第9話 体にいい食事と悪い食事
「本日はメロンさんからのお悩みです。『おかしを食べて何が悪いの』ということです。おかしは美味しいよな」
ある日の放課後。飽きもせず桔梗は誰かの悩み相談を持ちかける。
「食べたければ食べればいいじゃない。そんなの個人の自由よ」
おかしを食べる食べないは誰かが口出しする問題ではない。従って華薔薇も言うべきことはない。
「そもそも、その内容は悩みじゃないでしょ」
桔梗が持ってきた内容は悩み相談ではなく、ただの個人の主張だ。
「た、確かに。でもさ、たまにはこういうのもいいと思うんだ」
「ふーん。何を根拠にいいと思うのかしら」
華薔薇はなんの感情も込めていない視線を向ける。
「いや、その、えーっと」
信念も深い意味もなく持ってきただけに、ちょっとした追求で簡単にたじろぐ桔梗。今回の悩み相談はいつもと経緯が違っていた。
普段と違うテイストに華薔薇は軽くつついたに過ぎない。桔梗の狼狽ぶりは完全に予想外だ。
これはこれで面白いので、さらに深掘りしていく。
「桔梗はどうして、今回の悩み相談を持ってきたの?」
桔梗が持ってくる相談は、本当に困っている悩みを持ってくる。人助けのために奔走して辿り着くのが雑談部である。
困っている人に手を差しのべるのが桔梗。よく言えばお人好し、悪く言えば偽善者。個人の主張を引っ提げて雑談部に来ることはなかった。
「そ、それは」
「うんうん、それは?」
「メロンには逆らえなかったんだ」
「ん?」
どうせ大したことないだろう、と高を括っていた華薔薇は不穏な言葉に眉を潜める。
もし桔梗が弱味を握られていたり、脅迫されているのなら、由々しき事態だ。
桔梗が危機的状況にあろうと華薔薇が直接出向くことはないが、解決に向かうような雑談はできる。現状を脱出する雑談ならいくらでも応じる構えだ。
「逆らえない、とはどういうことかしら? 困っているなら口出しくらいならしてあげるわよ。雑談部のよしみで」
「メロンは、メロンは、すごいんだ」
「……」
華薔薇は視線で続きを促す。
「とても大きく、歩く度にポヨンポヨンと揺れて、視線を釘付けにする。メロンは、メロンはグラビアアイドル顔負けの特大メロンを携えてるんだ。男なら仕方ないだろ」
桔梗はただの思春期の学生だった。
「はぁ、あほらし」
少しでもセクハラ野郎に同情した華薔薇は自分の愚かさを後悔する。
「あの柔らかそうなメロンに挟まれたい、男なら一度は妄想する特大メロン。制服を押し上げて、突き破りそうなメロンを俺だって一度は揉んでみたいんだよ」
「ただのセクハラよ」
ここは雑談部。決して男子高校生の欲望を垂れ流す場所ではない。部室には桔梗と華薔薇の二人しかいないので、被害は華薔薇の軽蔑と侮蔑と嘲笑とその他諸々の悪意の視線を受ける桔梗だけ。
「おかしを食べてもなんだかんだ維持してるくびれのあるスタイル。快活な性格で話しやすいし、端正な顔立ちは美人のお手本だ。何より、華薔薇とは対極の高身長だ」
逆らえないのも無理ない、とメロンの感想を締め括る。
「……言いたいことは、それだけ?」
感慨のない言葉が華薔薇から発せられる。
人を引き付ける魅力に、整った顔立ち、透明感のある肌、さらには引き締まった体型を持ち合わせ、皺のない制服を着ていようとも華薔薇の身長は高くない。
同年代の平均身長から10センチ以上低いのが華薔薇である。
身長は比較的遺伝の要素が大きいので、努力で補うには限界がある。華薔薇としても低身長は覆せないので受け入れている。桔梗に身長のことを指摘されようが構わない。
ただ受け入れていても、全てを受け流せるわけではない。華薔薇は聖人君子とはかけ離れているのだから。
「人のことを引き合いに出す前に、そのセクハラする口を飾り物にしてやろうかしら?」
「うひっ!?」
