超雑談部 ~知識の幅が人生を成功に導く~
キャッシュレス
第1話 最高の最期
「クラスの奴が『特にやりたいことや、目標はないんだが、高校生活を満喫するにはどうしたらいいと思う?』って相談されたんだ」
「はぁ!? ここは雑談をする場所であって、悩み相談をする場所じゃないわ。その悩みはカウンセラーにぶちまけなさい」
場所は私立日輪高校の校舎の端にある教室。
時刻は放課後になったばかり。まだまだ太陽は高い位置で輝いている。
机くらいしか物がない殺風景な教室に男子生徒と女子生徒が一人ずついる。
悩み相談をした男の方は名前を桔梗刀句。見た目は悪くないが、ぱっとしない冴えない印象をしている。背は高くもなく低くもない。体重は平均値。髪の毛も染めていないし、制服の着こなしも逸脱していない。非常に特徴のない見た目をしている。
片や女は一見すると普通の見た目だが、人を引き付ける魅力を纏っている。引き締まった体型に、整った顔立ち、透明感のある肌。制服には唯ひとつの皺もない、頭の天辺から足の爪先まで付け入る隙がない。日々の手入れをかかさない努力の賜物の美しさを持っている。ただし口が悪い。
そんな彼女の名前は華薔薇宴。
「ここって雑談する場所でしょ? 高校生活を充実する術が知りたいんだよ。教えてくれよ」
「あら、浅学なのに理解しているじゃない。ここは雑談部。楽しく、面白おかしくお喋りをする場所。決して、どこかの誰かのお悩み相談を受ける場所ではないの」
雑談部とは文字通りに雑談する部活だ。華薔薇が雑談は生活を豊かにする、雑談が上手いと人間関係もスムーズになる等と教師を騙くらかして認めさせた部活だ。
華薔薇の中では雑談と悩み相談は別物である。悩みがあるならカウンセラーに相談するのがベストだ。そこらの女子高生より専門家の方が最適解を出してくる。
「いいじゃん、たまには悩み相談もしようよ。困っている生徒を手助けしようよ」
「……困っている生徒ねぇ。ちなみに、その困っている生徒はどんな人なのか特徴を教えて。名前だけでもいいわよ」
相談に乗るなら相手の人となりを知らないと的外れなアドバイスになる可能性が高い。相手が男性だと思っていたら、実は女性でした、となれば話は違ってくる。思い込みで進めると手痛いしっぺ返しがくる。
「えっーと、だな、そいつは」
「そいつは? 男子? それとも女子?」
「男だ。それでだな、身長は俺と同じくらいだ」
「へぇ。じゃあ、性格はどんなの? 空気を読むタイプ? 友達は多い? 新しいことに挑戦する? 授業は真面目に受ける? 繊細さん?」
「そんな一気に言われて答えられるか! 性格なんてポンポン出てこない」
怒濤の質問攻めに桔梗の頭はパンクした。
華薔薇の問いは見知らぬ相手をプロファイルするための質問というよりは、桔梗から隠している内容を白状させる尋問だった。
「性格はわからないのね。それじゃあ、名前を教えてよ、簡単でしょ」
尋問から一転、面倒見のいいお姉さんのような優しい声音になる。
「名前は知ってるけど、プライバシーとかあるから回答を控えてもよろしいでしょうか」
「あらあら、名前も答えられないの? 本名が嫌なら、個人を特定できないあだ名でいいわよ」
華薔薇の問いかけがとても柔らかくなる。ただし眼差しは標的を狙い定めた猛禽類のそれだ。
「あだ名は、そうだな、プラティコドングランディフロルス、だったような」
なぜ知り合いのあだ名があやふやなのか、あだ名にしては長すぎないか、あだ名を答えただけなのに疑問が生じている。発言の内容に自信がないことから、行き当たりばったりの受け答えだ。
「変わったあだ名なのね。偶然にもPlatycodon grandiflorusは、とある植物の学名だわ」
「へ、へぇ、ちち、ちなみにどんな、植物なんだ?」
息は荒く、顔を強ばらせ、額から汗を垂らし、足をブルブル震わせている。
放課後に他愛のない会話をしているだけで、取って食われる心配はない。緊張や恐怖を感じるような事態は一切ない。
「その植物は山野の日当たりのいい場所に生えて、高さは約1メートル。葉は長卵形、茎を切ると白い乳液が出て、根っ子は多肉で太い。8月から9月に青紫色の花が咲いて、とても可愛いわ」
「そうか、俺も咲いている所を見たいな」
「他にも、漢方の生薬として使われていて、サポニン、ステロールやビタミンA等を含んでいて、去痰、鎮咳や血管拡張に作用があるそうよ。実際に試したことはないから、知識だけね」
淀みなくスラスラ諳じる。記憶に定着し、いつでも、どこでも、あらゆる情報を取り出せる。だからこそ桔梗も悩み相談を持ちかけたのだ。この頭脳なら必ず、解決策を提示してくれる、と。加えて感心して緊張もどこかに吹き飛んでいる。
「そうそう、ひとつ大事な情報を忘れてた。その植物は秋の七草に数えられている。それはーー」
「桔梗、だろ」
「あら、自分で言っちゃうの、つまらないわ。とても、つまらない」
今回の悩み相談は『友達の話なんだけど』という枕詞がついているが、実際は自分の相談をしている、ありがちな話だった。
「えぇ、えぇ、俺の悩みですよ。クラスの奴ってのは俺のことでした。悪いか、悪いんだろうな。この度は誠に申し訳ありませんでした」
開き直られるとジワジワといたぶれない。責めようにも、自身の過ちを受け入れるので、華薔薇的には楽しめない。
「この話はここでおしまい。お時間いただきまして、ありがとうございます」
「あら、答えないって言ったかしら」
「えっ!? お悩み相談を受ける場所じゃないんだろ」
「正しく覚えていたのね、偉いわ」
悩み相談を受ける場所ではないのに、悩みに答える矛盾に桔梗の頭が混乱する。嘘でもなければ解決できない命題だ。
「何度も言うけど、ここは雑談部よ。悩み相談はカウンセラーにするのべきよ。でも、悩みに関する雑談なら雑談部の領分よ」
