第7話 勉強しても頭に入らない

「今回のお悩みはペンネーム、アカツメクサさんからです。『たくさん勉強しているのに、全然覚えられない』だ、そうです。学生のよくあるお悩みです」

 ある日の放課後。雑談部では当たり前に桔梗が悩み相談を持ちかける。

「ここは雑談部よ。勉強がしたいなら、教師にでも泣きつきなさい。雑談する暇なんてないでしょ」

「いやぁ手厳しい。簡単に覚えられる方法があるなら俺も知りたい」

 桔梗も学校の成績はよくない。魔法のような勉強方法があるなら知りたい。

「バカね、桔梗は適度にバカだから価値があるのよ。聡明な桔梗は私には価値がない。だから、このままバカでいなさい」

 華薔薇にとって桔梗は適度にバカで適度に操りやすいから、価値を見出だしている。なのに賢さを身に付けたら、価値が半減する。

 雑談要員として不適切になる。

 しかし、華薔薇が桔梗に勉強するな、と強制はできない。

「そうかバカだからいいのか……ってバカにしてんじゃん。俺だって賢くなりたい」

「賢い桔梗ねぇ、うーーん、気持ち悪いわね」

 メガネをクイっとあげて、間違いを指摘する桔梗は得体がしれない。

「ひどくね。絶対かっこいい、問題にスマートに答える俺だぜ、最高だろ」

 自分のことは自分がよく理解していると一般では言うものの、実際には部外者の方が理解している。主観より客観の方が信憑性は高い。

「天地がひっくり返っても桔梗が賢くなることはないでしょう」

「俺だって勉強したら華薔薇を越える天才になるに決まってる」

「いつか来るといいわね、そんな日が」

 夢を見るのも、妄想するのも自由だ。誰にも侵せない権利。

「もし、桔梗が私より賢くなったら、潔く頭を垂れて教えを請わせてもらおうかしら。とても楽しみよ」

 自分よりバカに教えを乞うのは屈辱だが、自分より賢い相手に教えてもらえるのはまたとない幸福だ。たとえ同級生だろうと華薔薇は素直に頭を下げる。

 年齢や性別は関係なく、指導者に敬意を払うのは当然だ。

「ふははっ、待ってろよ。いつか俺が華薔薇を導いてやるからな」

 華薔薇より賢くなっていたら、華薔薇に頭を下げられてもどうも思わないだろう。賢者はちっぽけなプライドなど持ち合わせていない。

 必要なら頭を下げるのは当たり前。些細な欲求を満たそうとしているようでは到底、華薔薇に届かない。本質を理解している人は些細なことにこだわらない。

「では、今回の相談は桔梗が解決してみなさい。私を越えるのに、私の手助けは不要よね」

「無理です、ごめんなさい。どうか華薔薇のお力をわたくしめにお貸しください」

 決意虚しく、刹那で掌を返す桔梗。掌を返す速さを競う大会があれば、入賞確実だ。

「掌を返すのが早すぎる。少しは自分で考えなさいよ。最初から、無理だと決めつけるのは早計よ」

「もしかして、俺でもアカツメクサの相談に答えられるのか?」

「無理ね」

 垂らされた一筋の希望は、掴む前にバッサリ切り捨てられた。

「やっぱりぃぃぃ。そうだよな、勉強できない奴が勉強教えられるわけないよな。期待した俺がバカでした」

 最初から手をつけずに諦めるのはよくない。何を持っていて、何を持っていないのか、選別してからでも遅くない。

 答えを持ち合わせていないから、結果として相談を断るのは構わない。しかし、相談内容を吟味せずに、即座に断るのは言語道断。ただの逃げだ。

「やってない人、結果を出してない人が何を教えるのよ。失敗する方法を得意満面教えられても迷惑よ」

 失敗や間違いを知れば、自分が失敗や間違いを犯さなくなるので、一概に無意味と一蹴できない。