「それとも、今の発言をメロンに直接聞かせるよう取り計らうべきかしら?」
「すみません、申し訳ございません、許して下さい、神様仏様華薔薇様。メロンに話されたら、俺の高校生活が終焉を迎えるから、どうかこの件に関しては内密にお願いします」
いくら友達の軽いノリで話していても、セクハラが過ぎれば距離を取られるのは必至。桔梗のできるのは誠心誠意許しを乞うだけだ。
ただ桔梗は勘違いしている。華薔薇の怒りの原因がセクハラ発言だと思っていること。セクハラについては華薔薇は怒っていない。またバカなこと言ってるな、くらいにしか感じていない。
実際は低身長発言が琴線に触れたことが原因。桔梗は華薔薇が低身長を気にしているとは微塵も思っていないので、発言に悪気がなかったのが幸いした。
もし悪意を込めていたなら、桔梗のセクハラ発言は問答無用で全校生徒に広がっていただろう。
「まあ、いいでしょう。今回は惨めに許しを乞う姿に免じて許します」
「ははー、ありがたき幸せ」
幸運にも桔梗は難を逃れるのであった。
「さて、どうしようか」
許しを示した以上、追求はできない。つまり雑談のネタ(桔梗のセクハラ)がなくなったのだ。どんな雑談をするか思案する。
「なあなあ、おかしを食べるのは個人の自由なんだよな。だったら華薔薇はどう思ってんの?」
少なくとも桔梗は雑談部で華薔薇がおかしを食べている姿は見たことがない。おかしに限らず何かを食べている様子はない。口に含むのは飲み物だけだ。
「そうね、『おかしを食べて何が悪いの』と言われたら、さっきも言ったように食べたければ食べればいい、と答える。何も悪いことはないんだから」
「個人の自由ってことだな」
でもね、と華薔薇の話は続く。
「体には悪いわ」
おかしは食べる分には個人の自由で、誰憚ることなく食べていい。何も悪くないのだから。
ただし健康には悪い。
食べ過ぎれば自ずと控えるように、おかしが体に悪いということは理解している。おかしが健康に寄与すると信じて、おかししか食べない人はいない。
多かれ少なかれ罪悪感を覚えながら人々はおかしを食べている。
「そりゃ、おかしが体に悪いってのは知ってるけど、ちょっとくらいならいいだろ。ちょっとくらい食べても死なないって」
「へえ、ちょっとくらいならいいんだ。じゃあさ、ちょっとって具体的どのくらい? 1年間に何回食べていいの? 1回当たり何グラム摂取して大丈夫なの? おかし以外なら問題ないの?」
「いや、それは……」
桔梗にはちょっとがどれくらいか答えられない。それに人によって『ちょっと』の定義が違う。おかし1パックをちょっとという人もいるし、おかしの1包装をちょっとにしている人もいる。
「おかしを食べたら、直ちに不健康になるかと言われれば、答えはノーよ。でもちょっとくらいを積み重ねたら、不健康まっしぐらよ」
たとえちょっとでも積み重なり続けたら病気になる。いつかは限界を越えてしまう。マイナスはプラスで打ち消さなければ、大きなマイナスになるのは明白だ。
ちょっとなら大丈夫とは気休めにもならない慰めだ。
「今日はこの雑談を深掘りしましょう」
こうして本日の雑談ネタが決定した。
「何故おかしが健康に悪いのか、まずこれについて説明しましょう。原因はシンプルに糖質よ」
「やたらと聞くけどな、それ」
「糖質は三大栄養素のひとつで糖を主要成分とする物質の総称よ」
糖質の辞書的な説明は重要ではない。本題は別にある。
「糖質はごはん、パン、麺類、果物、ケーキなどのおかしにたくさん含まれていて、これらを摂取すると血糖値が急激に上昇する。その後血糖値は急激に下降する。これがおかしが健康に悪いとされる由縁ね」
おかしやジュースなどは米やパンに比べて消化に時間がかからないため、体内では早く吸収される。糖質が吸収されると血糖値は上昇する。血糖値が上昇すると体内ではセロトニンやドーパミンが分泌され、気分が高揚する。