悩み相談は受けないが、悩みを雑談のネタにするのは問題ない。屁理屈も屁理屈だが、上手く利用すればなんでも雑談部で雑談できるメリットもある。
「答えてくれるなら、最初からそう言ってくれよ。無駄にドキドキしたじゃん」
「それも言ったわよ、私の言葉を覚えるだけじゃ雑談する意味もなくなるでしょう。雑談部は楽しく、面白おかしくお喋りする場所。桔梗を追い詰めてあたふたするのも含めて雑談部の活動でしょ。ふふっ」
「そんなことは含めんでいいっ!」
面白おかしくお喋りをするのも大事だが、益体のない言葉だけではもったいない。言葉を巧く使って追い詰めることで話術の上達になる。桔梗も言葉責めの経験を得られる。
ただの暇潰しの雑談ならわざわざ部活動の必要はない。友達とファミレスなり、ファストフード店に寄り道をしていればいい。
せっかく部活動で雑談しているなら、新しい知識や経験を得てほしい。そう華薔薇は思っている。
あくまで華薔薇の目的は雑談だから、桔梗の成長はおまけだ。自分が楽しむことが第一優先で、余裕があるなら桔梗に知識や経験を与える。
「ひとしきり楽しめたし、今日は解散かな。やっぱり桔梗は面白いね」
雑談部にノルマはない。面白おかしくお喋りをするための部活。
目的を達成したため、華薔薇に長々と部室に留まる理由はない。
「ちょっと待ってよ、俺の相談に答えてもらってない」
「はっきり言って桔梗の悩みなんて、路上の石ころより興味はない。でも今日は楽しませてくれたから、どうしてもと言うなら、仕方ないから渋々特別に雑談を続けましょう」
桔梗に華薔薇を楽しませる意図はなかった。華薔薇が一方的にもてあそんでいただけに、桔梗は苦々しい顔になる。結果的に悩みが解決するなら、手のひらの上で踊るくらいはなんでもない。
「それじゃあ、相談料は18184円ね」
「はいはい、相談料がいちまんはっせん、高い! 滅茶苦茶高い! しかも中途半端。その値段だったら、本職の人に頼んだ方が安く済む。よく考えたら語呂合わせが『嫌々よ』だ。遠回しに拒否られてる」
いいリアクションするな、と華薔薇はお腹を抱えて笑う。このリアクションがある限り、桔梗に平穏な雑談は訪れない。
「プラスアルファで楽しめたわ。相談料は冗談だから、悩みを話してみなさい。私の知識の範囲内で答えてあげる」
桔梗が相談料を払いたいなら、遠慮なく受け取るから、と続けるが華薔薇にお金を受け取る意思はない。手を差し出しもせず、深く追求もしない。仮に渡されても、手を変え品を変えて払い戻す。
金銭の授受が発生すると同時に責任も発生する。いい加減なことを言わないが、無料で答えて何か失敗が起ころうが、無料だから仕方ないで終わる。しかし有料だと、責任が発生する。雑談をするだけで責任を負うのは割に合わない。
また、有料なら相談に乗ってくれると広まり、相談者が次々と押し寄せてこられても困る。相談を受ければ時間を取られるし、相談を断るにも時間を取られる。お金儲けするにも一対一は効率が悪い。何を取っても華薔薇には百害あって一利なし。
「それで、悩みはなんだったかしら? 興味が欠片もないから、はて? 本当になんだったかしら? もう一度教えて」
「やりたいことはないけど、高校生活を楽しみたいんだ。思い出したか? 理解したか?」
「最初は『特にやりたいことや、目標はないんだが、高校生活を満喫するにはどうしたらいいと思う?』だったけど、変わったの?」
「一字一句覚えてるじゃねぇか! 羨ましいな、その記憶力」
華薔薇は一言も覚えていないと言っていない。勝手に桔梗が勘違いしたのだ、思い出せない、と。
「満喫や楽しいの定義は置いておいて、私は桔梗といて楽しいから、私の真似をしたら簡単に楽しくなると思うわ」
妙案を思い付いたと意気揚々と提案するが、実行するには問題がある。
「それって、華薔薇が俺をおもちゃにして勝手に楽しんでるだけだよな。俺が俺をおもちゃにして、どうやって楽しめ、と」
自分で自分をいじめて楽しめる趣味を桔梗は持ち合わせていないし、求めている楽しさではない。
実際に求めているのは充足感。
友達と遊んで楽しい、ゲームをして面白い等の娯楽とは違う。大きな目標のために、今できることを精一杯努力して得られる満足感だ。
一日を無為に過ごさず、一日を全力で過ごす。
「しょうがない。高校生活の満喫とは少し違うけど、生活の質をあげる方法なら答えられる、かな」
「そんないい方法があるなら、早々に教えてくれよ」
「それをすると頭がよくなる、集中力が上がる、メンタルが安定する、さらに異性にモテる。素晴らしいメリットが盛りだくさんよ」
「超すごい方法があるんだな。もしかして、やるのが大変なのか? 準備に時間とお金がかかったりして、ハードルが桁外れに高い、とか?」
おいしい話には裏がある、というのはしばしばある。桔梗とて高校生、おいしい話に脇目も降らずに飛び込む考えなしは卒業している。
「始めるのはとても簡単で、お金もかからない。今すぐにでも始めることが可能よ。誰でもできるし、誰もが一度はしたことがあるわ。安心して」
「華薔薇が太鼓判を押すなら、間違いないだろ。もったいぶらずにそろそろ教えてくれよ。いくらなんでも俺も我慢の限界だぜ」
ここは雑談部だ。面白おかしくお喋りをする場所。答えを先伸ばしにして、長く会話を楽しむのも部活動の範疇だ。
単に目の前にニンジンをぶら下げて、いかなる反応を返すか見たかったという華薔薇の趣味も多分に関係している。むしろこちらの方がメインかもしれない。
「もったいぶることでもないから、教えてあげましょう。頭がよくなる、集中力が上がる、メンタルが安定する、さらに異性にモテる、その方法とは……」
「方法とは(ごくり)」
「運動よ」
「ほへっ。えっ? 運動? 運動って、あの運動?」
「何を思い浮かべているか知らないけど、運動は運動よ」
