第3話

 元々は精肉店だった建物から私は、肉切り包丁の他、ケイバーナイフや剣鉈、糸鋸などを持ち出した。

 祖父は店を閉めてから狩猟免許を取り、友人達と獲った猪や鹿などを調理して彼らに振る舞っていたため、刃物は予想外に鋭利で手頃なものが多かった。亡くなった祖母も物騒だねぇなどと笑っていたが、孫が本当に物騒なことに使うとは思いもしなかったろう。

 私はそれらをバッグに詰めると玄関に待たせておいた風間の元へ行き、風間はびしょ濡れのまま、私は雨合羽を着て自転車に乗り、風間の家へ向かった。夕食の時間帯だからか通行人に見られるといったことはなかった。何台か車とすれ違ったが、帰りの遅くなった高校生が、二人で帰宅してるようにしか見えなかったろう。

 風間の家までは自転車で三十分程だった。建物は母屋と離れからなっており、離れには風間と風間の兄、聡太の部屋があるらしい。風間の父は建設会社の社長で、この家は近所からは風間御殿などと呼ばれているらしい。

 自転車を離れの裏に停めると、離れの中に通された。母屋程ではないが離れはなかなかに大きく、二階建てのうち一階にはトイレや風呂場まであった。

 風間兄弟の部屋は二階にあるらしいが、一階の小さな居間に行くとそこには仰向けに倒れた風間の兄がいた。いや、死体があった。

「カーペットに血は付いていない。フローリングは掃除したから大丈夫なはずだ」

 何が大丈夫なのか分からなかった。目の前に死体があるのだ。

「お前の家に行く前にお袋が帰って来てたんだ。だから俺は陽子を送ってくると行って出て来た。もう親父も帰って来てるはずだ」

 通常の神経をしていたなら警察を呼んでいたはずだ。しかし、私はある決心を胸にここへ来ていた。それは——

「バラそう」

 無意識にそう呟いた。陽子のために、という一言は心の中で付け加えた。

 風間はああ、と頷くと二人で浴室に風間聡太を運び込んだ。

 そしてバッグも浴室に持ち込み刃物を取り出そうとしたまさにその時だった。

 離れの扉が突然開いた音がした。

「圭太帰って来てんの? ご飯出来たから早くしなさい。もうこんな時間よ」

 入って来たのは風間の母親だった。幸い玄関から浴室の中は見えない。

「今行くよー」

 風間はそう返事すると扉は閉まった。

「橘、お袋と親父を待たせるわけにはいかねー。兄貴は部屋に籠ってることにしておく。……出来るか?」

 最後の一言を言う時、風間の目線は死体を捉えていた。

「僕がやるのか!? 冗談じゃない! そんなこと出来るか!」

 私は気が狂いそうになった。私が想定していたのは精々見張り役といったところだったからだ。

「兄貴はこれから失踪するんだぜ。俺がここにいちゃ色々まずいだろ」

 風間の言うことには一理あった。そうだ言うなればこいつにはアリバイが必要なのだ。

「俺達が飯を食ってる間に兄貴はいなくなったことにする。俺は普段寝る前はあっちにいるんだが、今日は怪しまれないようこっちにすぐ戻ってくる」

 風間は任せたぞ、と言い離れを出て行った。

 私はというと途方にくれていた。いきなり死体処理という役を任されてあい分かったと言える人間なんてそうそういないだろう。

 とにかく落ち着こう、そう思い居間まで戻った。時計を確認すると午後八時半。あれから一時間半経ったのか。居間にはテレビが置いてあり、ゲーム機が繋がったままだった。風間と中西陽子はここでゲームをして遊んでいたのだろう。そして風間の兄に犯されたのか。

 なんとなく二階の兄弟の部屋まで行った。手前の聡太の部屋に入る。引きこもりと聞いていたから、どんなものかと思っていたが意外に綺麗にしていたようだ。勉強机の本棚には教科書が並んでおり、横には鞄が掛かっている。壁には学ラン。かつては学校に通っていたようだ。学校は私達と同じ第一高校だったようだ。

 次に隣の風間の部屋へ入る。二人の部屋は内側からしか鍵がかからないようになっていたため、入るのは容易だった。

 こちらは兄と違って床に野球雑誌や漫画、ロックバンドのCDが散らばっていた。一応足の踏み場はあったのでそこを歩き勉強机へ移動した。机の上には兄同様、教科書類があったが、兄と違うのは机の本棚に設置されたコルクボードだった。

 そこには風間と陽子が二人で写っている写真や陽子が一人で写っている写真が飾ってあった。陽子の笑顔は美しく、風間は特別カッコいいという訳ではなかったが、活発な感じが伝わる好青年といった容姿をしていた。そんな二人が写っているものはまさにお似合いのカップルだった。

 私は陽子の隣には並べないのだろうか。そう思った。風間のような人間とは程遠い私は絶望した。写真に写る彼女の笑顔はあまりに遠すぎる。この少女に近付きたい。どうすればいい?

