第2話 店の経営が火の車なんです
「今日のお悩みコーナー。ペンネーム春の紫苑さんから頂きました。『お店の経営が火の車なんです。助けてください』です。大変ですね、では、華薔薇さんに意見をお伺いしましょう」
ある日の放課後。雑談部の部室では桔梗がどこかから持ち寄った相談事のお伺いを立てていた。
「ここは雑談部よ。店舗経営のノウハウを相談するなら経営コンサルタントに頼みなさい。以上」
「バッサリィ! もうちょっと聞く耳立てようよ。相談者がかわいそうだよ」
「そもそも雑談部にお悩みコーナーなんてないのよ。勝手にラジオ番組みたくしないで。リスナーのいない寂しすぎるコーナーなんて不毛よ」
「これから盛り上げていこう。最初は小さなことからコツコツと」
雑談部は面白おかしく喋る場所だ。ラジオ番組の真似をしてトーク力を鍛える場所ではない。ましてや赤字店舗の経営を建て直すのは門外漢である。
「女子高生に相談するのは時間の無駄よ。私からアドバイスするとしたら、専門家に聞きなさい、よ」
「まあまあ、華薔薇ならなんとかなるっしょ」
「人の話を聞きなさいな」
経営の知識を持っているか、問われるとイエスと答える。持っていても実際に有効活用できるかどうかはわからない。
本を読んだだけで、コンサルタントが上手くいくのなら、世の中はお金持ちで溢れているだろう。お金持ちが稀少であることを考えれば、知識だけではどうしよもないことがわかる。
「ダメで元々だから。アドバイスしちゃいなよ」
無責任も甚だしい。
相談者の事情はわからないが、案外軽いノリかもしれない。たまたま桔梗が聞いたことで雑談部に話を持ってきたかもしれない。
逆に藁にもすがる思いの可能性も捨てきれない。
「お店が火の車って、何のお店なのよ」
華薔薇が折れた。雑談のネタなら悪くないという判断でもある。
アドバイスしても最終的に決めるのは春の紫苑である。素人が外野がやいのやいの言っても無視される可能性は高い。
そもそも春の紫苑にアドバイスが届くかもわからないし、実在するかさえ不明である。桔梗の妄言、もしくはでっちあげも否定はできない。
雑談部の本質とは遠くかけ離れている事柄を深く考える必要はない。
「精肉店だそうだ。ブロック肉や切り身の販売以外にも惣菜の販売もしている」
「普通の精肉店ね。味と値段はどうかしら」
「新鮮なお肉を仕入れていて、リピーターも多い。値段も手頃で、むしろスーパーより安くを意識している」
パッと聞いた印象だと大きな問題はない。値段が安いから利益率が低い懸念はあるも、専門店なら安く仕入れることが可能。
「味も値段も問題ない。なら、立地かしら?」
「それが、立地も問題ないらしい。商店街に店を構えている。昔に比べて人は少なくなったそうだが、通行人の割合で考えると利益が少ないらしい」
昔が具体的にいつなのか、ネットが便利になって実店舗の売上が減少したことを考慮しているのか、数字の信憑性が計れない。
「無愛想な接客でもしているのかしら?」
「朗らかな店長とお喋りな婦人だから、接客も問題ないそうだ。ただ喋りすぎるのが玉に瑕だそう」
お客と店員が長くお喋りするくらいなら経営が傾くまでいかない。
「桔梗の内容が正しいなら、大きな問題はないでしょう。つまり火の車は幻想でした。このまま経営を続けましょう」
「いやいやいやいや、それだと閉店まっしぐら。なんか間違いがあるんじゃないの?」
あるでしょうね、と躊躇いなく肯定する。しかし華薔薇には、どれが間違っているかの指摘はできない。
「私は安楽椅子探偵じゃないから、わからないものはわからない」
「何その探偵?」
安楽椅子探偵とは、ミステリの用語である。
事件の現場に赴くことなく、人伝に情報を得ることで室内にいながら、事件を推理する探偵のことだ。
代表なのはアガサ・クリスティの『火曜クラブ』やバロネス・オルツィの『隅の老人』だ。
「でも、間違いがあるのがわかってるなら、それも込みで考えればいいじゃん」
「無理ね。情報の正確性が保証できないから、推理も予測もくそもない」
