32. 花散らす夜
その日の夜、私たちの部屋にヴィセが帰ってこなかった。
療養中のセレーサさんに代わるアンラート様付きの侍女に選ばれたヴィセは、朝から晩まで一生懸命頑張っている。まだ16歳のヴィセよりも良い働きのできる侍女専攻の年長の学生もいるのだが、今回の事件でアンラート様が直々にヴィセを抜擢したのだ。アンラート様は、もともと私と親しい学生としてヴィセをチェックしていて、優秀な学生であるとの情報も掴んでいたらしい。
毎日、アンラート様のお傍にいられるヴィセが羨ましい。
私は、事件の日からアンラート様にお会いしていない。アンラート様は、あと何日、学院におられるのか分からないのに。
ノックの音がしてドアが開く。
「おかえりぃ、ヴィセ」
!!!?
「…………あ、アンラート様…!?」
中央棟の王室用フロアで生活している筈のアンラート様がドアの向こうにいた。にっこり笑ってちょこんと立っている。
「…入って、構わないかしら」
状況が理解できず、私は返事ができない。
「ヴィセーラは慣れない仕事で疲れたみたいで、侍女の控え室の仮眠用ベッドで寝てしまったわ」
返事ができない私のことを気にせず、部屋に入ってきたアンラート様はドアを閉めた。
「一般の女子寮って、こんな風なのね」
「えと、いや、一般の寮は4人部屋で、ここは私の個室で、隣がヴィセの使っている続き部屋で、ってええ?」
状況把握ができない。普通、王族はこんなところには来ない。
「今ね、セレーサもヴィセーラも誰も私に付いてないの。一人で学院の中を自由に歩けるチャンスなんて滅多にないのよ」
いたずらっぽく、にこっと笑う。
「まあ、行きたいところは、エスファのいるところだけだけど」
殺し文句に私の頬がかーっとなる。
「…狭いですよね」
アンラート様の個室に比べたら狭いだけではない。一人部屋といっても所詮は学生寮なので、机とベッドと箪笥兼本棚兼物入れの家具しかない。しかも、私が部屋を飾ることに興味がないので、装飾品もなく、ひどく殺風景だ。
ああ、机の前の椅子に、制服をそのまま脱ぎ散らかしてるし。
「構わないわ。ここに座らせていただくわね」
優雅に私のベッドに腰かける。アンラート様が座ると、私のベッドすら華やぐような気がした。
自分の部屋なのに、どこにいていいか分からなくてとまどっている私に、アンラート様が手招きする。
アンラート様の前に立った。見下ろすみたいになったので、不敬かなと思って跪こうとすると、そのままでいいと言うようにアンラート様は手のひらを私に見せて制すると、それから、私と両手をつないだ。
「…許して。エスファ」
何を?という代わりに首をかしげる。
「あのとき、マリーンと一緒に逃げようとしたこと」
ちくっと胸の棘が痛む。たぶん、それで少し顔をしかめてしまった。
「ごめんなさい」
アンラート様が下からじっと私の目を見つめると、赤褐色の瞳に自分の顔が映っているのが見えた。私の顔は、ちょっと拗ねた顔のような気がした。
アンラート様が目を閉じたので、つられるように、腰を曲げて唇を重ねた。
「……こんなこと、エスファとしか、したくない」
「でも…」
最後に私ではなくマリーンを選んだじゃないか、という不満は飲み込んだ。それを言ってしまったら、悔やんでいるこの人をきっと更に傷つけてしまう。
「あれは、王女として、学院の生徒を守る最良の答を必死で考えた結果なの」
アンラート様が私の顔を覗きこむ。
「マリーンは、わたしのことを王国の娼婦だって言ったことがあるの」
アンラート様は、王位継承者とはいえ、他国への輿入れは生まれてすぐに決められていた。王女として生まれたアンラートの役目は、子を産み、王族の血を他国に広げ、他国との結び付きを強めることだ。男子を複数産むことができれば、一人は王国に戻ってきて爵位を得るだろう。そして、また王国の血が繋がり広がっていき、王国は強固になる。
「マリーンが、わたしをその役目から解き放そうとしてくれたのは、分かるんだけど」
アンラート様の右手が私の髪に手を差し込まれる。
「それは、王国を守るためのわたしだけの戦いだわ。ロヴィージェやエスファが戦場に行くのと同じなの。ずっと覚悟を決めていた戦い。あなたたちが戦場に行くのを止められないのと同じ」
左手は、きゅっと私の右手を強く握った。
「エスファと一緒に、国から逃げたいと思わなかったわけではないわ。でも、王女として、それは間違っている。民を裏切る行為だわ」
私もアンラート様の手を強く握り返す。すると、アンラート様はうつむいて、私から目を背けた。
「……マリーンもわたくしの民だわ。わたくしが守るべき民。エスファと逃げようと逃げまいと、マリーンはきっと自害してしまうと思った。だから、まずマリーンを死なせないようにしよう、そうすれば、マリーンも学生もみな生き残れる。全員が生き残ることが次につながる。今は、まずマリーンをわたくしの手から離さないようにしようと…」
アンラート様は、私の手に自分の額を当てた。
「ごめんなさい。そのために、わたくしはエスファを選ばなかった。………あなたが泣くことは分かっていたわ」
どうしよう
何を言えばいい
私には、アンラート様がマリーンを選んだことを責められない
もちろん、私と一緒に逃げようなんて言えない
あなたは間違ってない、ってそんな簡単なことじゃない
「ごめんなさい、エスファ。わたくしのことを許せないと思うけど、ただ、謝りたかったの」
ああ、もう!
