デートする彼ら

夢月七海

デートする彼ら


 見慣れた部屋の中でも、今日は浮かれているように見える。曇り空から通り越して入ってくる日光は朗らかで、網戸を抜けた風も涼しい。

 隅々まで掃除した床はピカピカ光っていて、テーブルも艶々に出来たのが誇らしい。まあ、一時間もすれば、油でベタベタに汚れてしまうのは分かっているのは置いといて。


 それから、物の準備。ゲーム機とソフト、リモコンはちゃんとある。冷蔵庫の中には十分な量のビール、ピザも二十分前に呼んでいる。

 あと五分。テレビの上の時計を見上げると、緊張してくる。約束の時間は十二時だったが、もうそろそろ来るかもしれない。いつも、この時が一番ハラハラする。


 インターホンが聞こえて、俺はモニターの前に急いだ。画面を見ると、笑顔の貴彦が、こちらに手を振っている。すぐにロックを解除した。

 一階から、この部屋まで、エレベーターを使って、約二分半。時計の秒針とにらめっこしてから、丁度良いタイミングで、玄関に向かうと、今度はこちらのインターホンが鳴った。鍵を開けて、ドアを押す。


「こんちはー」

「めんそーれ」


 貴彦の笑みに、こっちもデレてしまう。地元民が観光客へのリップサービスとして使う方言の挨拶が飛び出してしまうほどに。

 リビングへ、買い物袋を持った貴彦を案内する。「今日も暑いねー」「最近台風ができたらしいけどなぁ」とか、どうでもいいけれど、妙に浮かれるような声で会話を交わす。


 テレビの前のソファーを貴弘に勧めて、俺はキッチンに行き、冷蔵庫を開ける。

 地元産の二つのロング缶ビールを取った後にタバスコを……と思ったところで、「あい」と声が漏れた。


「タバスコ、切れてたの、忘れてた」

「あ、僕、買ってきたよ」


 振り返ると、貴彦が買い物袋から取り出した赤い小瓶を持って、軽く左右に振っていた。


「この前のデートで無くなってたでしょ? 買ってきたよ」

「お前は、本当に、気が利くなぁ」


 感激した気持ちでそう返す。「大袈裟だよー」と貴彦は照れているが、俺は細かい所に気が付く恋人のことが、誇らしくてたまらない。

 ビールをテーブルの上に置いた直後に、再びインターホンが鳴った。モニターを確認すると、ピザの配達員が立っている。


「ピザも来たみたいだな」

董治とうじのピザを注文するタイミングも、いつもピッタリだよねぇ」


 配達員を迎えに行った俺の後ろで、貴彦がしみじみ感心している。そう言われるのは嬉しい。色々計算して動いた甲斐がある。

 さて、受け取ったピザをテーブルに置いて箱を開けると、ふわっと幸せになれる香りが室内を満たした。俺も貴彦も、その香りを嗅いで、うっとりと目を細める。


「新商品だ!」

「CMで何度も見ると、喰いたくなるよなー」

「分かる! カニがおいしそうだよね!」


 ピザを目の前にすると、子供みたいにはしゃぐ貴彦をよそに、俺はリモコンを操作して、テレビを動画配信サービスに接続する。見る映画は事前に話して決めていた、現在劇場でも公開中の新作だ。

 さて、これで、ビール、ピザ、映画の三種の神器は揃った。にやにや笑う俺たちは、ビールを開けて、乾杯をする。そうして、同時にぐびっと喉を鳴らした。


「最新映画が、公開と同時に配信されるのはいいよな」

「カニ! カニの所、食べていい?」


 時代の変化を噛みしめている俺に対して、貴彦は勝手にピザを手に取る。わがままだなぁと思ってしまうが、だが、そういう所が愛おしくて、頬が緩む。

 再生ボタンを押して、映画が始まった。舞台であるニューヨークを歩く主人公を見ながら、辛口のビールを煽る。俺も大分腹が減っていたが、それよりも気持ちを満たしたかった。


 貴彦の開いている手を握る。ピザを頬張る貴彦も、これには抵抗せずに、握り返す。それでも物足りなくて、肩を密着させる。

 彼の温度をこの上なく感じながら、でも、こんなこと、外では絶対に出来ないな、と冷静に分析する自分もいる。男女でも、バカップルじみた振る舞いが嫌われることはあると思うが、俺たちの場合は、そのハードルは別の所にあるような気がする。


