第12話 教皇
服が重い。染色するのに泥でも用いたかのように、あり得ない重さをしている。この重さは、果たして教皇としての立場がもたらすのか……それとも、物理的な重量なのか。今回ばかりは、答えは後者であるように思えた。
シャツやパンツの上に、まずキャソックを羽織る。普段の品物ではなく、銀色の装飾があしらわれていた。これが単なる刺繍ではなく、鉱物としての銀なのだから、布がもたらす重量の範疇から逸脱してしまうわけだ。「祈祷の間」にあるステングラスのルナ様、慈愛に満ち溢れる表情で、少年に手を伸ばす瞬間が、銀色となって胸元で存在を主張している。非常に細かい装飾は、職人の腕前すらも想像させた。
更にその上から、ボタンなどの留め具のない羽織るだけのロングコート。背中には、金の装飾があしらわれている――ルナ様が単体で祈りを捧げる様子が描かれている。彼女の背後には、聖剣が描かれており、これが七元徳を有する聖騎士団を現している。正面の右側には「月」左側には「太陽」の柄。月が銀、太陽が金で、象徴的なニュアンスを匂わせていた。深い意味合いを持つはずのどちらも、今は僕にとって重しでしかなく、鍛錬に費やした日々が、僕の肉体を支えてくれていた。
億劫な気持ちを胸にしまい、両開きの扉の前に僕は立った。扉には、ルナ様が一輪の薔薇にキスをする様子の装飾が施されている。彼女を見つめていると、不思議と心は落ち着きを取り戻した。背後には、アルも立っていて、普段から冷静沈着な彼女ですら、ソワソワとした様相だった。落ち着かないのは僕も同じで、指で小刻みに腿を叩いていた。
「リース様。お時間でございます。」
恭しくお辞儀をしてくれたのは、ペルだった。周囲に複数人がいる中で、唯一落ち着いていたのは彼くらいだろう。この瞬間だけは、誰もが最低限の緊張を持ち寄るはずだが、彼は該当しないようだった。
二人のメイドによって、両開きの扉が開かれた。静かな青くも見える月明かりが、開かれた扉から僕の足元を照らした。大理石の床も、それを薄く反射している。僕を出迎えたのが朝日であれば、ここまで来るのに蓄えた勇気の大半を、強奪されていた可能性もある。朝に比べれば、何倍も夜が好きだった。
ペルを背後に伴い、僕は扉から出た。この時、僕の警護はアルから、銀の鎧を纏ったリリックへと変わった。七元徳が正義の威光を持って、僕を狙う悪しき者をけん制しているのだろう。地上6階の小さなバルコニー、腰丈の細い柱だけが、僕を落下の脅威から守っている。更に奥へと視線を伸ばせば、地上にはあり得ない程の観衆が集まっていた。彼らは、皆一様に小皿の上に蝋燭を乗せて、小さな灯りを伴っている。一つ一つは小さくとも、数が集まれば喧しくさえあった。沢山の光が、彼ら民衆の眼の代わりに、ジッと僕を見つめているようでもある。扉の中と外、その些細な差は、明確に僕の緊張を成長させていた。普段から慣れ親しんだ屋敷から見える景色と、現状は酷く乖離していた。
あるいは、政治家や著名人でも、これだけの人数を一か所に集めるのは困難であるように思えた。一流の中の一流、極一部のアーティストだけが、どこかのドームに蓄える人数よりも、更に多い。ルゥナ教の影響力を、僕は観衆の力によって実感していた。これだけの宗教団体の長に、僕は成ったのだ。急速に満たされていく自己顕示欲、見覚えのない醜くもある欲求が、呻き声をあげている。産まれた瞬間から邪悪なそれを、拒絶することは難しかった。圧倒的な現実が、これまでの人生で形成してきた僕の中の何かを、明確に改変していくのがわかる。それほどに、観衆とは恐ろしい力を持っていた。
風になびいて消えた緊張を忘れ、僕は観衆に手を振った。優雅に、ゆっくりと。それだけの動作で、彼らの持ち寄った灯が揺れる。闇夜に蠢く蛍が美しく見えるように、それは大衆の中にある悪意や善意までも隠し、只々情景としての美しさを向上させていた。暫し見惚れていると、いつの間にか揺れは止まっていた。
――そして、僕は名実ともに教皇となった。
◇――◇――◇
地下牢に入ると、既に暗殺者は随分と萎びていた。度重なる尋問が、彼らの身体を毒物のように蝕んでいるのだろう。どうにも、僕が倒した「透明化」の福音所持者が、両親に手を下した暗殺者であるらしかった。ペルが以前に捕らえた暗殺者は、実行犯の一人ではあるが、全てではなかった。
しかし、いくら警備が希薄だったからと言って、戦闘を始めて初日の僕に負けるような奴が、教皇を暗殺できるのだろうか。福音の修行だとしつつも、僕は真実を確かめに来ていた。
