第7話

 家に戻った時には、十二時をとうに過ぎていた。マンションの外から確認すると、案の定家の電気は消えている。里美は先に寝たのだと分かると、ホッとした。さすがに今、顔を見たくはなかった。


 それなのにリビングに足を踏み入れると、電気が消えた真っ暗な部屋で里美がテーブルの上に乗せたアロマキャンドルを前にぼうっと座り込んでいたから、智希は目を見開いて硬直してしまった。

 ろうそくの明かりにぼんやりと照らされた、無表情の里美の顔は狂気じみたものがあった。

「なっ、なに!?」

 智希は悲鳴をあげたが、里美はそれには全く動じず、無表情のまま目だけを智希に向けて呟いた。


「小夏先輩とまた寝たの?」

「──えっ?!」


 突然出てきた、小夏の名前。


──『また』寝た!?

 

 里美は表情を少しも動かさないまま、じっと智希を見つめる。それとは対照的に、智希の頭は目まぐるしく色々な考えがぐるぐると渦巻いていく。

 部屋のなかはエアコンが効いている。なのにこめかみは激しく波打ち、身体中から一気に汗が吹き出てくる。


「なん、で小夏・・・・・・また寝たって・・・・・・なに言って」

 かすれた声で、たどたどしく言うのが精一杯だった。それを聞いた里美がぐにゃりと歪み、力の込もった目でぐっと智希の顔をにらみあげた。


「帰ってきてるんでしょう!? 会ってたんでしょう!? あなたと寝て、カンボジアに逃げたあの人に!」

「──!」


 普段のおっとりした里美の姿はそこにはなかった。肩上の長さの天然パーマの髪はボサボサに乱れ、瞳はろうそくの明かりを受けて爛々と光っていた。眉間には深い皺が寄り、ろうそくの影でそれがいっそう強調されていた。


「私がなにも知らないとでも思ってたの? 同窓会の帰りに、二人で逃げておいて! みんなが気づかないとでも思った? 私の耳に入らないとでも思った!?」


──全部、バレていたのか。

 里美は全部知っていたのに、知らない振りをしていた。七年間も。

 その事実に智希は震え上がる。

 そんな智希を里美は力強く、そして冷めきったような目で見つめ、話し続けた。


「私も結婚を押しきった負い目があったから、目をつぶってあげてたけど。辞めてくれない? そんな身近な女に手を出すなんて」

 汚いものでも吐き捨てるように言い放つ里美は、見たことのない別の何かのようだった。智希は思わず右足を一歩、後ずさりをする。それを制すかのように、里美は更に強く鋭くにらみつけた。


「十六歳の時からずっと一緒なの。食べ物、持ち物、生活習慣、話す言葉まで、全部お互いに合わせたようになってるの。私に合ったあなたになってるの。今のあなたは私が作り上げたものなのよ。絶対離れられやしないわ! 離さないから!!」


 里美は口を半開きに開け、目だけは別の意思を持っているかのように智希をじっと射抜き、にらみ続けたままゆっくりと立ち上がった。

 そしてテーブルの上にあった手のひらに収まるほどの長方形の紙を取り上げ、ゆっくりとろうそくの炎に当てた。


 それは智希の財布に入れていた、小夏の名刺だった。


 名刺は赤く光る炎に当てられて、じりじりと火を着けた。丸まりながら黒く焦げ、灰色の煙を細く出しながら燃えていった。炎に赤く照らされた里美の顔が、まるで般若みたいだと智希はぼんやりと思った。


 部屋には紙の焦げるにおいと、アロマキャンドルのシトラスの香りが漂っていた。

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