しかし急激な血糖値の上昇に膵臓が反応し、インシュリンが大量に分泌されて、血糖値は急激に下げられる。すると高揚した気分は落ち込み、イライラや眠気に襲われる。
続けていればインシュリンに抵抗力ができてしまい、血糖値が下がらなくなる。すると膵臓は大量のインシュリンを分泌して対応する。
薬も過ぎれば毒となるようにインシュリンが大量に分泌されるのもよくない。正常な反応ではないので、体にも負荷がかかる。
「あっちに行ったり、こっちに行ったりしたら疲れるのは当然。急激な変化は体に悪いのよ。また精神的にも負荷がかかる」
「なるべくゆっくりなら問題ないってことだな」
「ふふ、そうね、そうかもしれないわね」
急激に血糖値が上がらなければインシュリンが過剰になる心配もない。
「あんまり糖質の話ばかりしても味気ないから、間違っている食事の常識を雑談しましょう」
「味気ない食事はつまらんよな」
「……ボケのつもりはなかったわ」
「もしかして、照れてる。ねぇ、照れてるでしょ」
想定外の指摘に心持ち顔を赤くする華薔薇であった。
「くだらないこと言ってないで、雑談を続けるのよ」
珍しくやり込めた桔梗は密かにほくそ笑む。通算成績では圧倒的に負け越しているから、貴重な一勝と言えよう。
「よくある誤解から、カロリーは肥満の原因ではないということよ」
「いやいやいや、カロリー摂りすぎると太るだろ。今まで散々聞いてきたぞ。間違いでしたなんて許されんぞ」
桔梗が許す許さないに関わらず、カロリーと肥満に関係はない。
「むしろ肥満の原因は糖質よ。ステーキよりもパンやごはんの方が糖質は多い。パンやごはんを食べたら太る。気を付けなさい」
気を付けなろ、と言われても簡単に主食を減らすことはできない。
「そんなん言われても、パンもごはんも美味しいぜ。やめたくてもやめられないだろ」
「やめれないのは糖質中毒になっているからよ。糖質を摂るとドーパミンが出るから依存してしまうのよ。やめたければ糖質のない食べ物で代用して減らしていくしかない」
体に悪い食べ物があるように、体にいい食べ物もある。健康への第一歩は悪い食事を減らして、いい食事を増やすこと。
食べていれば少なくとも空腹感は抑えられる。
「代用が野菜なら結構きついぜ。どうか野菜じゃありませんように」
「体にいい食べ物の代表はナッツよ。小腹が空いたときに菓子パンやおかしを食べるより断然健全よ」
「よしっ!」
ナッツにはビタミン、ミネラル、食物繊維、不飽和脂肪酸などの健康成分が詰まっている。
ナッツと健康については昔から研究されている。1日ナッツを20~28グラム食べると心疾患、癌、死亡率が下がる結果が出ている。
健康以外にも効果があり、頭の回転を早くする働きも期待できる。ピスタチオを食べるとガンマ波が大きく反応する。このガンマ波は脳の情報処理能力や学習能力に関係している。なのでピスタチオを食べると頭の回転早くする効果が期待できる。
「ナッツを選ぶ際のポイントは無塩のものよ。塩味は美味しいけど、塩分の過剰摂取になるから厳禁よ」
「ナッツねぇ」
ナッツは好きでも嫌いでもない、というのが桔梗の素直な感想だ。美味しいがわざわざ進んで食べることはない。
「ナッツはむしろ食べるべき食品よ。病気のリスクの低減、腸内環境の改善、脳機能の向上、睡眠の質を高める、メリットだらけの食品よ。食べない方が損なのよ」
ナッツは健康や睡眠を改善してくれる超優秀な食品だ。食べ過ぎに気を付ければ問題ない。むしろ定期的に食べるのを推奨すべき食品だ。
「そんなにすげー食品が埋もれてたなんて。店では全く宣伝されてないから、知らんかった」
「桔梗もおかしを食べるくらいならナッツを買いなさい」
「そういや、ナッツってどこで売ってる?」
