第2話
七月半ばの日曜日の夕方。その日は雨が降っていた。インターホンが鳴ったので玄関へ出ると、そこには傘をささずに来たのだろう、びしょ濡れの
「風間か……。珍しいな」
風間は高校で同じクラスだが、これといった付き合いはない。引っ込み思案で目立たない私とは対極な男だった。勉強もでき、スポーツ万能。クラスの中心にいる一軍生徒というやつだった。一方、私は口数も少なく、大した面白い話題もないつまらない男だった。勉強も秀でているというには成績がいささか足りないような始末だ。したがってなぜ風間が、こんな雨の夜に、私の家を訪ねて来たのか不思議だった。最も私の家はある事情により、その所在地は知ろうと思えば、誰にでも知れることなのだが。
「よう、ちょっと上がるぜ」
そう言うと風間はのろのろと玄関へ入ってきた。図々しい言動とは裏腹に顔色は悪く、どこか上の空で心ここに在らずといった具合だった。
「お前今一人か? 家族は?」
「父さんも母さんも今日は帰りが遅くなる。うち共働きなんだ」
「ふーん、何時頃?」
「え?」
いきなりやって来た顔見知り程度のクラスメイトが、なぜそんなことをズケズケと聞いてくるのか不思議だった。
「何時頃帰ってくるんだ? もうすぐなのか?」
そう言われ居間の時計を覗くと、午後七時時前を示していた。
「いや、すぐってことはない。父さんは夜勤だし母さんは仕事場から実家に泊まるとか言ってたから朝まで一人」
「そうか、丁度いい。とりあえずお前の部屋に行くぞ案内しろ」
有無を言わさぬ言い草に苛立ちを覚えたが、私は昔からこういう時に、風間のような威圧感や勢いで人を従わせる者に歯向かうということが出来ない性格だった。長い物に巻かれっぱなしのまま惰性で生きていたのだ。
私は言われるがまま、びしょ濡れの風間を二階の自室に案内した。
「兄貴を殺した」
部屋に入るなり風間は一言そう言った。
「あの野郎、ろくに外にも出ねえ。引きこもりなんだよ。あんなやつ殺しても文句言うやついねーよ。弟の俺でさえ清々してんだぜ」
風間は自分に言い聞かせるように呟くような小声でかつ、早口でそう付け加えた。
「風間、とにかく何があったかちゃんと教えてくれよ」
悪い冗談ではなかろうか。私はそう思った。
風間は一瞬こちらを睨みつけたが、すぐに小さく頷くと記憶を探るように語り始めた。
「今日は
陽子。その名前を聞いた瞬間、私はああやはりと落胆した。
やはり陽子のような女の子には恋人がいて当然なのだ。そして目の前にいる風間がそれなのだと確信した。高校生の男女が恋愛感情なしに家に行くなど果たしてあるのだろうか。私は嫉妬の念に駆られた。
「知ってるかもしれねーが俺と陽子は付き合ってる。今日は日曜だけど都合よく親父もお袋も昼は留守にしてたんだ。兄貴は年中家にいるから仕方ない。気にしないことにしたんだ」
風間は今や冷静さを取り戻したようだ。淡々とした口調で説明をしていく。
「俺は陽子のためにジュースを買いに外に出たんだ。自販機まで徒歩で数分だ。ジュースを買って俺は家に帰った。そしたら、あいつ……」
そこで風間は一点を見つめてその先を言い淀んだ。どうやら怒っているようだ。
「兄貴は——あいつは……陽子を襲っていたんだ!」
風間は吐き捨てるように言った。
「襲うってそれは、その……中西さんのことを」
「ああそうだよ! あの野郎、陽子のことを汚しやがった!
俺は部屋に置いてあったバットであいつの頭を殴りつけたんだ。そしたらあいつ、頭から血流して動かなくなった」
何も言葉が出なかった。女性が襲われるというショッキングな話も呑み込めなかったのに、次いで人殺しだ。私はこれが果たして現実なのか、にわかには信じられなかった。そんなことは、テレビやフィクションの中での話なはずだ。
「陽子は家に帰した。死体は家に置いてある。お前んち色々あんだろ? 包丁とか」
「まあ、あるけど」
私の家は祖父の代まで「
「貸せよ」
風間は静かにそう言った。
「貸せってまさか」
この時、風間がとんでもないことを考えているのは明白だった。人を殺した。そして包丁を貸せと言っている。つまりそれは——
「解体するの?」
「ああそうだよ。バラしてやつの死体を隠したい。なあ橘、協力してくれねーか? この通りだ」
先程までの態度とは打って変わり、風間は両手を床につき、頭を下げ土下座の格好となった。
「おい待ってくれよ! そんな……そんなことしたら」
「分かってる! でも警察に言うわけにはいかねーんだ。今は陽子の側にいてやりてーんだ。それにそうなると、陽子も警察とかに色々聞かれて、周りからもどんな目で見られるか分からねー。頼む、俺のことはどう思ってくれてもいい。陽子のためなんだ」
風間はひたすら土下座をしていた。この時の私はというと信じられないと思うが、陽子のことで頭がいっぱいだった。ある程度事情が分かり、正常な思考が出来るようになったと錯覚していたのだ。もし死体の処理に協力すれば陽子と私との間に、何か繋がりが出来るのではないか。そしてそれは、絆という形で結ばれるのではないかと、打算に満ちた思考回路に陥っていた。自分も風間や陽子のような次元の人間になれるチャンスなのではないかと考えていた。
今思えばこの時の私は間違いなく、狂っていた。
「分かった。用意するよ」
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