第19話 選択授業の話と商人との遭遇

 エルアの選択授業のことを聞かなくていいのか?

 そっと教えると、ファナははっとしたようだった。隣でファナに最近読んでいた本の話をしていたエルアに向き合う。

 ネヴェリアには梅雨はない。だいぶ日差しが強くなってきた中、ファナとエルアは風通しの良い木陰でベンチに座っていた。


「そういえば、エルアは秋からはどの授業を取るつもりなの?」


 もとい、誰のルートが進んでいるのか、だ。ある意味、ここでエルアが挙げるのは気になっている人物の興味がありそうな科目になるはずなのだ。

 恋愛シミュレーションでも現実でも、バイトだろうとクラブだろうと、対象と同じコミュニティに入るのは大事だ。認知、そして、こまめなコミュニケーションは、何らかの接点があることによって容易になる。


「それが、どの授業を取っていいのか、決められなくて……」


 と、なると、エドワードもハーゼルも同じくらいの攻略進捗なのだろうか。


(まあ! エルアは貴方みたいに考えないのよ。それだけなはずないでしょう。本をあれだけ読む子なのだから、学びたいこともたくさんあるはずだわ)


 確かに。勉強熱心なエルアなら迷うの仕方ないのもしれない。選択肢が多すぎる。

 女子であれば、外国語、ダンス、基礎的な算術と地理と歴史、裁縫、絵画、ピアノなどを取ることが多い。秋からなら水泳やテニスの運動も選択できる。

 信仰に厚いエルアなら、神学のような専門的な学問の道に進むことも望むはずだ。他にも論理学や天文学、幾何学、音楽などの授業もあるし、今受けてる基礎の授業の発展版など色々と選択肢はある。


「ファナ様は何を取られるのですか?」

「そうね、歴史、地理、外国語の応用は取ろうと思っているわ。あとは文法と修辞と論理の初歩とか。別の授業も興味があるし、聴講させて頂こうかとも思っているわ」


 ファナ曰く、女子生徒が選択しそうな授業は一通りすでに公爵夫人や家庭教師に習っており、せっかくなら違うものを、とのことだ。女子生徒で男子学生に交じって聴講をしたがる生徒などいないらしいが、『悪役令嬢』の役から降りて開き直ったファナがそんなこと気にするはずがない。


(きっと前世の影響ね)


 ファナの言葉に、エルアは感心したようだった。


「素晴らしいお考えですね! 私も、ファナ様と同じクラスを取ろうかな……」


 風向きが思っていた方向から変わり、ファナが驚き訂正する。


「お待ちなさい! 私に決定を委ねたら、自分で選ばなかったことをきっと後悔するわ。貴女が本当に取りたい物を取った方がいいわよ」

「私が本当に取りたいもの……」


 うーん、と首を捻ってエルアは長考する。そして、しばらくして出した言葉にまたファナは驚かされる。


「私って何が取りたいんでしょう?」


 どういう生き方をしてきたら、そんな言葉が出てくるのだろう。自分のしたいことを優先しがちなファナに至っては、自分ではありえない考えにカルチャーショック寸前だ。


「……呆れておいでなのは分かります。自分でも呆れてますから。昔からそうなんです。優柔不断で、何かを選ぶとか、決めるとか、そういうのがとても苦手で。学園に入ってからは特に、何をするのにも何を言うのにも迷うくらいで」


 学園だと自分で決められる選択肢がたくさんあり過ぎるから、だろうか。

 でも確かに思い当たる節はある。さっさと決めてしまうファナに比べると、エルアは何事にも決めるのに時間がかかる。

 ファナがしたアドバイスにはそのまま従うのは、エルアの素直さからのもの。ファナの後ろについてよくファナの選ぶものを選ぶのにしても、学園や貴族的なものに慣れていないから。そう思っていた。

 もしかすると、先ほどの言い方だと、決めかねたことをファナの選択に合わせていたのかもしれない。


(それって、お友達としてどうなのかしら……?)


 やっとカルチャーショックから抜け出したファナが、追撃に頭を抱えたくなっている。しかし、どうにか衝動を抑えた。


「誓って、呆れなんてしていないわ。ただ、自分で決めていないことを選ばせられることってたくさんあるじゃない? だから、選べるってことは面倒だけれど、喜ばしいことなのよ。悩んだとしても貴女は自分で選ぶべきよ。まだ時間もあるわ」


 ファナはそう言って、エルアを励ます。同時に、ファナは本当だったらエルアに言葉で伝えたいことを、心の中で呟く。


(貴女が救世の『ヒロイン』として生まれたように、選べなかったことはたくさんあるのだから、せめて自分で決められることは決めた方が良いわ。それに、『人生は選択次第』だって神様も言ってらしたもの)


 そう思うファナは相変わらず、自分だけが知っている、ということに相変わらず罪悪感があるようだ。


(仕方ないでしょう。でも、知っているからこそ、エルアにも出来るだけ幸せに生きて欲しいのよ。お友達ですもの。貴方だって入学式の時に私にそう願ってくれたでしょう?)