人間興味がないものは目に入らない。ナッツはコンビニ、スーパー、通販どこでも買える。殻付き、ロースト、薫製、塩味、キャラメル、きな粉など種類も豊富にある。
「どこでも買えるから、探してみなさい。本当に興味がないのね」
逆に華薔薇の場合、意識しないとおかしが目に入らない。体にいい食品ばかり目にして、体に悪い食品は意識に昇らない。
「体にいい食品のふたつめは桔梗も興味があるものよ。一般的に甘くて、茶色いものよ」
「甘くて、茶色? ……あっ、小豆」
「残念。ではもうひとつヒント、溶ける」
「あっ、もしかしてチョコか!」
正解だ。
ただし体にいいのはカカオの含有量が最低でも70%以上のダークチョコレートに限る。できればカカオ含有量は80%を越えているのが望ましい。
「一般的に売られているものは糖質や脂質が多いからおすすめはしないけど、ダークチョコレートに含まれているカカオは健康にいいのよ。カカオは抗酸化作用や便秘の改善、紫外線対策にも期待できて美肌にもしてくれる万能な食べ物よ」
「いやー、ダークチョコレートがいいのは重々理解した。でもさ、ダークチョコレートって、苦いよ」
「…………そうね」
あまりに当たり前のことを言われるものだから一瞬反応が遅れた華薔薇だった。
個人の嗜好は簡単には変わらない。苦いのが食べれないのなら仕方ない。華薔薇は普通にダークチョコレートを食べれるので、苦くて食べれない発想に至らなかった。
「カカオが80%から90%なら、食べれる苦さよ。あんまり好き嫌いせずに、気が向いたら食べなさい」
体にいいからと言って、無理して食べてストレスになるくらいなら、食べない方がいい。また、苦いから砂糖を加えて甘くするのも本末転倒なので意味がない。
華薔薇も食べたくないものを無理矢理食べさせるような鬼畜ではない。ダークチョコレートでなくとも体にいい食品はある。ダークチョコレートで補えない分は他の食品で補えばいい。
「心苦しいけど、ダークチョコレートは私だけで食べるわ」
おもむろにバッグから包装されたチョコレートを取り出すしては、包装を解いてこれ見よがしに口に含む。
「うーん、とっても美味しいわ。手前味噌だけど、私の腕は一流ね」
「そのチョコって華薔薇の手作りなのか? だったら俺も食べたい」
いいわよ、と言って華薔薇は包装されたチョコレートを投げる。キャッチした桔梗はすぐに包装を解いて口に入れる。
「なんて滑らかな舌触りなんだ。口に入れた瞬間に溶け……にっがぁ、無理無理無理無」
味を確認せずに食べた桔梗が悪い。そもそも華薔薇はダークチョコレートと明言していた。女子の手作りおかしというワードに引っかかった桔梗の自業自得だ。
「に、苦かった。死ぬほど苦かった」
さしもの桔梗も吐き出すような不作法はせず、無理矢理ダークチョコレートを飲み込んだ。
「お粗末様。ちゃんとテンパリングをしたから、口溶けも見た目もよかったでしょ」
「ああ、苦味以外は最高だったよ」
テンパリングはチョコレートの基本。温度管理のことで、これさえできていればある程度は形になる。逆にテンパリングが不十分だと、仕上がりはいまいちになる。
カカオがたっぷり含まれているから味は仕方ないにしても、手作りチョコレートを誉められて悪い気のしない華薔薇だった。
「体にいい食べ物は苦いもの以外にもあるのよ」
「待ってました。ダークチョコレートは俺には合わん。スイーツをプリーズ」
「ブルーベリーよ。他のベリーもおすすめだけど、一番のおすすめはブルーベリーね」
ベリー類にはポリフェノールの一種アントシアニンが豊富に含まれている。アントシアニンには老化を促進するAGEという物質を抑制してくれるので、アンチエイジングに期待ができる。
アントシアニンには運動のパフォーマンスを上げる効果もある。国際オリンピック委員会は運動のパフォーマンスが上がるサプリとして、カフェインや重曹を選んでいる。そのカフェインや重曹に匹敵するポテンシャルを秘めているのがアントシアニンだ。
