第36話 後進を正しく育てる[教えるテクニック]
「今回のお悩み萌葱さんからです。『部活に後輩が入ってきて、後輩を指導することになりました。ですが、今まで後輩を指導した経験がありません。何をどのように教えたらいいか分かりません』だって。どこの部活も後輩の指導は大変だよな」
ある日の放課後。
雑談部の部室では桔梗がいつものごとく悩み相談を華薔薇に持ちかける。
「生徒が生徒を指導? 教師は何をしているのかしら、どうやら部活を監督している教師はお飾りのようね」
「先生だって忙しいんだろ。あんまり責めてやるな」
「別に責めてないわよ。個人的な意見を述べただけよ」
日本の部活は往々にして素人が生徒を監督することがある。
「それに教師は教えることが仕事でしょ。技術的な面は難しくても、指導の仕方を教えることはできる。最低限の仕事もしない教師に何の価値があるのかしら?」
「……おぅ、一理あるな。確かに先生だって何もできないなんてことはないよな。何かしら貢献できるはず……」
教師に仕事はあれど、一度引き受けたのなら、最低限の仕事は全うしてほしい。それが華薔薇の素直な感想だ。
生徒に丸投げでは教師の役割を放棄しているに等しい。
「だから萌葱とやらには、誰か暇な教師を捕まえて、教え方を学ぶことね。私のような素人とは違って相手はプロなんだから」
「そっかぁ、それもいいかもな。先生は毎日教えてるもんな。華薔薇と違って教えた年数も桁違い。今回は華薔薇もお役御免かな」
「とはいえ、大半の教師は教科書の内容をなぞるだけのつまらない授業をしている。本当に人に教えられるか甚だ疑問ね」
教師の仕事は決められた範囲を決められた時間以内に教えること。教師が内容をなぞっているだけで、教えた気分になっている教師は多い。
生徒に覚えさせて、理解させている教えるプロはほとんどいない。
「ってどっちやねん。結局、先生に聞いてもいいの?」
「教えるのが本当に上手い一握りのプロなら聞く価値があるのは確か。そこらの有象無象に聞いても意味はない」
教えることが上手い教師は生徒の実力を何倍にも引き上げる。だが、教科書の内容を読み上げるだけの教師は生徒に何も与えない。
「見極める目があるなら教師に聞くのもありね。教えのなんたるかを知らない萌葱には無理な話ね」
「それじゃあ、萌葱に諦めろと?」
「そうね。教えのプロに当たるまで諦めないか、自分で勉強することね」
「華薔薇は相談に乗ってくれないの?」
「いいこと桔梗、ここは雑談部。面白おかしくお喋りする場所。決してどこの誰とも知れない人の悩み相談に乗っかる部活じゃない」
華薔薇のスタンスは変わらない。雑談部はあくまで雑談する部活。誰かの悩み相談の受付は行っていない。
「さてと、今日は後輩を導く教え方でも雑談しましょうか」
「やっぱり、悩み相談に乗ってくれるじゃん。このこのぉ、いけずな華薔薇」
「悩み相談じゃないわ。私たちがこれからするのは雑談よ。勘違いしないで」
桔梗の中では悩み相談も雑談も同じだが、華薔薇の中では悩み相談と雑談は完全に別物。
両者の認識の違いがいつか大きな悲劇を生むかもしれない。
「教えることで一番大切なのは、根性ーーーーなんてことはなくて、行動に目を向けること」
「びびった、まさか華薔薇が根性が大切なんていつもと真逆のことを言うから焦ったぜ」
時には根性が大事な場面があるが、教える際に根性が大事と主張していては技術が身につかない。
「まず、教えるには相手を観察することから始まる。相手のことを知らずして教えるのは不可能」
「当たり前と言えば当たり前だな」
「教えるということは、間違った部分を正し、正しい行為を深めること」
相手の情報がなければ、間違っているのか正しいかが分からない。まずは相手の行動の是非を知らなければならない。
「教えられる側にも承認欲求があるから、成長して認められたい欲がある。行動したら認めることも大事よ」
「承認欲求か、俺もあるぜ。ゲームでハイスコアを更新した時は、やっぱ称賛が欲しくなるもんな」
教えることに終止して認めることを忘れたら、部下や後輩もついてこない。成長を見せたり、努力をしていたら積極的に認めよう。