予想外を思い浮かべていたら、予想外を飛び越えて平凡な回答だったので桔梗は処理しきれずに混乱した。
運動は当然知っているし、体育の授業や休み時間にしたこともある。だが、今までの話とまるっきり繋がりが見出だせない。そのことが余計に混乱に拍車をかける。
頭がよくなる、と言われれば素直に考えれば勉強だ。少し捻るのなら脳トレや謎解きあたりが思い浮かべる。桔梗の頭脳では運動で頭がよくなることが結び付かない。
運動に没頭すれば集中力が上がるかもしれない。運動している姿はかっこいいからモテるかもしれない。考えればこじつけはできるが、必ず正しいと断言する自信は微塵もない。
考えれば考えれるほどに思考の坩堝に嵌まっていく。
「いやいや、運動で頭がよくなるなんてあるわけないじゃん。運動だよ、体力とか筋力は上がるだろうけど、賢さは上がらないっしょ」
熟考の結果。考慮の余地はないと判断を下す桔梗。もう少し華薔薇の意図を読み解けていたなら、この後の悲劇を免れていたかもしれない。
「この愚か者。わざわざ答えてやったのに、考えもせずに否定するとはどういう了見かしら? 自分の無知を棚に上げて、私の意見を否定しかしない。否定するなら根拠と理屈を説明しろ。それができないなら代替案を提示しろ。お前が人間だというのならもっと考えろ。脳みそはなんのためにある、頭を働かせろ。他者の意見を取り入れたり、明確に反論できないのは『自分は馬鹿です』と喧伝しているのを自覚しなさい」
「ぐべふっ」
情けも容赦もない反論に桔梗の心に極大ダメージが入る。華薔薇を直視できず、膝から崩れ落ちる。端的に言って瀕死の重傷だ。
桔梗が重傷の一方。華薔薇も後悔していた。桔梗に言い過ぎた、ということではない。先ほどの弁はのべつまくなし怒りをぶつけていただけだ。いくら内容が的を射ても、雑談部の面白おかしくお喋りをする趣旨とはかけ離れている。
華薔薇は雑談部らしからぬ行動を後悔した。野球部がバイオリンの演奏をしていたら、おかしいように。雑談部が雑談以外をしていたら間違っている。
桔梗の心に傷を負わせたことは一切関係ない。後悔も反省も必要ない。
「ねぇ桔梗、さっきの発言は不適切だったわ。ごめんなさい」
「お、おうよ、誰にでも間違いはあるさ」
華薔薇の謝罪は雑談部の趣旨を逸脱したことについて。
深く考えない桔梗は言い過ぎたことについての謝罪と受け取った。この勘違いにより桔梗の体力がいくらか回復し、瀕死を抜け出した。
華薔薇は勘違いを察知したが、あえて訂正をしない。
勘違いを指摘して桔梗にとどめを差すと長らく起き上がれなくなる確率が高い。雑談が続けれない可能性を危惧した末に、言及しなかった。
雑談部はソロでの活動が不可能な弱点を抱えている。仮に一人で二役をこなしても、所詮は独り言だ。独り言と雑談は相容れない。
「な、なぁホントに運動で頭がよくなるのか? 二つの関係性が全く見えないぞ」
恐る恐る桔梗が伺う。先刻のダメージを再度受けると立ち上がる自信がない。華薔薇の地雷を踏まないように言葉を選んでいる。
「普通に喋りなさい。さっきのは私のミスだから、桔梗が気にする必要はないわ」
「そうか、ビビって損したぜ。気兼ねなく喋らせて貰うな」
遠慮が不要とわかった途端に手のひらを返す。あっさりと体力ゲージがマックスまで回復している。立ち直りの早さで右に出る者はいないだろう。
「何度考えても、運動が頭をよくするとは思えんな」
「桔梗の空っぽの頭じゃ、来世まで考えても答えには辿り着かないでしょうよ」
「ひどくない、どんだけみくびられてんの?」
華薔薇が桔梗を見下していたりはない。単に分析した結果、桔梗の知識量や知恵が全然足りていない事実を遠回しに伝えた。
「桔梗には色々足りていないから、そこをまず理解しましょうか。例えば、家を建てようとするなら何が必要かしら」
今回の件とは関係ないが、今後のことを考えるなら、桔梗のレベルアップは必須だ。
雑談に限らず、人間関係は両者のレベルに開きがあると上手くいかない。上位者が下位者へ合わせるしかない。逆にするのは不可能だ。仮に下位者が能力を偽っても必ず綻びが出る。
プロがアマチュアに教えるのならともかく、華薔薇の望みは対等な立場での言葉の応酬である。ライバルとして切磋琢磨する関係が好ましい。
いずれ対等になるようにコツコツと鍛えていくしかない。
「家? えっと、大工さんだろ、木材とかコンクリとか鉄筋とかの材料だろ、他には金だ、物を買うにも、給料を払うにも必要だ」
今回の問いは資格試験のような厳密さは求めていない。あくまでお遊びだ。
「それだけ? どんな家を建てたいのかしら」
「そうか、デザインか。やっぱ豪邸がいいよな。広い部屋に大きなベッド、庭とプール付きってか」
人がいて、物があっても完成形を定かにしないと、どこに何を使うのが正しいかを判定できない。屋根に使う材料を柱に使ってしまえば強度が心配だ。完成形の見える化、要は設計図だ。
「へぇ、大工がいて、材料があって、設計図もある。なるほど、それで素手で加工して組み立てると? 家が建つのに何年かかるかしら、建つのが先か、天国に旅立つのが先か」
「……あっ、道具が必要だな。ノコギリとかカンナとかその他諸々」
「そんなところね。できれば知識も欲しかったかな。大工がいるから専門家の知識という点では及第点かな。私的には、やっぱり知識は大事にしてほしい」
雑談部で面白おかしく喋るには知識は必要だ。知識があれば雑談のレベルも上がる。逆に知識がなけれぼ、中身スカスカとなり、時間の浪費にしかならない。
「後は、土地かな。建てていい場所じゃないと、最悪取り壊しになるかもしれないしね」
差し当たり、情報は出揃った。権利や法律等、細かいことを言えば、いくらでもあるが、今回はあくまで思考のお遊びである。厳密さが仕事をする機会はない。
