01.腐った世界の登場人物は、例外なく腐っている
生きたいか?
俺は覚えている。灰を被ったような霞空を。
俺は覚えている。あの甘い瑠璃色の虹彩を。
もう一度だけ問う。──はまだ、生きたいか。
はっきりと覚えている。
ただただ、無性に空いていた腹の感覚を、俺は覚えている。
†
ロディギア帝国。既に歴史上に刻まれた一帝国に過ぎぬその名は、かつては大陸全土に名を轟かせた、絶対王者たる大国であった。
先王が床に臥し、代わりに
皇帝の冠を手にした彼は、今度は為政者としての才を発揮するようになった。その絶対的権力で国を統治し、法を整え、地方にまで富を分配し、商業を興して国を発展させた。力を振り翳すこともままあれど、彼の政治力は素晴らしいものであった。
しかし、その十数年後、その絶対王政は一夜にして瓦解した。裏切りの刃に、皇帝の命が奪われたのである。
彼の死の原因であり、唯一の欠点は、自分以外誰も、信じられなかったことであった。
反乱軍が
ある男が転移した。
東の国から来た、反抗期真っ盛りの悪ガキであった。
†
「あのー? 掃除の依頼、頼めますか?」
客が戸惑うのも仕方ない。
「あの、すみません。……旦那?」
至極真っ当な反応である。店の主人が客間のソファで堂々と眠りこけている方が、おかしいからだ。二人掛けのソファからは、長い脚と広い肩が入りきらずにはみ出している。
「あのー……」
「んあ? 誰だ」
店の主人──
「お客さん、うちは今日、臨時休業だ」
「え、でも年中無休なんじゃ? 入り口のチラシに……」
「今さっき休業になったんだよ」
「そな
「ご飯派の俺の朝食にパンが出てきてよ、働く気力がちらとも湧かねえや。米は日本男児の魂よ? 血となり肉となるエネルギーの源よ? 粒立った白米に納豆、味噌汁の三点セットは必須だろうがよ。分かってねえよな。お客さんもそう思うだろ?」
「え、いや……? 俺朝食はパン派なんで……」
「マジかよ、ありえねえ。パン派は帰った帰った。喋ったらイースト菌が移るわ……いった! 痛えなこの馬鹿力!」
鮫皇が振り返ると、そこにはフライパンと拳銃のグリップを握った女が仁王立ちしている。鮫皇の相棒、
「先輩、折角の金ヅル帰らせてどうするんすか。それに、イースト菌はただのパン酵母っすよ」
呆れた口調とは裏腹に、彼女が左手に持つ
「私が朝の貴重な時間を使って作った朝食に、何か文句でも? 腹が減ったなら、
「す、すんませんっしたあ! めちゃめちゃに美味しかったです! ご馳走でした! 大層極上の味でございましたぁ!」
「分かればいいっすよ、分かれば。で、お客さん、どのようなご用件で」
鬼乕に勧められるがまま、客がソファに座ると、向かいの鮫皇もソファに正しい向きで座り直した。鬼乕が肘掛けにあった鮫皇の脚を蹴り落とし、そこに腰を下ろしたからである。
「実は昨日、家族で隣町に引っ越したんですが」
「へえ、妻子持ちかい。綺麗にしたいのは、女関係か? 複雑な家庭内環境か? 自堕落な生活か?」
「物語開始早々、昼ドラみたいな展開に持ち込むのやめてください。その引っ越した家の周辺に、不良が屯っていて」
鮫皇が気怠そうに、男の頭から爪先までを舐めるように見る。
「大人しそうな
「いや、排除っていうか、追っ払って頂ければ……」
「幾ら出す」
目が点になった男の前で、また拳骨が飛んだ。
「いってぇんだよ! この馬鹿力女! ちったあ力加減ってもんを覚えやがれ!」
「先輩の方こそ、もうちょい配慮ってもんを覚えた方がいいっすよ」
「それ、お前にだけは言われたくねえ……」
グリップで殴られた頭を
「先輩、いいっすか。値段交渉ってのは、どーんと派手に出るべきっすよ。オークション形式で値段吊り上げても良し、殴って奪うも良し、泣かせて奪うも良し。巻き上げられる時に巻き上げとかないと」
「いや、標的を目の前に何話してんですか」
助け舟かと思えば、とんだ泥舟である。
「ローンでもいいぜ」
「どんだけ高い金額払わせる気なんですか!」
「うちは種類も豊富だ。おい、鬼乕。あれ持ってこい」
「一切聞く気なし!? 一方的に話が進んでいくんだけど。もはや流れ作業並みにスピーディーなんだけど。さては、何回もこの流れやってるんでしょ!」
席を立った鬼乕が持ってきたのは、手作り感溢れるパンフレット。それを受け取った鮫皇は、テーブルの上に、パンフレットを開いてのせる。
「ほれ。借金リストだ」
「家族持って早々借金だなんて……。世間てのは厳しいっすね」
「
鬼乕が涙をハンカチで拭う真似をする横で、鮫皇が大袈裟に鼻を啜る。白々しい。
「厳しいのは、世間より貴方たちの提示する条件の方なんですが。あの、嘘泣きする前に値段下げるとか心優しい対応はないんですか?」
三文芝居に呆れ、男は紙面に視線を落とす。
「なになに? (数年後に返す返す詐欺)一括払い、学生(の気分)ローン、(親の
「こんなちっせえ掃除屋頼りに来てる時点で、てめえは終いなんだよ、終焉だよ、世紀末だよ。打ち切りの方がもっとまともな終わり方するよ」
「自分でちっさいって言っちゃってるよ。いやでも、打ち切りはスッキリしなくてしんどいから、あれほど辛い終わり方はこの世にないですから。もう断腸の思いですから」
はあ、と溜息を洩らす客に、鮫皇は仕事を貰う側とは思えぬ態度である。
「まあいいや、有り金全部出せ。それで許してやるよ」
「カツアゲみたいな料金の請求ですね。ここ、掃除屋ですよね?」
「ああ、掃除屋だぜ。金さえ払れば、何でも掃除してやるよ」
前髪の狭間から覗く、鮫皇の左目がぎろりと鈍い眼光を放つ。墨で塗り潰したような、冷たくも深い黒。男の背筋に悪寒が走った。誰が見てもわかる。
「じゃあ、案内しろ」
「へ、今からですか?」
「仕事はさっさと済ませる派なんだよ」
「怠惰な先輩に限って、そんな話聞いたことないっすけど」
「おい、余計なこと言うなよ。締まんない終わりになっちまうだろうが。よく見ろよ、ページ終わりだぞ、ページ終わり」
「すいませんっす。まさかそのだらしのない顔で、締める気だったなんて、思ってもみなかったっす」
「てめぇ……」
依頼人の男は、ロイドと名乗った。引っ越し先の街は、警察組織の拠点がある第二地区。とは言え、警察すらも大して
「ここも汚ねえ街だなぁ」
噛んでいたガムを壁に付ける、掃除屋の旦那とは思えぬ鮫皇の行為を、ロイドは唖然として見る。
「エリアDよりかは、マシっすよ」
そう言う鬼乕も、ばっちいばっちいと、薄汚い道を通る度、爪先立ちになっている。
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