「俺はきちんと話を聞いて、メモも取ったし、正確に伝えたぞ」
伝言ゲームで情報が正しく伝わらないように、誰かの介入があると話の正確性は失われる。いくらメモを取ろうが情報は加工されている。生の情報は決して手に入らない。
「私にわかるのは春の紫苑が桔梗の知り合いの生徒で、春の紫苑の家族が精肉店を経営しているということね」
「当たってるぅぅぅ! 華薔薇って探偵? もしくは超能力者?」
桔梗の話ぶりや内容から推測したにすぎない。しかも保険をかけて、大枠で捉えている。当てはまらない訳がない。
「詐欺師まがいの占い師が使うようなテクニックよ。誉められても嬉しくない。詐欺師に間違われても困るし……」
「ん? 詐欺師?」
華薔薇は言うべき必要のない言葉を挟んだと後悔する。桔梗に疑問を抱かせないように、話題をすぐに変える。
「なんでもないわ。ともかく、情報が間違っている可能性は極めて高い。そもそも、人間の記憶ってのは、過去を美化してしまうのよ。過去の記憶は実際よりも大幅に改竄されているでしょうね」
「でも、売上の記録は残ってるそうだぞ。数字に間違いはないんじゃないかな」
記録が残っていても、正しく使えなければ意味はない。
「正確な数字でも、使い方が間違っていたら意味ないのよ」
「どゆこと?」
「そうね。仮に私の100m走のタイムが13秒としましょう。桔梗のタイムは12秒でした。この二つのタイムを比べる意味はあるかしら」
性別が違うから、この二つのタイムからわかるのは華薔薇より桔梗の方が速い、という事実だけだ。これで桔梗が誰よりも速い、と結論を出す人はいない。
桔梗の速さが同世代の男子と比べて速いかどうかはわからない。
華薔薇の速さは確かに桔梗よりは遅いが、同年代の女子と比べたら早いかもしれない。
数字が正しいのは当然として、使い方にも正解はある。
「なるほどなぁ。使い方はわかった。どうしてさっきのが間違っているんだ」
「記録はね、未来をよくするために残すものよ。タイムマシンでもないと、過去は変えられない。そんな過去の栄光にしがみついている人が、数字を正しく使えているはずないでしょう」
失敗と成功を記録することで人はよりよい未来に進める。
失敗を記録して、同じ過ちを犯さない。
成功を記録して、無駄を省く。
過去の記録を懐かしむのは、ただの日記だ。
「まあ、全て私情だけどね」
これまでの華薔薇の見解は妄想と言われても仕方ない。
桔梗の情報が全て正しく、華薔薇の言葉が全て的外れでもおかしくない。
見ていないものを的確に推理できるのは、やはり安楽椅子探偵くらいなもの。それこそ漫画や小説の中にしかいない。
現実では精々妄想を膨らませることだけ。だからこそ雑談のネタとして最適である。
「結局、アドバイスらしい、アドバイスはないのか?」
「仮に、桔梗の情報が正しいのなら、マーケティングの問題かもね。どんなに優れた商品でも人の目に触れなければ、存在しないのと一緒よ」
知らないものは選択の候補に上がらない。
「まずは知ってもらうことから始めたらいいんじゃない」
私には関係ない、とばかりに突き放す。マーケティングの話になると本格的にコンサルタントの領分である。
雑談部が扱うには手に余る。
「知ってもらうなら、SNSを始めるのもいいかもな。SNSなら他に追随を許さない豊富なラインナップを余さず紹介できるだろうし」
「ん?」
何気ない一言だったが、重要な問題が隠されていた。
「豊富なラインナップ、とは具体的にどれくらい?」
「かなり多いぞ、牛、豚、鶏、羊、馬は当然扱っている。しかも部位ごとに販売しているそうだ」
牛なら、ヒレ、ロース、サーロイン、ハラミ、タン、モモ、バラ、スネ、スジ、イチボ、ランプ等々に、稀少部位のカブリ、ザブトン、シャトーブリアン等を扱っている。
豚も、ヒレ、ロース、バラ、モモ等々に、稀少部位も扱っている。
鶏、羊、馬も同じように各部位を取り扱っている。
「とても多いわね」
「そうだろそうだろ。ここの店主は長年の付き合いや人脈を駆使して、取り扱う肉を増やしていったんだ。商店街の精肉店としては異例のラインナップになったんだ」