「家を建てるなら、まずは土地選び、次に周辺の調査、設計図の作成、材料の調達、大工による作業、そして完成。最後に仕事に見合った報酬の支払い」
すさまじく簡略化した家を建てる流れだ。専門家からすれば話にならないレベルだ。
「家の建て方はわかったけど、それが何か関係あるのか?」
唐突に始まった家を建てる例え話についていけていない。問われたから答えたものの、何故という疑問がつきない。
「言ったでしょ、桔梗には色々足りていないって。それじゃあ、今回の件と絡めて教えましょう。いかに桔梗が無知かを理解させてあげる」
まずは自分を理解する必要がある。桔梗は自分の能力がどの程度か知らない。自分のレベルを把握していないと、次にやるべきことがわからない。
高校生が小学校低学年の勉強をしても、簡単すぎて成長しない。逆に小学生が高校の授業を受けても、知識がないから理解できない。
自分のレベルを把握していれば、レベルより少し上を学ぶことで成長に繋がる。
「まずは土地選びね。どんな場所に住みたいの? 都会か、田舎か、海の近くか、山の近くか、条件は色々あるでしょう」
「おう、利便性を考えたら都会の方がいいな」
「あら、答えられるじゃない。偉い偉い」
子供じゃない、と桔梗は反論するが、華薔薇からすれば、桔梗は子供みたいなもの。
「土地選びは言い換えるなら、目的ね。利便性を求めるなら都会だし、スローライフを送りたいなら田舎だし、釣りが好きなら海の近くが候補になるでしょう。それでは問題、『特にやりたいことや、目標はないんだが、高校生活を満喫するにはどうしたらいいと思う?』はどんな土地に住みたいと言い換えれるかしら?」
「……めっちゃいい土地?」
「そうね、いい回答だわ。それでめっちゃいい土地はどんな土地? 値段が高い土地? 広い土地? 地盤が安定している土地? 均された土地? 地下に温泉がある土地?」
めっちゃいい土地は定義ができない。何をもってめっちゃいい土地かは桔梗にしかわからない。
「これで少しは理解した。漠然とした目的は害悪にしかならないのよ」
「きつい。改めて、言葉にされると自身の不甲斐なさを痛感するぜ。適当って大変だったんだな。すまん、反省する」
「終わった感を出さないでくれる。まだ家作りは序盤よ」
「えっ!?」
桔梗に驚いている暇はない。華薔薇は相手が反省したり、疲労していても、手加減する優しいさは持ち合わせていない。むしろ更に追い詰めて、楽しむ性格だ。
「土地選びの次は周辺の調査ね。海沿いなら塩害対策、森林近くな昆虫や動物の対策等か必要ね。見晴らしがよければ、景色も楽しめるでしょう。これを桔梗の悩みに置き換えるなら、人間関係でしょうね」
人間の行動は知人友人に大きく左右される。隣にガリ勉がいたら勉強の大切さを学ぶ、隣がブランド品で固めた派手な者なら自分もブランド品が欲しくなる。
よくも悪くも回りに影響されるので、恩恵は享受して、害悪は排除しないといけない。
人生を満喫するには楽しむのも大事だが、それを吹き飛ばす害悪に出会わないことも大事だ。
「さて、桔梗の友達はどんな人なの? 友達の特徴を正確に答えられるかしら?」
「バカにするな。それくらい答えられるさ」
特に考えもせず、桔梗が反論する。本当に理解しているかは怪しい。そこで華薔薇は試すことにした。
「では思い浮かべなさい、クラスで隣に座っている人を。その人はどんな特徴をしている?」
「えっーと、まず優しいだろ、勉強ができて、授業も真面目に受けてる。話したらちゃんと答えてくれるし、怒ることは全然ない」
いくつか特徴をあげたが、どんな人物か一切想像できない。特徴がありきたりで誰にでも当てはまるためだ。
これでどんな人物か見当がつくのなら、それは知ったかぶりか、超能力者のどちらかだ。
「逆に聞くけど、華薔薇の隣の席は誰なんだよ」
「知らないわ」
「はっ? 一緒じゃないか、むしろ俺よりひどくないか」
「一緒にしないでもらえる。私は隣の誰かが、私の毒にも薬にもならないから、知る必要がないのよ。不要な人に無駄な時間を費やすほど、私の人生は安くない」
華薔薇には明確な価値基準がある。そのため最低限の基準に達しないと、付き合う価値がないと判断される。すると余計な人間関係に煩わされず、良好な関係だけを築ける。
「それでいいのかっ!」
「私には価値がない、つまりはゴミってこと。ゴミは当然、ゴミ箱に捨てるのが常識でしょう」
いらない物を捨てて部屋を片付けるように、いらない人を捨てて人間関係を整理するのは大事だ。
「話が逸れたわね。桔梗はさ、周りがちゃんと見れていないのよ。自分にとってプラスな人と付き合ってれば、勝手に人生満足できるのよ。マイナスな人といれば人生の満足度は減っていく。考えれば当たり前でしょ?」
「そんな簡単に友達を切り捨てられるかよ」
簡単に人間関係を捨てれるなら苦労はない。だが、今後付き合う必要のない相手のことを考えることが、一番の無駄である。
「例えば、空のペットボトルがあったとして、捨てることに躊躇はない。捨てた後にペットボトルについて考えることもないでしょう」
「言いたいことは、わかるつもりだけど……」
桔梗が納得する必要はない。あくまで華薔薇の個人的見解だから。
「次は家の設計図ね。どんな家に住みたいのか。天井が高い? 窓が大きい? 段差のないバリアフリー? コンクリート打ちっぱなし? 壁紙は? 家具は? 電化製品はどこに置く? これらはね、どんな風になりたいか、と言い換えていいでしょう」
桔梗にはなりたい姿が見えていた。高校生活の満喫だ。
しかし、具体性は皆無だ。志望校に合格できたら満足なのか、部活で好成績を残したら満足なのか、友達と遊び倒したら満足なのか、恋人ができたら満足なのか、高校生活において満足感を得られるものはたくさんある。
何で、満足感を得られるかは本人にしかわからない。
