおれのなかの恐怖をなんとかして怒りでごまかす。負けるな。負けたらダメやぞ。負けたらおれもザリガニのゲロ吐いて死ぬんやぞ。必死だ。
ザリおじは笑ったまんまで、落ちたザリガニを拾ってバケツに戻す。ザリガニたちは逃げようとするけど、ザリおじは逃がさない。最後に拾った一匹の砂を払うと、
ザリおじはそれを口に放り込んでばりばりと喰う。おれのなかのどこかにいる冷静なおれは、「もうエビフライ食えないな」とうんざり思う。
「お、おめぇこの辺の中学生に無理やりザリガニ喰わしとんじゃろ! みんな知っとるからなぁ。おれのダチもそれで死んだんじゃボケ!」
ザリおじはおれの言葉を聞かずにぼりぼりとザリガニを貪る。口の端から赤黒い甲殻がぴょろと飛び出して、地面に落ちたり、ザリおじのくちに戻って行ったりする。胸がむかむかして吐きそうになる。
「おれも……」と訳の分からんことを言いだしたのボコされて死にかけだったヤッピーで、シャブも回ればほんとうにイカれるんだとおれは実感する。ボケが。おれはまたもやヤッピーを蹴り飛ばす。おめぇ死にたいんか。……あれ?
おれはヤッピーの気持ちになって考える。ヤッピーは馬鹿じゃない。でもなにかの間違いでシャブに手を出してしまったのだ。それは間違いだった。でも一度やって、身体も心もその味を覚えてしまったのだ。もうあとには戻れない。シャブってのはそういうもんなのだ。おれならどうするだろう? 友達も親もみんなシャブ中のおれなんか嫌だろう。仲間外れになっていく。おれの周りに残るのは、同じようにぐちゃぐちゃになって、もう右も左もわからないような廃人と、それでもなおおれたちを食い物にしようとする売人だけだ。
死にたい。そんな世界しか残らないなら、おれはもう死んじまいたいよ。
そこまできてようやく、おれはさっきからヤッピーが泣いていることに気が付く。
お前死にたかったんか?
おれが聞くと、ヤッピーはようやくおれの目を見る。ヤッピーの顔がくしゃくしゃになって、奴はうえぇーんと小学生みたいに泣き出す。
――嫌やぁ。おれ嫌よこんなん。テンちゃん助けて。おれもうヤバいねん。テンちゃん、助けてぇや。
すでにザリおじは俺らの前から消えていた。奴がさっきまでそこにいた痕跡はどこにもなく、おれは泣きながらもヤッピーの肩を持って山のふもとまで歩いていく。逃げ出したハルヒコは明日シメるとして、おれはもうザリおじどころではないのだ。友達を助けないと。
ヤッピーがゲロったおかげでおれらの町からはシャブが一掃される。ヤッピーによるとザリガニを喰って死んだ四人もシャブにはまっていたらしい。彼らは導かれたのだ。
ザリおじはたぶん妖怪とか、きちがいじじいとかそういう単純なものではなくて、いつもおれたちのそばにいて、いつでもあっちにおれたちを引き込もうとする何かだ。
しばらくしてカッパ池の近くから古い白骨遺体が見つかる。噂によるとそれは百年近く前に死んだ人のもので、警察でも全然身元を特定することができないらしい。でもおれたち中学生はそれがザリおじなのだと、感覚でわかる。そしてカッパ池には近づかない。黒バスにももう興味がない。
そうして、ザリガニを喰って死ぬ子供たちはしばらくこの町には現れなくなる。それでいい。そんな悲しい死に方をなくすのが、大人の仕事であり、また大人になろうとしているおれの仕事なのだ。
ZARIGANI ; The fright night @isako
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