「承認欲求を満たすためにも、まず動機や目標を知る必要がある。何で活躍したいのか、どんな技術を身につけたいのか、将来のプランはあるのか、それとも友達に誘われたからなのか、成長の方向性が見えないと認めることもできないし、教える内容も分からない」
「そっかそっか。この前ゲームをしてたらさ、俺は素材を集めたかったんだけど、リーダーはボスを討伐するって意気込んでて、なんだかなぁ、って思ったところだよ。俺の目的も確認して欲しかったよ」
一人一人動機は違う。教える側と教わる側に齟齬があると上手く噛み合わなくなる。
目標に合った指導が必要である。
「目標が分かっても、すぐに指導に入ってはダメよ。まず自分の人間性を伝えないといけない。誰だって見ず知らずの人に教えてもらいたいとは思わないもの」
学校で生徒が大人しく授業を受けるのは相手が教師だからだ。プロとして免許を持っているから認めている。これが教員免許も持ってない見ず知らずの人だったら不信感しかない。
教える側と教わる側に信頼関係がないと指導はスムーズに進まない。両者に壁があると指導もよそよそしくなる。
「あー、いるよな、そういうの。オンラインゲームで一切自己紹介しない奴。一応仲間にするけど、何ができるか分からないから手探りになって、時間の無駄なんだよ。これができる、あれはできない、って教えてくれたらもっとスムーズに攻略できんだけど」
「初対面なら尚更、情報の開示は必要ね。趣味、尊敬する人、失敗談、功績など、話して距離を縮めることね」
最低限の人となりが分からないと教わる側の不安が解消されない。特に生徒が生徒を指導するとなると、本当に大丈夫か分からない。
指導する実力があるか不明な場合はより一層の信頼関係が必要になる。誰も素人から教わりたいとは思わない。
「うんうん、信頼関係は大事だよな。それこそ、俺と華薔薇の信頼関係みたいにな」
満面の笑みを浮かべ、自信満々で宣言する桔梗がいた。
「えっ!? 何を抜かしているの? 私が桔梗を信頼しているですって? 冗談が過ぎるわ」
「あっれぇぇぇ? 俺って華薔薇から全く信頼されてない!?」
自信満々だっただけに驚愕もひとしおな桔梗。雑談部の活動には信頼関係は必要ないらしい。
「じゃあ、どうして俺は雑談部にいるの?」
「それはーー」
「それは、(ごくり)」
「面白要因として、でしょ」
何を当たり前のことを聞いているの、と華薔薇はさらりと答える。
「あっれぇぇぇ、俺ってお笑い要因だったの!」
華薔薇からすれば桔梗は雑談を面白くするための舞台装置だ。あれば便利だし、凝った演出もできるようになる。
雑談部というシステムの一部だから、信頼関係は必要ない。必要なのは正常に動作すること。
「もしくは呼ばれてないのに勝手にやって来る図々しい来訪者」
「ちょっと待ってよ、俺って雑談部の一員だよね。正式に入部してるよね?」
「安心しなさい。ちゃんと桔梗は雑談部に入部しているわ。…………あれ、名簿リストに桔梗の名前はあったかしら?」
所属している所属していないは華薔薇の中では重要ではない。そのため記憶が定かではない。
「確認してくれよぉぉぉ! 実は雑談部に入部してませんでした、は浮かばれねぇよぉぉぉ!」
「別にいいじゃない。桔梗が雑談部の部員でも部員じゃなくても、些細なことよ」
特に桔梗のために動く気のない華薔薇だった。雑談部に入部しているか気になるなら桔梗自信が確かめるしかない。
「そうそう、信頼関係を築くには失敗談を話すことが一番よ。不本意ながらさっきの私のようにね」
「うっわ。俺の話、ガン無視で元に戻された。でも、俺もこれには慣れっこさ。ちゃんと雑談の続きができるんだ。こほん、失敗談を話すことが何で信頼関係に繋がるのさ?」
「簡単に言うと共感を得られるからよ。指導者や先輩の経歴というのは普通見えない。だから自分から話すことで、自分と同じだ、と思ってもらえる。同じと思ってもらえたら、教わる内容も受け入れやすくなる」
教わる側にはちゃんとできるか不安な気持ちがある。先に失敗を話すことで、失敗を過度に恐れなくなる効果も期待できる。
