第20話 商人との雑談と第一王子の提案

 すごい本を読んでるね、とのコメントが降ってくる。ファナが本から顔を上げると、肩にかけた日傘の中を覗き込むジェシーの顔が近くにあった。


「アトウェル先輩……」


 こんにちは、と、顔が近いです。どちらを言うべきかファナが迷っている内に、ジェシーは座っているベンチの横へ移動している。


「横、いい?」

「どうぞ」


 断る理由はない。が、不快感や気持ち悪さは無くとも、どことなく距離の近さは違和感がある。それに、日傘の先が当たらないように傾け続けるのは面倒だ。ファナが横にずれると、ジェシーはファナの無言の指摘に少し照れたように笑った。


「ああ、ごめん。ついね」


 きっと姉妹とはこの距離感で話すのだろう。

 フランクな喋り方を好むのにしろ、このパーソナルスペースの狭さにしろ、人懐っこさでモテるタイプのそれだ。賛否両論はあるし、ファナはたじろいでいるが。


「今度の夏至のドレス、きっと君にぴったりだと思う。またエドワード殿下と踊るんだろ?」

「え?」


 その情報はどこから入手したのだろう。エドワードに言われてから、ファナが話した相手など――?


「公爵閣下から夏至祭のためのドレスの注文が来たからね。グランテラー公爵家からご愛顧を賜るなんて光栄だよ」


 ああ、公爵がいたか。きっとその注文は、この間のデビュタントくらいの力の入れようだったろう。そこから察したのかもしれない。

 この間のドレスは昔ながらのスタイルだったらしいが、それ故に素材の質の良さが一目でわかるような代物で、社交界でかなり評判が良かったと公爵夫人が言っていた。だから今回はドレスの仕立てまで依頼したのだろう。

 そういえば、この間、ドレスの採寸に人が来た。コルセット職人の男も来ていて、特別新調になると言っていた気がする。なるほど、ジェシーのところの裁縫師だったのか。

 となると、この会話は上客への接待というやつだろうか。


「楽しみにしておきますわ」

「閣下のご期待にお応え出来る結果になると思うよ」


 エドワードの件はぼかしつつ、ファナは卒なく答える。

 とはいえ、やっぱりこの暑い中、コルセットをつけて重たいドレスでダンスするのかと思うとうんざりする。しかも、長い長い舞踏会の間ずっと。ファナ曰く、少し前は馬鹿馬鹿しいほど広いスカートが流行っていたらしいから、それよりはマシかもしれないが。

 6月に入り、日々暑さが増している。湿気は少ないが、もう日傘なしでは外は歩けない。前世にも日傘男子などと、男性でも日傘を差す人が増えていたようだが、実際に差してみると機能的過ぎて手放せなくなる。ジェシーもよくこの日向を耐えているものだ。

 舞踏会の憂鬱さに、思わずため息が漏れた。


「何か気にかかる事でも?」


 ジェシーが機敏に反応する。その反応速度にファナは驚きながら、目の前でため息をついた非礼を詫びる。


「失礼しました。アトウェル先輩のことではありませんわ。……その、お恥ずかしながら、この暑いのに重いドレスを着て踊るのかと思うと億劫で」


 公爵家のご令嬢が口に出すにはありえない悩みだろう。言い訳のようにも聞こえるが、ジェシーはなるほどと言ってくれる。


「そろそろシルエットを絞るようなスタイルは廃れるよ。最近は普段着るものではモスリンのリラックスしたスタイルが流行ってるから、次は宮廷も自然で古典的なスタイルになっていくと思う。今回はコルセットもドレスももっと身体に負担のないものになるよ」


 この世界で言う古典スタイルとは、絵画の女神が着ているギリシャ神話みたいな白くて薄いあのひらひらすとんとしたドレスだろうか。なるほど、涼しそうではある。


(すごい変わりようね。でもあれだとすごい露出だわ。どうなのかしら?)