また、ベリー類は総じて低カロリーで食物繊維が豊富である。食物繊維が多いと腸内細菌が増えて、腸内環境が整う。腸内環境は体を健康にしてくれる他、メンタルの改善にも役立つとされる。
「ブルーベリーなら食えるぞ。油断してると紫色が手とか口に移ったりするな」
「それは食べ過ぎよ。まあベリー類は酸化ダメージを減らしてくれたり、心臓や血管の病気のリスクを減らしたり、かなり優秀な食品よ」
ブルーベリーは一日100グラム程度は食べても問題ないので、甘味には持ってこいの食材である。ナッツやダークチョコレートに比べて食べれる量が多いので、小腹が空いたときも安心だ。
糖質はブルーベリー100グラムの内、10グラム程度しかない。糖質が少ない優良食品だ。
「確か家に冷凍のブルーベリーがあった気がする。明日持ってこよ」
「いいんじゃないかしら。ブルーベリーは生でも冷凍でも栄養素に変化はないしね」
野菜や果物は解凍と冷凍を繰り返したら栄養素が大幅に減ってしまう。冷凍が一回きりなら栄養素が大きく減ることはない。注意すべきはβカロテンで冷凍すると大きく減ってしまう。逆にビタミンEは冷凍保存で増える。
「冷凍したブルーベリーを持ってきたら、腹が減ってきたときにいい感じに自然解凍されてそうだ。まじでいいこと聞いた」
生でも冷凍でもジャムでもスムージーでもデザートでもパウダーでもブルーベリーの食べ方はたくさんある。工夫次第では毎日飽きずに食べれる。
「そういやさ、ブルーベリーは視力回復に効くんだよな?」
「残念ながらブルーベリーが特別目にいいというエビデンスはない。もともとは第二次世界対戦頃のイギリス人パイロットの目がいい人がブルーベリージャムを食べていたことから広まったようね。だからブルーベリーで視力回復は眉唾ね。仮に視力回復が期待できるとするなら、ルテインやゼアキサンチンかな」
どこまで効果が期待できるか定かではない、とダメ押しする華薔薇だ。
現代の技術なら安全に視力回復手術を受けれるので、わざわざ食品で視力回復を図る意味はない。レーシックや眼内レンズなどだ。
「そっかー、視力回復できたら一石二鳥だったのにな。あれだな二匹の兎を追いかけるとどっちも可愛いだな」
「何よその言葉は。二兎を追うものは一兎をも得ずでしょうが。諺くらいちゃんと脳に刻みなさい」
はーい、と桔梗は軽い調子で返事をする。
「あれ、ナッツ、ダークチョコレート、ブルーベリー、ああ、なんてことだ、どれもおやつやん。主食はどこ? 俺たちは何を食べていけばいいんだ。華薔薇は俺たちに餓死しろ、と仰るのか」
大袈裟な身振り手振りで桔梗は嘆く。
「いくらでも健康にいい食品はあるわよ。でもその前にもう少し、体に悪い食品を教えましょう。さっきは糖質が体に悪いと雑談したわね」
「血糖値がぶわーってなるからダメなんだろ。他にもダメな食品があるのかよ。本格的に食える食品が減ってくな」
「そうね、糖質に負けず劣らず体に悪いのは、加工食品よ」
お手軽に食べられる加工食品には精製された油や精製された糖が含まれている。簡単に美味しさを演出できて、カロリーが高くて栄養が少ない食品でもある。
「そんな加工食品が封じられたら、俺たちは何を食べればいいんだ。未加工品なんて、生野菜、生肉、生魚、生卵、果物…………ふむ、意外に食べれるな」
調理の手間はかかるが健康的な食品はいくらでもある。加工食品を食べなくても充実した食生活は送れる。
穀類も糖質過多なので、穀類も減らした食事を続けるのが体にいい食事となる。
「特に食べてほしいのが海藻やキノコ類ね。ビタミンやミネラルが豊富で糖質が少ないダイエットにも最適な食品よ。また食物繊維も多いから腸内環境の改善や免疫力アップも期待できる」