 正しいことを続ける方がよっぽど大事だ。

 失敗や間違いを回避しても、普通の結果か成功でしかない。正しいことを続けたら、結果は大成功間違いなし。

 失敗や間違いは反面教師として引き合いに出すくらいでいい。反面教師が前に出る必要はない。

「ぐすんっ、俺だって勉強できるようになりたい」

「高校生になって、いじけて泣くなんてみっともない。仕方ないから、今日は勉強について雑談しましょうか」

 勉強ができて人生で損することはない。バカか天才を選べるなら、誰だって天才を選ぶ。

 バカでも猿でもわかるくらいに勉強の能力は高い方がいい。

「やっぱり生まれ持った才能がないと、勉強についていけないんだろ。誰もが、華薔薇みたいに勉強できるわげじゃないよな。羨ましいな」

「私は決して天才じゃない。今でこそ勉強ができるようになったけど、昔は勉強がとても苦手だった」

「え?」

 桔梗から見た華薔薇はなんでもできる天才に映っている。しかし華薔薇が最初から卒なくクリアしていたことはない。ひとつひとつ練習と努力と工夫で乗り越えてきた。

 華薔薇のステータスは全て人生をかけて習得した能力だ。生まれ持った才能はない。

「勉強はね、やっても無駄な非効率な勉強を辞めて、効率のいい勉強法を会得したらいいの。だから最初にすべきは、勉強の方法の勉強よ」

「勉強の、勉強? それは何を勉強するんだ」

 勉強はがむしゃらにやれば必ず成果が出る、なんて幻想はない。机に齧りついても得られるのは疲労感と達成感だけ。勉強した内容が頭に残っていないのは多々ある。

 なぜなら、勉強の方法が間違っているから。間違ったことを延々と続けても成果が出ないのは明白。

 バスケットボールのシュート練習をサッカーのゴールに向かって行っても意味はない。バスケットボールが上手くなりたいなら体育館でバスケットボールのゴールに向かってシュートをしないといけない。

 でも、勉強では間違っていることに気づいていないから、勉強をしても頭に内容が残らない。

「桔梗は初めてスポーツをする時に誰かに指導してもらったことはある?」

「そりゃもちろん、あるぞ。いきなりできるわけないだろ」

「そうよ、教えてもらってないことはできない。当然よね。それって勉強でも同じでしょ。私たちは子供の頃、正しい勉強の仕方を教えてもらってない。だから、勉強ができないのは当たり前」

 勉強は正しいか間違っているかわからない状態で続けている。正しい人は勉強ができて、間違っている人は勉強ができない。

 頭の出来の違いはそれだけ。

「つまり、正しい勉強の仕方さえ学べば、誰でも勉強はできるようになる」

「俺は間違っていたのか。俺も勉強できるようになるのか」

 生徒はおろか教師でさえ正しい勉強の仕方を知らない。そのため勉強で苦労する生徒が後を絶たない。

「もちろん」

「よっしゃー、これで俺も天才の仲間入りじゃぁぁぁ」

 テストの成績と天才は別物なので、勉強ができる秀才にはなれても、天才にはなれない。やる気に水を差す無粋な真似は華薔薇もしない。

 ある程度勉強ができるようになると、自分が凡人だと気づく。その落ち込む姿を見る方が、よっぽど愉快だ。

 落差は大きければ大きいほどに感情の揺れ幅も大きくなる。種を蒔いて育てて、収穫するのも格別だ。

「頑張るのはとてもいいことよ、ふふ」

 種を蒔くのにお金がかからず、リスクもない。ならば、蒔けるだけ蒔いた方がいい。どれかが芽吹けば、儲けもの。仮に全部枯れても元手はかかっていないため、損失はないに等しい。