 ファナは悩みだしてしまったエルアに微笑む。


「私がさっき上げた授業のいくつかは、私の家庭教師には教わらなかったことなのよ。貴女も私も専門的に学ぶという意味では同じスタートラインに立っているのよ。

 でも知らないことや不得意なものを選ぶ必要は無いわ。貴女の得意なことを伸ばすのも一つの選択なのよ」


 ファナの言葉にエルアが項垂れる。


「得意なこと……」

「誰かに褒められたこととか」


 はっとエルアが顔を上げ、ポケットから白い布を取り出す。手渡されたファナがそれを広げる。女神を表すであろう花や剣の意匠の入った細やかなレースの織物だ。


(お祈り用のベール、祭礼時のヘッドカバーね)


 礼拝などの時に被る白いレースのベール。教会や修道院の中で作られたもので、教会の一つの財源にもなっている。このレベルであればかなり高価になるが、国産で教会製の為、ネヴェリアでも奢侈禁止法の例外になるものだ。


「これ、私がボビンで作ったレースなんです」

「エルアが⁉︎ 素晴らしい出来だわ!」


 公爵令嬢のファナの目にも、職人作らせようとすればとんでもない値段になるのが分かるような出来栄えだ。

 ファナの反応にエルアがぱあっと笑顔になる。


「ファナ様にもそう言って頂けるなんて、嬉しいです」


 ファナにも?


「この間、風に飛ばされたところを拾って下さった方にも褒めて頂いたんです」


 人に褒められたのがとても嬉しかったのだろう。エルアがレースを綺麗に畳みなおし、大事そうにポケットにしまう。


「ジェシー・アトウェル様、という先輩の方なんですが、ファナ様はご存知でしょうか?」

「!」


 知らないはずがない。

 ジェシー・アトウェル。攻略者の一人。女系家系で女性に囲まれて育った軟派な伊達男。繊維系や宝飾品を取り扱う商会の後ろ盾を昔からしている家の出身だ。幼い頃からの商人たちとの交流により、一見軽薄に見えて実は非常に現実的で計算高い人物だ。


「ファナ様?」

「ああ、ごめんなさい。アトウェル夫人は存じ上げているのだけれど、ご令息にはお会いしたことあったかしらと考えてしまって」

「ああ、そうなんですね」


 本来ならば、入学前にはファナはジェシーに遭遇していた設定だったが、『春の舞踏会』では会わないと決めてしまっていた。それ故に学園に入っても動向が分かっていなかった人物ではあったが――。


(まさか、エルアとすでに会っているとはね)


 しかも最近。いや、でも納得はいく。エドワードにエルアとべったりだと認識されていると聞いてから、たまに少しだけエルアを一人にするようにしていたのだ。

 遭遇の仕方も、なかなか。落とし物を拾って出会うなんて古き良き少女漫画の一場面だ。

 一陣の風が黒髪とレースのベールをかきあげ、お祈りをする美しい横顔がのぞく。飛ばされたベールの行方を目で追うと、そこにはジェシーが立っている。服飾に興味のあるジェシーなら、きっとエルアの素晴らしいレースに興味を惹かれただろう。そしてレースの出所を尋ね、君が作ったのかと驚くのだ。そこからジェシーがエルアに心惹かれていく……。


(素晴らしい妄想力ね)


 そのシーンを見れなかったのは残念だが、ジェシーと出会っていたというのは喜ばしい限りだ。それに、ジェシーがきっかけでエルアが得意だと思えるものを見つけられたという点でも最高である。


「それだけ得意なら、より技術を延ばせるような授業を取るのもいいかもしれないわね」

「……あ、そうですね! そっか、そういう風に考えればいいんですね」


 エルアが手を合わせて喜ぶ。

 まずは1クラスは決まったも同然だ。この分だと、遭遇の時期が早かったエドワードやハーゼルよりも、ジェシーの方がエルアと仲良くなるかもしれない。


「それにしても、レースなんて。手に職があるなんて、羨ましいわ」

「――へえ、公爵令嬢とは思えない発言だね」


 エルアではない返事が降ってくる。後ろを振り返ると、明るいブラウンの瞳と目が合った。

 覗き込むような体勢から、こちらに向かって垂れている柔らかそうなオレンジの髪と、口元に浮かべた人懐こい笑みは、夫人そっくりだ。

 エルアが嬉しそうに声を上げる。


「アトウェル様!」

「やあエルア。ジェシーでいいって」


 ジェシーが気さくに言う。

 設定として明言していなかったが、元々は庶民出身のキャラクターとして考えてはいた。しかしファナによると、女性ばかりが生まれるので爵位が停止状態になっているが、元は古くからある伯爵家とのことだ。大商人としたせいで、違和感なくそうなるように調整が起こっているだけかもしれない。