海藻もキノコも手軽に食事に加えられるので取り組みやすい。
「ふむふむ、海藻はハゲにもいいんだろ。将来のフサフサ対策にもなるな」
「海藻はハゲとは関係ないわよ」
「えっ!?」
ワカメが髪の毛を連想したようだが、ワカメをいくら食べても毛が生えるというエビデンスはない。
「毛が薄い人はビタミンDが足りないことが多いそうよ。ビタミンDは体のいろんな健康に必要だから、健康な毛にもビタミンDは必須よ」
「あぶねー、知らなかったら将来ハゲてたな。俺のじーさんハゲだからな、今から気を付けないと」
髪の毛の束を摘まんで桔梗はフサフサな未来を想像する。
「毛をフサフサさせるには、もうひとつ重要な要素があるわよ」
「まじか!? 神様仏様華薔薇様、俺のハゲはここにかかっている。誰だか知らないけど、俺を雑談部に導いてくれた女神様に感謝しないと、ああ女神様ありがとう」
天に向かって祈っている桔梗を無視して華薔薇は雑談を続ける。
「ビタミンAの取りすぎは抜け毛を加速させるのよ」
レバー、ニンジン、サツマイモ、ウナギ、ナチュラルチーズなどはビタミンAが多いので、抜け毛が気になるようなら、食べるのを控えた方がいい。
「んっ? なんて。聞いてなかったから、もう一回言ってくれ」
「嫌よ。聞き逃した桔梗が悪いんでしょ。どうして私が同じ雑談を繰り返さないといけないのよ」
残念ながら桔梗の女神様は雑談部へは導いてくれたが、雑談のやり方までは導いてくれなかったようだ。
「嘘だあああ、俺はハゲたくないぃぃぃ!」
雑談部で雑談に集中しない桔梗が悪い、華薔薇は優しくないのだから。
華薔薇の前で油断や気をそらすのは悪手中の悪手。いじって下さいとみすみす弱点をさらす行為。誰も桔梗を弁護できない。
「将来ハゲることが確約されたくらいで叫ばないでよ。ハゲでもかっこいい人はいるんだから」
絶対に髪の毛がないといけないルールはない。髪の毛の有無が優秀と無能を分ける指標にならない。
髪の毛は個性のひとつ。活かすも殺すもその人次第だ。
「まあ、ハゲた桔梗がかっこいいとは思えないけど」
「うおおお、ハゲたくねぇぇぇ。あだ名がタコは勘弁してくれぃ」
「あっははは。桔梗のリアクションは最高ね。つるつるピカピカの桔梗、悪くないわ」
華薔薇は脳内で桔梗の髪の毛を全て散らす。ビジュアルとしてとても面白いので、笑いの方向なら十分に活かせる。容姿だけで笑いを取るのは茨の道なのは確かだが。
「桔梗に新しい道が開けた祝福にもうひとつ体にいい食品を紹介しましょう。それはシナモンよ。スパイスとしてカレーの隠し味にしたり、シンプルにスイーツにしたり、コーヒーや紅茶の味付けにも使える万能調味料ね」
シナモンにはプロアントシアニジンという成分が含まれており、血糖値降下作用が確認されている。他に抗酸化作用や殺菌作用、血行促進作用もある。味意外にも優れた食品なのは間違いない。
「シナモンなんて知らんもん」
「…………………………………………………………………………………………………………ふぅー」
「無反応だけはやめてくれ。俺が悪かったから、せめてスベったことをいじってくれよ。そっちの方がまだマシだよ」
華薔薇だって正しい反応がわからないこともある。ああでもない、こうでもない、と思考を続けたが上手く考えが纏まらず、結果として無反応になった。
最終的には桔梗の失敗が与える影響は微々たるものなので、どのような結果でも問題ない。最後に行き着いた先が嘆息だった。
華薔薇には他意も、悪意も、善意も、恣意もなかった。単に考えすぎだった、しかも無駄に。
「無駄なことを考えすぎた新しい発見と一見すると思考停止にしか見えない反応は反省ね。日々これ精進なり」
「なんで一人で反省して、一人で解決してんだよ。俺のスベったモヤモヤはどうしてくれんだよ」
