蟲の跫音

深見萩緒

蟲の跫音


 古いものには蟲がわく

 人の気配が薄れてゆき

 人の興味が薄れてゆくと

 暗闇に指先を彷徨わせるやうに

 ごそごそ、ごそごそとかすかな音を立てながら

 蟲たちは古さへ進出する


(音盤はいくつも積み重なつてゐる

 しかし、針を失くしてしまつたのだ)


 誰からも忘れ去られた再生機器から

 聞こえてくる

(かさこそ)

 聴こえてくるだらう

(かさこそと)

 それは蟲たちの跫音あしおと


(いや、磁気テヱプの絡まる音だ

 きみは所在なく鉛筆の頭をかじつていた)



 白と黒の混じり合うざらついた音

 蟲たちは古さの表面を這いずりまはり

 そこに染み付いた愛着や

(ぼくがきみを好いてゐたことや)

 記憶や、指紋や、生活の匂ひなどを

(きみの記憶や、きみの指紋や、きみの遺した匂ひまでも)

 小さな爪やはさみでもつて

 かじり、切り取り、ついばんで

 灰白色の埃として排泄する


(きみが分解されてゆく)

(きみが分解され、埃になつてゆく)



 きみは微笑んでゐた

 全身を蟲たちにたかられて

 しかし彼らを疎ましがることなく

 目や鼻や耳や

 爪の隙間や臓腑の奥や頭蓋の内側まで

 彼らを

(忘却を)

 受け入れて

(受け入れてしまつて)


 慈愛に満ちた顔つきのまま

 思へば古さとは、私たちの背に貼り付いてゐるものなのだと

 優しく言ひ聞かせてゐた

(……ぼくに?)



 有線放送の流す歌は

 どれもぼくには新し過ぎる

 ぼくも古さに浸されて

 少しづつ、少しづつ

 かじられ、切り取られ、ついばまれて

 埃になつてゆくのだらう


 ぼくのいのちや、幼い頃の思ひ出や、かなしみや、さびしさも

 すべて溶け合つて、均一な塵となる


(そこに死の苦しみはあるのだらうか

 それとも、死は歓びだらうか)



 雨が降り出した

 ラヂヲが雑音を吐き出し始めた

 いや、これは蟲の跫音なのだつた

 ぼくは煙草に火をつける

 蟲たちが、ぼくのまぶたをかじつてゐる


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蟲の跫音 深見萩緒 @miscanthus_nogi

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