「それに失敗を話せば、後輩が同じ失敗をしない。明らかな間違いを繰り返しても時間の無駄。わざわざ失敗を犯さなくていい」
教わる側は何も一から始める必要はない。先人たちが築いた失敗を避けることで、より早く先人たちのレベルに達することができる。
「要はショートカットよ。ゴールまでの道筋が見えているなら、回り道しても意味なし」
「合理的っちゃ合理的か。失敗すると分かってやらせるなんて、意地も悪いしな」
「何事も経験だ、なんて戯れ言を抜かすようなバカがいるけど、そんな奴の指示なら従わなくていい。無駄を強要するなんてバカの極みよ」
分かりきった結果を踏襲しても得られるものはない。得られるとしたら、教える側の優越感だけ。
教える側の役割は成長を促したり、望ましい行動を取らせること。決して自己満足のための道具ではない。
「教える側と教わる側の心構えが整ったら、具体的に教えていくことになる」
信頼関係を築いてようやく下地の完成。ここからは具体的な指導に入る。
「信頼関係があるだけで、教えられるなら苦労はないよな。俺も友達にゲームのテクニックを聞かれたことがあるけど、上手く教えられなかった」
「へぇ、桔梗が教師の真似事をしたのね。その時はどんな方法で教えたの?」
興味本意から華薔薇は桔梗の指導方法を聞き出す。いつも教わる側の桔梗が教える側に回る貴重な機会。今回を逃せば、次がいつになるかわからない。そもそも次があるかも定かではない。
「確か、最初は言葉で説明したんだけど、全然伝わらなかった。結局、俺が実践して、見よう見まねで覚えてもらった」
「なるほどね。教える内容は大別すると知識と技術に別れる。桔梗の場合、知識が全然教えられなくて、技術を真似させることで教えたのね」
「ほへー」
知識と技術と言われても、実践したな真似してもらっただけの桔梗は何が何やら。
「桔梗の場合、知識は技の名前やテクニックの名前、それとどんな効果が得られるのか。これらが知識に当たる」
知識は実際の動きではなく、頭の中に叩き込むもの。
「一方、技術はボタンのタイミングや操作手順、どこに注意を向けるか。こういった体で覚えるものね」
知識は聞かれたら答えられるもの、技術はやろうとすればできること。
「ほうほう、そうやって分解されると俺でも教えられそうだ。技もテクニックも名前は知ってるし、タイミングもバッチリ覚えてる」
「知識と技術に別けると指導する順番や教える範囲が明確になるのよ。それに相手が技術のない頭でっかちか、知識の要らない感覚派か、どうかも知れる」
「なるほどな。あいつもゲームの素人じゃないから名前なんかは知ってたけど、タイミングが取れなかったんだよな。だから実際にやって見てもらったら、簡単に覚えたよ」
「教えるというのは、相手の不足を補うことよ」
知っていることを教えても意味がない。知らないことをなくし、できないことをできるようにするのが教えることの本質。
後は、中途半端にできることや間違っていることを正すことも教えることの意義だ。
「でもさ、どうやって知識とか技術とかのリストを作るんだ? 教えるには元になるのが必要だよな」
「それは簡単よ。できる人の行動を真似したらいい。ゲームでも仕事でも部活でも、飛び抜けて成果を上げる人の行動を観察して重要な要素を抜き出すの。それをリストにして、一つ一つできるできないの判定を下す」
一人の行動を抜き出すと偏りが出るので、サンプルは多いのが理想だ。優秀な部分だけを抜き出すので、リストの通りに覚えるだけで優秀な人材の出来上がりだ。
「それは分かりやすそうだ。できなかったら教えて、できるようならそのままでいいもんな」
「そうよ。だから教える側が大事なのは教わる側の能力を把握すること。どこまで知っているのか、何ができるのか、を把握しなさい。注意しないといけないのは、このくらいならできるだろう、これは当たり前、なんて勝手な思い込みで相手の能力を類推しないこと。必ず、リスト通りにチェックすること」
一人一人生活も性格も違う。常識は文化や世代によって変わる。また、自分の常識が他人の常識とも限らない。
自分の常識は他人の非常識と心得ないと、認識の食い違いで痛い目を見る。