 そう思った時、階下にある死体のことが思い浮かんだ。

 そうだ、これだ。この処理を自分一人で成し遂げればいいんだ。そうすれば彼女が近付くような気がした。私は家を出た時の決心を思い出し、再び一階の浴室に立っていた。


 手始めに糸鋸を死体の左肩に当ててみた。この時返り血を浴びることも考え雨合羽を着ていた。

 糸鋸をゆっくりと引く。風間聡太は細身で筋肉質ではなかったため、糸鋸はスルスルと入っていった。死んで随分経ったためか血はあまり飛び出しては来なかった。

 その後、骨に突き当たる。これを切断するのはなかなかに苦労した。糸鋸が骨に入らない。どうすればいいかと思っていたが、祖父が猪を解体している時のことを思い出した。

 小さい時、興味本位で覗いた猪の解体ショーで祖父は骨は剣鉈やケイバーナイフで溝を付けると切断しやすくなると言っていた気がする。

 私はナイフと糸鋸を使い左腕を切断した。

 その後のことは詳細に思い出したくない。換気扇を回し、シャワーを出しっぱなしにしながら、作業を進めていたが何度トイレに嘔吐しに行ったかは覚えていない。

 何度もやめようと思った。しかし手を止め、思考する度に陽子が私に救いを求める幻覚を見た。風間に負けてたまるものかと自らを奮い立たせ、四肢の他、胴体や首も切断した。


 作業を終え、浴室から出て居間に入る。時計を見るともう十時になっていた。

 なぜ風間は戻って来ない。いくらなんでも遅すぎる。親にバレたか? なら今すぐに誰かしらここに駆け込んではこないか?

 そんなことを考えていたが不安にはならなかった。ならばいっそ死体遺棄も自分一人でやろうと思い立った程だ。

 私は聡太の死体を浴室に置いたまま、刃物を洗いバッグにしまうと大急ぎで自宅へ戻った。

 精肉店に戻ると、刃物を念のためもう一度洗い、元の位置に返しておいた。

 そして、自室からもうしばらく使っていないボストンバッグを取り出し、今度は家の裏口へ。そこには原付が置いてあった。これもまた祖父が残していったものだ。ガソリンはまだあるようだった。鍵も刺さっている。

 私は中学生の頃、両親に内緒で祖父に原付の手解きを受けていた。久々に走らせてみたがなんら不都合はなかった。自転車の時よりも遥かに速く風間の家へ着いた。

 離れの裏に原付を停め、中に入る。まだ風間は戻っていない。当然死体はそのままだ。私は死体を無造作にボストンバッグに詰めると、それを担いで原付に乗った。

 あてなどなかった。ひたすら山道に分け入り、原付で登れぬ場所からは徒歩で上っていく。道中祖父の顔が頭から離れなかった。猪の解体ショーや原付の運転を教えてくれたのは、私の退屈を紛らわすためであり、絶対にこんなことをさせるためではないはずだ。

 なんて罰当たりな孫だろう。そう考えると知らず涙が溢れた。祖父だけでなく祖母、父と母に謝りたくなった。

 こんな不器用な方法でしか愛を表現出来ない人間になってしまいごめんなさい。そう思いながら、ひたすら山を登った。

 山道を登る際、ちゃんと道順を忘れぬよう周囲に注意しながら、場所を選んだ。シャベルは近所の納屋から拝借し、地面に必要以上の穴を掘り風間聡太の死体を埋めた。

 作業の最中も、シャベルの泥を落とし、こっそり元の納屋に戻して家に帰る際も無我夢中だった。誰かに見咎められることなど頭に無く、なぜあれほどのことをやってのけたのか今考えれば不思議でならない。

 雨足が強く原付の音がかき消されたこと。運良く人通りが全く無かったことが幸いし、犯行途中の私を目撃した者は誰一人居なかった。

 家に帰りシャワーを浴びるとすぐに眠りについた。クタクタで最早全て夢だったのではないかと思った。寝る前に時計を確認すると二時半だった。驚くことにあれだけのことをやって、夜更かしが過ぎた程度の時間に就寝しているのだ。

 くどいようだが、やはりいくらなんでも出来すぎている。あの日、たまたま両親が不在で、祖父の残した刃物や原付がまだ残っていたのだ。そして何の取り柄もない平凡以下な高校生が死体をバラバラにし、山中に遺棄した。しかも誰にも見られずに。これは後になって、私の元へ警察が押し寄せるなどということもなく、密かに疑いの目を向けられることなどもなかったことからも明白だ。

 何者か神がかった存在の介入を疑ったがこれは全くの偶然なのだ。私はやり遂げた。この時、自分が少し陽子や風間のような人間に近付いたなどと勘違いをしていた。

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