並々ならぬお肉への情熱が伝わってくる。
人脈を築くのに費やした時間や労力を考えると、過去の栄光にしがみつくのもわからくもない。
「さらにジビエにも精通していて、鹿や熊、アヒル、ガチョウも扱っている。時間をかければ、ヤギ、ロバ、ウサギ、ワニも取り寄せ可能だそうだ」
「……商店街の肉屋に必要とは思えないわ。はぁ……」
並々ならぬ情熱は構わないが、どう考えてもやり過ぎてある。これには華薔薇も呆れる。
「売っているのは生肉だけじゃない。惣菜もたくさんある、ステーキやハンバーグ、唐揚げ、トンカツ、ミートボールの定番から、チャーシュー、肉巻き、蒸し鶏まで、なんでも取り揃えている。しかも前日に欲しいものをリクエストしたら、翌日に作ってくれる親切設計。庶民の味方だよ」
「……」
あまりのラインナップに呆れを通り越して、虚無になる。のべつまくなし喋り続ける桔梗の情報は完全にシャットアウトしている。
聞くだけ時間の無駄。
「しかも朝は8時から始まり、夜は9時まで営業している。なんとも万人のニーズに答えた店舗なんだ。こんなにも消費者に寄り添っているのに、どうして経営が苦しいのか全くわからない。そうだろ」
力説しているが、雑談部の趣旨とはやはり違う。雑談部は面白おかしくがモットーである、お店の素晴らしさをプレゼンテーションする場所ではない。
「そうね、お客様第一の経営は立派だと思うわ」
「やっぱり、そうだよな」
自分の意見は間違っていなかった、と頷き確認している。しかし華薔薇の話は終わっていない。まだとても大事な続きがある。
「お客様を優先して、自分達を蔑ろにしていいことにはならない。豊富なラインナップに長い営業時間、さらにはリクエストに応える優しさ。どれもこれも効率が悪くて無駄が多い。経営が悪くなるのは必然よ」
豊富なラインナップを実現するには複数のルートから仕入れる必要がある。ならば輸送コストが高くなる。
たくさんの惣菜を作るには仕込みと調理に時間と手間がかかる。時間を犠牲にするか従業員を雇うしかない。
長い営業時間の解決策も従業員を雇うしかない。輸送コストに人件費もプラスされれば、売上が立っても出ていくお金も大きくなる。
「なんと、そんな罠が仕掛けられていたとは!」
「罠じゃない。経営の基礎中の基礎よ」
飲食面の経営指標にFL比率というのがある。食材費+人件費を売上高で割ると求められる。これで簡単にコストパフォーマンスが計算できる。
「私の概算だと、甘く見積もっても利益はマイナスね」
平均値からの割り出し、長年の付き合いによる贔屓などは考慮していない数値なので、一概には言えない。
「私から言えるのは最初と同じで、経営コンサルタントに相談して一から経営のノウハウを教えてもらうことでしょうね」
結局の所、女子高生に経営の改善は難しい。だからこそ雑談のネタとして取り扱うくらいがちょうどいい。
「お金がないから知恵を借りてるのに、業者に頼むお金をどこから調達するのさ?」
「さあ、しーらない」
気楽に借金すればとは言えないため可愛く誤魔化す。
借金に悪いイメージがついているが、必ずしも悪くない。
株式会社が株主から資金を調達するように、元手を増やせるのなら借金は有効な方法だ。100万円借りて、200万円にできるのなら、元金の返済と利子を支払っても利益は出る。
とはいえ、必ず成功する保証はないから、雑談のネタでも軽々しく借金して、と言えない。
雑談だからと全てを冗談で扱っていいわけではない。華薔薇の中には明確な線引きがされている。
「もっと他にないのかよ? 相談されたからには何か応えたいんだよ」
桔梗が安請け合いしたからでしょ、というのは口に出さない。
「そうね、必ずしも豊富なラインナップが売上に繋がらない話をしましょう」
「やっぱりあんじゃん。頼りになるぅ」
「コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授の有名なジャムの実験について。アメリカのスーパーでこの実験は行われたわ。店内入口近くにジャムの試食コーナーを設置した。数時間毎に試食に提供するジャムの種類を入れ換えをする。一方では6種類、もういっぽうは24種類のジャムを用意して、お客さんに試食を行ってもらった」
どちらの状態でも客のジャムの試食数は平均2種類程度だったが、実際に購入に至ったのは6種類の試食の方が圧倒的に多かった。
24種類のジャムを見た客は60%が試食し、購入率は3%だった。
6種類のジャムを見た客は40%が試食し、購入率は30%だった。
最終的な購入率は24種類の方が1.8%に対し、6種類の方が12%であった。約6倍の開きがあった。
「ジャムの実験からわかるように、豊富なラインナップが売れるとは限らない」
「すげー、ジャムすげー」
ジャムを讃えるのは違う。あくまで、人間は豊富な選択肢があると選ばないことを選ぶという実験だ。
実験に選ばれたジャムもイギリス女王御用達のジャムなので、品質や味は間違いないだろう。
「人間の脳は物事を考えたくない性質があるから、たくさんの選択肢から一つを選ぶより、何も選ばない方が楽なのよ」
たくさんの選択肢があると、一見選ぶ楽しさを覚える。しかし、どれが最善か判断できないので、最終的には選ばなくなる。
「じゃあ、精肉店はこれから、どんどん売れなくなっていくしかないのか」
「単純に種類を減らせばいいのよ」
あまり売れないもの、作るのにコストがかかるものを減らせばいい。
「それができたら苦労はないと思うけど……」
お客様第一の経営をしていたから、豊富なラインナップに至った。自分達の都合で明日から種類を減らしますとは言えないだろう。
「それなら、せめてジャンル分けをして、選択しやすく工夫が必要ね」
「ジャンル分け? うまい、おいしい、絶品とか」
「言い方を変えただけで、全部一緒じゃない。ジャンル分けは前菜、メイン、デザートのように使い分けのこと」
お肉の用途は様々である。ちょっとした付け合わせに欲しいのか、メインの一品にするのか、夜食にでもするのかはわからない。
種類が多いと目的のものを探すのも大変だ。ステーキを求めていたら、ミートボールに出会ったり、唐揚げに出会ったり、ましてやトンカツに出会おうものならメインで迷いかねない。
ジャンル分けで不必要な選択肢を減らしてあげるのだ。
「他にも、あっさりやこってりで分けみるのもありね」
お肉は食べたいけど体重を気にしてあっさりがいい、記念日だから何も気にせずかっつり食べるなどだ。
100個の内から1個を選ぶより、大まかに分けられた10個の内から1個を選び、さらに細かい10個の内からの1個を選ぶ方が容易い。どちらも同じ100個から選ぶが過程が大きく異なるのは想像に難くない。
「なるほど、ジャンル分けか。だったら俺は値段で分けて欲しい。手に取って実は高かった時の絶望感はやめてほしい。気づかずレジに持っていったときのいたたまれなさは筆舌につくしがたい」
「それは桔梗が悪い。値段に気づかない不注意を直すか、値段を気にする必要のない財力を身に付けるか、どちらかで簡単に改善できる」
「簡単に言うけど、注意力も財力も一朝一夕で身に付かないって。これだからできる人は簡単に言っちゃんうだよ」
憤慨する桔梗。怒っているアピールのために腕組みし、頬を膨らませている。しかし、華薔薇の心に響かない。
華薔薇もなんでもできる多芸多才ではないし、最初からできたことは少ない。練習や訓練をコツコツ積み上げた成果だ。
「……がっくし」
「はいはい、無駄なアピールご苦労様」
意味のないものはさらりと流すに限る。
「それでは気を取り直して、ジャンル分けが有効と判明したけど、具体的にどれくらいに分けたらいいんだ」
「マジカルナンバーという考えがある。1956年、心理学者のジョージ・ミラーは人間が瞬時に物事の判断ができるのは5から9の範囲と発表した。7±2であるから、この7という数字をマジカルナンバーと定義した」
多すぎると判断できない。少なくても物足りないと感じる。
多くもなく、少なくもない数字がマジカルナンバーとなる。
