10話① 出発
(部屋に閉じ込められてどれくらいなんだろう…。)
素鼠はぼんやりと壁にもたれて考える。今いる部屋の広さは8畳程で、書棚が2台置いてある。古い書物ばかりが書棚にぎっしりと置かれていて、置き切れず床に積み上げられているものもある。空気はかなり埃っぽく、天井の隅では蜘蛛が巣を張っていた。高い位置に小窓があり、換気と最低限の光は取り入れられている。
始まりは、厠の汲み取りをしていたところ執事に声をかけられたことだった。
「精が出るな、素鼠。一人で厠の汲み取りか?」
まさか執事がこんな言葉をかけるとは思わない。慌てて厠から飛び出て、地面に平伏する。
「これは執事様、勿体ないお言葉でございます。あの…はい、僕だけです…。」
「そうか、それは大変だな。豚に屎尿をやるというのは危ないが、お前のような子供だけでできるのか?」
「え、あの…はい、少しずつやります…。」
「どれ、今私は暇しててな。普段のお前の働きぶりを見せてもらいたい。」
こんなことを今まで言われたことがない。執事は何を考えているのだろう。
「こんな汚いところはいけません。どうぞお戻りを。」
歯向かうのかと言われそうだが、屎尿を扱う様はやはり見られたくないと思ってしまう。
「いやいやいや、私のことは気にするな。お前は仕事を続ければ良い。」
「いえ、そんな訳には…」
見上げる者と見下げる者が、双方探り合いながら言葉を交わす奇妙な時間が流れる。自然と沈黙となり、2人は固まってしまった。
「えっと…」
素鼠がやっと呟いて、時が動く。
「では、仕事に戻ります…。」
のろのろと立ち上がって背を向ける。ふらつきながら厠へ戻るところで素鼠の視界は真っ暗になり、記憶はそこで途絶えた。そして、気がつくとここに連れてこられていたのだ。
「いくら命令でも、外に出られないなんてしんどいな。」
気配を殺して過ごせ、決してここから出るなと執事は命じた。突然の不可解な監禁生活は、精神的に追い詰められる。壁にもたれる姿勢が辛くなり、今度は床に横たわる。はぁと溜息をついたところで、部屋の戸が開く。
「食事の時間だ。」
ちょうど執事が部屋に入ってくる。その右手手には食事が乗った盆が、そして左手にはお櫃がぶら下がっている。
「残さず食えよ。」
どん、と目の前に置かれた盆には大量の豪華な食事が盛ってある。飯に、揚げ物、豚の角煮、野菜の煮込み料理、焼き魚、甘い菓子と果物。そしてお櫃にはたくさんの飯。最初は目を輝かせて食事にがっついたものの、普段から少量の食事しか食べてないため、胃袋が受けつけない。それなのに毎食ご馳走となると、あれほど飢えていたのに食事が苦痛になってくる。ましてや外に一切出られないのだから、これではまるで飼育される豚のようである。
「豚…?」
まさか、執事は素鼠を肥え太らせて売るつもりでは無いだろうか。そう考えれば納得できる。ガリガリに痩せた奴婢などきっと誰も欲しがらない。
「あの、執事様。どうして僕はこんな豪華な食事を頂けるのですか?僕は売られるのですか?」
ここへ来てからいかなる質問も答えてもらえない。それでも状況把握しようとしつこく質問する。
「何も詮索するな。お前は出される飯を食い、静かに過ごすんだ。」
やはりあしらわれてしまい、ぴしゃっと戸を閉めて執事は出て行く。素鼠は仕方なく食事を始める。休憩を挟みながら懸命に食事を続けること一刻で、ようやくお櫃の飯を空にした。パンパンに膨れ上がった腹を天井に向けて寝転がる。ちょっと動くだけで吐きたくなる。目をつぶって浅い呼吸を繰り返していると、いつの間にか真夜中になっていたようで
、執事に頬を軽く叩かれて起こされた。
「起きろ。今から水浴びしろ。」
眠たい目を擦って立ち上がる。胃がムカムカして、頭もぼんやりして不快感極まりない。そこへようやく部屋の外へ出ると、そこはどうやら執事の部屋のようだった。
「あの、ここって…」
「キョロキョロするな。ついて来い。」
淡々と言い放つ執事に連れられて、部屋の外に出ると、春の夜風が一気に体を抜けていった。寒くはないが、ひやりとした空気に頭がシャキッとなる。そして執事は素鼠を主人一家専用の風呂場に連れてきた。素鼠は驚いた。
「僕こんなところで水浴びできません。川に行ってきます。」
しかし、執事が素鼠の服を掴む。
「ここでいい。川などに行って逃げられては困る。」
有無を言わさず、執事の監視のもと水浴びをすることになった。ジロジロ見られながら体を擦っていると、執事が近寄ってきてしゃがみ込む。
「貸せ。そんな洗い方では垢が落ちん。」
そう言って素鼠から
「…明日お前を屋敷から出す。されるがままになっていろ。もし何か聞かれても、答えられないと返しておけ。」
「明日、どこに行くのですか?」
「…陵州だ。…まだまだ痩せた体だな。あんなに食わせたのに。」
ぶつぶつと独り言を呟いて、返事は曖昧だ。
「リョウシュウで何をするのでしょう?ここから近いのですか?」
執事が擦る手を止め、溜息をつく。
「いいか、素鼠。お前は明日陵州へ旅立ち、白太山の神の元へ行くことになる。神にこの世の安泰を願って来い。」
神、と言われても今イチよくわからないが、少なくとも連日のご馳走や、こうして身を清める理由はわかった気がする。
「僕だけですか?」
「そうだ。陵州までは連れて行くが、到着すればお前1人だ。」
「あの、帰りも1人ですか?」
「…。」
「あの…」
「もう何も聞くな。明日に備えてしっかり寝ておけ。」
そのあとはただ水の流れる音と、体を擦る音だけが響くだけで静かだった。
碧を守る虎 花木草 @necomannma
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