短編04:褒め言葉
ウィータの街にフォーゲルと共にミスティルとレオウが帰ってきてから、早一ヶ月。
帰ってきたばかりの頃はいろんな人から盛大に驚かれたり喜ばれたり泣かれたりと、慌ただしいけれども嬉しい歓迎があり、あっという間に日々が過ぎてしまった。そうして各所への挨拶回りと溜まっていた事務作業に暫く追われ、なんとか一息吐けたのが一週間前のこと。忙しすぎて片付けが後回しになってしまっていた旅の荷物にようやく手をつけながら、ミスティルはふと、街に帰ってきてからのフォーゲルの変化に遅ればせながらも気が付いた。
今までのフォーゲルは、無口無表情、何に対しても無関心で、興味を持つこともなかった。それがあの事件を経てか、もしくは暫く思い出の集落で過ごしたからか、はたまた、『彼』の影響なのか……あのフォーゲルが控えめながらも自分から声を掛け、物事に対して自分から関わりを持とうと行動を起こすようになったのだ。
これは喜ぶべきことなのだろう。今まで他の人間から抑制され、虐げられて、何に対しても感情を動かすことを忘れてしまっていた彼が、今再び人として生きようとしている証なのだから。
ただ、そんなフォーゲルの良い兆候は、時としてミスティルに少し複雑な心境を抱かせたりするようで。
「フォーゲル君から褒められるのがどうしても慣れない、ですって?」
オウム返しに聞き返したのはフィークス婦人だった。
ミスティルは机に突っ伏して項垂れている。だいぶ疲れているのだろうか、一緒に机を囲っているマーネがおろおろとした様子でミスティルの頭を撫でている。
ミスティルがいるのはフィークス家のお屋敷だ。一息吐いたこともあり近況報告も兼ねてフィークス婦人とマーネを訪ねたのだが、ミスティルの疲れた様子を見た二人からお茶会に誘われ、今に至る。そうしてミスティルが疲れている原因をあれこれと聞き出した結果、さきほどの言葉に辿り着いたということだ。
マーネに頭を撫でられつつ、ミスティルはのろのろと顔を上げる。
「えぇっと、その……最近、フォーゲルがちょっとずつ言葉の意味を覚え始めたようでして」
「あら、良かったじゃない」
「ええ、それは良いんです……良いんですけれど……私のことを最近はずっと、可愛い、って言うようになってですね……」
なんでも、最近になってフォーゲルが「可愛い」という概念の意味を理解したようなのだという。
きっかけはおそらくマーネの息子、ルークスに対面した時であろう。生後六ヶ月にもうすぐなる赤子を見たフォーゲルの第一声が、「可愛い」であった。
事前にマーネと交流があり、彼女のお腹が大きくなっていく過程を見ていたという影響が強いのだろう。フィークス婦人の出産に立ち会った時はおっかなびっくりでおそるおそるといった様子だった、あのフォーゲルが、なんと赤子を前にして「可愛い」と言った上に微笑んで見せたのだった。
ちなみにその時の現場には赤子の母親であるマーネはもちろん、フィークス婦人も傍にいたので、二人共にフォーゲルの微笑みは目撃していた。マーネはそっと首を振る。
「確かに……あの微笑みは、衝撃的でしたよね……」
「今までの無愛想なフォーゲル君を知っている分、あの笑顔は、そうね。わたくしですら、うっかりときめきそうになったもの……よくよく考えればフォーゲル君、お顔はかなり整っている方だものね。普段が笑わないから気付きにくいけれども」
マーネの言葉を受けて、フィークス婦人も思い出したように胸に手をやる。ミスティルが再び机に突っ伏した。
「気付いてもらえてなによりですけれど、そうじゃないんですー……」
そう嘆くミスティルの様子に、フィークス婦人とマーネは顔を見合わせて苦笑した。
つまり、フォーゲルのあの控えめながらも衝撃的な笑顔と共に、毎日のように「ミスティルは可愛い」と言われ続けており、それがどうにも堪えられないということだろう。社交辞令としての言葉ならばまだしも、純粋な好意の言葉として言われることが苦手で今まで避けてきたミスティルにとって、これは想定外の事態だといえる。
とはいえ、フォーゲルのことだ。きっとその笑顔は無意識だろうし、言葉に関しても小さな子が覚えたばかりの言葉を多用するのと同じで、他に表現できる言葉と概念をまだ知らないのでそう言っているだけなのだろう。
そのことはミスティルも理解している。理解しているからこそ。
「ルークス君やアハートに言うのはわかるんです! でも私にまで! 褒めてくれているわけだから下手に注意することもできないし、レオウは過保護だからフォーゲルがちゃんと笑えるようになれたことに良かった良かったと言うだけだし! このままだと私の! 情緒が!!」
「あらティルちゃん、レオウ君が過保護ってことにようやく気が付いたのね」
「確かにレオウさん、子供にはとても甘いですよね。ルークスのことも凄く心配してくださいますし」
「もう! お二人とも私で遊ばないでくださいよぉ!!」