「私には関係から、自分で解決しなさい」
華薔薇に桔梗を助ける気はない。あるのは雑談を面白おかしくする気だけ。面白おかしく喋れるならボケを拾う。無価値と判断したなら容赦なく切り捨てる。華薔薇の雑談に対するスタンスは今も昔も変わらない。今まではメーターが振りきれた時の対応に不備があったものの、先のやり取りでその不備も修正された。
「さて、シナモンは十分に砂糖の代用も可能よ。砂糖を減らす第一歩にシナモンを代用するなんて使い方もできる。食事の途中から使って味変するのも、食事の楽しみが増えていいわ」
「ぐすん、シナモンが健康にも食事のスパイスにもいろんな意味で偉大なんは理解した。理解したけど、俺のモヤモヤは納まってないからな!」
「だから私は知らないって。そのモヤモヤは自力で解決しなさい。私に桔梗を助ける義理はない」
話にならない、と桔梗は諦めた。なんだかんだ寝てしまえばモヤモヤも忘れてしまう。華薔薇と付き合っていれば理不尽は日常茶飯事。繊細でも鈍感でも理不尽を受け入れるか、受け流すか、慣れなければならない。
桔梗は理不尽に慣れたため、寝ることで理不尽をリセットできるようになった。とても不本意な慣れだが、諦めるのも時として有効である。
「わかりました、わかりました。俺は俺でなんとかしぃまぁすぅ」
「それがいいわ。いつまでも誰かに頼ってばかりだと成長しないもの」
桔梗の粘着質な物言いは華薔薇には微塵もダメージを与えない。むしろどのような工夫をしてくるか楽しむ余裕がある。
既にいろんなものを創意工夫で手に入れてきた華薔薇と、これから手に入れようともがいている桔梗では立つステージか違う。桔梗が華薔薇に一矢報いるのは当分先になりそうだ。
「そうそう忘れてた、つい軽視しがちなことがあったわ」
「なんでい、俺たちは何を軽くしてんだい」
何か嫌ことでもあったのか桔梗の口調がおかしくなっている。
「水」
「水だぁ。水なんて毎日飲んでるっちゅうねん」
「体内の水分不足は深刻な事態を引き起こしかねない。血中の糖の濃度が上がったり、集中力の低下が起こるのよ。暑い日や運動中は気にかけても、普段から気にかけてる人は少ない。こういった人たちは水分不足の可能性は高い」
水をたくさん飲むと健康になるだとか、美肌になるということはない。ただし水分が不足していると脳機能の低下や肌質の悪化が起こる。水分不足の人が積極的に水分がを摂ることでマイナスを打ち消すことはできる。
「水なら苦もなく手に入るし、デメリットもない。お手軽に始められて、体も労れる。最高の健康ね」
「水道水でも問題ないのか?」
「ええ、大丈夫よ。水道水でもミネラルウォーターでも、軟水も硬水も関係ない。最低でも一日1.5リットル、できれば2リットルは飲みなさい」
水の種類は関係ない。体質と味に問題がなければ自由に選んでいい。水のまま飲むのが好ましいが、どうしても飲めないようなら味噌汁やスープで飲んでもいい。
最悪なのは水分が不足すること。
「それなら、今からでもできるな。水がそんなに大事だと知らなかった。脱水症状くらいは聞いたことあったけど。まさか『おかしを食べて何が悪いの』から、ここまで話が膨らむとは。メロン……メロン、うへへ」
メロンとの会話を思い出しているのか、それともメロンにアドバイスをする姿を妄想しているのか、とにかく邪な想像にトリップしている桔梗だった。
「気持ち悪いから、今日はこのまま放置しましょう」
妄想の世界に飛び込んだ危機管理を尻目に華薔薇は雑談部を後にするのだった。
本日の雑談部の活動は終えている。桔梗を部室に残したとて問題はない。
残された桔梗が妄想から帰ってきて、部室に一人残されて慌てふためくのは、もう少し先の話。
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