「今日から俺は勉強王だ」

「勉強王(自称)さんに問うわ。教科書にハイライトやアンダーラインを引くことはあるかしら?」

「ありまくりだぜ、大事な部分はちゃんとマーカーを使ってる。しかも色分けもしているぞ」

 どうだ、とばがりのどや顔が鼻につく。勉強してますアピールだが、

「それ無駄よ」

 全くの無駄だ。

「なにぃぃぃ」

「効果なしよ」

「うそぉぉぉ」

「舟盗人を徒歩で追う」

「……」

「灯明で尻を焙る」

「…………」

「籠で水汲む」

「…………うおおおお、華薔薇が難しい言葉でいじめてくるっ!」

 舟盗人を徒歩で追う。盗んだ舟に乗って逃げる盗人を、陸から徒歩で追いかけるということから、無駄な骨折りをするということ。方法が適切でないこと。

 灯明を尻で焙る。ろうそくのような弱い火で尻をあぶってみても少しも暖かくないということから、手段を誤ったり、方法が不適切なために効果が上がらないということ。

 籠で水汲む。籠で水を汲もうとしても、水が流れて出てしまい、まったく溜められないということから、どんなに苦労しても効果がなく、良い結果が得られないということ。

 どれも無駄に関することわざだ。

「失敬ね。いじめてないわよ、桔梗の無能を確認しただけよ」

 いじめだろうが、無能の確認だろうが、どっちにしろ質が悪いことに変わりない。

「ハイライトやアンダーラインは勉強をやった気分にさせてくれるだけ。読み返すと、その部分だけは理解できるから、わかった気になる。実際には何も勉強できてない。ただの錯覚なのよ」

「がびーん、そんな、俺は、勉強できてない、勘違い野郎なのか」

「安心しなさい、勉強に関する間違いはまだまだあるから」

 全然安心できない、とさらに気分が沈む桔梗だ。しかし間違いを正さないと前に進めない。

 自称勉強王の踏ん張り所だ。

「勉強に関する誤解、ふたつめは語呂合わせ」

 暗記の定番・語呂合わせ。

「何かを覚えるのには役立つけど、活用できる場所はテストだけ。丸暗記だと応用が効かないのよ」

 今の時代、スマホに向かって喋れば、答えを教えてくれる。いちいち語呂合わせで思い出すより、早いし正確だ。

「そんなバカな、ふっくらブラジャー愛のあとは無意味だったのか。せっかく覚えたのに」

「ハロゲンね。それで、元素記号は覚えていて?」

「…………ふっくらだから、Hu?」

 ハロゲンはF(フッ素)、Cl(塩素)、Br(臭素)、I(ヨウ素)、At(アスタチン)、Ts(テネシン)だ。余談だがハロゲンは塩を作るものという意味だ。

「論外ね。語呂合わせを覚えるのに夢中で、ハロゲンのことは一切覚えてない。バカも極まってるわね」

 語呂合わせはあくまで目的のための手段。なのに桔梗は手段が目的になっていた。これには反論のしようもない。

「ともかく語呂合わせはその場しのぎの技術。長い目で見たら意味なし」

 周辺の知識も覚えないと、なぜそうなったのか、どうしてこれだったのか、という繋がりがわからない。

 覚えていればなんとかなる時代は過去の話。

「勉強に関する誤解、みっつめは集中学習」

「しゅうちゅうがくしゅう?」

「文字通り、教科と科目を絞って、ひとつを集中的に勉強すること。これも効率が悪い」

 とことん集中して完璧に覚えるまで、他に手をつけない。一見効果があるように思えるが、実際は一時的なもの。

 確かに集中して勉強するとたくさん勉強した実感を得る。すぐさまテストを受ければ、高得点を取れる。

 しかし、集中して覚えたものは、記憶に定着する前に忘れてしまう。

「質の悪いことに、効果が皆無じゃないのよ」

「効果があるなら、何が問題だよ」

「一夜漬けで覚えていられるのは精々一週間。次のテストの時には綺麗さっぱり忘れている。そしてテスト前にまた一夜漬けを繰り返す」

 負のループよ、と嘆く。

 記憶に残らない勉強は時間の無駄。延々とその場しのぎを繰り返していると、いつかボロが出る。

 延命は可能だが、根本的に治療しない限り、爆弾を抱えているのと同じ。馬脚をあらわすのも時間の問題。

「享楽的な生き方をしたいなら構わないわよ」

「それはそれで楽しそうだな」

 個人の趣味に口出しするほど華薔薇は無粋ではない。個人で楽しみ、他人に迷惑をかけないなら、誰に憚ることもない。

 もっとも華薔薇はそのようなギャンブルな生き方はお断り。華薔薇は知識や経験から、成功する確率が高い方を選び続ける。大きく負けることはなく、常に勝ち続けて大きな成果を上げる。