 自分の見た目に興味のないファナも、流石に令嬢としての弁えはある。腕や胸元を大きく晒すとなると、ファナでさえ抵抗がある。醜聞になるかもしれない。

 それに、例の事件やエルアの件が『小さな社交界』から社交界へ噂は流れている。いくら流行の最先端と言っても悪目立ちは避けたい。

 ファナが眉を顰めたのに気づいたジェシーはすかさずフォローする。


「外国で流行し始めたスタイルだし、俺の姉妹や従姉妹も今年の社交シーズンで着始めてるから悪い意味で目につくこともないし」

「そうなんですの?」


 まだファナは疑いが晴れきれていないが、女系でご令嬢を多く輩出しているアトウェル家出身の女性たちが、いつでも最先端の装いなのは目にしたことも聞いたこともある。

 よく出来た構図だ。きっとアトウェル家の娘達は宣伝塔の役割を担っているのだ。彼女達が一斉に外国の流行りを取り入れると、目に付く。そして口コミの人海戦術だって出来るだろう。話題になれば、他の家も躍起になって取り入れる。そうして、アトウェル家が後ろ盾をしている服飾・宝飾品の商会が儲かる。


(なら、私も良い宣伝になるでしょうね。また殿下と踊るんですもの)


 それは確かに言えるだろう。エルアというヒロインの意義を知る人などいない。自分の娘をエドワードと結婚させたい親は多いだろう。現状で最大のライバルであるファナがその流行を取り入れたら、注目せざるを得ない。

 もしかしたら、この間のデビュタントドレスでもかなり商会は儲かったのかもしれない。きっと、かなり力を入れてくるだろう。


「きっと、殿下も君に惚れ惚れすると思うよ」

「まさか」


 口に出してから、しまったと思う。うっかり、いつもの癖でファナはすっぱりと断言してしまった。しかし、今のは黙っているか喜ぶ振りをしなくてはいけないところだったかもしれない。エドワードとの関係を否定しすぎると、エドワードが女子生徒に言い寄られて大変になるらしい。


(虫除けをする約束だったわね)


 エドワードはファナにとっては地雷だ。惚れたらエルアと対立した時に待ち受けるのは破滅だし、惚れなくとも致命的な危険の可能性は王家であるエドワードが一番高い。関係は良好にしておくに限る。

 今から取り繕ったら変だろうかとファナが考えるが、ジェシーはファナの否定を照れ隠しとして受け取ったらしい。


「そうかな? 少なくとも俺だったら、するだろうけどね」


 ジェシーがとろりと笑う。


「光栄ですわ」


 とりあえず、ファナも微笑んで見せる。と、ジェシーはくすりと笑い方を変えた。


「エドワード殿下の方が君に夢中だって噂は本当らしいね。君が殿下にもその調子なのが目に浮かぶよ」

「…………」


 なるほど、最近はになっているのか。それとも、探りを入れるための言葉だろうか。

 流石に対応を学んだファナは微笑み続けながら、黙っていることにする。これで全てを煙には巻けないだろうが、後はジェシーがしたいように解釈するだろう。

 しかし、エドワードがファナに好意を寄せているという噂になっているとなると、それはそれでエルアとエドワードが結ばれた場合、どういう反応になるのだろう。まだ、すごすご振られたよりはファナにダメージは少ないが、心変わりの激しい王太子というのも外聞が悪い。

 どうしたものか、と手持ち無沙汰に日傘を回す。すると、隣に座っていたジェシーが変な声を上げた。


「……おっと」

「ごめんなさい。当たりました?」

「いや、エドワード殿下が今そこを歩いていらしてね。目が合った。君と二人きりで話していたのはまずいかったかな?」


 ジェシーが見ている方を見ると、確かにエドワードが歩いている。その足は薔薇園の方へ向かっている。またゆっくりと本でも読むのだろう。


(どうせエルアの攻略対象だからと失念していたけれど、アトウェル先輩も、男性だったわ。二人きりで居るところを見られるなんて令嬢としてまずいわ)


 それに、虫よけとしても、まずいだろう。ここでエドワードを追いかけなければ、関係を否定することになってしまう。逆にジェシーが誤解だとエドワードを追いかけて行っても余計に面倒くさいことになる。

