戦う理由
ゆっくりと目を開ける。
俺はすぐ隣を見やる。
アンナがちいさな寝息をたてて寝ている。
艶のある梅色の髪をそっと撫でて確実に熟睡していることを確認。
俺は白いシーツを肩までかけてやり、そっとベッドを離れた。
アンナは類をみない肉食獣だ。こんなに密着した状態で、いっしょにいては俺のような草食獣は食い散らかされてしまう。ゆえの対策だ。
恐ろしいのはこのアンナという恐竜は、美人なうえにいろいろ大きいので彼女の攻撃は基本的にガード不可かつ回避不能という点である。最強だ。
赤熱した薪が暖炉のなかで静かに燃え残っていたので、ちいさな薪を適当に加えておいて、火属性一式魔術で火を放っておく。これもまた食い散らかし対策だ。
俺が先に起床→アンナが後に起床→暖炉に火がついてない→アンナ「寒い。なんで火付けてくれなかったの、むう」→ちょっとした紛争→えっち。
俺は最近、気づいたのだ。喧嘩するとえっちに発展する可能性が高いと。
これはなにもアンナとだけの話ではない。ゲンゼともそうだ。
ちょっとした紛争が発生すると、そのあと仲直りのためにそういう展開になりやすい。なんなら自然にえっちするために、別に怒ってないけど、ちょっと怒ったふりをすることもある。俺もそうだし、たぶん相手のほうもそうだと思う。
アンナの場合はどこからでもえっちまでのコンボが始動するため、こうした火種に丁寧に対処するのが大事なのである。
窓に近づく。
今日も雪が降っていた。
「まだ攻められてる感じはないな」
ここを襲ってくることはわかる。
でも、具体的な日時はわからない。
緊張の日々は始まったばかりだ。
身支度を整える。
いつでも戦えるように。
刺繍のされた綺麗な紙をポケットからだす。
リノス公爵からもらったものだ。
洒落たエーテル語でオーリアパレスでの時間表がかかれている。
食事は1日3回。食堂に降りれば用意されているとのことだ。
24時間態勢でこの城で過ごすことができるようになっている。
懐中時計を見やる。
朝食にはやや早い時間だ。
アンナを見やる。
熟睡してる。ワンチャン、寝過ごすかもしれない。
俺は杖を抜いて、暖炉の火に呼びかけた。
遅延術式を軽く組んでおく。
時間になればあの火がちいさな炸裂を起こす。
目覚ましだ。アンナが遅刻しないためのな。これも草食獣の知恵だ。
食堂にやってくると、すでに人影がちらほら見えた。
知っている顔があったので近づいてみる。
「よお」
ハゲ頭の狩人は不機嫌そうな顔でこちらを見る。
ジェスター・ジェステニアン。ローレシア支部では犬猿の仲だった狩人だ。
「あの狂犬アンナは部屋においてきたのか?」
「まぁな。アンナがいたらずっと互いの首に嚙みつこうとしている犬が2匹になる。片方は愛嬌があるけど、片方は毛がないやつな。紛争を止めるために、俺は毛がないほうを魔法で破壊しなきゃいけなくなる」
「最強っていうのはいい気なもんだな。だが、人間性が露見する」
「露見? いい奴ってことがバレるって意味か?」
「ちげーよ、馬鹿が。お前は力で他者を制圧するのが好きなやつだってことだ。みんなてめえの顔色を窺わなくちゃいけない。そういう環境を好んでる」
「そういうつもりはないけどな」
「みんな嫌なものも嫌って言えねえ。お前に殴られるのが恐いからだ」
「なんでもいいけど、お前が敗北を認めてくれて嬉しいよ」
俺は耳をほじりながら言った。
ジェスターは青筋を額に浮かべた。
「もっと謙虚に振舞ったほうがいいぞ、アルドレア。人の心が離れないうちにな」
「俺は謙虚なことで有名なんだ。誠実さを持たない相手にだけ、俺も誠実さを見せない。当然の道理だろう?」
ジェスターは口をへの字に曲げ「そうかよ」と、チーズをかじった。
