33. 聖女疾走(終)

「エスファしかいないでしょ」 


 ロヴィーのその一言で、隊長代理を勤めることになってしまった!!

 

 学院の精鋭部隊でアンラート様を護衛し、北の辺境の街で王室の近衛部隊に護衛を引き継ぐのだ。

 隊長のロヴィーはまだ動けず、副隊長のマリーンは消えてしまったので、私がその代わりをする。

 隊で一番体が小さくて、乗ってる馬も小さくて、乗馬も下手で、鎧が重すぎて。

 でも、私じゃないと駄目だって、ロヴィーも部隊のみんなも言う。なぜ、誰も反対してくれないの?


 その日から、ロヴィーの治療が終わると、乗馬の訓練だった。

 バランスを取っているつもりで、体を揺らしてしまう癖があって、ちょろちょろしない!と怒られてばかりいる。

 それから号令の掛け方、隊の動かし方。

 ロヴィーがやってるのをよく見ていたつもりだったけれど、自分がやるなんて思ってなかったから、全く分かっていなかった。

 そうそう、声の出し方も。

 ロヴィーの号令のかっこいい声が好きだったけど、あの通る声は実は訓練の賜物だったとは知らなかった。


 乗馬で体が大変で、指揮で頭が大変で、声ががらがらで。

 もう、アンラート様と一緒に過ごせないことを悲しんでいる暇がなかった。

 …そういう意味ではありがたかった。




ーーーーー




 少し前、訓練が始まったばかりのころ、私はアンラートと本当の最後の夜を迎えていた。


 夜の闇と薄明かり

 私のからだは、まだ火照っている。気だるくて、もう動けない。

 同じように、熱を帯びたからだを投げ出して、アンラートはぽつんと言った。


「何もかも納得して決まったことを確実にこなしていく筈だったのに、予想外だったわ…」

 私の額にアンラートが唇を落とす。

「年下の女の子のことをこんなに好きになるなんて」

 私はくすっと笑う。

「…私なんて治癒師になったこと事態が予想外だったよ。そっから先は、予想外というか、予想してる暇もないまま走り続けちゃって、今、こんなんだよ!!幸せすぎて信じられない」

「こんなんって」

 アンラートも笑う。

 互いに、こつんと額を合わせた。向かい合ってぴったりと抱き締め合う。

 隙間なんてない。

 なのに、胸の中に塞がらない穴がある。何回か体を重ねても消えない穴は、きっと、もう塞がることはない。


「私のこと忘れないで」 

「…忘れるわけない…。エスファ」

 私は顔を上げてアンラートを見る。赤褐色の瞳に私が映っている


「エスファ……」  

 悲しそうでいて嬉しそうに、アンラートは私の名を呼んだ、その笑顔と声を私は絶対忘れない。

    



 眠ってしまったアンラートにキスをして。

 ベッドから出て、服を着て、アンラートの部屋を後にした。

 

  


ーーーーー




 アンラート様の乗る馬車を部隊で囲む。

 先頭は私。その後ろに国旗と学院の旗を持つ者が二人。

 ロヴィーをまねて、精一杯の声を出して号令をかけながら、隊を指揮する。


 ゆっくりと隊は進んでいく。

 アンラート様の馬車は私の後ろ。

 私は、お顔を見ることはできないけれど、多分、アンラート様に私の背中は見られている。私の声も聴かれている。最後に凛々しいところを見せる。

 私史上最高に格好良い私を。

 

 北の辺境の街から南に向かう街道で、王都から来た正規部隊にアンラート様の乗る馬車を譲る。私たちの部隊は後ろに下がると、正規部隊が馬車を囲む。

 私たちはそこにとどまったまま。逆に、馬車と正規部隊は南へと街道を上っていく。


 アンラート様の乗った馬車が王都に向かって遠ざかって、消えるまで見送った。

 見送りながら、私が治癒魔法を使えるようになった日からのアンラート様のことを思い出していた。


 