 どうせエドワードは気にしないのに。

 仕方なく、ベンチから立ち上がる。ジェシーに断ってファナはエドワードを追いかけた。






 この間エドワードを見つけた辺りの生垣の裏を覗いて見るが、見当違いだったようだ。赤やピンクの花もだいぶ散っているし、もしかしたら薔薇園というのも違ったのかもしれない。

 それでも仕方なく、白い薔薇の咲いていた場所よりもまだ花の残っている奥の方へと足を進める。一々生垣を覗きながら進む。オレンジから遅咲きの黄色へ差し掛かった頃、暑い中をさまようのに耐えきれなくなったファナが、小さな声で呼びかけた。


「殿下、ちゃんと追って来ましたから。どこにいらっしゃるか教えてくださいまし」


 途端、エドワードが噴き出したのが聞こえる。近い。というか、ファナの後ろから聞こえた気がする。

 振り返ると、エドワードがファナの後ろで口を押えて笑っていた。エドワードは口を押えていた手を離し、ファナにひらりと振る。


「やあ、今日はだ」

「……からかってらしたんですね」


 前にファナはエドワードが変だと言ったが、なるほど確かに。変わった奴だ。きっと『王子様』という定義について、カミサマと齟齬があったに違いない。


「君が親しくする方は君自身が決めることだけど、虫よけの件を頼んでおいたのに、酷いな」


 以前にファナが言った言葉をもじって冗談めいた非難をしてくる。


「いいえ、その点については大丈夫ですわ。殿下の方が私に夢中だという噂があるらしいのを、先ほどアトウェル先輩から伺いましたもの」

「ああ。アトウェル商会の彼が言うのだったら、社交界ではその噂で持ち切りだろうね」

「夏至祭のドレスを先輩のところで頼んでいますから。かまをかけられただけかもしれませんが」


 それはそれは、とエドワードはけらけら笑う。


「君が私を追いかけてきたのを見たなら、かなりの力作が出てくるだろうね」

「私は良い宣伝塔でしょうからね」

「はは……確かに。春に君が着ていたドレスに似た刺繍や生地を、今年は何度も見たよ」


 つまり、それだけエドワードは他のご令嬢にアタックを受け、ジェシーのところは儲けたということだろう。面白くはないが、ジェシーが総取りだ。

 それにしても、そんな商戦が出来上がるくらいだとすると、虫よけというのは少し安請け合いだっただろうか。いや、確かに春にファナから申し出ただけで、この間のお願いははっきりと受諾したわけではない。噂に名前がのぼるのと舞踏会でエドワードと踊るくらいで済むと思っていたが。


(国民としては、心変わりの激しい王太子や国王という外聞の可能性も恐ろしいわよ)


 それにファナだって婚期を逃す理由にだってなりそうだ。王太子に入れ揚げられた癖に振られた女、というのは、王太子に入れ揚げた女とどっちがマシだろう?


「殿下、そんな噂が出回るだなんて、私は殿下に運命の出会いがあった時の反動が恐ろしいですわ。その方も気を悪くされるかもしれませんし」


 うまい。ファナがエドワードを気遣うように提言する。エドワードもそのことには気が付いていたらしく、ううんと唸った。


「噂というのは、私の経験上、どんな醜聞でも時が経てば薄れるものだよ。ただ、無駄な散財や噂話の過熱はあまり看過は出来ないな」


 そこまで言うと、エドワードは黙り込む。そして少しすると、何かを思いついたらしい。


「そうだ。私のように前々から君のダンスカードを埋めようとする輩はいないかな?」

「え、ええ。殿下以外にお約束はしておりませんわ」


 エドワードは何を考えているのだろう? 夏至祭りのキャンセルなら謹んで受けるが、この土壇場ではありえないだろう。

 ファナの回答に満足したらしいエドワードの出方を待つ。


「じゃあ、舞踏会で私の従弟を紹介するから。彼も書き込んでおいてくれないか? いい機会だ。舞踏会に出たがらないんだけど、やっと観念する時だね」

「それって――?」

「ハーゼルだよ。まだ話したことないんだろう?」


 一気に面倒くささが増したのが分かる。ドレスやコルセットは楽になるとジェシーは言っていたが、ファナの肩に乗る気苦労は重くなるばかりだ。

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