沈黙が続いた。
自分から絡んでおいてなんだか。気まずいな。
俺たちは同期だった。
いまでは信じれないが仲が良かった時期もあった。
あれからずいぶん立場に差がついた。こいつにも思うところがあるのだろう。
まぁなんでもいい。
圧倒的に優位な立場から、嫌いなやつにちょっかいかけるのはいいものだ。
「……せっかく本部に異動になったのに、よく来たな」
俺は机に腰かけながら言った。
ジェスターはチーズを食べながら俺へ視線をやらず答える。
「本当にそう思ってるか? ここで俺が死ぬことを内心で喜んでるんだろう?」
「それは……いや、ないだろ」
「いまの間はなんだよ」
「喜んでるって言おうと思ったが、流石に不謹慎かなって」
「はっ、くだらねえ気遣いをしやがって」
「いいやつだろう? で、なんで来たんだよ。本部で教官になれたのに。正直、覚悟のあるやつだとは思ってなかった。ぬくぬくするほうがお前っぽいのに」
「本当に人の神経を逆撫でするのが好きなんだな、アルドレア」
「……ってアンナが言ってた」
「だとしてもお前にイラつく。犬の粗相は飼い主の責任さ」
だとしたら、俺の負うべき責任が多くなりすぎる。
「お前は鼻で笑うかもしれないが、俺は優秀なんだ。吸血鬼だって7体も倒したことがある。討伐した厄災級の怪物を数えたら両手じゃ足りない。すべての戦いを覚えてる。死線を何度も潜り抜けてきたんだ。俺は、俺は……強いからここに派兵されちまった」
「あぁ、お前は嫌なやつだけど、仕事はできるやつだ。それは知ってるよ」
「……いつだって後悔する。厄災との戦いから帰還した時は、これで最後にしようって思ってるのに。どういうわけか狩人協会にまだいるんだ」
「いまも後悔してるか?」
ジェスターはこちらを見た。チーズをもぐもぐしながら。
「どうだろうな。まだしてない」
「それはよかった」
「誰だってそうだろう。後悔するのは恐怖ゆえだ。どれだけタフな狩人でも怪物を前にすれば恐怖がそいつの真の姿をあらわにしちまう。どれだけ剣技を高めていようと、高名な魔術師になっていようと関係ない。皆、厄災のまえでは積み上げてきた自信を失うんだ。普通はな。まぁだからって普段から後悔してる狩人なんざいねえよ」
「それはそうだな。うん、でも、やっぱりよかったよ、お前はクソだけど信頼はできる」
「訳のわからねえこと言いやがるな、性悪男」
俺は机に乗せていたケツをどかした。
「お前がまだ協会にいるのは、お前が真の狩人だからってことだよ。狩人協会の狩りは獲物たちの息の根をとめるまで終わらない。残ってしまった者が抱く矜持をお前はたしかにもってる」
「……。死だけが俺たちの安寧ってか。誇りってのはそんなに価値があるものなのか」
「さあな」
「お前なら答えをもってると思っていたが。お前ですら答えを見つけられてないのかよ」
「期待に沿えなくて悪いな。──だが、少なくとも、お前も俺も、誇りのためにここにいる。死んでいった者たちに夜明けを見せるために。そうだろう、ジェスター」
「来るはずもない夜明けだがな」
「来るさ。もうそこまで来てる」
ジェスターは手を止めた。
「そうかもな」
一言だけそういうと彼は朝食を再開した。
俺はそばを離れ、見つけた知り合いのもとへ足を運んだ。
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2024年7月2日 19:20
異世界に追放されました。二度目の人生は辺境貴族の長男です。 ファンタスティック小説家 @ytki0920
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