「桔梗は何をしたら高校生活を満喫できると思うの? 何をしている時が楽しいの?」
「俺は、テストでいい点を取ったら嬉しいし、友達とバカ騒ぎするのも楽しい、雑談部で華薔薇と話すと新しい発見があるし、上手い飯を食ったら幸せだし、でも、どれも満足してるけど、こう、違うんだよな」
「漠然と生きているなら、そんなもんでしょ。全力で挑戦することがないから、最高の快感が得られないのよ」
何事も全力でやりとげると最大の満足感を得られる。適当なら適当にしか返ってこない。
「設計図に支障がなくなったら、材料の調達ね。ログハウスに住みたいなら木材が中心だし、頑丈にしたいなら金属選びが重要ね。組み立てるのに工具があれば便利。設計図さえできていたら、ここはとても簡単なんだけど……」
目標が明確なら、悩む必要のない工程だ。勉強したいなら、教材や教師を用意する。野球がしたければ、グローブやバットを用意する。
サッカーをしたいのに、テニスラケットとゴルフボールを用意するバカはいない。
「最後の行程、大工による組み立て。ここでは今まで集めたものを組み合わせるだけね。選んだ土地に材料を使って設計図通りに組み立てる。さて、桔梗がこの行程ですべきことは何かしら?」
「そんなにお膳立てされたら、俺だってわかるよ。努力、だろ」
悪くない答えね、と華薔薇は返す。これには自信満々で答えた桔梗が恥ずかしくなる。
「努力はいいけど、それ以前の問題かな。まず、実践しなくちゃ始まらない」
実際に行動に移さないと努力は関係ない。いくら準備万端でも使わなければ宝の持ち腐れである。
「最後まで想定解を外してくるわね。まさか狙ってる?」
「狙ってねぇよ! 俺の実力が足りてないの、って言わせるなよ。そっちこそ狙ったか?」
「勝手に自爆しておいて、被害妄想を撒き散らさないで。実力不足に気づけたんだから、感謝しなさい」
人間というのは存外自身の能力や実力を正確に把握していない。これはできる、あれはできない、というのは実際に行動するか、正確に分析でもしないと理解できない。
こと人間関係においてはなあなあでもある程度通じてしまう。受け取り手も適当に解釈するので、意思疏通は成立する。ただし、細かい部分の食い違いに目を瞑って。
「まあ、なんだ。俺の実力不足に対する言い分は、言葉の端から納得した。納得させられた方が正しいけど」
「良かったわね。だったら、私に言うことがあるでしょ、さあ」
「ぐっ、どうもありがとうございました」
「それは何に対して感謝をしているのかしら? 詳しく教えてほしいな」
華薔薇が本当に求めているのは感謝の言葉ではない。桔梗が実力不足を認める言葉が欲しいのだ。端的に『俺はバカです』と。
「華薔薇さん、俺の実力不足を指摘して下さって、ありがとうございます。これでいいか?」
「いいか、と言われるとダメね。実力不足とは具体的にどういうことなの」
「あーあー、わかりました、わかりました。認めます、俺はバカです、教えてくれてありがとう」
観念した桔梗が不承不承に頭を下げる。どうせ逃げられないなら、早めに終わらせたら傷は浅い。
「よろしい、桔梗が何もかも足りない思慮に欠けるバカと認めた所で、本題に戻りましょうか」
「悪口がステップアップしてんだけど」
気にしない、と華薔薇が流すように窘める。
「やっと本題か。めっちゃ遠回りしたけど、もっと簡潔に伝える方法はなかったん? 誰かさんの言葉責めで、俺のライフは1だよ」
「何度も言うけど、ここは雑談部よ。本題に入る前に話が脱線して、遠回りするのも含めて雑談なんだから」
話が逸れて、逸れた先で膨らむのも雑談の醍醐味だ。面白おかしくお喋りできるなら、盛り上がる内容はなんだっていい。それこそ本題や横道は関係ない。
「それにライフがゼロにならない限り、いくらでも雑談は続けられる。1あるなら問題はない」
「そ、それって……」
桔梗の額から汗が一筋流れ落ちる。ライフがゼロにならないようになぶられ続ける、という宣告に等しい。
桔梗の脳裏に拷問の果てに『いっそ殺してくれ』と叫ぶ姿がよぎる。世の中には死よりも恐ろしい苦痛がある。
この時ばかりは雑談部に入部したことを後悔した。また、自分に恐ろしい苦痛が降りかからぬよう、神様に祈りを捧げるのだった。
「結論は先も述べたように、運動をすると頭がよくなるのよ。詳しく説明していくから、足りない頭で考えながら聞きなさい」
「サー、イエスサー」
桔梗は面白がって敬礼する。威圧的な態度は見せていない。
「運動をするとBDNFという物質が脳内に分泌される。BDMFというはBrain Derived Neurotrophic Factorの略、日本語にすると脳由来神経栄養因子で、タンパク質の一種よ」
「えっ、いきなり覚えられん」
「名前は特に覚える必要はないわ。桔梗の頭じゃそこまで覚えれると思えないし」
重要なのは名前ではなく、運動の効果だ。運動をしたら、なんかいい感じの物質が出る、くらいの認識でいい。
「BDNFは脳細胞や脳神経に影響を与えてくれるから、記憶力や学習能力が上がるの。またニューロンを新しく作り出す働きもあるから、脳内の情報伝達の効率も上がる。すごい物質よ」
「おお! すごい物質しかわからん」
ある程度噛み砕いているが、まだまだ内容は学術的である。科学に興味でもなければ、理解しがたい。
「簡単に言うと、脳の栄養よ。植物が成長するのに肥料が必要なように、人間の脳を成長させるにはBDNFが必要なのよ」
植物が伸びたり、太くなったり、枝分かれするには栄養、つまり肥料を与えないといけない。
「それなら、わかる。最初からそう言ってくれよ。窒素、リン酸、カリウムのことだろ」
窒素、リン酸、カリウムは植物を生育させるのに必要な肥料の三要素だ。
なぜ知っているか、と疑問は浮かぶが話が脱線するので指摘しない。いずれ問いただすと心に決める華薔薇であった。
