岬陽は手を伸ばす

ゆるすら

岬陽は手を伸ばす

 プールに沈む私を太陽が覗いている。その暖かな眼差しを感じることが好きだった。


 大学2年の夏休み。私はサークルのメンバーと海に来ていた。ほかのサークルメンバーと波打ち際で水の掛け合いやスイカ割りを最初は楽しんでいた。しかし飽きてしまった私は、人目につきにくい場所までやって来ると海に飛び込んだ。

 そこは私の身長ではギリギリ足がつかないくらいの深さだった。しばし水の中に浸かるって波に揺られていたが、私は水泳部員だった頃、誰よりも早くプールに訪れてやっていたように仰向けになって底に沈んだ。

(落ち着くなぁ。)

 初めて来た場所のはずだが、久しぶりに水中から空を見上げたためか、懐かしい気分にさせられた。

 それはそろそろ水面に上がろうかと思ったタイミングだった。不意に水面が揺れ、バシャンと何かが海に飛び込む音が鈍く響いた。音のする方に顔を向けるとサークルの先輩、涼風実が血相を変えて私に手を伸ばしていた。先輩の手に吸い寄せられるように腕を伸ばしかけた。

(先輩がどのくらい泳げるかわからないし、繋がないほうが危険はないかもしれないな)

私は先輩の手は取らず、海面に急いで向かった。

 私が海上に浮上すると、続けざまぷはっと横で息継ぎするのが聞こえた。海の底の静かな世界から、どこか騒がしい現実に引き戻されたことに、なんだか笑いが込み上げてしまった。

「まったく、なに笑っているの。こっちは溺れたのかと思って心配したというのに。」

先輩はそれだけ言うとはぁはぁと呼吸を荒くする。

「ごめんなさい、先輩。ただ溺れている人を見かけたら今度からはライフセーバーにお願いするか、浮き輪を投げ入れるかにしてくださいね。でないと巻き込まれて溺れてしまいますよ。」

「ええ、覚えておくわ。___あなた以外であれば最初からそうしていたのだけど。」

後半は小声で頬を赤らめながら話し出した先輩を不思議に思った。

 私達は砂浜に上がり、膝を三角にして座った。 先輩はなにかを言いたそうに口を開けたり、閉じたりをし始めた。「私の顔になにか?」 あえてとぼけるように聞いてみた。

 先輩は覚悟を決めた力強い視線を私に送る。それは戦地に赴く旦那を見送るイメージが頭によぎるほどだった。

「岬ちゃん、私ね。あなたが好きなの。」

 さっきと同じように顔を赤らめながらも、今度ははっきりと私に伝わるように言い切る。私もいい加減な気持ちで答えてはいけないと背中を伸ばした。私は即座に回答を返した。

「唐突ですね」

先輩は私にぴったりと目を会わせて続けた。

「タイミングがあったらずっと言おうと思っていたの。あなたがひとりになってチャンスだと思ってついてきたらいきなり沈んでいくんだから、本当に焦ってしまいました。」

「それは...ごめんなさい」

私は深く反省した。水泳部時代、誰も気に止めていなかったが、端から見たら溺れているようにしか見えないのだろう。

「岬さん、度々ボーッと遠くを見ているから、いつかどこか遠くに行くんじゃないかと思っていたから。だから余計に」

「なるほど...気づかなかったな...」

私自身まったく自覚がなかった。

「そんなふうに見られていたなんて、それで結局どうしてこのタイミングで告白を?」

先輩は目をうろうろさせて考えをまとめて、それから口を開いた。

「いなくなる前に気持ち伝えられなかったら後悔すると思ったから...」

先輩の言葉には切実な響きを含まれていた。そんな先輩の様子に答えが固まった私は先輩の告白の返事をした。

「わかりました。それでは付き合いましょう。」

私の答えがまるで予想できなかったのか、瞳はまあるく開き、口を魚みたいにパクパクしている。かろうじて、「本当に...?」と小さく呟くように私に聞き返すと、私は安心してもらえるように、ゆっくりと頷いた。

「うれしいけど、驚きもしないの...?私女なのよ...?」

私はなんと答えるべきかほんの少し迷ったが、正直に話すことにした。

「大学生になってからは初めてですが、高校生の頃は何度か告白されて付き合ったことがあるので。」

すると先輩は納得した表情を浮かべたが、またもじもじとし出し、頬を赤らめた。私がジーっと視線を向け続けると、諦めたように私に質問を投げ掛けた。

「どこまでいったの...?」

「どこまでとは?」

質問の意図が読めず聞き返すと、これまで以上に、熟れきったリンゴのように赤くなって私に聞いた。

「経験の話よ...き、キスとか...」

やっと理解した私は、率直に答えようとしたが頬を真っ赤に染めている先輩が可愛らしく、からかってみたい気分にさせられた。

「先輩の想像しているところまで...ですよ?」

わざと先輩から顔を背け、少しでも頬が赤くなるように恥ずかしかった記憶、___友達と一緒にカラオケに行った時に土足禁止と間違えて段差のところで靴を脱ごうとした___を思いだして。

 振り向いて先輩の顔を確認すると、さっきまで赤くなっていた顔を白くさせて呆然とした表情を浮かべていた。

「あの...先輩?」

恐る恐る尋ねると、次の瞬間私に飛びかかる。私は突然のことに驚いていると、いきなり先輩に唇を塞がれた。先輩は涙目になりながら私を睨んだ。

「私は、誰かを好きになったことさえなかったのに、なのに...」

先輩の目にはハッキリと雫が浮かんでいた。私はそこで今更ながら罪悪感を覚えていると、先輩は立ち上がって私の手をとり、身体を起こしてくれた。

「ありがとうございます、先輩。それと、ごめんなさい。本当は手を繋いだくらいで、それ以上のことは経験にないんですよ。」

「え...?」

「先輩の態度が可愛らしくてついからかってみたくなりました。本当にごめんなさい。」

先輩は目をぱちくりさせ、右腕をぴくりと動かした。平手貰うのかなと思ったが、次の瞬間海に向かって駆け出し、そのまま飛び込んだ。予想外の行動に驚いていると、先輩は大声で、

「しばらく頭冷やしてきます!」

「行ってらっしゃい。あんまり沖に近づかないで下さいねー。」

先輩は振り返って私に向かって頷くと泳ぎ始めた。

 先輩が見えなくなると私は座り込み、今も熱をもっていた唇に触れた。それは夏の太陽よりも熱く感じた。

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