第4話
翌日——といっても就寝したのは日付を越えてからなのだが——私は予想に反してスッキリと目覚めた。昨夜の労働が心地よい眠りに誘ってくれたのだろうか。
学校に陽子は来ていなかった。男に襲われたのだ。それも当然かと思っていると風間に呼び出された。
「昨日はすまなかったな。うまく抜け出せなかった。それであの後だけど……」
風間は精一杯申し訳なさそうな顔をしていた。彼の生活習慣は知らないが、どこか白々しい。まさか始めから私に押し付けるつもりだったのではないだろうかと疑った。
「ああ、バラして山に埋めたよ」
風間はそうか、と言い一瞬俯いた。
「お袋と親父は兄貴がいないことに気付いたけど、どっかをふらついてると思ってるみたいだ。まだ警察に届ける感じじゃねーな。
俺にはアリバイがあるがお前にはない。けど安心しろ。陽子には俺が処理したと言っておいた。あいつが口を割ってもお前の名前は出ないはずだ」
「しまった!」と思った。
陽子に近付くための冒険譚。その主人公の座があろうことか、風間に書き換えられたのだ。
私は手柄を取られ相当腹が立った。かといってここで異論を唱えるのもおかしい。私は拳を握りしめて耐えた。
「あと、絶対陽子にこのことは言うなよ。あいつも辛い思いしてるし、その方がみんないいだろ」
「みんな」というのは私と風間そして陽子の三人のことだろう。しかしこの三人は絆で結ばれた関係ではない。片や罪を共有し愛を深めて行く者たち。片や孤独に罪を隠す哀れな男だ。
その週のうちに陽子は学校に復帰した。最初は何かに怯えている様子だったが、徐々にいつもの調子に戻っていったように見えた。その後も、陽子は私を気に留めることなく、私も陽子に決して近付かなかった。
この時私達はまだ高校二年生だった。私が高校を卒業するまでの間にどれだけ陽子に、死体を処理してあげたと伝えたかったことか。どれほど苦労したと語りたかったことか。
結局、あの日私が死体を遺棄したことで何か劇的な変化が起きた訳ではなかった。陽子に好きになってもらえることなどなく、少しも人間として成長出来るということはなかった。
白状すると、やはり風間を許すことは出来なかった。怒りに任せ何度も彼を殺そうと考えた。
その時、私には人間を一人解体し、埋めたという経験がある種自信となっており、「殺す」という手順が一つ増えるだけだという考えだった。しかし、風間を殺すどころか真実を暴露するなどと脅迫することもなかった。
遠巻きに陽子を眺める日々が続いたが、それも次第になくなった。あの死体の在り処さえ知っていればいい。それだけで私は彼女の人生の一部になれるのだと達観したつもりでいた。
風間聡太については、私が死体遺棄した週のうちに行方不明届が出されたらしい。
事件性がありとされたが、私の個人的な見方だがその線では、積極的な捜索はされていなかったと思う。もちろんだが風間家に身代金の要求などがあった訳でもない。あの夜は豪雨とは言わないまでも、かなり雨が降っていたので増水した川に流された可能性もありとされたが、川を探しても見つかるはずはなかった。
引きこもりの兄については色々と噂が流れ、学校に馴染めていなかっただの、最初はそれらしいものだったが、次第に尾鰭が付き素行が悪かっただの、某反社会勢力と付き合いがあっただの、くだらないもので溢れていった。強姦罪の前科をつけるならこちらの方が似合っているとも言えるが。
程なくして地元の新聞でも風間聡太の失踪事件は取り上げられた。いつかの新聞に風間圭太に取材した記事が載っていた。そこには
「人付き合いは苦手だったが優しい兄だった。早く帰ってきて欲しい」などと書いてあった。これじゃあ、まるで兄想いの優しい少年になってしまう。あの日私の部屋で語った内容とは真逆だ。いっそ
「彼女がレイプされたので殺した。死体の処理は都合の良いクラスメイトに任せた」
と語れば良かったのだ。
その後、卒業するまで私と風間が共に行動することや、まともに会話することはなかった。ただ一度、風間聡太失踪事件のほとぼりが冷め始めた頃、私は死体の在り処だけでも確認をするか聞いたが風間は、お前を信じるなどと言って結局彼が兄の死体を確認することはなかった。
刃物を入れたバッグと死体を詰めたボストンバッグはどちらも大掃除と称して捨てた。恐らく風間も兄を殺したあのバットは捨てたと私は思っている。それとも兄を殺した勲章として今も部屋に飾っているのだろうか。まあ、そんなことは今となってはどうでもいい。
あの夜以来、私は原付には乗っていないし、ロクに包丁も握っていない。程なくして祖父の精肉店も取り壊し原付も刃物類も全て処分した。
かくして、風間聡太失踪事件は迷宮入りし、私の重たい闇に纏わりつかれたような高校生活は幕を閉じた。
*
僕は絶句した。
過去に父——それも今の僕と同い年の——がそんなことをしていたなんて。
なぜかその話を疑うことはしなかった。口振りから、事実を述べているとしか思えなかったからだ。
「母さんは、そのこと知ってるの?」
僕は恐る恐る聞いた。
「いや知らないはずだ。何も言っていないからな。そしてこの家。ここが爺さんの精肉店の跡地だ」
母も知らない父の過去。その衝撃もさることながら、もう一つ無視できない事実があった。
「まさか……父さんと風間先生の間にそんなことが」
風間圭太、彼は僕が通っている高校の数学の教師だ。
そして父、橘良介もまた同じ高校の国語の教師だ。
二人が同じ高校の出身だとは知らなかった。
いつも明るく生徒の心を掴むのがうまい風間先生。真面目腐った授業で退屈な橘先生。似ても似つかない二人がそんな過去を持っていたなんてことも。
「あいつも教師になったのは知っていたが、今の高校で初めて同じ職場になった」
「じゃあ、今の高校で再会したんだ」
いや違う、と父は言った。
今年から赴任になった二人の先生は三十年ぶりに因縁の再会を果たしたなどと、知らず僕は勝手にドラマチックな構想を思い描いてた。
「高校を卒業してから一度、同窓会で再会したんだ」
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