 余裕と自信を持って人生を送る。計算と戦略に裏打ちされた人生だ。

「桔梗が破産しようが、ホームレスになろうが、私には関係ないから。好きに生きたらいいわ」

「うっ、そんな風に言われると躊躇するな」

 享楽的に生きようが成功する人は成功する。リスクを計算できなければ、いずれ落ちぶれる。どこまで落ちるかはケースバイケースだが、騙され莫大な借金を背負わされることもある。

「嫌ならちゃんとした勉強をしなさい。せめて大負けしない程度に」

 少しの失敗ならいくらでも取り返せる。本当に怖いのは取り返せない失敗。

 借金は返したら元通りになる。人の命などは失ったら、取り戻せない。その見極めは大事だ。

「話が逸れたわね、戻しましょう。集中学習は一時的な効果しかない。なら、効果があるのは?」

 ここまでは意味のない勉強方法。ここから先は効果のある勉強方法について雑談する。

「ふっふっふ、俺も学習してるってことを見せてやる。大体こういうのは反対のことを言えば、正解するんだろ。つまり効果のある勉強方法は、ぼんやり勉強だ」

 説明しよう。ぼんやり勉強とはボーッとしながら勉強すること。

「あっはははは、最高よ。桔梗は本当に私を楽しませてくれる」

 愉快愉快、と華薔薇はひとしきり楽しむ。

「桔梗にしてはよくやった、とても素晴らしい推理よ」

「そうだろうそうだろう、俺も日々成長してる」

「でも残念、不正解よ。発想は面白かったけど。切り取り方が悪かった。いいえ、最悪だった」

 桔梗は集中の反対を散漫に捉えた。そのためぼんやり勉強に至った。

「反対は反対でも、今回の正解は分散ね。分散学習が効果のある勉強方よ」

 集中の反対は分散。集めるのではなく、散らせる。

「分散学習は複数の教科、複数の科目を勉強すること」

 たとえば2時間の勉強時間があるなら、国語、数学、社会、英語をそれぞれ30分ずつ勉強する。

 同じものを続けるより、効果が高い。

「そんな風に勉強したら、覚えられないだろ」

 桔梗から珍しく至極真っ当な意見が出る。

「その通りよ。でもね、勉強において一番大事なのは思い出すこと。何度も何度も忘れて、思い出すことを繰り返して、ようやく記憶に定着するの」

 一度で覚えずに間隔をあけると内容を忘れてしまうが、次に思い出そうと努力するとこで記憶に残りやすくなる。

 一見効率の悪い方法に感じるが、最適な勉強方法だ。

「勉強はね、ひとつの教科をまとめてやるより間隔を開けた方がいい。複数の教科を勉強するなら、交互だったり順番に勉強したほうがいいのよ」

 記憶には整理する時間も必要になる。闇雲に詰め込んでもいい結果は得られない。

「多様性を持たせるのも有効よ」

「たようせい? どんな方法だ。俺は猛烈に知りたい、ここが天才への第一歩」

「子供に玉入れの練習をさせた実験を紹介しましょう」

 子供をふたつのチームにわける。一方は90センチの距離から玉入れの練習をした。90センチが通常の距離である。

 もう一方のチームは60センチと120センチの距離で練習をした。この際90センチでの練習はしない。

「問題、どちらのチームの方が玉入れがうまくなったでしょうか?」

「そんなん簡単だろ、90センチの方に決まってる。90センチを練習してない子供か90センチを入れるのは無謀だ」

「とても真っ直ぐな回答をありがとう。90センチを練習したチームの方がうまくなるように思えるけど、実際に上手くなったのは60センチと120センチを練習でしたチームよ」

「なんでっ! 練習してないのに上手くなるわけないっ」

 直感に反した答えだが、事実である。

 90センチしか練習しなかったチームは常に同じ動きしかしない。そのため脳内の単純な部分しか働かない。

 一方、60センチと120センチで練習したチームは、異なる条件で成功させる必要があるため幅広い理解が求められる。そのため脳内では複数の部分が活性化し、柔軟な対応力を得た。