「つまり、そのすごい物質が出るから頭がよくなるってことだよな。なんか不思議だな」
なんとなく理解した雰囲気をしている桔梗だが、運動のメリットは他にもある。
「運動のメリットはまだまだあるわよ。ちゃんと覚えなさい、人生を満喫したいなら」
「お、おう、どんとこいだぜ。聞く準備はいつでもできてる」
意気込みは十分だが、右耳から入った情報がそのまま左耳から出ていくようでは意味がない。知識というのは聞いて、覚えて、実践してこそ意味がある。
「聞くだけじゃ、覚えられないでしょ。だから続きを聞きたいなら、スクワット10回しなさい」
「えーっ、そりゃないよ、華薔薇のいけず」
「私は別に困らないから、運動のメリットについての話はここまでね。そういえば、教室にあるゴミ箱のゴミが一杯になるのは平均して何日くらいかしら?」
会話の主導権はいつだって華薔薇が所持している。桔梗が拗ねたところで勝ち目はない。反発して欲しい情報を逃すか、従って欲しい情報を手に入れるか。
「くっそー、教室のゴミ箱の話とかどうでもいい。スクワットだろ。やってやるぜ。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10。どうだ、はぁはぁ。ピロリン、俺の知性が10上がった」
運動をしたからといって、すぐに頭がよくなることはない。
「よくてきました。それでは続いての運動のメリットは、集中力が上がる。脳には前頭葉というのが額の後ろにあって、集中力や思考力、他に感情や行動のコントロールをしている。運動をすると、この前頭葉が鍛えられる」
運動することで基本的な集中力が上がる。これにより集中状態にすぐに入れるようになる。また集中できる時間が延びる。
前頭葉は感情もコントロールしているので、メンタルの安定に役立つ。
「まじか、運動スゲー。ん? 待てよ、普段から運動している運動部って頭いいの?」
「そうね、普段から運動していと脳はどんどん成長していくのは確かね」
文武両道という言葉があるように、勉強と運動の両方に優れた生徒はいる。一握りの天才の専売特許ではなく、努力で獲得できるスキルだ。
「よし、じゃあ俺も運動する。ちなみにどれくらいしたらいいの?」
「人によるけど、有酸素運動を30分から60分、これを週に4回くらいね。後は体育の授業を毎回全力でするといいと思うわ」
有酸素運動の目安は心拍数が上がり、軽く汗が出る程度の軽いもの。マラソンやジョギングでもいいが、早歩きでも効果はある。
「結構やらなくちゃいけないんだな。できるか」
「最初はできることから、始めればいいのよ。5分の散歩でも効果はあるし」
「5分でいいの、それだったら楽勝じゃん」
運動はできることから初めて、物足りなくなったら負荷を上げればいい。一番大事なのは続けることだ。
「一緒に運動する人がいると続けやすいわよ」
「そうか、なら華薔薇、一緒にしよう」
「それは嫌。なんで私が桔梗ごときと一緒に運動しないといけないのよ。仮に一緒にすることになっても、ついてこれないわよ」
運動のメリットを知っている華薔薇は当たり前に運動をしている。口がよく回るのは運動のおかげかもしれない。
「いやいや、俺ってば男の子よ、女子高生にそうそう遅れは取らないぜ」
「私、余裕でフルマラソン完走できるわよ。スクワットだったら、200回しても息切れしないわ」
「まじ?」
「まじよ」
華薔薇は至って真剣である。そもそも嘘を吐く理由がない。
運動を続けていくうちに、段々と負荷が上がった結果、フルマラソンの完走である。見た目は華奢でくびれもあるが、しっかりと筋肉はついている。
「華薔薇が隠れマッチョだったとは、今日一番の驚きだ。……はっ」
女性がマッチョと言われて喜ばないと気づいたのは、失言した後。どんな口撃がくるのかと、身を固める。
「確かにクラスメイトと比べて筋肉量が多いのは事実ね」
「あれ、怒ってない」
「別に怒らないわよ。事実だし」
地雷を踏んでいないことにほっと一息吐く。肩透かしに終わったが、地雷を踏むより万倍マシであった。
「いやー、マジで勉強になったな。運動すると、頭がよくなって、集中力が上がる。目から鱗が落ちるってやつだな。……なんか忘れてるような。思い出したっ」
ニュートンが木からリンゴを堕ちるのを見て万有引力を発見したのと同じような桔梗の閃き。
「モテるんだよ。華薔薇は最初、なんやかんや言ってた時に、モテるって言ってた。でも答えてもらってない」
「ああ、それね。スクワット20回したら、教えてあげる」
「待ってろ、すぐやる」
男子高校生のモテにかける情熱は並大抵ではない。あっという間にスクワットを終えてしまう。
「はぁはぁはぁはぁ、早く、教えて」
息を切らして女子高生に迫る男子、見ようによっては犯罪者と被害者だ。
「あまり近寄らないでくれる。汗臭いわ」
「スクワットやれって言ったからだろぅぅぅ」
的確に思春期の男の子の嫌なことをつつく。同世代の女子に臭いと言われて傷つかない訳がない。
いともたやすく崩れ落ちる桔梗であった。追い討ちをかけるように華薔薇が数歩後ろに下がる。近づきたくないと行動で示す。
「そんなにモテたいの? まあいいわ。運動をしたら健康になるから、見た目がよくなる。見た目がいいほうがモテるのは当然でしょ」
「それだけ」
「うん、それだけ」
語ろうと思えばまだまだ語れるが、鬱陶しい方向に舵が進むのを避けるため、さらっと流して切り上げた。
男子高校生のモテへの情熱を見誤った華薔薇のミスだ。一見完璧に見えても、ミスをしていることはある。しかしミスが人目に触れなければ、ミスはミスにならない。
「あい、わかった。運動をしたらなんちゃら物質ってのが出て、頭がよくなったり、集中力が上がったり、モテモテになるのはわかった。でも、これらは自分にしか影響はないよな」