「つまりジャンルは5から9にしたらいいんだな」
「そうでもないのよ。2001年、ミズーリ大学の心理学者ネルソン・コーワンはマジカルナンバーは4という説を提唱した。4±1が最適だと主張した。つまり3から5にすべきと言うわけね」
科学の世界では定説が覆されるのは日常茶飯事である。
「どっちが正しいんだ。3から9は幅が広すぎる。答えを教えてくれ」
「どの数字かいいのか見つけるには、実際に試すしかないのよ。状況によって最適な数字は変化するから、万能な答えは誰にもわからない。それこそ神のみぞ知る」
科学は万能ではない。大多数の人が当てはまるのが科学だ。
お客の数、店舗の規模、売り物の種類など複数の条件があるから、実際に試して自分達に有効な数字を見つけるしかない。
「かぁー、すぐには改善しないってことか」
売上が減っていくのを指を咥えて見ていただけなのが悪い。経営を続けるなら、いつだって新しい試みをすべきだ。経営が悪化してから、手を打つのは遅い。手遅れだ。
「当たり前でしょ。明日から売上が2倍になります、なんて都合のいい方法があるなら、誰もが実践するし、経営で苦しい思いをする人もいなくなる」
都合のいい方法があるとしたら、それは詐欺か、利益に見合わない費用が必要だろう。
「明日から実践できる方法はないのか? 喫緊の問題なんだよ」
「だったら、営業時間を短くすることね。朝の開店を30分遅らせて、夜の閉店を30分早める。これで多少は改善できるかもしれないわ」
過労死という言葉があるように働きすぎは体に毒だ。人件費も削減できて一石二鳥。
「朝も夜もお客さんが来るから簡単に変えられないんだ」
営業時間が短縮されても、本当に必要なら時間に合わせて買いに来る。本当のファンなら時間の都合はいくらでもつけられる。営業時間の変更で離れる客は、いずれ離れていただろう。
「あれもダメ、これもダメ。それはわがままがすぎるわ。変化できないのなら、このまま赤字を垂れ流して廃業でしょうね」
「一つのお店が潰れるかの瀬戸際だぞ。もっと愛はないのか」
商店街の精肉店が潰れようが華薔薇に痛痒はない。精肉店は全国にいくらでもある。そもそも知らない店が知らぬ間に潰れて気にする必要性が皆無だ。
「雑談のネタとして面白いから喋っているのよ。お店への愛なんて欠片もあるわけないでしょう、あるのは雑談への愛よ」
「ぐぬぬ、仕方ない。華薔薇には関係ないもんな。とにかくいい店だから、一度は足を運んでほしい」
「……行くに値するお店になったらね」
桔梗にとって大事なのは華薔薇からお店の状況をよくするアイデアをもらうこと。華薔薇にお店を好きになってもらうのは二の次だ。
「営業時間の変更はわかった。でも明日から変更します、というのはお客さんが納得してくれないだろ」
「すぐに変更するのは確かに反感を買うでしょう。そういう時は3ヶ月後や半年後に変更すると予告したらいい。人間は過去を美化するように、未来は楽観的に考えるものよ」
人間は未来に対する予測を正しく行えないので、3か月後なら問題ないと考えてしまう。
いきなり変更すると反感を買うが、3ヶ月前から予告していたら、問題はない。文句を言う期間はいくらでもある。
3か月後に朝の30分、半年後に夜の30分の変更をしたらいい。
「ちまちまと改善していけば、いくらかよくなるかもね」
「最後は適当だな」
あくまで雑談部である。本格的なアドバイスは専門家に聞くしかない。女子高生にできるのは可能性の話だけ。適当になるのも仕方ない。
女子高生に本格的なアドバイスができるなら、本職の経営コンサルタントはおまんまの食い上げだ。雑談部では話のネタとして盛り上がり、経営コンサルタントは飯のタネとして活動する。
「要は、女子高生には女子高生の役割があるってこと」
「は?」
「ともかく、私に言えることは、以上ね。ちなみに経営に失敗しても文句は一切受け付けない」
無料の情報に飛び付いて失敗して、文句を言うのは間違っている。文句を言う権利があるのは、情報に義務がある場合のみ。