 結果、いろんな条件で達成できる下地ができているチームが上手くなった。

「マジかよ。練習してなくても、できるって単純にスゲーな。それでどうやって勉強に組み込むんだ?」

 目覚ましい成果を上げているならすぐに実行すべきだ。しかし桔梗には具体的な方策は思い浮かばない。頼れるのは自分の頭より、華薔薇の頭脳。

「少しは自分で考えなさい。頭が飾りでないなら有効活用しなさい」

 最初から最後まで華薔薇が教えていては桔梗に成長はない。最低限教えているのだから、工夫は桔梗がしないといけない。

 雑談部は部員を甘やかす場所ではない。

「そんなぁ殺生な」

「勉強方法を持ってきたら採点はしてあげる。そうしたら新しい雑談ネタになるわね。……そうね、宿題にしましょう」

 降って沸いた提案に悪くない、と好感触な華薔薇。こうして桔梗に宿題が課せられた。

「とほほ、だぜ」

「ちなみに宿題を提出するまで雑談部は出禁よ」

「嘘だろ! 俺の放課後の楽しみがなくなる」

 ノルマは宿題を提出するだけなので、かなり易しい。内容や期限もないので労せず達成できる難易度にされている。

「ヒントをくれ、流石に俺にはノーヒントは無理だ」

「仕方ないわね。たとえば英単語を覚えるとしましょう。ノートに書く、単語帳を使う、口に出す、友達に読み上げてもらう、方法は色々あるでしょ」

「なるほど、それならいけそう……な気がしなくもないような、うん、ともかく、前向きに善処してやるぜ」

 前向きなのか後ろ向きなのかよくわからない発言だが、とりあえず見守ることにした華薔薇。もし手応えがあるなら、定期的に宿題を課すのもやぶさかではない。

「もちろん、さっき提示したものはダメよ。ちゃんと自分の実力でたどり着きなさい」

「どぅええーっ、無理だよ、ムリ。えぐくない、もうちょっとお手柔らかにお願いします」

「却下。手心は一切加えません」

 桔梗の懇願は鎧袖一触される。自分の頭でアイデアが思い浮かばないなら、友だちに手伝ってもらえばいい。何も華薔薇はそこまで禁止していない。

 さらに言えば桔梗が自力で思いついたか、誰かにすがったかの判別はできない。全ては自己申告になる。

 華薔薇は無理難題を所望するかぐや姫とは違い、達成可能な宿題だ。できないことを要求して遠ざける気もない。

 なるたけ四苦八苦する様子を見て楽しむくらいだ。

「宿題、どうする、うーん、なんも思い浮かばん」

「宿題は家に帰ってからするものよ。今は雑談に集中しなさい。効果のある勉強はまだ残っている。雑談は続けるよ」

 突発的な宿題に悩まされている桔梗に構うことなく、華薔薇は雑談を続ける。

「難しい、というのも勉強において大事よ」

「難しい、のがいいのか? 解けない問題は嫌だぞ」

 難しいにも色々あるが、適度に難しいのは挑戦の甲斐がある。

「簡単すぎるのも、難しすぎるのも論外だけど、工夫次第で乗り越えられる難易度は歓迎すべきよ。桔梗もゲームをしているとき、難易度が少しずつ上がっていく経験はないかしら? 敵が少しずつ強くなるとか」