「やぁ、数日ぶりだね。」
「……。」
黙殺、答えとしては上等な部類だ。僕は左手の人差し指をこめかみに当てて、彼の様子を窺った。福音の成長を確認する為だ。視界内に浮かび上がったのは、ぼんやりとした靄、どこか青い色合いをしていた。アジサイのような青だ。
おそらく、福音「可視化」によって、僕は相手の感情を読み取ることができる。敵意があれば、襲撃の日に彼を見た時のように、赤い色合いを放つ。今回のように、消耗して消極的な感情になっている場合は、青い色合いを映す。地球にもあったオーラに近い概念を捉えられるようになったのかもしれない。もっとも、地球の場合は都市伝説的が脚色されたかのような状況だったが。
「疲れているみたいだね。ここは暗いし、長くなればなるほど苦しくなる。」
「……黙れ。」
感情を読み取って刺激してやれば、存外、彼は簡単に口を開いてしまった。これはこれで、使い道がありそうだ――と、僕は口元に笑みを滲ませた。水彩画のように、曖昧な笑みを。
そっと左手を放しても、彼の青は見えたままだった。これも成長の一つ、動作を最小限に抑えられれば、隠蔽も容易になる。能ある鷹は……と言うように、いたずらに福音を明かせば、不利になる場面の方が多くなるはずだ。
次に、僕は右手の親指を、こめかみに当てた。どちらの福音も、強力さに見合って動作が大きい。アルの福音を鑑みるに、これは全ての福音に共通することなのかもしれなかった。
「君は、本当に僕の両親を殺したのか?」
「………俺が……殺した。」
アニメで見るトロールみたいな話し方だ。どこか違和感のある響きに、僕は思わず首を傾げた。そしてもう一度――…
「君が両親を殺したのか?」
「…………俺がぁ……殺したぁ……。」
数秒前よりも、ずっと言葉が溶けているように思えた。メモリの少ないコンピューターに、強引に大量の並列処理をせているかのようなイメージだ。僕の福音が、彼の脳を破壊してしまったのだろうか。だが彼の表情は、正常であるように思える。整理の着かない違和感が、僕の足元から這い上がってくる。これを放置すれば、一生後悔をするような気がする。神の与えた力に疑問を呈するようでもあるが、見て見ぬフリができぬほど、この汚れは大きい。
さしあたって、検証案は一つ。僕は人差し指と親指を、両手を使ってこめかみに当てた。成長した「可視化」なら、何かを捉えられるはず――そう信じて。
現れたのは、黒い靄。先ほどの青は、黒い靄の背後で、小さく蠢いている。そして福音を所持する僕には、感覚的に色の意味合いが理解できた。黒は「支配」。何者かの福音によって、この男は支配されているのだ。最初に見た時、黒が現れなかったのは、恐らく支配の影響範囲にある質問を、僕がしなかったからだろう。きっかけは両親の死に関する質問、それと同時に支配が始まった。そして支配は、時間が経過すれば終わる。だから尋問を受けても、いつしか色合いは青だけになる。
そしてこの状況、覚えがある。最初にペルの捕らえた暗殺者を、福音を使って尋問した時も、似たような状況になった。敵には、同系統の福音所持者で、僕以上の力を持つ者がいる。以前から仄かに香っていた存在のニュアンスが、より濃くなって僕の鼻腔を潜った。恐らく、最初に捕まった暗殺者が、両親を殺した暗殺者だとされていたのも、敵が情報を錯綜させるために、動揺の証言を「支配」によって強要しているからなのだろう。
彼の言動が溶けているのも、僕との福音と競合しているから。優先順位を敵が獲得するなかで、過分な処理をしているのかもしれない。それこそ、一つしかない脳で、二つ分の働きをすれば、言葉が溶けるのも頷ける。
どうにかして真実を引き出そうにも、僕と敵の間には、明確な格の差があるようだった。これでは、どれだけ尋問しても意味をなさない。となると、僕がすべきは、やはり修行で、今は手元にある情報を精査するくらいしかできない。
今回、僕ら三人で討滅したのは、暗殺者ギルドの末端の支部だと言う話だ。必然的に、暗殺者ギルドの長が怪しく思えるが、事態はそれだけで収まるだろうか。
実体の掴めない敵が、僕の中で肥大していくようだった。情報が希薄だからこそ、恐怖が伴う。それを敵は熟知していて、僕がミスをするのを待っているかのような、蛇の狩りを匂わせていた。
自己嫌悪と夜 木兎太郎 @mimizuku_tarou
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