つまり、有料の情報だけだ。
「むむぅ、わかった。これ以上ないってことなら、さっきの話を伝えるまでだ。相談に乗ってくれて、感謝する」
「どういたしまして、私も別に誰かを貶めたい願望は持ち合わせてないから、経営がうまくいくのを今だけは祈ってあげる」
「今だけかよ! もっと長く気に止めろよ」
雑談のネタとして取り上げたにすぎない。雑談が終われば気に止めないのは必然。
「やっぱり相談者が可哀想だ」
「相談者、春の紫苑が本当に可哀想になるかは、今後の桔梗にもかかっているを忘れてないかしら?」
俺が何か?、と心当たりのない桔梗。
「私の話を正しく伝えられないと、何のプラスにもならないわよ。ましてや変に脚色して伝われば、マイナスになるかもしれないって、理解してるの?」
桔梗が正しく理解し、意図を違わず伝えないといけない。自分の知識ではなく、華薔薇から聞いた知識である。覚えて、理解し、伝えるのは難易度が高い。
僅かな歪みが、最後には大きな歪みになってしまう。
ましてや桔梗は華薔薇の知識を一度聞いただけ。覚えるのも、理解するのも、時間が足りていない。
桔梗の間違いで桔梗が損をするのは自業自得だ。もし華薔薇の名前を出して間違えば、華薔薇の悪評に繋がる。
ただの雑談で悪評が広まるのは割りに合わない。
「私は相談という名の雑談に乗って、一応の回答をしてあげたけど、桔梗は何をどう伝えるつもりかしら?」
「そりゃ、もちろん、ジャムの話だろ。後は営業時間の変更についてだ」
まず、ジャムの話について説明してもらう。
「たくさんのジャムを試食してもらったら、全然売れない。少ない試食だとたくさん売れた、だろ」
桔梗の説明だと試食の量の衆寡が売り上げの決め手に思える。
ジャムの実験の趣旨は選択肢の多寡によって、その後の選択が変わるというものだ。豊富な選択肢が必ずしも良好とは限らない。
続いて営業時間の変更についての見解も聞く。
「営業時間は長いのは無駄が多いから、少しでもいいから時間を短くした方がいい。その際は、3ヶ月後に変更したらいい」
前半はともかく、後半が誤解を与える。3か月後に変更するとあらかじめ予告しておけば、客も納得しやすい。
3か月後に唐突に営業時間を変更するのなら、今すぐ営業時間を変更するのと変わらない。この先、時間を変更すると伝えることが大事だ。
「はぁ。一度聞いただけで、正確に覚えるなんて桔梗には土台無理な話だったわね。春の紫苑に誤解を与えるから、桔梗は何もしないのが堅実よ」
「おいおい、それだと春の紫苑が困ったままだ。もしかして、華薔薇が直接出向くのか?」
「まさか。そんな時間の無駄な行いはしない。放置に決まっているでしょ。助ける義理はどこを探してもありはしないのだから」
華薔薇に助ける気はない。なら桔梗が助けるしかない。誤解されるおそれがあるから、アドバイスを止めさせた。逆説的に誤解がないなら、問題なし。
「助けたいのなら、助けられる力をつけなさい。ここは雑談部、雑談なら時間一杯付き合ってあげる」
「それって、ちゃんと覚えたらアドバイスしていいってことだよな。だったらこっちもいくらでも付き合ってやるぜ」
「私の時間は有限よ。合格が欲しいなら頑張りなさい」
華薔薇にだって予定はある。いつまでも桔梗に付き合う時間はない。
「はっ、俺が本気になれば秒で合格だ。ビビるなよ」
調子に乗って大口を叩くが、実際に合格点をもらうのはまだまだ先のこと。なんとか華薔薇に太鼓判を捺す頃には桔梗のライフはゼロ間近。
艱難辛苦の末、桔梗は新たな知識を手に入れる。後日、春の紫苑にアドバイスを送るのだった。
アドバイスをしたから精肉店の経営が上向くのかは別の話。経営とは少し改善したくらいで劇的によくなることはない。小さなことを積み重ねて、大きな成果となる。
「今日も楽しい雑談だったわ」
華薔薇は精肉店の名前を知らぬまま、今回の雑談部の活動を終える。教室の外は真っ暗だった。
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