あくまで運動の効果は実行した本人にしか享受できない。自分自身の人生をよくするための方法だ。
「俺はさ、人生を満喫する上で外せないことがあると思うんだ。人は一人で生きていけない、人という字が人と人が支えあっているように」
遠い目をして桔梗がどこへともなく語りかける。
演技だとしたらお粗末だし、演出というなら陳腐である。惹き付ける魅力が皆無、見ていると苛立ちを覚える醜悪さ。
「さっさと結論を述べなさい。私の貴重な時間を無駄遣いさせるとは、いい度胸ね」
「あっ、はい。自分のレベルアップもいいけどさ、先輩、後輩、友人といろんな関係があるだろ。そこで、後輩にスゲーと思われる先輩になりたいんだ」
「桔梗風情が後輩に慕われたいと。そして、あわよくば後輩に手を出すのね」
「そうそう、いずれは先輩と後輩のラブチュッチュッを……って違ーっう。いや、違わなくないけど。純粋に尊敬されたいの」
尊敬されたい思いに嘘はないが、モテたい思いが隠れているのは見え見えだ。
「『桔梗先輩は優しくて、頭がよくて、かっこいい、最高の先輩です』みたいに慕われたい。それに余裕で返事する、俺。最高だぜ」
「桔梗が後輩に慕われるイメージが微塵も浮かばないわ。私に想像できるのは笑われて、蔑まれて、土下座している姿ね。ああ、今と変わらないか」
「そのイメージだと俺、イジメられてるよな。クラスの中心で皆を笑顔にするタイプだから」
当人の認識と周りの認識が違うことは往々にしてある。
「つまらない話を笑ってくれる優しいクラスメイトね」
「……クラスメイトからは称賛されることもしばしば」
「同情でしょうね」
「…………困ったことがあったら、いっつも頼りにされてるから」
「豚もおだてりゃ木に登るという諺を知っている」
「うわぁーん、華薔薇がイジメる」
自尊心のことごとくを反論されて、ついに泣き出す。泣いているのはパフォーマンスだが、心にグサグサ刺さっていたのは本当だ。
「俺が下に見られているという華薔薇の妄想は横に置いといて。俺は卒業する時に後輩から尊敬されて、惜しまれつつ卒業したいの!」
「ふーん、いいんじゃない。桔梗の人生は桔梗が決めたらいいよ」
取り立てて感情の籠っていない口調で賛同する。言葉の端々からどうでもいいという思いがひしひしと伝わってくる。
「おう、ありがとよ。これから、頑張って、ちっがーう! 俺に後輩に慕われる方法なんてわからない。これはお悩み相談の続き。華薔薇に答えて欲しいの。ドゥーユーアンダースタン」
頑張れ、と応援されても桔梗には何を具体的したらいいかわからない。華薔薇に答えを教えてもらう、他力本願な作戦だ。
「少しは自分で考える努力をしなさい」
「まあまあ、そこをなんとか。一生のお願い」
桔梗の一生のお願い幾ばくの価値があるのか甚だ疑問だ。
「まあ、別に教えてもいいけどね」
一生のお願いに絆された、ということはない。知識は誰かに与えたからといってなくなるものではない。むしろアウトプットすることで、記憶に定着する。
どれだけ華薔薇が知識を放出しても損はしない。桔梗が賢くなった程度で脅かされる立ち位置にいないからライバルになることもない。
「後輩に慕われたいなら、カリスマ性を鍛えるといいわ」
「カリスマ? おお、確かに。かっこいい人とか、すげー人ってカリスマがあるって言われてる。そっかカリスマだ。よし、早速鍛えるぞ、って鍛え方なんて知らないじゃーん」
桔梗の一人小芝居は横に置いておいて、現代ではカリスマは魅力のある人、存在感のある人という意味で使われている。
つまり桔梗の要件を簡単に満たせる都合のいい言葉だ。
カリスマ性を鍛えたら万事解決とはいかないが、少なくとも何も行動しないよりは尊敬や好感は持たれる。
「それで、どうやったら鍛えられるんだ? もしかして運動か、運動だろ」
「今回は運動じゃないわよ。そんな芸のないことは言わない」
語彙力や記憶力があれば会話を膨らませられる。会話が途切れないことで楽しいとは思っても、カリスマ性があるとは思わない。
「運動だったら、一石二鳥どころか三鳥、四鳥なのに。しからば、カリスマ性の鍛え方とはなんぞや?」
「いくつかカリスマ性を鍛える方法を伝授しましょう。まず一つ目はゆっくり喋る。ゆっくり喋ると説得力があると感じるの。これはデータでも示されていて、普通に喋る政治家よりも、ゆっくり喋る政治家の方が当選している」
「わーかーっーた。ゆぅっくぅりぃ、しぃゃぁべぇるぅぞ」
桔梗の動作が極端にゆっくりになる。
スローモーション再生のようにゆったりした話し方だと、まず話が伝わらない。単にバカなのか、バカにしているとしか思えない。
いくらなんでもやりすぎだ。
「声だけじゃなくて、動きもスローモーションになってるじゃない。声だけでいいのよ。程ほどが一番」
ゆっくり喋ると意識するだけでも、話のスピードはゆっくりなる。ゆっくり喋ろうと意識しずきて、会話がしどろもどろになれば、本末転倒である。最初はゆっくりを意識するくらいでちょうどいい。
「はい、すいません」
流石に遊びすぎたと反省する桔梗。
「次にイントネーションよ。会話の語尾を下げると力強い印象を感じてもらえる。これは語尾以外の会話の途中であっても効果はあるわ」
「ん、んっ、あーあー、よし。キキョウです」
出せる限りの低音ボイスに挑戦する。
「極端すぎ! どれだけ高低さを表現したいのよ。会話の語尾だけ異様に低音だと、何かあったと思うでしょうが。半音か一音下げればいいのよ」
普段はいつも通りに喋り、ここぞという時に下げればいい。普段から低くしていると、基準が低くなるので意味はない。
「他には、相手の話に集中するのも大事よ。何か他に注意が向いていると感じると印象が悪くなるのよ。最悪の場合、友情も壊れる危険な行為よ」
「それなら、俺は大丈夫だ。華薔薇の話を聞き逃さないよう、しっかり聞いているからな」