「そうなんだよ、絶対にクリアできないと思わせといて、ヒントが散りばめられてたりするといいんだよな。クリアした時の快感たるや、脳汁ドバーだぜ」

「桔梗の性癖は横に置くとして、ちょっとした難しさはモチベーションを上げてくれるのよ。それはゲームだって、勉強だって同じ」

 少しずつ難易度を上げていくのが勉強のコツだ。簡単なことを続けても達成感は得られない。逆に難しすぎると取っ掛かりさえなく、やる気が出ない。

「だから、さっきの宿題はちょうどいい難易度だと思わない」

「そこに繋げるのかよ!?」

 宿題は華薔薇には簡単すぎるが、桔梗には簡単でも解けない問題でもない。工夫したら解けるから、実にいい案配の内容。

「頑張りなさい。難しいことに挑戦して、達成したら必ず力になるわ」

 この手法で野球チームのバッティング技術が向上したのだから間違いない。

 練習内容は2種類。ひとつめは15球3セットのバッティング練習。セットごとに球種をひとつに固定した。15球同じ球種で練習する。

 もうひとつは45球を続けて打つ、さらに球種はランダムで決められる。毎回球種を見極めなければならない。

 練習の結果、ランダムな球種で練習を続けた選手は顕著に技術が向上した。しかも選手はいずれも野球経験が豊富である。

 優れた選手でも練習次第では技術が向上するという結果でもある。

「難しさにも種類があってね、問題の難易度を上げるだけでもないのよ」

「どーゆーこった。ふたつのことを同時にやるみたいなこと、か」

「それは悪手よ。人間の脳に複数のことを同時に処理する機能は備わっていないから、ひとつのことに集中するのがベストよ」

 マルチタスクは脳機能を無駄遣いするので、頭が悪くなる行為なのは周知の事実。勉強においてマルチタスクは大敵だが、今回の雑談とは趣旨が少し違う。

「マルチタスクについては機会があればね。ともかく、難しさは中身以外にも適用されるのよ」

「中じゃないなら、外ってこと?」

 その通りよ、と華薔薇は微笑みを浮かべて肯定する。

「でも、外って意味わからん。問題の外側……わかったぞ、つまり問題外」

「桔梗の頭が問題外ね」

 桔梗も少しは成長していると感心した華薔薇だったが、一瞬にして錯覚だったと思い知らされる。

「外側というのは問題文そのものや、教科書という意味よ。字が汚くて読みにくかったり、字が小さくて読みにくかったりするのも、難しさの範疇よ」

 読み取りにくい難しさだ。スラスラ入ってくる文字より、四苦八苦して読み取った文字の方が記憶に残りやすい。

 教科書を粗くコピーして利用するのもひとつの手段だ。

「他にも順番を変えるのも有効よ。教科書や宿題は普通は順番にやるでしょ。教科書を分解して、順番をごちゃ混ぜにしても、難しさは演出できるのよ」

 問題の内容を難しくすることも大事だが、問題に取り組む姿勢を難しくするのも有効だ。

「すんなり進む勉強よりも、ハードルを乗り越える勉強が効率的よ。人間は苦労して手に入れたものに価値を感じるから」

「とりあえず、勉強するときは教科書を逆さまにしてみるぜ」

「あらあら、本当にいい手法ね。手間も時間もかからない上に、逆さまということで文字が読みにくさを演出。でも、頑張れば読めるという難易度。桔梗がとても素晴らしいアイデアを思いつくなんて、明日は空から魚でも降ってくるのかしら」

 褒めているのか貶しているのか、どっちにも取れるように華薔薇は言葉を紡ぐ。

「俺だってやるときはやるよ。なんだよ空から魚が降ってくるって、そんなんあるわけないだろ」

 本来空から降ってこないものが降ってくることをファフロツキーズ現象という。原因は解明されていないが、竜巻によって巻き上げられた海魚が内陸に降る事例は確認されている。

 必ずしも魚が降らないわけではない。

「明日は頑丈な建物の近くにいることをオススメするわ。怪我したくないでしょ」

「そのネタはもういい(魚だけに)」

「…………………………………………」

 鮮度の切れたネタは美味しくない。華薔薇もそれた雑談を本題の雑談に戻す。

「最後に大事な勉強を教えましょう」

「う、ぅおっ」

 大事なことは聞き逃せないと桔梗も耳をより一層傾ける。盛大にスベったことを忘れるためにも。

「思い出すこと」

「ん?」

「勉強に大事なのは思い出すこと。忘れたら思い出す、また忘れたら思い出す。この繰り返しが記憶に残す最善よ」

「う、うん……うーーん?」

 言葉の意味は理解できても、納得のいかない桔梗は首を傾げる。

「どうやら納得してないみたいね。桔梗も時間が経てば、覚えたことを忘れるというのは理解しているでしょ」

 人間の脳には不要な情報を忘れる機能が備わっている。何事も永遠には覚えていられない。

「一度しか見聞きしてない情報は脳では重要ではないと判断するのよ。でも繰り返し同じ情報に触れると、脳は大事な情報だと認識する。情報は結合され、固定化される。さらに後から思い出す際の神経も強化してくれる」