 ああ、空が青いなあ。



 胸が痛くて鼻がつーんとしたが、泣かなかった。

 これからも私がアンラート様の治癒師であることは変わらない。

 だから悲しくない。泣かない。絶対に泣かない。


 すうっと息を吸い込んで、ふっと吐き出す。

 私は馬を後ろに向かせる。

「全隊、転回!」

 部隊が全員、後ろに向き直る。私がその中央を進むと、後ろから旗持ちの二人がついてくる。一番先頭に立つ。

「進め!」

 若草色のマントの部隊はすっと動き出した。

 

 港を出ると、広い草原を切り裂くように街道が続く。

 広い道幅一杯に若草色のマントを着けた騎馬部隊が隊列を組み、一糸乱れずに進んでいる。その行く先に、まだまだしばらくは続いていくだろう街道と草原がある。

 以前は、草原と青空の間に学院の尖塔が見えていたが、今は尖塔はない。進むと建築途中の校舎が見えてきた。


 ロヴィーとヴィセが寮の入り口で待っていてくれてるのが目に飛び込んでくる。

 私は胸が詰まって、ただいま、と口を動かすことしかできなかったけれど、

「お帰り、エスファ」

 二人の声が聞こえて、左右から私を抱き止めてくれた。 


 泣いてない、泣いてないから。




ーーーーー




エスファ 20歳 未来



 成長期だった私は、あれから、ロヴィーの胸の高さだったのが、顎の高さになるくらい背が伸びた。

 

 ロヴィーは、王室付きの近衛隊入隊という出世コースを蹴っ飛ばし、あらゆるコネを利用して、自分が隊長の独立の遊撃隊を結成した。

 学院でロヴィーの率いる精鋭部隊にいたことのある兵士たちの大半が、ロヴィーの遊撃隊への入隊を希望したため、優秀な若手兵士にこぞって抜けられそうになった部隊は大騒ぎになったらしい。

 遊撃隊は、他国との小競り合い、国内で散発する反乱もどき、悪党退治、どこにでも出掛けていく。無理強いして結成した部隊だから、指令を断ることはほとんどできない。断れないからにはやるしかない。

 マントの色は、鮮やかな空色で、空色の遊撃隊として、しばらくすると国民にも存在を知られるようになった。

 最初は、二個小隊がやっとの小さな中隊だったが、今では気が付くと結構な人数のいる大所帯の部隊になっている。


 私も、治癒師として正規軍に入る道を断り、ロヴィーの隊で走り回っている。

 走りたくなくなったら王都に戻って、他の治癒師と一緒に後方支援で働くようにと偉い人に言われているが、知ったこっちゃない。

 走り回って傷を癒して、また走るだけだ。

 たとえ、いつか、走れなくなっても。

 

 遊撃隊にはヴィセも加わっていて、今では、ヴィセがロヴィーを補佐している。

 ヴィセは直接戦場には出ないが、作戦を立てるときは勿論、スケジュールを立てて、移動の道順を決めて、隊の予算も人事のごたごたを片付けてと、なんでもかんでも遊撃隊を裏から支え、今ではをヴィセなしでは隊は回らない。

 ヴィセが学院時代の前半、侍女を目指していたとは誰も思わないだろう。


 

 そして、アンラート様は、第2子をご懐妊したとのことだ。

 あの人はあの人の戦場で戦っている。きっと優雅に美しく、悠然として。




ーーーーー




 今は、国境の砦を守るのが遊撃隊の仕事。何日続くかわからないけれど、敵が諦めるまでここを守る。

 ロヴィーが鬼のように敵を散らし、隊員たちがそれに続く。誰かが負傷したら、私が治す。その繰り返しだが、そろそろ、敵も諦める頃だろう。


 とりあえず、敵が引いたので今日の戦闘は終わり、ロヴィーに肩を抱かれて駐屯地に戻ってくる。

「疲れてない?」

 耳もとでロヴィーがささやくように尋ねる。 

「全然!…全然は、さすがに嘘。疲れたけど大丈夫だよ」

「抱っこして帰ってもいいよ」

 ロヴィー、それはさすがに恥ずかしい。

「冗談だよね」

「ん?エスファがそうしてほしければ、そうするけど」

 ロヴィーがいたずらそうに笑った。

 ロヴィーは隊長になってから、ぼんやり顔が精悍になってきたが、きれいになった、というより男前が上がってる。かっこいい、困ったことに。   

 