アンラート様の手から自分の手を剥がし取り、その顔を両手で包み、噛みつくようにアンラート様の言葉を塞ぐ。深く。…深く。
そのまま、片方の膝をベッドに乗せて押し倒す。
分かってるのは、マリーンが大馬鹿だってことだ!
私たちみんなをこんな気持ちにさせやがって
ーーーーー
ちょっとだけ我に返った
押し倒したのは私だったのに
なぜか
いつの間にか
下にいるのは私になっていた
着ていた服は、脱いだような、脱がされたような
この人の服も、脱がせたような、脱いだような
「…………!」
声にならない声が出る
そんな自分の声に自分で驚いて恥ずかしくなって
意識が少しだけしっかりすると
自分の荒い息と、この人の少し乱れた息づかいが聞こえてきた
私だって知識がないわけではない
自分の体のどこに何をされているのか理解できないわけではないのに
気持ち良すぎて訳が分からなくなる
目を開けると、私の視線に気付いて、目が合う
すると唇で口が塞がれてしまうので、私はまた目を閉じる
自分の体内から沸き上がる強い快感と
くっついたり離れたりしながら、こすれ合う素肌の湿った冷たさと熱さの心地よさに
最後の夜に私は翻弄される
ーーーーーー
明け方、ヴィセは控え室で目を覚ました。慌ててアンラートの寝室を覗くと、アンラートはぐっすりと眠っているようだったのでほっとした。
アンラートが自分を寝かせておいてくれたのだろうとヴィセは思い、まだまだ侍女としては自分が未熟なのだと知って反省した。
とにかく、一旦は、自分の部屋に帰って、身支度を整えて、それから朝の支度を始めなければならない。ヴィセは静かに部屋を出ると、足早に女子寮に戻った。
自分たちの部屋のドアを開けると、エスファも熟睡しているようだった。
そして、寝間着と下着が床に脱ぎ散らかされているのに気付いた。
エスファを見ると、ヴィセに背中を向ける形で横向きに寝ているが、毛布から裸の肩が見えている。
「昨日の夜って、寝ながら寝間着を脱いじゃうくらい、暑かったっけ?」
つぶやきながらヴィセはエスファの寝間着と下着を拾い上げ、寝間着を軽く畳む。
……だけど、下着までは脱がないか
いぶかしんで毛布を少しだけめくって覗くと、エスファは全裸だった。
が、それより、ヴィセを驚かせたのは、首筋から背中に散っている小さな赤い鬱血だった。
それが何か、ヴィセはすぐに理解して、毛布をひっぺがした。
腰や足、腿の内側にも。
「…さむ……」
エスファが目を覚まし、からだを丸めながら、ぐるっと体をヴィセの方に向き直った。
背中側だけでなく、体の前側である首筋、鎖骨、胸元にも同じ鬱血がある。
ヴィセの顔が真っ赤に染まった。
ーーーーーー
起きたら、ヴィセがめちゃくちゃ不機嫌でした。
顔を真っ赤にして、怒ってるんだか恥ずかしがってるんだか分かんない。
「昨日の夜、何したの?エスファ」
「…何って、寝てた」
「寝る前は?!」
言えぬ
「…何したかは分かるからいいわ」
分かるのか
「誰と??」
言えぬ
「誰?」
言えぬ
黙ってたら、ヴィセは怒ったまま、朝の仕事に行ってしまった
と思ったら、またすぐ戻ってきた。
「エスファ!お風呂行ったらダメだからねっ!!」
と言い残して、また出ていった。
「えー、お風呂入りたいのに」
ぶーたれながら、足元にからまっていた毛布をベッドに投げて、立ち上がり、服を着ることにした。
下着を付けようとして、腕に付いている小さな赤い痣に気付いた。
鏡に自分の体を映してみたら、ヴィセが怒った理由と風呂に行ってはいけない理由が分かってしまった。女子寮には共同浴場しかない。
「あらあら、やってくださったなあ」
自分でも呆れてしまいつつ、それをヴィセに見られてしまったことがひどく恥ずかしくなった。
ーーーーー
ヴィセがアンラート様にお願いしてくれて、アンラート様の部屋の控え室にある侍女用のお風呂を使わせてもらう約束を取り付けてくれた。
しかし、夜になって、入浴名目で私がアンラート様のところに出掛けていったところ、私が朝まで帰ってこないわ、私の体の斑点模様が増えるわで
結果として、ヴィセに色々と発覚してしまった。
ヴィセは、真っ赤な顔で私の髪の毛をぐちゃぐちゃにして、それからは、もう何も言わなかった。
そのおかげで、
最後の夜は、もう幾晩か繰り返されることになった。
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