と、ふいに三人がいる部屋の扉がノックされた。それと同時に赤子の鳴き声が聞こえてくる。慌てて立ち上がって応対したのはマーネだったが、ミスティルもギクリとした様子で顔を上げた。
扉の前に立っていたのはフォーゲル・フライハイト、その人であった。
実はミスティルと一緒に屋敷に挨拶に来ていたのだった。そしてミスティルが婦人たちと話している間、マーネの代わりに赤子の遊び相手を買って出ていたのである。その証拠に、フォーゲルの腕には元気に泣く赤子が抱かれていた。
「ごめん、マーネ。ルークス、泣き止まなくて」
「いいえ、ルークスの面倒を見てもらってありがとうございます、フォーゲルさん。お腹が空いたのね、ちょっと待ってねルークス」
フォーゲルから赤子を受け取り、マーネは頭を下げた。赤子は少し落ち着いたのか、母親の胸にしがみついて、あぶぅ、と涙混じりの声を上げる。
そのままマーネは席を外すことになった。ルークスを抱いて部屋から出て行くマーネを見送り、代わりにフォーゲルがおずおずと部屋の中を覗き込む。
「えっと……ミスティルは、まだかかりそう……?」
ミスティルの様子がおかしいことを、フォーゲルも気にしているらしい。まだかかりそうなら外で待ってるけど……と心配そうながらも扉を閉めようとするフォーゲルを、ふいにフィークス婦人は声をかけて足を止めさせた。
「この際フォーゲル君に直接聞いてしまいましょう。こっちへいらっしゃいな」
「えぇっ、お、おば様?!」
慌ててミスティルが声をあげるが、婦人はお構いなしに笑顔でフォーゲルを手招きする。婦人の言葉やミスティルの反応を見て、なんとなく自分が原因だと察したのか。部屋に入って扉を閉めつつ、フォーゲルはほんの少し眉を下げる。
「俺、なにか、した?」
「フォーゲル君が何かしたわけではないから安心なさいな。ところでフォーゲル君。最近は事務所でもマーネの子育てを手伝ってくれているそうね。ルークスは可愛い?」
「かわいい」
フィークス婦人のニコニコとした顔で問われた質問に、フォーゲルは頷く。
婦人はさらに質問を重ねた。
「ルークスのどんなところが可愛いと思うのかしら?」
「ん……小さくて、やわらかくて、ふにふにしてる」
「そうよねぇ、そういうところが可愛いわよねぇ。では、アハートちゃんは? アハートちゃんも可愛い?」
「アハートも、かわいい……けど、えっと……」
暫く考え、フォーゲルは小首を傾げる。
「……アハートは、かわいいより、かっこういい、かも……? 俺より、賢いし、勇気あるし……」
自身でそう言いながら合点がいったようだ。フォーゲルの中で「格好良い」という概念の理解が及んだ瞬間である。
そんなフォーゲルを微笑ましく思いながら頷いたフィークス婦人は、そのまま本題へと話を振った。
「そうね、アハートちゃんは可愛くもあるし、格好良くもあるわよね。それでは最期に、ティルちゃんはどう?」
「おば様っ! あのっ、その……っ!」
良い笑顔で質問するフィークス婦人に、ミスティルは思わず声を上げたが、うまく言葉は出ず。
その間にフォーゲルは。
「ミスティルは……えーと……」
どうやら話の流れ的に「可愛い」だけでは足りないと思ったのだろう。先程とは逆方向へ首を傾げ、フォーゲルは足りない語彙力の中でなんとか適切な言葉を探す。
「ミスティルは……強くて、しっかりしてて、まぶしくて、きらきらしてて、日の光みたいで……」
思いの外すらすらと出て来るフォーゲルの言葉に、ミスティルは徐々に頬を赤くさせながら「え、あ、う」と口をパクパクさせる。
一方でフォーゲルの言葉をうんうんと頷きながら聞いていたフィークス婦人は、納得したように手を打ち、口を挟んだ。
「フォーゲル君、それはね、綺麗っていうのよ」
「きれい……」
きょとんとしてフォーゲルは言葉を復唱する。
そして、自身でもその言葉の意味を理解できたのだろう。こくりと頷き、そして、ふっとはにかむように、微笑んだ。
「……うん、ミスティルはきれい」
会心の一撃だった。
フィークス婦人ですら口を押さえてときめきそうになったその微笑みに、すでに恥ずかしさがピークを迎えようとしていたミスティルが堪えられるはずもなく。
一気に耳まで真っ赤になったミスティルは胸を押さえ、その場でへなへなと蹲ってしまった。
「あれ、ミスティル? どうしたの?」
「あらあら、まぁまぁ……わたくしも危うく倒れるところだったわ。流石ね、フォーゲル君」
「え、俺のせい……?」
その後、フィークス婦人の説明により褒めすぎもよくないとフォーゲルも理解し、毎日続いていたフォーゲルの「かわいい」攻撃はひとまず落ち着いた。
しかしミスティルはというと、あの会心の一撃だった微笑みが忘れられず、暫くの間まともにフォーゲルの顔を見ることができなくなってしまったのだった。
リーベルタース 光闇 游 @kouyami_50
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