「結局さ、何回も繰り返せってことか」

「その通りね。定期的に思い出していたら、いずれ思い出す作業が必要なくなる。記憶に根を張ってしまえば、必要なときには反射的に呼び出せるようになる。考えるプロセスがなくなるわ」

 華薔薇がスラスラ雑談できるのも日頃から知識を思い出しているからだ。何度も繰り返せば記憶に根付くだけでなく、似たような知識と知識が結び付き、知識が絡み合う。

 絡み合った知識は簡単には忘れない。また、ひとつのことを思い出したら、絡み合った根から連鎖的に次々知識を思い出せるようになる。複雑な絡み合いが記憶を強固にしてくれる。

「とにかく、思い出す。これに尽きる。思い出す際にテスト形式だとより効果があるわ」

 華薔薇が雑談の最後に復習させる理由だ。

 せっかく雑談したのに、何も得るものがありませんでした、では雑談部である理由がなくなる。時間の無駄遣いをしたいなら、他のことで代用できる。

 わざわざ部活動にしているのは、雑談によって得るものがあるからだ。

 伊達や酔狂で雑談部は活動していない。桔梗には預かり知らぬことだが。

「たくさん勉強しているアカツメクサが覚えられないのは、詰め込むだけで、思い出す作業をしてないからでしょうね」

「どんなに勉強しても、後から思い出さないとパーってこと」

「そうよ。記憶してないじゃ、覚えられないのも当然。無駄な努力をしていたのよ。時間の無駄」

「おい! 努力してる奴を悪く言うな」

 桔梗が声を荒らげる。華薔薇に相手を貶す意思はない。単に事実を述べただけだ。

「いいかしら桔梗、知識がないから時間を無駄にするの。努力は素晴らしいものだけど、結果が伴わない努力は意味がない」

「知らなかったんだから、仕方ないだろ」

「それは違う。知らないのは問題じゃないの、知ろうと行動しなかったのが問題なのよ。結果が伴わなかった努力に疑問を持っていれば、もっと早くに答えにたどり着けたでしょうに」

 常に物事に疑いを持って接することが一番の近道だ。これで正しいのか、間違っているのか、疑い続けてより一層効果が高いルートを模索する。人生に答えがないように、勉強の方法も答えはない。

 今回の雑談も華薔薇には正解だったが、アカツメクサに正解かはわからない。たまたま華薔薇はうまくいったが、アカツメクサもうまくいく保証はない。

 誰かの正解がみんなの正解とは限らない。

 人から教えてもらったことしかできないのなら、遅かれ早かれ壁にぶち当たる。学生の身分で挫折を経験できるなら、いくらでも修正できる。

 過ぎた時間は取り戻せない。大人になっても延々と無駄な努力を続けるより、今気づけるのなら傷は浅い。

 大半の人が正しい勉強法を知らない。正しい勉強法を学生で身につけたら、大きなアドバンテージになる。

「活かすも殺すもアカツメクサ次第ね。私は雑談できれば十分よ」

「なんか締めようとしてない。俺はさっきのこと、納得してないんだけど」

「だって、私には関係ないもの」

 残念ながら桔梗が納得は雑談部に関係ない。雑談部は面白おかしくお喋りする場所。

 華薔薇も雑談を終えた以上、無駄話をする気はない。

「さて、これ以上雑談はしないから、桔梗は帰った帰った。長居は無用よ」

 俺は納得してないからな、と捨て台詞を残して雑談部を退出させられる桔梗だった。

 アカツメクサのことを思いやるのはいいが、桔梗にも宿題が出ている。他人にかまけていては、雑談部に出禁になってしまう。どれほどの余裕が桔梗にはあるのだろうか。

「桔梗の宿題、楽しみね」

 どんな宿題を提出してくれるのか夢想しながら、華薔薇も雑談部をあとにする。

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