「ちょっと面倒だな。もう少し楽にならない?」
「ならない。最初で躓くと後から取り返しがつかない。だから怠るのは厳禁ね」
最初さえ乗り越えれば、後は楽になる。
これができるのはAさん、こっちはBさんに頼む、と基準がはっきりしているので、あれを任せるのは誰にしよう、と迷う必要がなくなる。
最初は時間をかけて能力の把握に勤めるのが吉だ。
「さて、能力の把握も済んだら、いよいよ指導に入るわけだけど。桔梗はどんな言葉で指示を出すのが最適だと思う?」
「うーん、そうだな。俺がやったのは……もっと早くとか、さっきのは遅かった、みたいな」
「それじゃあ全然ダメね。指示や指導は具体的な表現が一番よ。もっと早くは何秒なの? それとも何フレーム? せめて、キャラクターが腕を曲げたら、着地したら、エフェクトが発生したら、みたいに具体的なタイミングを教えなさい」
曖昧な言葉は抽象的なので、受け取り手によって大きく異なる。
アンドリュー・モーブッシンとマイケル・モーブッシンが1700名を対象にした実験で曖昧な言葉に対するニュアンスの違いを測定した。
『ほぼ間違いなく起こる』という言葉は低い人だと20%の確率で起こると答えた。対して高い人だと80%で起こると答えた。
他の言葉だと、『常に』は90%から100%。『通常』は50%から85%。『絶対ない』は0%から5%。
常にや絶対ないでさえ意見が割れている。曖昧な言葉を使えば大抵の場合、正確には伝わらない。
だからこそ具体的な表現が求められている。
「そっかぁ、それならもう少し上手く伝えられていたな。ここでボタンを押す、このタイミングでボタンを放す、だったらできるぞ」
「具体的かつ誰が見ても誤解のない表現が大切よ。次からは桔梗も意味を履き違えない表現で指導して上げなさい。…………桔梗に次はあるのかしら?」
桔梗の指導が下手すぎて嫌気が差して、別の人の元に向かっている可能性が捨てきれない。
「今でもオンラインで繋がってるわ。勝手に俺の友達を減らすんじゃあねぇ!」
「あら、よかったわね。でも、教えて欲しいなんて、先の件よりなかったんじゃない」
「ぐっ!」
図星を刺された桔梗はしかめっ面になる。感覚で生きている人は指導に向かない典型だ。
「ふっ、桔梗の数少ない友達なんだから、大切にしなさいよ」
「俺の友達は少なくねぇよ。オンラインでもオフラインでもたくさんいるわ。むしろ華薔薇の方が友達少ないだろ」
「あらま、これは一本取られたわ」
華薔薇の友達はかなり少ない。
その代わり一人一人が何らかのスペシャリストであり、強い繋がりがある。そのため指摘されても痛くも痒くもない。
どんな状況になっても助けてくれる友達はかけがえがない。しかし、弱い繋がりも捨てたものじゃない。
顔見知りや知り合いの知り合いといった関係を弱い紐帯という。弱い紐帯の場合、自分とは異なる環境や生活スタイルを持っている可能性が高いので、新たな情報や自分が知らない知識をもたらしてくれる。
強い繋がりにも弱い繋がりにもメリットがある。知り合いだからダメ、親友だからダメということはない。
「具体的に教える重要性は理解できたと思うけど、どうすれば具体的な条件を満たすと思う?」
「分かりやすい、ことかな?」
「分かりやすいのは大事ね。でも、分かりやすいという言葉が既に具体的ではないわね」
分かりやすい指示を出すのは間違っていない。ただ、分かりやすいを基準にすると行動の指針が立てにくい。
「行動分析学にはMORSの法則がある。計測(Measured)、観察(Observable)、信頼(Reliable)、明確化(Specific)の頭文字を取ってMORSの法則」
「その4つを満たす指示を出せばいいのか?」
「その通り。行動をカウントできる、もしくは数値にできるのが、計測。誰から見ても同じように見えるのが、観察。誰が見ても同じように認識できるのが、信頼。何をどうするか決まっているのが、明確化」
きちんと整理整頓するではなく、机の上に物は置かず、全て引き出しにしまう、と変換する。
たくさん勉強するではなく、毎日夜8時から1時間参考書を解く、と変換する。