「ダウト。桔梗は話を聞いている気になっているだけ。心の中では次にどんなボケをしようか考えているでしょうがっ」
桔梗が話を聞いていたのは間違いない。話を聞いていなければ、適切なボケをできないからだ。
相手の話に集中するというのは、話を聞くだけでは完結しない。話に集中していれば、自ずと自分の意見が出てくる。意見を主張すれば、相手もまた新たな意見を主張す。
互いに話に集中していれば、自然と会話のラリーが続いていく。
ボケを考えて、実行している時点で話に集中していないのは明白だ。
「な、なぜ、バレた。はっ、はめやがったな」
陥れる意図は全くなく、あくまで指摘しただけだ。被害妄想も甚だしい。
「勝手に策士にしないでちょうだい。桔梗が無駄に意味もなく勝手に誤解して自爆しただけ。私まで低く見られるから、でたらめを口にしないように」
トラップは一つとして仕掛けられていない。
平坦な道で転んでも、ただのドジな奴だ。しかし、近くにいたという理由だけで、足を引っかけられた、と言われてしまえば、たまったものではない。
自己の正当性のため、無罪を主張するだろう。
バカに付き合って、自分までバカになる必要はない。
「まだまだ他にもあるけど、覚えられないと意味ないし、今日はここまで」
知識は蓄えるだけでは意味はない。使って、理解して、落とし込んで、使いこなせて意味がある。
むやみやたらと知識を詰め込んでも、どれから始めたらいいかわからなくなる。ならば、最初は少ないことから始めて、確実に身に付けた方がいい。
最初からあれやこれやと手を出して、しっちゃかめっちゃかになるより、一つ一つ丁寧にやり抜いて、着実にステップアップするのがスキル習得の王道だ。
「最後に復習しましょうか。ちゃんと覚えていないと罰ゲームよ」
「いやいや罰ゲームはひどくない」
「私の知識を無料で拝借する気なの?」
信じられないわ、と大袈裟にショックを受ける華薔薇。雑談部の目的は面白おかしく喋ることなので、華薔薇の主張は実際は議論に値しない。これに気付いていたなら、不用なプレッシャーは受けなかった。
「今日の雑談を覚えていたら、罰ゲームは回避できるのよ。こんな簡単なことはないでしょう。そうね、もし全問正解できたら、ご褒美をあげましょう」
「飴と鞭か。いいぞ、絶対正解してやるから、ちゃんとご褒美を考えろよ」
単純なのか、ご褒美と聞いただけでやる気に満ち溢れていた。
「それでは、最初の問題……」
「ちょい待ち! 全部で何問か聞いてない。間違えるまで、問題を出し続けるつもりだろ」
「ちっ」
「舌打ちした。やっぱりこすいこと考えてたな」
気づかないようなら、桔梗が間違えるまで問題を出すことを検討していたのは事実だ。
指摘されても、難問や言葉遊びで翻弄するので一手潰されようが問題ない。
「では選ばさせてあげる。①問題数が少ないけど、問題が難しいコース。②問題数が普通で、問題が普通コース。③問題数が多いけど、問題が簡単コース。さあ、どれにする」
ちなみに問題数はそれぞれ3問、5問、7問にしている。
「決めた。小細工する暇もなく瞬殺するから、①だ」
桔梗が選んだのは、3問の難問コース。この選択が吉と出るか凶と出るかはわからない、なんてことはなく。華薔薇の提案に乗っている時点で凶が出るのは確定している。南無三。
「では最初の問題。カリスマ性を鍛える方法として、私が最初に提案したのは何でしょうか?」
「あんまりバカにするなよ。余裕で覚えてるぜ。答えはゆっくり喋ることだ」
「正解よ。まあこれくらい正解してもらわないと、何のために悩み相談という名の雑談をしたのか、根本から考え直す事案よ」
最初から難しい問題は出さない。希望を持たせて、後から地獄に突き落とすのは悪魔の常套手段である。
「続いて第2問。私が興味のない桔梗の相談を受ける際に提示した相談料はいくらでしょう?」
「えーっと、えーっと、確か語呂合わせになってたやつだろ。高かったのは覚えてるぞ。千、五千、一万、思い出した、嫌々よだから、18184円だ」
正解。
実際に払われても受けとる気のない金額だ。
「問題がまじで雑談じゃん。もっとこう、学んだことから出さない普通?」
桔梗の予想では運動のメリットや運動量の目安などを問われると考えていた。蓋を開けてみれば雑談パートから出題されて、あやうく間違えるところだった。
ちなみに運動のメリットは頭がよくなる、集中力が上がる、メンタルが安定する、モテるだ。
「あら、学びの方がよかったの? 最終問題は学びから出題ね。第3問。運動すると脳内に分泌されるタンパク質の名前は何? 日本語でも英語でも、正解にしてあげる」
「それって名前覚えなくてもいいって言ってたじゃん! まじで覚えてないぞ。たしか、脳なんとか、だろ。脳は英語でブレインだから、えーっとえっと」
「後10秒。9、8、7、6、5、4、3、2、1、ゼロ。ぶっぶー。正解は脳由来神経栄養因子、もしくはBrain Derived Neurotrophic Factorでした。残念。桔梗の罰ゲームが決定しました」
「ちくしょう、絶対覚えてると思ったのに。わざわざ覚えなくいいのを出すなんて卑怯だ」
「問題を選んだのは桔梗でしょ。それに文句を言われる筋合いはない。選択ミスした自分を恨みなさい」
桔梗があがいても結末は変わらないので、全ては徒労に終わる。主導権を華薔薇が手放さない以上、桔梗に勝ち目はない。
「ちっくしょぉぉぉ」
「どんな罰ゲームがいいかしら」
桔梗の叫びを横目に楽しい罰ゲームを考える華薔薇。
この後、桔梗は罰ゲームでとても憔悴することになり、華薔薇は桔梗を眺めることでとても愉快な気分になるのだが、それはまた別の話。
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