第5話

 あの夜から十三年が経った年、私は三十歳を迎えて、初めて高校の同窓会というものに顔を出した。

 それまでにも同窓会の案内は何度か来ていたが、風間と顔を合わすことを恐れていたため一度も出席したことはなかった。

 私は高校卒業後、地元の県立大学に入学し、風間と陽子はそれぞれ県外の大学へと進学した。高校時代の友人と何気なく話をした際に聞いた風間の噂があまりにも華やかなものだったので、劣等感をこれ以上大きくしないためにも風間との再会は避けていたのだ。

 大学を卒業し、県立高校の教員になると地元に風間が帰っており、同じく教員になったこともすぐに分かった。いずれ職場で再会するやも知れぬと思い、同窓会への出席は余計に考えられなかった。

 しかし、この年を最後に私の母校である県立第一高校は閉校となることが決まっていた。

 大した面白味もなかった高校だが、言い知れぬ感慨があったのも確かで、それとも時の経過が私の心を変えたのか、とにかくあれだけ拒み続けた同窓会へ出席することにした。

 閉校の主な原因は少子化による生徒数の減少だった。

 私が通っていた頃は一学年六クラスはあったが、この年には二クラスにようやく足りるといった数にまで減っていた。なので同じく生徒数が減少傾向にある県立第二高校と統廃合し、次年度から新たに県立清新せいしん高校というものが出来た。校舎は交通の便がいい第二高校の校舎がすでに大規模に改築され、そちらを使うことが決まっていた。後にこの清新高校に自分の息子が通うことになるとは、この時知るよしもなかった。


 私は親しい友人が少なかったため、端っこで一人会場の様子を眺めていたが、意外なことに当時の教師は、今も昔も変わらず存在感のない私のことも覚えていたようで気さくに話しかけてくれた。

 そんなこんなで、同窓会も悪くないなと思い始めた時、不意に肩を突かれたので振り返った。そこには風間がいた。

 見事に垢抜けており、溌溂としながらも大人の風格も備えていた。

「よう、橘」

 気さくな笑顔を向けているが、腹に一物抱えているのを私は即座に感じ取った。

「久々だな。どうだこの後サシで?」

 私は無言で頷くと、そのまま皆に背を向けそそくさと会場を後にし、会場の外で風間が出てくるのを待っていた。風間はかつてのクラスメイトとの談笑があるかとも思ったが思いの外すぐに出てきた。

「少し早いがいいだろう。居酒屋を予約してるんだ。行くぞ」

 十三年前と同じ有無を言わさぬ口調だった。しかし、私はあの時のような苛立ちは感じなかった。

 居酒屋の個室に入り私達はある程度酒を呑むと、風間から切り出した。

「あれから十三年か。あの時はどうなるかと思ったが、お前も何も問題はなさそうだな」

 私に警察の手が及んでいないことへの心配もしくは、私が口を割っていないことへの心配ともとれる口調だった。

「風間も教師になったんだってな。……もしかしたら同じ学校に赴任になるかもな」

「死んでも嫌だね」

 風間は笑いながら酒を煽る。

「安心しろよ。口は割らないさ」

 私は風間が心配しているであろうことに言及した。

 風間の口が一瞬歪む。やはり自己保身が目的のようだ。

「お前は何か俺に要求したいことがあるんじゃないのか?」

 風間はそう言った。しかし私には彼に要求することなど何もない。訳が分からなかった。

「何もないさ。どうした風間、呑みすぎたか?」

 風間の様子は徐々に変わっていった。酒のせいもあるかもしれない。しかし、次第に心の奥底にある不安が表出してきているのが分かった。

「考えてみれば、お前はあの事件で何も得ていないじゃねーか。おかしい。絶対におかしいぞ! なぜあれだけのことをやって、見返りを求めない!?

 何を企んでやがる。金か? それともなんだ。陽子が欲しいのか?」

 私は呆気に取られた。と同時に顔を伏せ風間から目線を逸らす。笑いを堪えるのに必死だったからだ。

 風間の言っていることはあまりに的外れだった。私は風間に求めるものなど何もなかった。

 この十三年ですっかり私は、風間のようになりたいといった感情をなくしていた。陽子という女も、彼の口からその名前が出るまで綺麗さっぱり忘れていた程だ。

 十三年間も律儀に陽子のことを愛しているのかと、私は関心した。兄を殺害したからには離さないつもりか。それとも本当に陽子とは、兄の死体を隠してまで守りたい存在なのか。