このようにすれば、誰から見ても違いはないし、行動したかも一目瞭然である。
「なるほどねぇ、教える際は計測、観察、信頼、明確化の4点を意識すればいいんだ」
「誰にも誤解を与えず、全員で同じ情報を共有すること。これなら伝達ミスも起こらない」
「しかも分かりやすいな。いつ、どこで、どうしたらいいか分かるから、迷うこともない」
教えるとは、伝えなければならない情報を過不足なく伝えること。または、望ましい行動を取れるようにすること。
「教える際に注意したいのは、一度に教えることは三つまでよ」
「えっ、三つ? 少なくない。効率を考えたら、もっと教えてもいいでしょ?」
「欲張ってもいい結果は得られないわよ。一度にたくさんのことを言われても覚えられない。仮にメモを取っても優先順位を決めたり、情報の取捨選択をしたりして、処理しきれない」
多くのことを同時に処理しようとすると、脳のリソースがそれぞれに割かれてしまう。これではマルチタスクになってしまうので、効率が悪くなる。
「だから、即席栽培は狙わないこと。一つずつ確実に成長させること」
「そうだな、ゲームでも同時にクエストを三つも四つも受けてると、ごちゃごちゃして余計に時間がかかるんだよ。当初は同じエリアで採取できるから効率がいいと思うけど、結局採取を忘れてもう一度同じ場所に出向くんだよ。何度二度手間を経験したことか」
同時に複数のことに挑戦しても大抵の場合、どれも中途半端になる。よくて一つ二つを終えられるだけ。結局、順番に終わらせていくことになる。
ならば、最初から一つのことに全力投球して、素早く終わらせるに限る。
もし、同時に複数をこなそうとしたら、最初に綿密な計画を立てるしかない。
「でも、人って面倒な生物だから、正しいことを教えるだけでは、教わる側のモチベーションが続かないこともしばしば」
「それは、仕方ないな。俺だって雑談部で色々教えてもらってるけど、時には足が重くなったりするよ」
「全く…………贅沢な悩みね」
桔梗は雑談部で雑談するだけで華薔薇の博覧強記に触れられるのだ。簡単に人生に役立つ見聞を広められる。
もう少し桔梗は恵まれた環境にいることを認識した方がいい。桔梗が同じ知識を得ようと思えば、何百倍もの努力が必要になる。
「憐れな桔梗は横に置いといて。スモールゴール、要は簡単な目標を設定することね。数日か数十日で達成できる目標を小まめに設定し、都度成功体験を重ねてもらう。成功体験は大きな原動力になるから。モチベーションの維持には最適よ」
スモールゴールをクリアすることで、着実に大きな目標に近づける。モチベーションも上げて、ゴールにも近づく。
「それとスモールゴールを達成したら褒めることも忘れないように。人は認められるとモチベーションが上がるから」
「分かるわぁ。やっぱ褒められると嬉しいよな、シンプルに」
褒めるという行為は相手に快感を与える。現金を与えられたのと同じくらいに脳は活性化する。
簡単にモチベーションを引き出せるので、褒めて損はない。
「それと、教える際にはやらなくていいこも教えないといけないわ」
「やらなくていいことを、わざわざ教える必要があるのか? やらなくていいなら、普通やらないだろ」
「そうでもないわよ。特に新人は右も左もわからない。何が余計なことか判断がつかない。やらなくていいことで時間を浪費するのは無駄よ」
経験を重ねれば、必要なことと不必要なことの判別は簡単にできる。しかし、新人はそうはいかない。何もわからないから、新人なのだ。
「それに、よかれと思ってやったことが裏目に出るかもしれないでしょ。だから、しっかりやらないリストを作ること」
やらなくていいことに一生懸命になって、時間を無駄にするのは忍びない。教えるのが上手い人は成功の手助けをし、失敗の道を防ぐものだ。
「最後に大事なことを教えて、今日の雑談の締めにしましょう」
「珍しいな。華薔薇がきっぱりと最後だなんて、主張するのは」
「私にもたまには趣向を変えることもあるわよ」
同じことを繰り返していては飽きが来る。定期的に面白要素や変わった要素を導入して、飽きないように対策している。
