第21話 ワルツのレッスン
「フェーンフラワーって本当にあるんでしょうか?」
「どうなのかしら? でも、伝説の花なんて、あったらロマンチックで面白いと思うわ」
夏至の時期にシダの花に花が咲いているのを見つけたものは永遠の幸福を得る、と言うのは前の世界にもあった。それはこの世界でも同じらしい。しかし、そもそもシダ植物には花が咲かないのだが……と考えてしまうのは無粋なのだろう。
いつものようにファナとエルアが庭園の日陰で本を読みながらたわいない話をしているのを聞きながら、思う。
少女たちにとって夏至の祭りと言うのは、特別なものなのらしい。実際に、祭りの時期には女性は花でその身を飾り立て、恋人たちは焚き火を囲んで愛を語る。好きな人のいる女性は夏至の夜、恋占いに興じるらしい。可愛らしくはあるが、男としてはあまり興味がないイベントだ。しかし、それを言うとファナに怒られるので、あまり考えないようにはしている。
(なら、黙っていてちょうだい)
そう思った途端、ファナがクレームを入れてくる。
こう言う時、頭の中を共有していると言うのは面倒だ。さっさと降参し、思考を手放す。ファナはそれに満足したのか、エルアに向き直った。
「そういえばこの間、アトウェル先輩に色々お聞きしてたけど、授業は決まった?」
「礼儀作法と裁縫を取ることにしました。でも、色々お話を伺ったからこそ、ちゃんと将来まで考えて選択しなきゃいけないんだって分かって。迷ってしまってます」
「そうなの」
この言い方だと、誰かのルートに深く入っている訳ではなさそうだ。
俺も、ファナも、少しだけがっかりする。
「知らないことばかりで。ジェシー様にはもっと他の人の話も聞いてみるようにともアドバイスされました」
「エドワード殿下やアルミタ卿にもご相談してみるのもいいかもしれないわね」
諦め切れずに、他の攻略者へのアプローチを勧めておく。エルアはそんなファナの言葉を真っ当なアドバイスとして受け取ったようだ。真面目な顔で、頷く。
「はい。そうしてみます。あと、迷ったら、その授業に関する本を先に読んでみたり、実際にやってみたりするのも良いって」
「流石アトウェル先輩、素晴らしい助言だわ。確かに興味が持てるかとか向いてるかって、頭だけで判断するのは難しいものね」
「そうなんです。ただ、自分だけでは出来ないものもあって。ピアノは教会のパイプオルガンで何となく想像がつきますが、絵やダンスなんかは経験が全くないので……」
確かに、身近になかったものを選択肢として選ぶ人は少ないだろう。だから、環境というのは大事なのだ。よく言われる事だが、結局教養だなんだというのは、そういう機会に触れる環境があって、選択肢として周囲が選んでいたに過ぎない。
そうなると、修道院育ちのエルアにとって、秋の選択授業というのはこれからどんな人生選ぶのか、という問いとほぼ同じのではないだろうか。
「芸術や身体性のあるものはすぐに決めつけられないわね。何事も、ある程度は習ったことがあるかだと思うから、きっとそれ以上のレベルは才能なんでしょうね。絵なんかは私はあまり進歩がなかったけれど、私の弟なんかは描けば描くほど上手になったわ」
「ファナ様、弟さんがいらっしゃったんですね!」
ファナの言葉に、大きくエルアが驚く。
(あら、話していなかったかしら?)
確かにオセローは攻略対象なのだが、ファナの家族だというのもあるし、年齢もひとつ下で入学すらしていない。エルアが会っていないのだから、会話にも出てこなかったのだろう。ファナはエルアとは色々な話をしているので、何を話していて何を話していないかは、その場で一緒に聞いているが割と曖昧だ。
「ええ、オセローと言うの。一歳下だから来年入学予定なのよ。入学したら、仲良くしてあげてね」
「もちろんです!」
エルアが明るい声を上げる。
オセロールートにもし入るなら、絵画選択などになるだろうか。しかしオセローなら趣味としてもともと自分で絵を描いているから、こればかりはオセローにしか分からない。公爵を継ぐことを気にしていた頃のオセローだったら、絶対に取らなかっただろうが。今はどうなのだろう?
「でも、なんだか分かります。ファナ様って私にもこうやって気遣って下さいますし、お優しいから。エドワード様も前に面倒見がいいって仰ってましたもの」
「そ、そうかしら?」
「ええ!」
突然褒められたファナが驚く。エルアの言葉はお世辞ではない大真面目な率直な感想というのが分かるので、内心本気で照れている。
陰口で冷たいとか態度が大きいとかは言うものはいるが、優しいなどと面と向かって言ってきた人はいない。ここにオセローがいたら鼻で笑っていただろう。エルアの素直さを見習って欲しいが、素直なオセローはオセローではない。
(うるさいわね)
照れに耐えかね、それを誤魔化すようにファナは本を置いて立ち上がった。
「そ、そうだわ。ダンス、簡単になら……私もワルツなら教えられるわ」
「えっ、そうなんですか?」
「見ていて」
くるりと後ろを向いて、足の動きが見えるように少しだけ制服のスカートを摘む。
「基本のステップは右前右後、左前左後の四方向それぞれに四角形を描くように足を動かすだけ。右側に四角形を描きたい時は左足から、左側に四角形を描きたい時は右足から。123、123のリズムで動くだけよ」
リズムに合わせて四方向の地面に四角形を描いてみせる。まずは右前から。左足を前へ、右足を右へ、左足を閉じる。右足を後ろへ、左足を左へ、右足を閉じて、で元の位置に戻る。その動きを反転や逆順すれば、四方向にスムーズに足を運べる。
「やってみて」
「は、はい」
エルアがテンポを遅くしながらも四角形を描き始める。次に何をするかを考えながら恐る恐る踏み出す、と言った調子だ。しかし、ステップを間違えることはない。
(すごいわ。ゆっくりだけど、少し見ただけで真似が出来るなんて)
流石は主人公のポテンシャルである。恋愛シミュレーションゲームだと、運動のスキルも磨かないと発生しないイベントがあったりする。
シンデレラでだって舞踏会での王子とのダンスがある。もしシンデレラが全く踊れなかったら、王子がシンデレラに恋焦がれることもなかったかもしれない。エルアもヒロインなら、ダンスくらいは踊れておいた方が良いかもしれない。
(ダンスは令嬢の嗜みですもの。エルアがもし殿下と結ばれたら、ダンスどころではないわよ。いくらヒロトの言う『ヒロイン補正』と言うものがあったとしても、苦労するのは間違いないでしょう)
ファナと俺が見ている間にも、エルアの足捌きはみるみる上達していく。しかし、いくらステップができても、それは基本だ。ダンスは相手がいるもので、誰とも踊ったことがないとのは不利だろう。と、ファナは考えていたようだ。辛抱たまらなかったらしく、エルアの手と腰を取る。
「えっ! ファ、ファナ様! お手が!」
「私が男性のリード役をするから、もう少し実践してみましょう」
「え、あ、はい」
「貴女の手はここよ」
エルアの手を自分に引き寄せる。エルアは最初驚いていたが、そのうちおずおずとファナの腰に触れた。
「こんなに近くで、向き合うんですね……」
「そう?」
初々しいエルアに対し、ファナは別に照れもない。それはきっと慣れなのだろう。ファナは公爵やオセローと人前で踊っていたから、エドワードと踊った時も気恥ずかしさなど全くなかった。誰と踊っても同じだ。ファナの幼い頃の記憶にあるダンスのレッスンで、飽きても疲れても永遠と踊らされたせいだろうか。
そう思うと、機会が与えられすぎていると言うのも酷かもしれない。
「ファナ様は、エドワード殿下ともこうやって踊ったりされるのですか?」
エルアが突然、そんなことを聞いてくる。
(こ、これはどういう質問なのかしら?)
ファナが激しく動揺するが、俺も同じだ。これはエドワードのルートに入っている、ということなのだろうか?
ならば、かなり慎重に答えるべきではないだろうか。
「いいえ、一度踊ったきりよ。決して特別なことではないわ。舞踏会では誘われたら、お目付けが止めたり、あんまりな相手だったりしない限り基本は踊るもの」
「そうなんですね」
「ええ」
無難に答えられたと思う。特別なことではない、とはっきりと伝えられたし、エルアの表情は別に曇ったりもしていない。
「でも、こうやって……友人と踊るのは初めてだわ」
照れながら、ファナが言う。すると、エルアは嬉しそうに嬉しそうに笑った。
悪役令嬢の製造責任、取らせていただきます かなえなゆた @kanae-nayuta
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