02.本当に怖いものって、なんだろう

「おい、ちんたらすんな」


 鮫皇に足蹴あしげにされて、ロイドは転がるように裏通りに出た。想像以上にぞんざいな依頼主じぶんの扱いに、ロイドは思わず目を白黒させる。


「道は間違ってねえんだよな」

「この辺りはゴロツキがいるので滅多に通りません。回り道しましょう」

「その必要はねえよ」


 明らかに暴力にものを言わせているような男達が、路傍にたむろし、堂々と闊歩する二人に不躾ぶしつけな視線を投げていた。そんな視線に怯えながら、鮫皇達の後ろを、置いて行かれないようにと、ロイドが小走りで追いかける。


「殴られないですかね」

「てめえがそうやって、びくびくしながら歩くから悪目立ちすんだ。堂々と歩け。目つきは険しく、顎を上げて、猫背とガニ股。両手はズボンのポケットにインだ! ほれ、お前も真似してみろ」

「かっこ悪い……」


 違った方向に悪目立ちしていると、本人に告げる勇気もなく、渋々ポケットに両手を突っ込んだロイドが隣の鬼乕を見ると、彼女はメンチをきりながらズボンの尻ポケットに手を入れていた。どうやら彼女のカーゴパンツのフロントポケットは、手を入れるには小さすぎたようだ。主人が主人なら、従業員も従業員である。


「ここか」

「はい」

「不っ細工な家だな」


 鮫皇の発言は、まずけなすことから始まるらしい。そんな彼の足が、おもむろに振り上げられた。その挙動を目で追っていたロイドは、ハッとした。


「だ、旦那! 新居です、新居ぉおおお!」


 がくりと膝をついたロイドを見下ろし、ひどく清々しい表情で、「邪魔するぜ」と言い放つ男が、道にたむろする男達よりもよっぽど悪質に見えたのは、勘違いではないだろう。

 ポケットに手を入れていると必然的に足癖が一層悪くなるようで、彼は何でもかんでも足だけで済ませようとしている。玄関先で靴がすぐに脱げず、わたわたとする様子は滑稽だが、痺れを切らして、洗ったことはあるのかと問いたくなる程汚れた土足で、いつ家に上がりだしてもおかしくはないと、内心ヒヤヒヤものである。


「お邪魔しまーす」


 鮫皇に続いて家に入ろうとした鬼乕が、動きをピタリと止めた。ぐりん、と彼女の顔が回り、ロイドを見つめる。「な、なんですか」とロイドはあからさまに、しどろもどろとした。すっと通った高い鼻梁びりょうと、程よく厚い、誘惑するような唇。くっきりとした二重の瞳の虹彩は、美しいみどり色であった。黙っていれば、女性にしては背が高く、一般人よりも筋肉がしっかりついていて、たいぶ考え無しで物を言う、ただの麗人だ。

 謝罪か? 新品卸したての扉を、下足で蹴り飛ばして破壊したその謝罪か? と彼女の次なる言葉を待つロイドの期待は見事、「手土産っす」と手渡されたものに、打ち砕かれることとなった。


「粗品ですが」

「あ、ありがとうございま……て、さっき旦那が壁に貼り付けたガムじゃねえか!」


 もう彼らに、何も期待はしまい。依頼さえきっちりこなしてもらえれば良し、これ以上何も壊されなければ、万々歳である。

 手についたガムを引っ剥がし、べたべたとする掌をハンカチで何度もこするように拭く。一向いっこうに落ちない汚れと、転がるように落ちていく彼等への信頼感。すっかり気の落ちたロイドは、密かに溜息を洩らした。


