第11話 快眠
気を失った瞬間の記憶を辿れば、僕が寝ているのは床であるはずだった。しかし、背中にある弾性、それと覆いかぶさる軟性が、ここがベッドだと教えてくれていた。
窓から日差しが差し込む。それが瞼に白色を塗って、睡眠と僕の間に境界を設けようとしている。普段であれば、自分から絶対に開けないカーテン、状況が日差しを伴って、僕に第三者の存在を連想させていた。
乾燥から、くっつくような感覚のある瞼を強引に動かして、日差しを眼球に受け入れる。やがて光は色覚を刺激して、景色を作り出した。ここは自室のベッド、横には疲れ眼のアル。直ぐに手に入った情報は、そんなところだろうか。
心地の悪い瞼を擦りたくて、左手を上げればアルの右手が付いてきた。水面から吊り上げられた魚のようでもあるが、藻掻かずジッとぶら下がっている。
「アル、もう大丈夫だから手を離してくれない?」
「無論、私の福音を行使したのだから、当然のことです。心臓を損傷しても、治療することが可能なのですから。」
と、自慢げに語るアル。結局、左手が解放されることはなかった。僕の安全が担保されていなければ、現場に同行できるはずもなく、それがアルの福音だとは思わなかったが、取り合えず僕は息をしている。となると、彼女の計算通りであるはずなのに、表情や纏わりつく右手が、彼女の焦燥を現しているようだった。
「リリックは?」
「彼女は、捕えた暗殺者らを尋問しております。」
「そう、上手く行ったんだね。」
「収穫は上々、暗殺者ギルドの支部を潰せたようです。これなら、ルゥナ教の威厳を保つことにもなり、取り合えずの成果を示すこともできます。」
「そう。当初の目的は果たせたわけだ。」
「リース様の活躍もあってのことです。」
「こんな有様だけど、褒めてもらえるんだね。」
「及第点と言ったところです。くれぐれも調子には乗らないように。」
ようやく、僕が異世界リースではないことを思い出したのか、サッと手を離して、彼女の表情は一段階ほど厳しい様相になった。目覚めには喧しかった温もりも、無くなれば寂しさだけが残る。空っぽになった左手を見つめながら、僕は苦笑した。
「私の福音は【即時治癒】、傷は回復出来ても、消耗した血液や体力までは修復できません。本来であれば、もう少し早いタイミングでの治療が必要でした……が、それに関しては申し訳ありません。」
「気にしてないよ。助けてくれただけで御の字だ。」
今は、もう体も動く。それを手っ取り早く証明する為に、ベッドから上体を起こして、彼女を見つめてみた。もう大丈夫だよ、という僕のメッセージは、空中で霧散しているようで、ふと僕を見た彼女は、疑問気に首を傾げるだけだった。
「取り合えず、ある程度なら戦闘について理解できたと思う。敵の苦手なことに徹すると言うか……とにかく、徒手格闘で武器術を無力化するのに、そこまで苦手意識は無くなったかな。」
「それは素晴らしいことです。経験だけが、苦手意識を穴埋めできますから。」
満足そうに、アルが一つ頷いた。
「そういえば、どうやって透明な敵の位置を見抜かれたんですか?」
「あぁ、簡単だよ。僕の福音は【可視化】だからね。見えないものを見えるようにするんだ。幸運なことに、かなりの高相性だったんだ。」
「あれ?地下牢に通われているのは、福音の修行ではございませんでしたか?可視化とは、結びつかない気もしますが……。」
「あぁ、伝えて無かったか。僕には、福音が二つあるんだ。恐らく、僕の前世から引き継がれたのが一つと、16年間のこの世界で紡いだモノが一つかな。」
「……そうでしたか。」
どこか寂しそうに、アルが言った。当然のように、彼の名残はこの体に残っているし、彼女の記憶の中にも残っている。忘れ去れるような記憶ではない。僕は、この世界に対して少しの居心地の悪さを感じていた。
「話を戻すけど、また地下牢に通いたいんだ。もちろん、福音の鍛錬の為にね。」
「かしこまりました。手配をしておきます。」
「それと、少しだけ一人にしてくれないかな?考えたいことがあるんだ。」
「はい、直ぐに。」
アルは、直ぐに部屋から出て行った。
彼女の背中を見送った後で、もう一度ベッドに横たわり、僕は天井を見上げた。不快感に身を任せ、彼女に当たるような形になってしまったのは、申し訳なかったと思う。でも、空白のパズルに、間違ったピースがはまっているかのような、可視化できるほどの不快感が確かにあった。
この世界から沈み込み、海底から空を想うような、孤独感まである始末だ。次第に、僕は記憶の中で小夜の残り香を探していた。早急に、彼女を見つける必要がある。きっとこの孤独を共有できるのは、彼女だけだから。
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