 ピザの枚数とビールの量が減り、映画も中盤に差し掛かると、貴彦が俺の方に頭を預ける。この瞬間、俺の幸福度はマックスを記録する。

 映画に関する感想を、その場の思い付きでダラダラと話すのも楽しい。「あの人、絶対スパイだよ」と、眉を顰めて断言する貴彦だが、映画館ではそんなことなど絶対に言えない。


 そして、ピザとビールが無くなった頃、映画は終わり、エンドロールが流れ始めた。

 それを眺めながら、貴彦は、はあとアルコールの匂いがする溜息をつく。


「いやー、全然分かんなかったね。騙されたよ」

「お前の予想、外れてたな」

「そうだねー」


 俺は冷蔵庫に、もう一組の缶ビールを取りに立ち上がり、貴彦はリモコンを操作する。この後、ビールとつまみを味わいながら、ダラダラとゲームをするのが、いつものデートの流れだった。

 しかし、俺がリビングに戻ってきても、貴彦が買ってきたつまみと共にテーブルに置かれたコントローラーを手にしていない。ビールから飲みたいのかと手渡しても、どこか落胆した様子で、ぼんやり座ったままだった。


「なんかあったか?」

「あー、うん、そうだねぇ」


 貴彦は苦笑を浮かべる。しかし、その顔には辛さが滲み出ていて、無理はしないでほしいと思ってしまう。

 新しいビールを煽った後、貴彦はプルタブ部分をいじりながら話し始めた。


「社長が言うにはさ、僕は、天然じゃないんだって」

「は?」


 彼が言っている意味が分からずに、眉を顰めた。

 社長というのは、貴彦のことをカメラマンとして雇っている結婚式場の社長のことだろう。時々聞く話では、ワンマン経営者という印象がある。


 確かに、貴彦は天然とは程遠い、しっかり者だ。彼の仕事姿を見たことはないが、プライベートとさほど変わらないだろう。

 「天然じゃない」というのは、褒め言葉ではないだろうか? そもそも、そんなことを言う必要がないというのか……。しかし、ここまで貴彦は落ち込んでいるのを見ると、何か別の意味があるのかもしれないと、俺は黙って彼の説明を待った。


「昨日、社長がマグロ丼を食べながら、言ってたんだ。『マグロは、天然物に限る。養殖は不自然だ』って。それくらいだったら、別に良かったんだけど……、『同性愛も同じ。自然の流れに反している、養殖みたいなものだ』って力説し始めて……」


 あまりの暴言に、俺は絶句してしまった。

 貴彦は、自分のセクシュアリティを職場にカムアウトしていないが、それにしたって、酷過ぎる偏見だ。今時こんなことを言う人がいるのかと、呆れると同時に怒りがぐつぐつと沸いてくる。


「今度、社長を俺に紹介しろよ。俺が、お前の代わりに、たっくるすから」

「ははっ、頼もしいね」


 俺が、拳で見えない相手を殴るような真似をすると、貴彦は愉快そうに笑ってくれた。その様子にほっとしつつ、ただ、これが最善の返答ではないことは、よく分かっている。

 「そんな会社、辞めてしまえ」というのは簡単だ。ただ、例え恋人だとしても、貴彦の立場を考えない発言は軽率に思える。俺に出来るのは、貴彦の愚痴に付き合い、その怒りや悲しみに同調することくらいだ。


「ありがとう。貴彦のお陰で、すっきりしたよ」

「いや、いいよ。気にすんなって」


 微笑む貴彦の肩をトントンと叩きながら、今度は自分の心が曇っていくのを感じていた。

 俺は、両親が共働きで、一緒に住んでいたおばあと、ふとした時に方言が出るほど、長い時間を過ごしてきた。俺はおばあのことが大好きだが、「董治はいつ結婚するねぇ」「長男だから、早くしないとー」と悪気なく言われると、申し訳ない気持ちになってくる。そして、このことは貴彦にも話せない。


 カムアウトしていないとはいえ、同性愛を毛嫌いする社長から悪いことを言われてしまうのと、大切な身内から、自分の本当の気持ちが言えないまま、結婚をつつかれるの、どちらがましなのか、結論が出せない。小学生の時に流行った、究極の選択みたいだ。

 だから、この部屋の中で、二人きりの時だけでも、世間や家族の嫌なことを忘れて、思う存分愛し合いたい。それくらい、許してもらえないだろうか。


「そろそろ、ゲームしようぜ」

「うん。董治は、何したい?」

「サッカー、やろっか」


 時間が来るまで、俺たちは二人でいるという幸福を、心行くまで味わった。



































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デートする彼ら 夢月七海 @yumetuki-773

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