「引っ越したてなので、申し訳ないですが、今何も出せるものがなくて」

「はあ? おいわざわざ家まで来た意味がねえじゃねえか」

「本来の目的を忘れておいでで?」


 心配である。何よりも、金を払ったことへの後悔ばかりが、先程からロイドの脳内をぐるぐると引っ切り無しに巡っている。


「安心しな。この俺が、ただ道を歩き、ただこの家に来た訳がないだろ?」

「おおっ。じゃあ解決策が見つかったんですね! すぐ追い払えそうですか?」

「まあな。俺にかかればこんな依頼はちょちょいのちょいだ。お安い御用ってな話よ」

「流石です! 一瞬でも依頼を後悔していたことを、今猛省しているところですよ! で、策とは?」

「とっておきのがあるぜ……」


 ぐっと寄せた彼の口に、ロイドは耳を寄せる。


「ふっ」


 イラァ……。

 思わず殺意が湧いたことは、黙っておこう。


「易々と教えてもらおうなんて考えるんじゃねぞ。こっから先は、別料金だ」

「なんて下劣な……」

「あ?」

「いえ。なんて殊勝な。情報漏洩とか心配ですものね。今どき企業秘密なんて一般的と言いますか。そういうものですよね」

「そうだ。俺の考えは、そんじょそこらの野郎が思いつくような低俗なものじゃねえからな」

「さいですか」


 生返事しか返せないのは、甘く見てもらいたいものだ。


「通ってきた道にいた奴ら、普通のチンピラじゃなさそうすね」

「そうなんですか?」

「あの腕章……見覚えがあるんすよね」


 茶を出しながら、ロイドは首を捻る鬼乕を見る。


「ありゃあ、ガルシアファミリーの一味だな」

「ガルシアファミリー?」

「ああ。この辺を縄張りにしているチンピラ上位互換じょういごかんのグループさ。やってることは童貞拗らせた青臭いガキの、イキッた不良ごっことそう大差ねえよ」


 思わず同情すら芽生えてしまうほど、酷い言いようである。


「ビビるほどのもんじゃねえから、お前さんももっと気楽に考えなって。近所のお兄さんみてえなもんよ。ちょっとお転婆な、ニコチン好きのチンピラ風味なお兄さん達だよ。仲良くやんな」

「仲良くはちょっと……」

「人は見かけによらねえからな。あいつらピアスとか絶対穴開けてねえよ。絶対磁石のやつだぜ、きっと。なんならタバコも砂糖菓子かもしれねえな。ちょっと注意すりゃ言うこと聞くマザコンに違いねえ」


 聞けば聞くほど偏見の塊だ。


「いやぁ、注意喚起くらいじゃ退いてくれなそうな、怖い雰囲気出てましたけど……」

「自信持って行こうぜ? 少なくともお前は子供一人拵えてんだから、既にほぼ勝ってるってもんだ」


 フォローされているのか、励まされているのか、貶されているのか。こうやって二次災害は生まれるのである。飛び火がいつ我が身に降りかかって来るか、分かったものではない。


「なんて根拠のない……。彼らが童貞じゃなかったらどうするんです?」

「なんてふしだらな!」

「誰目線なんですか」

「まだガキのくせに、女といちゃこらしようなんざ、この俺が許さねえ」


 バンッと机を強く叩く鮫皇に、ロイドは冷めた視線を遣った。そして、彼の言葉尻から、「さては」と勘繰る。


「旦那、もしかして経験ないんで?」

「んなわけねえだろが。何でてめえにできて、俺にできねえことがあるんだよ。自明だろ」


 非常にムカつく論理だが、確かにこの男の容姿は、見ようによってはハンサムの域にある。凶暴そうな三白眼も、薄唇の大きな口に綺麗に並ぶ尖った歯も、小賢こざかしさに拍車を掛ける高い鼻と鋭い顎も、個性的と捉えれば、彼はひどく蠱惑こわく的な顔立ちをしていた。

 怠惰と倦怠のマントを羽織ったような態度にも関わらず、その巨躯は筋肉でがっちりと固められ、だらだらと適当な発言ばかりを垂れ流す癖に、一切の隙が無いようにも思える。喧嘩とは無縁のロイドも、そこはかとなく漂う曲者の雰囲気くらいは、察せるものである。


「女にモテず、この歳まで拗らせてますって、正直に言った方がいいっすよ」

「はあ? 俺モッテモテだしぃ? 声めっちゃかけられるし? 家にまでしょっちゅう押しかけられて迷惑してんだ」

「熱烈な愛を注がれているんですね……」


 ロイドの肩に、手がかけられた。


「もう分かってると思いますが、あれはただのキャッチとセールスっす」


 ロイドは何故か、悲しい気持ちになった。


「あんな塵芥ちりあくた共の色恋沙汰なんて、先輩にゃどうでもいいでしょ。何が気に入らないんすか」

「俺を差し置いて、幸せになってる奴らが許せん。ガキのくせして!」

「なんて大人気ないんだ」

ねたみ、ひがみ、そねみ。先輩が訳もなく怒る理由は大体これっす」

「なんて理不尽なんだ」


 度を越した傍若無人ぶりに、ただただ驚愕の嵐。彼が独り身でいる理由も、ロイドは大凡おおよそ見当がついた気がした。

 大きな溜息がした。勿論、鬼乕の発したものだ。彼女は鮫皇の隣に腰を下ろすと、やれやれといったように、肩を竦める。その時初めてロイドは気が付いた。鮫皇にばかり気を取られていたが、こんなところに思わぬ伏兵がいたことに。彼女は、泥まみれのブーツを履いたままだったということに……。


「そんなに嫌なら仕方ないっすね。仕事が進まなくなるのも困るし。私が綺麗さっぱりぎ落としてくるっすよ」

「何を!?」


 ギョッとするロイドを前に、彼女は眩しいほど爽やかな笑顔をたたえて、


「────」


 と言い放った。

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沈黙の皇 〜この転移者、狂的で暴力的、口も人相も悪いが、誠に遺憾ながら主人公です〜 南雲 燦 @SAN_N6

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