下駄箱の置き手紙
羽間慧
前編
わが名は
暑苦しい体育会系とは関わりたくない。そもそも他者との交流を避けたい。
薄っぺらい友情より、十年経っても褪せない絆の方がいい。わが試練に耐えた者にこそ、親友の称号を与えよう。目つきの悪さをフル活用して、周囲との壁を作ってきた。
高校でも帰宅部を貫こうとしたが、手芸部に入ることを決めた。きっかけは、兄の
もともと見学者が少ない上に、部長は丸メガネの男子。普通の女子は仮入部すら嫌がるだろう。モヤシ野郎と二年間ともにいるのは耐えられない。
だが、普段の姿を知る妹の立場で言わせてもらおう。
兄はテディベアやリボンが似合う、可愛い乙女だ。ウィッグなしで女装させても違和感がない。アプリで加工した写真を父に見せたとき、自分の息子だと気付かなかった。茶髪から元に戻してもバレないのは、老眼の影響だろうか。
何はともあれ、兄は愛すべき存在だ。今年のクリスマスこそ女物のサンタコスをさせるため、わたしは母と極秘計画を進めていた。
天変地異が起きようとも、世間知らずの赤ずきんが狼に化けることはありえない。純情可憐とは兄を表現するにふさわしい四文字なのだから。
そんな兄の作品は、幻想的で美しいレジンだ。穢れない心を象徴するような透明感は、見る者を虜にする。手芸部の見学者に配布するため、紫と青のキューブをたくさん制作していた。残念ながら、結果は一個もさばけなかったらしい。綺麗すぎるから結構だと、断られたという。
兄よ、案ずるな。わたしだけは拒絶するものか。
可愛い妹と二人きりの空間を泣いて喜べ。そして漫画の最新刊を献上せよ。半ば、ひねくれた思いで入った。
それから四ヶ月後。手芸部に女神が降臨したのは、日頃の行いのおかげだろう。
***
強制参加の夏期講習。午後は苦手な数学。憂鬱な気分を少しでも晴らすため、わたしは部室で弁当を食べていた。
教室で食べない理由を知りたい? たいした理由はないぞ。チャイムと同時に、パリピどもが席を占拠するからだ。無駄な争いをするほど、わたしは愚かではない。逃げることも戦略の一つだ。ふはははは。
部室なら、人目を気にせずアイドル育成ゲームに集中できる。そんな至福の時間はノックによって遮られた。
「兄者。入っていいぞ」
プライバシーの侵害とからかうつもりだった。だが、わたしの目は小柄な女子生徒に釘付けになる。
腰まで届く黒髪は、つやがあって美しい。第一ボタンまで留めたシャツに、ウエストを折って短くしていないスカート。校則に描かれた手本通りの着こなしだ。なのに野暮ったくない。
呼吸するのを忘れてしまうほど、先輩に見とれていた。
「涼風。僕と同じクラスの
こんな綺麗な人が、兄と同じ年。しかもクラスメイトなんて信じられない。前世でどれほど功徳を積んだのか。
星三以上の確定ガチャチケットを引いたら、最高レアがやって来た。あるいは、少女漫画のヒロインが目の前に現れるくらいの奇跡だ。感激のあまり、同じ時代に生まれた幸運を噛み締める。
こんな山奥の高校に、親御さんはよく通学を許可したな。黒塗りの高級車で登校させるべきだ。誘拐やストーカー被害に遭わないだろうか。お姉さん(妹キャラだが)は心配だ。
黙り込んだわたしに、夏帆先輩は目を伏せる。
「初めまして。ご飯中にお邪魔してごめんなさい」
全然邪魔じゃないのに。訂正しようとしたが、体が正常に動かない。
あぁ、声も可愛い。耳が溶けてしまいそうだ。ポーカーフェイスが取り柄なのに、表情筋が勝手に緩む。
録音しなかったことを悔やむ美声だった。素直に謝る姿も高評価だ。顔だけ美人に見せつけてやりたい。こういう性格の良いところも兼ね備えてこそ、彼女にしたい子ナンバーワンになれるのだ。男ウケを気にするような、計算した可愛さは無粋だ。
気付けば、夏帆先輩の両手を掴んでいた。
「先輩、可愛いです。学園のアイドルって言われませんか? 癒し系、清楚系、王道、パリピ以外の部門を全制覇できますよ!」
「ありがとう、涼風ちゃん。そう言ってくれて嬉しいよ」
でました百点超えの回答。相手への感謝を伝えつつ、嬉しさをストレートに告げている。
社交辞令でしょうと言わないところが良い。そんなことないよと否定する女子は、自分の可愛さを熟知している。あざとい子も守備範囲ではあるものの、自信に満ち溢れていないピュアな反応の方が好きだ。
良きかな。三途の川が見える。
心の中で手を合わせながら、夏帆先輩がはにかむ姿を脳裏に焼き付けた。白米三杯は余裕でいける。
まばたきで写真が撮れる機能は、まだ実装されないのか。静止画も動画も保存しておきたい。けしからん見た目だ。夏帆先輩が首を傾げる仕草だけで、心臓が止まってしまう。
「でも、私より可愛い子はごまんといるから……」
そんなに多くいる訳がない!
