後編
「涼風の腕はひやいね」
わたしは友の手を振り払う。セクハラで訴えるぞ。カメラ女子め。
今年のクラス替えで別れても、抱きつき魔は健在らしい。
「おいら、体温高いんだもん。
日向はあぐらをかき、体操服の袖で汗を拭いた。
「おさげを緩くしているから暑いのでは。お団子にすれば涼しかろう」
「それは思いつかなかった!」
わたしの目に、日向の髪がひゅうんと迫る。男子には分からないだろうが、結んだ髪は当たると痛い。凶器を掴み、犯行を阻止した。
「落ち着け。まだ今日の練習は始まっていないぞ」
「つれないなぁ。おいらがカメラ班で戦線離脱する前に、いちゃいちゃさせてよね」
日向が肩に寄りかかってきた。ただでさえ待機場所のテントは陰が少ないのに。午前九時の時点で溶けそうだ。
「日向氏、体育祭を七月に移動することはできないのか。グラウンドの熱気は生命力を奪う」
「涼風がマスクを付けているからでしょ。チャームポイントの八重歯を自信持って見せなよ。可愛いのに」
わたしは兄と違って可愛くない。カッコ良いと言われた方が嬉しかった。お世辞なんかいらない。
日向に言い返そうとしたとき、背後から不穏な空気を感じた。
「安芸、日傘を使うな。みんな帽子で我慢しちょる。お前だけが暑さを感じているんじゃないぞ」
生徒指導の先生が、訳の分からない理屈を唱えている。ここは素直に日傘を閉じ、熱中症で倒れた振りをしよう。従順な狗を演じさせたことを後悔するが良い。
来年、生徒会長になった暁には、体育祭の練習環境を改善させる。テントの陰なんて、気休めにもならない。炎天下の中、冷感タオルも日傘も使用できないのは時代遅れも甚だしい。安芸涼風が、腐った価値観を消し去ってみせる。
わたしが闘志を燃やす中、日向はカメラを操作していた。
「先生、ちょうど良かった。校門付近でタバコを吸っている人がいるって、近隣住民から苦情が来ていましたよ。これが証拠写真です。校長先生にお伝えするべきでしょうか」
「……何もするな。わしが解決しとく」
先生は後ずさる。
「安芸、日傘は迷惑にならない範囲内で使うように」
最初から認めておけば良いものを。わたしは小さく鼻を鳴らした。
「そろそろ練習始まるから、おいらはカメラ班の仕事に行くね」
「御意」
別れ際に日向は耳元で囁く。
「例のブツ、もうすぐ揃うよ」
「承知した」
今度の合図は長方形にして。わたしの言葉に、日向は後ろを向いたままサムズアップした。
***
「失礼します」
金曜の昼休み。依頼されたフェルト人形を届ける名目で美術室に入った。顔馴染みの生徒が、日向なら奥の準備室にいると教えてくれた。
「日向氏、開けるぞ」
ドアを開けると、パソコンと向き合う日向がいた。体育祭の写真を学年別に分けているようだ。
わたしはお疲れ様と言い、ペットボトルを差し出した。
「サイダー買ってきてくれたん。ありがとう」
「夏帆先輩コレクションを見せてくれ。手紙にあったキーワードだけで尊死するところだった」
スカートのポケットから、下駄箱にあった置き手紙を出す。
――いつもの場所に来てください。
短い文面は告白を思わせる。だが、紙を透かせば、伝えたいことが浮かぶ仕掛けになっていた。
詰め放題競走。
騎馬戦。
アメ食い競走。
綱引き。
テンペスト。
組体操。
ダンス。
三輪車リレー。
移動式玉入れ。
羅列している言葉は、写真フォルダのタイトルだ。前回はツインテール特集だったが、今回は違う。
苦手な体育祭を乗り切った、夏帆先輩の勇姿。想像しただけで頬が緩む。
「おいらの努力の結晶、とくとご覧あれ」
たくさん開いたタブを縮小し、件の写真を画面いっぱいに見せてくれた。わたしは、彼女の背後で感嘆の声を漏らす。
部活では見られない、夏帆先輩の表情に惚れ直す。掛け声や行進の手に妥協はない。凛とした雰囲気に惹かれた。
「日向氏、夏帆先輩はどうしてセンターに立てないのかね」
「振り付けを間違えたとき、目立つからじゃない?」
