第10話 刃は歪む。過去のほとりで
「お父さん…?お父さん!お父さん!!」
「輝子ちゃん!早く…早く逃げるんだ!」
リスの尾から放たれたのであろう針が、しょうちゃんのお父さんの喉を貫いて。吹き出す赤い血と、崩れ落ちていくその体。そこへ、待ってましたとばかりにヤギの角を生やしたモグラが群がっていって。
倒れた父親へ、縋りつこうとしたしょうちゃんを私の父が強引に制して、その手を引きました。
「やだ!いやだっ!!お父さん…お父さん!!」
「あなた…嘘よ…嘘よ!あなたーっ!!」
「榊さん!早く!急ぎましょう!!」
叫ぶしょうちゃんとお母さんとを引っ張って。私たちは化け物のいない方へと再び逃げていきました。
しかし化け物たちは簡単に逃がしてくれるわけもなく。河原にいたはずのカラスたちもその行列に加わって、その下をリスやモグラたちが続く。必死に逃げているうちに私たちはバラバラになって、私としょうちゃん、そして彼女の母親は小さな祠のある池のほとりにたどり着きました。
あまりの出来事に息を突く暇もなく、のどの渇きを感じて。私たちは池に引き寄せられて水を飲んで、つかの間の休息を得ました。
「何なの…あいつら。…お父さんを…」
力なくつぶやいたしょうちゃん。それからややあって、ゆらりと立ち上がりました。足の先には、逃げてきた森。
「私、戻る…。お父さんのところ。まだ生きてるかもしれないし、ほっとけない」
「まってよ、しょうちゃん。いくらなんでも危ないよ!それに…しょうちゃんだって…」
「だけど!放っておけるわけないでしょ…あのまま見捨てろっていうのかよ…!」
「そ…それは…」
しょうちゃんまでいなくなってしまう気がして、とっさに掴んだ彼女の腕が強引に振り払われる。彼女は、声を荒げて…それからばつが悪そうに呻きました。
「ごめん…。でも、やっぱり…あのままにはしておけない、から…」
「だったら私もついてくよ。一人にはしないから」
「…いや、ひかりはここで待ってて?私がちゃんと帰ってこられるように、待っててほしい」
お母さんをお願い、そういってしょうちゃんは私に背中を向けました。
「それじゃ、お母さん。すぐに戻るから」
そう告げたその時、今まで一言も発していなかったお母さんの様子が変わりました。体がガタガタと震えて、口の中からよだれがあふれ出てきます。
「うぅ…うううう・・・・」
「…お母さん?ねえ、お母さん!」
「ゥぅぅ…ううウガァァアァ!!」
「しょうちゃん危ない!!」
血走った目を向けて、覗き込んだしょうちゃんへ食らいつかんとする何本も伸びた牙。とっさにしょうちゃんを突き飛ばして、倒れた私たちの目の前で彼女はめきめきと異形へ変貌していきました。首筋に、どこかで見た紫の針を立てたまま、人型の何かになった彼女はこちらへ一歩、また一歩と進んできます。
「しょうちゃんの…お母さん!?」
「なんで…どうしてだよ…!どうして…こんな、お母さん!」
「ガアアアアアア!!」
返事はなく、ただ振り下ろされる長い腕。まとめて吹き飛ばされた私たちは祠にぶつかって。ばらばらと崩れた祠の中から、一本の刀が現れました。
「しょうちゃん!…大丈夫?」
「…ねえ…ひかり…」
切り裂かれたのは彼女の左腕。とっさにかばってくれた友人にけがの具合を尋ねて、しかしその問いに返事はなく、しょうちゃんは何かをじっと見つめていました。
「あれ…使ったら、お母さん…助けられるかな…」
「…しょうちゃん…?なに言って」
目の前の異形になったしょうちゃんの母親。彼女もまた苦しんでいるようで、こちらに向かおうと足を出しては転び、崩れて…大地でもがいています。それをただ見つめながら、腕を抑えたしょうちゃんは刀のもとへ。鞘に、手をかけました。
「しょうちゃん…!待って、だめだよ…!もっと他に方法があるはずだよ!!」
「…ごめん、ひかり。私は馬鹿だから…さ。これしか思いつかないや…お母さんだって…わけわかんないのになって。辛い…だろうし。…しんどい、よね?待ってて…私が、なんとか…するから」
こちらに向かおうする母親だったはずの異形。倒れてもがいているその姿を見つめて、覚悟したように刀の鞘を払いました。
「…しょうちゃん…!!」
「ごめんね…こんな娘で。これしか…できなくて」
刀を抜いた彼女は光に包まれました。薄い桜色の髪に合わせるように、身にまとった桜色の着物とその手にしっかりと握られた一振りの刀。サイドテールにまとめた髪が右へ、左へ揺れて。一歩ずつ、踏みしめて進んでいきます。
「お母さん…ごめんね…?…今まで、ありがとう…ございました…」
その切っ先は迷いを断ち切るように、大地に転がる彼女の大切な人の胸に突き立てられました。引き抜いた刀の先からとめどなく赤い血が噴き出して、桜色のしょうちゃんの上に雨のように降りかかって。それは、血を吸った桜が花を咲かせるそんな伝承のような壮絶で、哀しい光景でした。
「…しょう…こ…。ありが・・・・と…」
「うわああああああああああああああああああああああ!!」
ゆっくりと、糸のようにほどけていく彼女の体。完全に消えていく前に、その顔が優しかった母親の顔に戻って。その声が確かに届いて、大地に刀を突き立てたしょうちゃんは、そのまま崩れ落ちました。
「ひかりー!輝子ちゃん!!」
「よかった…二人とも無事だったの…!!」
その叫びは離れてしまった私の両親にも聞こえたようでした。駆け付けた二人はほっとした様子で、そのあとすぐにはっと息をのんで。へたり込む私と、血まみれのしょうちゃん、そしていなくなった彼女の母親と地面に突き立てられた刀。
何か言われる前に言わないと、そう思った私はとっさにしょうちゃんの前に立ちふさがって、口を開こうとしました。
「ち、違うよ…しょうちゃんは、お母さんを助けようとして…」
「いやー!!誰か!誰かぁ―!!人殺しよ!!」
「ひかりに近づくな!この…人殺し!!」
けれど。私の声は続く悲鳴と怒声にかき消されて。私たちは、ただ呆然と、立ち尽くすことしかできませんでした。
異界に交わる、私とワタシ 海野まみず @nannnn
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