わたしは拳に力を込めた。
新聞部の作った美少女ランキングは遊びだな。夏帆先輩を一位にしなくて誰を推すのか。どうせ見た目の華やかさに惑わされているだろう。美しい心の持ち主が評価されない世界など滅びてしまえ。
わたしは兄に助けを求めた。
「兄者! クラスメイトとして、夏帆先輩のことをどう思う?」
「黒板に手がたわんけぇ、爪先立ちで消そうとしていて癒された」
「そこは気を利かせて手伝わんか」
わたしは兄の脛を蹴った。役に立たん兄め。
小さい子が高いところに届かなくて、一生懸命手を伸ばす。その光景を見守っていたい気持ちは理解できる。
だが、じっくり愛でた後は、黒板消しを手伝う気概を見せろ。日直で足をくじくことがあってはならない。
「千洋。涼風ちゃん優しい子だね」
下の名で呼ぶ関係だと。わたしと区別するための配慮だよな。
夏帆先輩に手を出せば、兄者といえども容赦せぬ。純潔を奪う相手は、幼馴染とか小学校からの友達であるべきだ。がるるるる。
兄は呑気に笑っていた。
「僕に対して口が悪いけどね。同年代の子とあれぐらい打ち解けて話せると、いいんだけど」
「笑止。わが八重歯を『素敵な歯。先が尖っていて怖い』と罵る低レベルな輩に、媚びを売って何のメリットがあるというのだ」
わたしが腰に手を当てると、なぜか夏帆先輩は目を輝かせていた。
「自分の意見を出せてカッコ良い」
いや、実際には陰で文句を言っているのだが。こんな些細なこと、親でも褒めないぞ。
ふがいなし。三次元の女子は嫌いだったはずなのに。
運命の出会いに胸が高鳴る。
夏帆先輩、あなたの笑顔を守らせてくれ。
***
女神が放課後の活動も見学するようになって二度目になる。
「夏帆先輩は入部しないのか」
私はアヒルのパペットを動かしながら訊いた。
夏期講習が終わったら、夏帆先輩とは会えない。文化祭で売る作品は、ほとんど完成していた。
「迷惑じゃない? 初心者が入部して」
「構わない。わたしだって、最初に作った羊毛フェルトは黒歴史だ。いくら夏帆先輩の頼みでも見せられない」
「涼風ちゃんも失敗することがあるの?」
「残念ながら凡人なのだ。生け贄なしでは進歩できぬ」
あれはゾンビだから血が通っていない。兄のツッコミに舌打ちする。せめて新種を生み出したことを称えてほしい。
参考書でカモフラージュした同人誌の隠し場所、知っちょるんよ。ここで暴露されても良いのだな。
わたしの思考を読んだのか、兄は腕時計に視線を落とす。
「五時だ。そろそろ後片付けするよ」
逃げた。やしすんな!
素直に窓を閉める夏帆先輩は、兄の卑怯さを分かっていない。社会に出たとき、悪い人につきまとわれないか不安だ。「夏帆先輩を守護し隊」を発足させよう。趣味で意気投合した、元クラスメイトに相談しなければ。
昇降口に着くまで、わたしは上の空だった。スニーカーを手に取ったとき、入れられていたものに気付く。ハート型に折られたメモ用紙は、ひまわり色だった。
「涼風、その手紙……」
「もしかしてラブレター?」
夏帆先輩、転校してしまった男子と文通を続ける人が言う台詞ですか。六年も愛を育む交流こそ、ラブレターの名がふさわしい。
わたしは置き手紙を鞄にしまった。
「違う、そんな浮ついたものではない」
太陽と盟約を結んだ証。平たく言えば、友が送った会合のサインだ。
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