どんなに好きでも毎日同じものを食べ続けていると食べるのが嫌になるのと同じだ。味変は大切。
「それで、最後に伝えたいのは、相手の『わかりました』を信用しないことね。分かってなくても、とりあえず分かりました、と頷くケースは多いわ。だから習慣で答えている場合がある、本当は分かっていないのに」
「それな! 俺も言ったことあるし、言われたことある。分かりません、って言いにくいから、一応『分かりました』って言ったものの、どうしていいか分からず聞き直すんだよ」
本人が分かっていないのに羞恥心から言い出せないパターンは多い。同じ説明を二度もさせるのは忍びないと思い、分からないまま進めてしまう。
教える側は理解していると認識しているため仕事を割り振るが、実際は理解していないので、遅々として仕事が進まない。
認識の齟齬は早めに対処しないと大きな瑕疵になる。
「もう一つパターンがあって、本人は理解している気になっている場合ね。実際には中途半端にしか理解していないのに、全部を理解している気になっている天狗もかなりの割合でいるわ」
「それも、あるあるだ。後から何気ない確認で気づくんだよな、認識の違いに」
この場合、本人は理解した気になっているので、改めて質問したり確認することがない。しかも大枠での認識は同じなので、教える側も間違っていると気づけない。
細かいすり合わせがないと気づかない。
「『わかりました』の罠ってヤバイのな。俺も気をつけないと」
「そうね。桔梗はよく分かった分かったって言ってるものね」
「そうそう、いつも雑談部では分かった分かったって言ってるけど、実はよく分かってなかったり……そんなことないからっ! ちゃんと理解してるからな」
「どうかしらね? 私は桔梗が理解しているか、試したことがないから何とも言えない」
華薔薇の目的は雑談だ。教師のように教えることために活動してるのではない。あくまで自分が楽しむためにしている。
桔梗が雑談の中身を理解していようが、してまいが重要ではない。ただし、何度も同じ説明をさせられると嫌気が差すこともある。
「それなら、どうやって対策すんだよ。俺が分かりましたって言って、その言葉を信用できんのか?」
「一番簡単なのは、復唱させること。言葉なら重要なポイントを押さえているかチェックする。スポーツなら、ゆっくりでいいから実際に動いてもらうことで確認する。覚えていれば問題なし。間違いがあるようなら、その場で訂正する」
言葉を理解していれば、同じ趣旨の内容を語れる。
動作を伴うなら、実演してもらえばいい。最初から全てをマスターすることは難しいが、重点を押さえていれば問題ない。
「ふむふむ、復唱か。よし、分かったぜ」
「…………いや、分かったなら私の言葉を復唱しなさいよ」
「はっ!?」
桔梗が本当に理解していたなら、復唱を実践していただろう。華薔薇に理解していることを示すには復唱することが一番だった。
どうやら桔梗が教える立場になるのはまだまだ先のようだ。
「時間があったり、内容が複雑な場合はレポートを書いてもらうことね。手間はあるけど、教わって感じたことや本人の言葉を知れるいい機会よ」
「うへぇ、それはダルい。レポートは勘弁してくれ」
レポートだと教える内容が客観的に見え、冷静な判断を下せる。教え方の問題点も見えてくるので、教える側と教わる側の双方にメリットがある。
「なら、今回はいい機会ね。今日の雑談部の活動内容をレポートにして提出しなさい。桔梗の理解度のチェックをするわ」
「オーノー、薮蛇だったぜ……とほほ」
「たまには私も私の成果を確認したいもの。だから、レポートは絶対ね。提出するまで、桔梗の雑談部参加は禁止ね。雑談したかったら、さっさとレポートを提出するように」
「……はーい、分かりました。分かりましたとも、ばちっとレポートを仕上げて、華薔薇をあっと驚かせてやる。首を洗って待ってろよ」
あら、それは楽しみね、と華薔薇は不適な笑みを浮かべ、雑談部の活動を終了させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます