第5話 場違いな衣装 その5

 幹線道路沿いには、多くの若者たちが自慢の愛車を停めて、今夜の一大イベントのイルミネーションに合わせるべく備えている。車外に特殊なスピーカーを設置して、周囲には何の配慮もなく、派手な音楽を巻き散らしている。聞き慣れないハードロックの大音量が、辺り一帯に響き渡る。恋人たちの聴き取れないひそひそ声のほとんどを、かき消していく。通行人は驚いて目を見張ったり、とっさに耳を塞いだり不快な反応を示している。ほとんど裸のような恰好の男女が入り乱れて、首の後ろに両手をまわして抱き合ったまま、その場でくるくると廻り、踊り狂っているグループもある。誰が一番派手なのか、誰が一番うるさいのかを競い合っているかのようだ。


 言うまでもなく、今日の一大ショーは、彼らのような衆目を集めたいだけの人種を対象としたものではない。呼んでもいないのに、『人混みが好きだから』という、不要な混乱を呼ぶだけの理由で、節操もなく集まってきているわけだ。ああいった不埒な行為を、自宅の周辺で行うのではなく、わざわざ大都会まで出て来て、見も知らぬ他人の目に見せつけたい、といった歪みきった欲望が、人間の心理の内部にどのように発生してくるのか、そして、発達していくのかについて、私としてはまったく分からない。台所の下の暗い物置の内部において、大量に繁殖した汚いドブネズミたちが、狂ったように踊ったり、時間をもて余すと、仲間の首を長い爪で掻き切ったり、共食いを始めたりするようなもので、容易に理解しがたい。


 中には、今夜の祝祭を一緒に過ごすためのお相手が、いまだに見つかっていない哀れな人も多くいる。彼らはこの夜のために、磨きに磨いてきた、自分の車に気怠そうにもたれかかり、心の中では、半分以上諦めのある中で、通り過ぎていく派手な格好の女性たちを『何とか、こちらのモノにはならんか』と、鋭い目で値踏みしているわけだ。言うまでもないが、盛りをやや過ぎてしまったこの私に対しては、こういったタイプの若者からも、なかなか声はかからないわけだが。ニット帽を深く被り、地味で馴染んでいない、黒いコートを強引に羽織っているから、おそらく、彼らが期待しているような、うら若き上等な獲物には見えにくいのだろう。彼らは二十代前半で、なるべく若く、なるべく男性経験の少ない、暗い森の奥深くに用もなく迷い込んできて、急に不安に襲われ、大声で助けを求めているような、可憐な美女を探しているわけだ。


『これから劇場に行くんでしょ? 乗せていくよ、どう?』

『美味しい店、知ってるよ、一杯だけ、どう?』


 相手構わずに放たれる、そんな無法な掛け声が、あちこちで飛び交っている。こちらは少しうつむき加減で、歩むべき道の幅だけを見ている。自分の歩むスペースだけがあればいい。街中に不穏な空気を感じれば、警察も動き出す。すでに何台かの巡回中のバイクとすれ違った。仕事の開始間際だが、心はあくまで冷徹なままに。こういう場で懐に武器を潜めた人間とはまったく思われずに、鼻から無視されているということは、自分の魅力が周囲の女性たちと比べていくらか足りなかったからであろう。『一度も声がかからず、非常に悔しい』とさえ思えなくなったら、女としては、そろそろ失格だろう。そのくらいのことは、何となく理解できているのだが。


 そんな瞬間、待ちわびていた携帯のベルが、けたたましく鳴った。すぐ前を腕を組んで一緒に歩いていている、派手なワンピースを着た若い女性二人と、自慢の愛車を飛ばして遊ぶための友人がここへ来ることを待っている、眼光鋭い長い茶髪の別の男性が、こちらの呼び出し音に気がつき、すぐに反応して振り返る。物珍しそうに、私がどのような対応をするものか確認しようとしているのかもしれない。ここは、例え一刻であっても戸惑いを見せてはならない。


『今夜、一緒に劇場に行く約束をしていた彼からの不本意な電話が、今になって、ようやくかかってきて不機嫌になる女性』を上手く演じればやればいい。私はこちらに視線を向けた数人に対して、余裕の笑みを披露してから、三歩ほど壁際へ寄り、『遅かったわね、待ってたわよ』とでも言いたそうな顔をつくりながら、電話を耳に押しあてた。


「つい先ほど、相手役が外出の準備に入ったとの連絡がありました。ホテルの入り口からですと、あと十五分からニ十分ほどで接触できると思います。すぐに現場に向かえますか?」


「はい、そういうことでしたか。交通機関に遅れがあったんですね。連絡がなくて焦っていましたが、とりあえず、順調なようで安心しました。こちらの準備は万全です。それでは、約束の場所で主役をお待ちしています。これから彼女に会えることが、とても、楽しみです」


 ろくに演技も出来ない、するつもりもない、相手側の無神経さなど、周囲に微塵も悟られぬように、慎重にそう答えると、何の未練もなく電話を切った。それをバッグに戻す前に、眼前を行き交う通行人たちの表情や視線を、逐一確認した。おそらく、これは職業病だろう。案の定、誰の視線も、それぞれの向かう先や望む先にあり、道の脇に佇む、私の方を注視している人は誰もいなかった。とにかく、開幕のベルは鳴らされたわけだ。さあ、これで余計な行動をダラダラととって、時間を潰していく必要はなくなったわけだ。それでは、足を速めよう、と思った矢先、思いがけなく、路上の方から声がかかった。


「お姉さん、電話の方はどうだったの? 彼氏は今夜、来れないって感じかな?」


 陽気な声で語られるその口調は、明らかに自分に対して向けられていると思われた。左後方を振り返ると、前方のライトを明々と光らせた、4WDの漆黒の巨体が見えた。声の主は後方の荷台に座り込み、いくらか所在ない様子で、『話し相手が出来るなら、もう、誰でもいいや』とでもいった様子で、あきらめ半分で、くつろいでいるように見えた。私に対しても、冷やかしではなさそうだが、衣服を含めた自分の外見と、誰かと連絡を取っている場面とを見られたのは確実だった。組織の連中の憶測をも裏切る形で、すでに歩を進めており、私の現在位置は、約束の現場までものの数分の距離である。ここで処置を誤ると、後々面倒なことになる。すべての疑いを払拭するために、すぐに対応を考えなくてはならない。


「上司からのつまらない電話だったのよ。これから仕事だから、その細かい指示を受けただけなの。とにかく、口うるさくて嫌になっちゃう!」


 寒さを凌ぐ以外の用途を到底考えられぬような、どこの大衆デパートにおいても、在庫処分のバーゲン価格で売られているような、生地が薄い、安物の黒いコートをひらひらとさせながら、『この格好で、オシャレな街でのデートはないでしょう?』と、仕草を添えて答えてやった。


「なるほど、そうでしたか。もし、時間が空いているなら、少しお高い店でお食事でもいかがかと、思ったんですけどね。こんな夜に、流行りの店に一人では入りにくいですから……」


「ありがとう、こんなに魅力的なお若い方から誘って頂けただけでも、十分に嬉しいわ。そうね、これから、華やかなイベントが始まって、特別な夜になるんですものね。こういう出会いは特に大切にしなきゃね。もし……、仕事があっさりと片付くようなら、その帰りに、また、この道を通ると思うから……」


 その男性はこちらの丁寧なお断りを、少しも疑わぬ様子で、幼さを含んだ、にこやかな表情のままで、何度か頷いた。そして、『君の仕事が終わるまでは、ここで待ってるよ』とばかりに、少し名残惜しそうに、その手を振ってみせた。その表情には、軽薄な無法者たちが、ナンパに失敗したときに見せる、独特の悔しがり方とはまるで違っていた。それはつまり、今、声をかけてみた女性(ひと)は、逃がしても、あまり悔いのない程度の獲物であったとも取れるわけで、『あの女が、あと五歳ほども若ければなあ、少しは本気になって、追いかけてやっても良かったんだが』という、軽い口惜しさも見え隠れしていた。誘いを無視して、その手を払いのけて強引に通り過ぎたり、首を大きく振って断ったりした途端に、こっちの足元に唾を飛ばしてくるような連中だって世の中には腐るほどいる。それに比べれば、彼の対応は非常に紳士的であった。棘がなく、無邪気で明るい笑顔が特にこちらの気を引いた。もし、趣味の方向が少しでも合っていれば、楽しいトークの出来そうな男性だった。こんなに緊張するイベントの最中でなかったなら、お茶の一杯くらい、付き合ってみても良かったのだが……。


 ずいぶん広かったはずの歩道は、それぞれ何の関連も持たないはずの通行人たちの群れによって、徐々に混雑を増していき、旅行者たちの自由度をも狭めていった。本来はただ安いレストランでの食事のために訪れた人々も、次第に、この波のゆく手に興味を持たざるを得なくなっていた。最初は広場のようにみえた空間が次第に埋まり始めた。自分にとって大切な儀式のために、せっかく準備をしてきた素敵な花束が崩れて落ちないように、胸の前で力を込めて大事に抱えた。その態勢のままで、野次馬たちを半ば強引に掻き分けながら、前へ前へと進まなければならなくなった。このまま、活気あふれるイベント参加者で埋もれる大通り沿いの道を、自分を妨害する通行人たちの背中を強引に押しつつ、真っ直ぐに進んでいった方が、距離だけで考えれば、明らかに近道ではあるのだが……。どうしよう、あまり目立つ行為をとってトラブルを引き起こすと、大勢の通行人に服装や顔を見られ記憶されてしまうことになるし、気が立っている客に睨まれ、それ以上に不要なトラブルに巻き込まれるかもしれない。短気に身を任せて口論を起こし、警察が寄ってきてしまったら最悪だ。それに、万が一の事故に巻き込まれた際には、この人混みでは逃走しづらくなる。さらに言えば、今夜のフェスタに乗っかろうとする人たちで、本来の移動予定時刻よりも、大幅に早い時間でありながら、すでに沿道が人で埋まってしまっている。そのうち、つまらない欲に駆られて、物見がちにデパートの閉店セールにでも突入したときのように、この場で身動き一つ出来なりトイレや食事でさえも、ままならなくなるのかもしれない。そういう事態になってからでは、素早い判断や機敏な動作はきわめて難しくなり、本来の任務に入る前に、脱出不可能になってしまうだろう。


 右手に若者に人気のコーヒーショップの派手な看板が見えてきた。その内部には、休息のための席を求める人たちで余計に混み合っていた。テーブルを囲んでいる、派手に着飾った数人の若い女性とガラス越しに目が合った。『せっかく、並んでとれた席を貴女なんかに譲るわけないでしょ!』こちらは何も申し上げないのに、怖い視線を向けてそう訴えているようにも見えた。


 距離的には少し遠回りになるが、次の分岐点で、一度右折して、狭い路地に入っていく方が結果的には良いのかも……。その場合、逃げ道が多少心配にはなるが、無難な結果に収まるのなら、その方がいい。


『今夜について言えば、街は相当混むでしょうけれど、貴女の出番がくる時刻までには、イベントホールに繋がる歩道には、観衆も警官たちも、まだ少ないはずです。なるべく、無関係者に外見を見られないように、現場まで移動するだけなら、ほとんど問題はないはずです』


 あの野郎、裏付けがまったくない、曖昧な情報ばっかり流しやがって! 絶対的な根拠の伴わない情報は、実行する者にとっては、肝心なときに余計な迷いを呼ぶことになる。きちんとした裏付けが取れていない情報であれば、無理にこちらの耳に入れてもらう必要はない。非常の時に余計な混乱を招くからだ。それから、数分も経たないうちに、歩道の上の通行人たちの量は、どんどん増えていくように思えてきた。心臓は高鳴り、不安は否応なしに増していく。私は意を決して、街の中央を貫く大動脈をあきらめて、先ほど思いついたばかりの、裏の路地を進む作戦に出ることにした。慣れない現場と、初めて顔を合わせる相手がいる以上、そのすべてが思い通りの方向に進む仕事などあり得ない。裏社会で働く人間なら、常日頃『それほど大金が欲しいのなら、少しは危険に身を晒せ』と、口酸っぱく言われているわけだし、現にもっと大勢の人の目に自分の身を晒しながら、火炎の上の、細い綱をハイヒールで渡っていくような、非現実的で無慈悲な仕事だって、これまでに何度となくこなしてきたわけである。目撃者となり得る通行人が、思っていたより多いくらいのことは、大したアクシデントではない。 


 暗い路地はいくらか入り組んではいるが、この広大なベッドタウンのあちこちを、碁盤の目のように結んでおり、方向さえ合っていれば、目的地の具体的な見当はつかなくとも、ほんの少しの向きの修正で無事にたどり着けるはずだ。やはり、晴れ着に身を包んだ人々は、この暗い裏路地には、ほとんど姿をみせなかった。駅前の小さな本屋で購入してきたような、全米中の都市でばら撒かれている、大雑把な地図しか持ち合わせていないはずの旅行者たちが、小型の拳銃さえ携帯していないにも関わらず、わざわざ、視界もほぼ効かない不穏な空気漂う裏道へ入って来るとは考えにくい。『大通りを使うことが適切』という当初の予定を覆すという、この大胆な判断であったが、実のところ、正解だったのかもしれない。ただ、ここからは警察の巡回に余計に気を払う必要がある。もはや、ただ迷子になっただけの観光客を装うことは難しくなったからだ。

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