 陣地である駐屯地に着くと、早速ヴィセが迎え出てくれたので、全力で抱き締める。

 私の身長が伸びても、ヴィセの身長は変わらなかったので、小柄なままのヴィセは私が抱きかかえるのに丁度良くなった。

 でも、表情や仕草が大人っぽくなっちゃって、これまたちょっと困ってる。

 私を見上げるヴィセに口付けて、ヴィセが微笑んでくれると、今日も生きて帰ってきたとほっとする。

「んんん、お帰り。エスファ」

 ぎゅっと抱き締めてくれはするけれど、

「で、臭いの。臭いから、本当に臭いから、水浴びしてきて。ロヴィーもね。着替えは私が後から持っていくから」

 ……性格は何も変わってない。

  

 ロヴィーとヴィセ、二人ともずっと私の傍にいてくれている。

 どちらもいとしくて、大切で。

 どちらか一人を選べないまま、時間が過ぎてしまっている。

 これでいいのかと思わないでもないんだけど、それでいい、と二人が言ってくれるので、3人でいても不思議なくらい気まずくはない。いや、ロヴィーとヴィセがそれぞれどう思ってるんだか私にはよく分からない。ただ、少なくとも、私の前ではロヴィーとヴィセは仲良くやっている。

 ていうか、私そっちのけで隊のことを話し合ってる方が多くないか。あれ?


「たーいちょー、エスファかヴィセさん、どっちか分けてくださーい」

 誰かが軽口を叩いて、隊のみんながどっと笑う。

 隊のみんなはロヴィーが、私とヴィセを囲っていると思ってるけど、違うからね、私が二人を恋人にしてるんだからね。わざわざ言わないだけだからね。


 まあ、所有権は主張しておこう。

 二人とも私のもんだから。


 右手から炎

 左手から氷

 両手を胸の前で合わせると、炎と氷の螺旋の柱ができて、ぶわっと水蒸気が上がる。

 今では、マリーンお得意の攻撃魔法が使えるようになった。最初の鼻水の頃から大進歩だ。ただ、戦場では治癒魔法優先なので、攻撃魔法を使うことはほとんどない。

   

 笑っていた隊員たちの前で、炎と氷の螺旋の柱を細長くして、鞭のようにしならせると、彼らの笑顔が固まった。

「バカなことばっか言ってると、火傷させてから麻酔なしで治癒してあげる」

 私にびびる隊員たちを見て、ロヴィーとヴィセがけらけら笑っているので、私も大笑いした。


  ……甘やかすを通り越して骨抜きにされてそうじゃない? 

 マリーンの声が聞こえたような気がした。

 ロヴィーとヴィセに甘やかされている今の私をマリーンが見たら、めちゃバカにするだろうな。


 フリチェーサは見つからないままだ。  

 見た目はフリチェーサのままでいいから、私たちを茶化しに帰っておいで、マリーン。  

 返事がなくても、心の中で何度も何度も呼び掛けている。ずっと。

 

  

 


 すぅっと息を吸い込んで、ふぅっと吐く。

 体の中を巡る熱を意識して、掌に流し込む。

「治してほしい人、手を挙げて!」

 前線ぎりぎりのところで呼び掛ける。

 あちこちで挙げられた手に向かって走り出す。


 走れ、私





ーーーーー

聖女疾走 終

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聖女疾走~辺境学院物語~ うびぞお @ubiubiubi

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