 ファナもエルアも立ち上がる。


「ファナ様、ジェシー・アトウェル様です。ジェシー様、こちらグランテラー公爵令嬢ファナ・レジーノ様です」

「よろしく」

「こちらこそよろしくお願い申し上げますわ」


 ファナが礼をして顔を上げる。と、まじまじとこちらを見ていたジェシーと目が合ってたじろいだ。

 ファナの動揺にジェシーは視線は外さないものの、さっと謝る。


「ああ、ごめん。いつも凝った髪型をしているから」


 今日は後ろでひとつに編み下ろしている。

 エドワード以外にも、そんな認知をされていたのか。にしても、前世では女性が髪型を変えても口にすることは無かったしセクハラと言われるのにおびえていたが、これがイケメン無罪というやつか。ジェシーもエドワードもなんともスマートだ。


「どうもファッションには目が無くて。グランテラー公爵閣下にはいつもうちの商会を御贔屓にしていただいているし、春にも舞踏会で見かけたから。君のことは知ってたんだよね」

「その節はお世話になっております」


 まるで横に居るエルアに説明するように、わざわざジェシーが言葉にする。エルアが会話から漏れないように、だろう。

 現実的で計算高いとはしたが、いわゆる軟派で優しいお兄さん系統のキャラだ。エルアと並んで話している時にも、何となくの安心感と安定感を感じる。貴族でもこういうスタンスの人が多くいれば、エルアもきっともっと良い学園生活が送れる気がする。


(そうだわ。エルアが服飾の授業を取るなら、選択授業のこと、アトウェル様に相談してみたらどうかしら?)


 悪くない考えだ。もしジェシーのルートが一番進んでいるのなら、ジェシーの取っている授業を聞いてもいい。それに、さっきのエルアの考え。ファナの選択に影響されるすぎるのも心配だ。


「そういえば、アトウェル様」

「ジェシーでいいよ」


 さっきもそう言っていた。ジェシーはフランクな付き合いが好きらしい。同じ1学年上でもエドワードとは違うタイプだ。

 呼び捨てなど出来ないとファナが困ると、ジェシーはくすりと笑った。


「呼びにくいなら、先輩、でも」


 おお。この世界でも、『先輩』という概念があるのか。なんだか感慨深い。

 『先輩』などと誰かを読んだことのないファナが咳払いをしながら呼びかける。


「では、アトウェル先輩」

「何?」


 ジェシーがとろりと笑う。この優男にこんな風に笑いかけられたら、ころりと恋に落ちる女性は多いだろう。


「実は今、エルアと秋からの選択授業について話していたのです。もしよければ、エルアの取る授業についてアトウェル先輩からもアドバイス頂けませんか?」

「なるほど。レースの話をしていたけれど、もしかしてエルアも服飾系の授業を取るのか?」


 ファナからの突然の方向転換にエルアはびっくりしたようだったが、こくりとうなずく。


「え、ええ。それもひとつだと話していて」

「いいね!」


 ジェシーが嬉しそうな声を上げる。優秀な裁縫師シームトレスが増えるのは喜ばしいことなのだろう。エルアのレースの腕から手先の器用さは疑いようがない。エルアがもしも裁縫も出来るようになったら、それは物凄いものが出来上がるはずだ。


「エルア、アトウェル先輩。私はもう行きますので。どうかおかけになってお話したらいかがですか?」


 熱心に話し始めたエルアとジェシーに対して、ファナが先ほどまで座っていたベンチを明け渡す。


「それでは、失礼します」

「ああ、また」

「また明日」


 二人の会話を邪魔しないように、ファナはさっさとその場を離れる。若い男女を二人きりにするのは、レディとしては駄目だろうが、こればかりは仕方ない。


(でも、なんだかあの二人、微笑ましいわ。これでもっと距離が縮まると良いわね)


 涼しい木陰から、じりじりと午後の日が照りつける庭を通ってファナは学舎へ向かう。ちらりと振り向くと、ジェシーは陰になって見えないが、エルアが楽しげに話しているのが見えた。

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