短編03:風邪
「急に倒れるからびっくりしたじゃない。体調が悪いならどうして言ってくれなかったの?」
「……」
フォーゲルをベッドに座らせつつ、ミスティルは小声で、しかし怒った口調で問いかけた。
当のフォーゲルはいつもの無表情だったが、僅かに顔色が悪い。俯いてしまえば隠れてしまうほどの微妙な変化にミスティルもレオウもすぐには気付くことができず、様子が変だと気付いた頃にはすでにフォーゲルはバタリと倒れてしまっていた。慌ててフォーゲルを屋根裏にある彼の部屋へと運んでレオウが軽く病状を見れば、風邪の症状が見れ取れたのだった。
「薬を飲んで安静にすれば良くなるでしょうが、ちょうど薬を切らしてしまってますな。私が薬を調達してきますので、御嬢は此奴の看病をお願い頂けますか」
「えぇ、わかったわ。こっちは任せて」
「……」
二人のやり取りにフォーゲルが何か言いたげに顔を上げたが、声は出てこなかった。そんなフォーゲルをベッドに寝かせて、ミスティルはテキパキと氷水やら手拭いやらを運び込み、看病の準備をする。彼女が慌ただしく動き回るのを、少年はベッドの上から見上げ、何度か口を開いては閉じてを繰り返す。
「なぁにフォーゲル。何か欲しいものがあるの?」
「……」
しかし少年はふるふると小さく首を横に振る。
ならば何を言いたいのか。準備を終えたミスティルはベッドの側に椅子を寄せ、少年を見下ろした。
「気分はどう?」
「……」
少年は答えない。
とは言え顔色は先ほどより悪く見える。眠れるのならば寝かせた方がいいのだろう、と思うのだが、フォーゲルは相変わらずはくはくと声にならない言葉を吐こうとする。
もしや吐き気があるのだろうか、と心配し始めた頃、唐突にフォーゲルは、泣き出した。
「え、えっ、どうしたのフォーゲル? 気持ち悪いの? 吐き気はある?!」
「……」
声もなくボロボロと涙だけをこぼす少年に、ミスティルはただ慌てふためきながらも彼の額に手を置いてみる。先ほどよりも熱が上がっているような気がする。どうしたらいいのかと混乱する頭で必死に思考しようとしたところで、ようやくフォーゲルが声を出した。
「つめたい」
「え、冷たい?」
「手……つめたい……」
そして、ホッとしたように小さく息を吐く。
そんなフォーゲルの僅かな表情変化を見て、ようやくミスティルはある可能性に辿り着いた。すぐに氷水で濡らした手拭いを額に乗せてやった後、ぼんやりとしている少年の目と視線を合わせてみる。
「フォーゲル、頭は痛い?」
「……」
やや間を置いて、頷く。
「お腹が気持ち悪い?」
「……」
また頷く。
「寝たいけれど、痛いのと気持ち悪いのとで、寝れない?」
さらに頷く。
三つ目の質問を終えた頃には、フォーゲルの涙は止まっていた。それを確認した後、ミスティルは慎重に言葉を選ぶ。
「もう暫くしたら、レオウが薬を買って帰ってくるわ。その薬を飲んだら眠れると思うから、それまで我慢できる?」
「……ん……」
今度は声と共に頷く。
少し声を出したおかげか、ようやく言語化する思考力が戻ってきたらしい。そのままの流れで、少年は口を開く。
「ミスティル」
「なぁに?」
「めいわく、かけて、ごめん」
「迷惑ではないから、大丈夫。フォーゲルは今、風邪を治すのが仕事なの。だからゆっくり休みなさい」
「うん……」
その後、レオウは十分も経たないうちに帰ってきた。
薬を飲んだフォーゲルはすぐにうつらうつらとしだし、そのまま眠り出した。緩くなった手拭いをもう一度氷水で冷やしてから額に乗せた後、ミスティルはレオウへと先ほどまでの様子を伝えた。
「熱で思考力が低下しているところに、我々へ迷惑をかけてしまっている負い目による感情の処理が追いつかなくなった……というところでしょうか」
「そういうことだと思う。いきなり泣き出した時はびっくりしたけれど……あと、彼の様子を見て思ったのだけれど、もしかしたら彼、自分の体調不良に彼自身が気付いていなかったのかもしれないわ。私が問いかけることでようやく自覚したような様子だったし」
「……そう言えば、前に料理の手伝いをさせた際に、指を切ったことに彼奴自身が気付かなかった時がありましたな。ふぅむ……無意識に感情を押し殺す癖があるとは思っていましたが、まさか痛みや不調にも鈍感になっているのでは?」
「そのまさか、かもしれないわ……あぁもうしんどい……どうしてそんなことになっちゃったの、彼……それほど酷い環境下を生きてきたってことなの……彼の心情を汲み取ろうとすればするほど心が痛いのだけれど、助けてレオウ」
「残念ながら御嬢、私も同じく、です」
翌日にはすっかり熱が下がり、フォーゲルの無表情っぷりも元に戻っていた。
が、その日から頻繁に怪我がないか不調がないかを繰り返し聞いてくるミスティルとレオウに、彼は不思議そうに首を傾げるのだった。
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