「何もないって言ってるじゃないか」

「腹割って話そうぜ橘。それならお前はあまりに無欲じゃないか」

 私の目の前であの風間が酷く惨めに見えてきた。私に怯えている。事件を公表されること、陽子を取られることを恐れている。

「なんだ、実の兄貴は殺せても女を取られるのは怖いのか」

 風間にこんな口が聞けたのは初めてだ。私は愉快で堪らなかった。

「橘、貴様!」

 私は胸ぐらを掴まれた。

 殴るなら殴れ。そう思える程にその時の私は高揚していた。酔いのせいかもしれないが、あんなに清々しい気分は初めてだった。これだ。これこそが今まで求めていた感覚。

 この時やっと私は成長を感じた。纏わりつく闇を祓い、ようやく大人への一歩を踏み出し、一人前の男になったのだ。

「俺はよお、風間。お前に感謝してんだぜ」

「何言ってんだてめー」

「お前の兄貴を解体したことでお前のそんな顔が見れたからだ。そして俺は大人になれたんだ」

 風間は手を離した。どうやら私が尋常ではないことを悟ったらしい。しかしこの時の私はすこぶる正常だった。心の闇が晴れ、澄み渡る景色の雄大さを知ったからだ。

 俺は風間に勝った。この状況こそがそうだ。陽子など今の俺にはいらない。風間のような人間になる必要などなかったのだ。もはや風間に抱いた劣等感は跡形もなく消え去っていた。

「心配すんな陽子を抱かせろなんて言わねーよ。そうだ、俺結婚するんだ。子供も生まれる」

「結婚……」

 そう言ったっきり風間は沈黙した。

 事実私はこの時、同じ職場で出会った五つ年下の女性との子供が出来ていた。適齢期というだけで決めた結婚に実感はあまりなかったが、大人になった私は後の妻となるこの女性に対し、急激にそれまでになかった程の愛情が込み上げて来た。輝かしい未来に心躍った。

 男となり、夫となり、父となるのだ。なんて人生は素晴らしいのだろう!

 抜け殻になった風間を置いて適当に金を払って店を出ようと思った。個室を出る寸前、風間は静かに口を開いた。

「橘、俺は……」

「ああ、いいよ。これからはそれぞれの人生を楽しもうぜ」

「俺は……俺は兄貴を殺していない」

 さすがにこの一言は聞き捨てならなかった。私はもう一度腰を下ろす。

「どういうことだ、風間?」

「腹割って話すって言ったからな。

 兄貴を殺したのは俺じゃねえ。陽子だ。陽子がバットで兄貴を殴り殺したんだ」

 信じられなかった。私はそれまで風間の尻拭いをしたのだと思わされていたのだ。

「俺が自販機に行ってる間、兄貴が陽子のゲームの相手をしてたらしいんだ。部屋から出て来てたんだな」

 ぽつりぽつりと風間は真実を語り出す。

「陽子は愛想が良くて誰にも気さくだったからな。俺んちに遊びに来てて何度か兄貴とも話をしたらしい。それで兄貴は陽子に惚れちまったんだ。

 あの日、陽子は兄貴に告白されたらしい。当然断った。そしたら兄貴目の色変えて陽子に掴みかかったらしい。陽子は何とか抵抗して自力で兄貴の手から逃れた。でも兄貴は暴れ続けて……。お袋も親父もいなかったし、離れには電話がなかった。助けを呼べなかったんだ。殺されると思ったらしい。だから居間に飾ってあったバットで兄貴を殴った。そしたら兄貴は……」

 死んだ、ということだろう。

 私はこの時、陽子という女の恐ろしさを知った。勘違いをしてはならないが、決して陽子は魔性という訳ではなかった。呪いのようなものを、発散しているイメージといえばいいだろうか。

 好意を寄せて来た男を狂わせる。風間の兄貴を暴漢に変身させ、私には死体遺棄を働かせ、風間には逃れられぬ鎖を繋いだ。

 そんな構図が頭に浮かんだ。

 今度はついに笑いを堪えることが出来なかった。

 なんだ、結局こいつは何もしていないじゃないか。

 彼女を救うため兄貴を殺し、死体を処分して完全犯罪を成し遂げるなんてことは、出来やしなかったのだ。兄貴が殺されバラバラにされた挙句、山の中に埋められたのをただ身近に感じていただけだったのだ。取るに足らない俗物め。

 なぜ俺はこんなやつに劣っているなどと感じ、勝ちたいと願っていたのか。なぜ今まで再会を恐れていたのか。

 最初からこいつと俺とでは勝負になどならなかったのだ。そう思うと風間圭太という男の虚像は崩れ去った。

「風間、お前も災難だったな。まあでも本当に陽子のことが好きなのは分かったよ」

「これがあの日の真実だ。陽子は今でもやっぱり罪悪感に襲われてる。俺が側にいてやりてーんだ。橘、お前のことは——伝える必要はないか」

 それを最後に私達は一切会話らしい会話はせず、そのまま居酒屋を出て別れた。

 少し歩き落ち着いてくると、自分が極度の興奮状態にあったことを思い知らされたが、闇が晴れた感覚は消えなかった。そしてそれはこれからも続いて行くのだろう。それだけは確信することが出来た。

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