「やはり、ダンスを覚える期間が短すぎるのか。ラインをやってないと、振り付け動画が見られないもんな。本番はしっかり踊れているのに理不尽だ」
ぎこちない投げキッス、遠慮がちなハートマーク。テントで待機する野郎どもに見せるのはもったいない。夏帆先輩と違う組なら、わたしが前列で見守りたかった。
だが、一日遅れで癒されたことに満足する。
「日向氏。今回も名場面を激写してくれて感謝するよ。可愛い子に目がない友ができて、わたしは幸せだ」
日向の顔を覗き込むと、表情が暗いことに気付く。
「どうかしたのか?」
「涼風。ずっと伝えたかったことがある」
日向はわたしと向き合った。
「好きだ。彼女になってほしい」
同性の友から告白され、わたしは目を見開いた。恋愛対象として見られていたことが信じられない。だが、冗談には聞こえなかった。
日向はサイダーを空けた。ぷしゅっと間の抜けた音が、重い沈黙を和らげる。
「きみの心に、おいらがいないことは分かっている。だから、告白をキッパリ断ってくれないかな」
サイダーをあおる日向に、わたしは問いを投げ掛けた。
「何故?」
「だって、涼風はおいらみたいにバイじゃない。女の子は慈しむものであって、恋愛対象として見ていないよね」
「そうだ。二次元は良いぞ。リアルと違って裏切りがない。貢いだ分だけ愛しさが増える」
わたしは日向を見つめた。友の悩みに気付けなかった罪悪感が喉を駆け巡る。それでも、言葉を選びながら本音を告げた。
「夏帆先輩も、わたしの好意を受け止めてくれる稀有な存在だ。推しが現実世界にいるおかげで、学校に行くのが楽しくなった」
それ以上は言わないで。日向の目尻に涙が浮かぶ。
残念だったな。わたしの舌は止まらない。言いたいことは半分も伝えられていない。拳に力を込めた。
「だが、推しの魅力を語り合えるのは日向氏だけだ。大事な友達。数少ない同志」
友達以上の関係を望まなかった。推しについて語れるだけで良い。日向が告白するまでは。
わたしは今の気持ちをぶつける。
「お前が望むなら理想の彼女になろう。他者の目など、わたしは恐れない」
日向はおさげで顔を隠した。耳だけが赤い。
「日向氏?」
「おいらは生きてる? 夢じゃないの?」
わたしは日向の髪を掻き分けた。日に焼けた頬でも、恥じらう様子は一目瞭然だった。
きつく結ばれた下唇に親指を添える。緊張をほぐすため輪郭を撫でた。
「あおい。早く告白の返事を聞かせろ」
「涼風きゅんがカッコ良しゅぎる。おいらフラれると思っていたから、心の準備できてない」
「付き合わないのか。あおいの選択なら受け入れるが」
「からかわないでよ。涼風」
あおいは、わたしの手の甲にハートマークを描いた。
それから三ヶ月後。わたしは彼女の付き添いで購買に訪れた。
「おばちゃん、ひまわり色のメモ帳ある?」
「品切れなんよ。学校新聞に載った、小さな記事のおかげで」
おばちゃんは新聞を広げ、美術部についての見出しを指差す。
「フォトコンテスト金賞の記事だな。どこに買い占めの要素がある」
わたしは眉をひそめて読み上げた。
カメラ班の期待のホープHさんは、下駄箱の置き手紙をきっかけに交際を始めた。ひまわり色のメモ帳をハート型に折る。スマホで気軽に告白できる現代において、新鮮な方法かもしれない。あなたも手紙を書いて、彼のハートも射止めてみては。
「意中の彼?」
あおいを見ると、冬なのに汗が浮かんでいた。
「どこにも漏らさないって念押ししたのに!」
「あおいちゃん、ゴシップ好きの情熱はすごいんよ」
おばちゃんは、わたしたちの繋いだ手を見てウインクした。末永くお幸せに。何組ものカップルを送り出した瞳は温かかった。
好きな人が一年一組にいれば、下駄箱にひまわり色の手紙を置け。縦読みで想いを綴ると成功率が上がる。
尾ひれのついた言い伝えが語り継がれることを、わたしはまだ知らなかった。
下駄箱の置き手紙 羽間慧 @hazamakei
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