チョコレートにご用心
長月そら葉
スイートチョコレート
今日は満月だ。月明かりが優しく地上を照らし、二月に入ったばかりの静かな夜を見守っている。
晶穂は自室で、スイーツのレシピ集を見ていた。次はこれを作ろうか、あれもおいしそう。そんなことを考えながら、美しいケーキの写真を眺めている。
灰色の長い髪を桃色のシュシュで一つにくくり、肩にはカーディガンを羽織る。
「次の休みは、これ作ってみようかな。林檎……はないけど、近いものはあるし」
晶穂が選んだのは、アップルパイだ。ジャムを塗ってキラキラと輝くパイが、食欲をそそる。
しかし、ここは異世界ソディールだ。勿論、地球にある林檎はない。
林檎に近い果物を思い浮かべ、明後日までに
時計の針は二十二時を差す。そろそろ寝なければ、とベッドへ向かおうとした。
その時、コンコンコンと扉が叩かれる。
「こんな時間に? 誰だろ」
「晶穂、いるか?」
「え……リン?」
リンはソディールの自警団・銀の華の二代目団長であり、晶穂の恋人だ。
藍色がかった黒髪と赤い瞳が特徴的で、容姿も顔つきも整っている。その為に、異性同性関わらずモテる人だ。
更に戦闘力が高く、性格も優しく仲間思いで真っ直ぐだ。何故こんなに素敵な人が自分の恋人なのか、と晶穂はたまに不安になる。
もしかしたら、夢ではないかと考えて。
晶穂は慌ててカーディガンの袖に腕を通すと、パタパタと走って部屋の戸を開けた。そこには確かに、寝間着にしている黒のパーカーと同色のジャージ姿のリンが立っていた。
ちなみに晶穂は、濃い灰色のカーディガンの下に薄桃色の長袖ワンピースを着ている。少しだけ部の厚いそれに、寒い時は緩いパンツを合わせることもある。
「どうしたの、こんな時間に……?」
「ちょっと、お前の顔が見たくて」
「!?」
晶穂の顔が真っ赤に染まる。頬が熱くて、胸がぎゅっと苦しくなった。
(な、何!? いつもそんなこと言わないのに、どうして)
もう、頭の中はパニックだ。
リンは、普段割とクールだ。人前でバカップルのような態度を取ることも無ければ、二人きりであってもある程度の節度を持って接してくる。
本当に稀に、甘い雰囲気に包まれることはあるが、それも短時間のことだ。
それが寂しいかと問われれば、晶穂は
だからこそ、どうして良いのかわからない。
こんな時間に晶穂に会いに来ることなど、これまで一度もなかったのに。
ジェイスか克臣の指示かと思い廊下を覗くが、彼らの姿はなかった。
「晶穂?」
「あ、ううん。何でも、ない」
「……入っても?」
「うん……」
断るという選択肢はなく、晶穂はリンを部屋に入れた。そして、ベッドに二人で腰掛ける。
「……」
「……」
恋人になって一年以上経っているにもかかわらず、晶穂もリンもまだかなりの照れがある。手を繋ぐのも肩を寄せ合うのも、かなりの勇気が必要だ。
いつもならば。
「晶穂……」
「っ!」
そっと、リンの手が晶穂の手を握った。恋人繋ぎのそれに、晶穂の心臓が跳ね上がる。嬉しさと恥ずかしさが同時に巻き起こり、晶穂は勇気を出して少しだけ指に力を入れた。
すると、リンも握り返す。強く、痛くないくらいの力加減で。
「あの、リン。今日はどうし……」
「お前がソディールに来て、もう二年……いや、三年になるのか」
「うん。もう、そんなに経つんだね」
思い返せば、リンと出会ったのは偶然だった。
大学入学初日に図書館で出会い、それからアルバイト初日に狩人から助けられた。それをきっかけにソディールという異世界があることを知って、様々な経験をした。
「まさか、自分が異世界を知ることになるなんて思いもしなかったよ」
「俺も、まさかあっちの世界の奴を連れてくることになるとは思わなかったよ」
くすくすと笑い合い、場が少しだけ和む。
しかし、晶穂がほっとしたのも束の間だった。
「リン?」
リンが真っ直ぐに晶穂を見詰め、戸惑う晶穂の頬に触れる。びくっと反応した晶穂を愛しげに見て撫でると、そっと距離を詰めた。
思わず目を閉じた晶穂の唇に、温かくて優しいものが触れる。それが何度も繰り返され、キスされているのだと判断出来なくなっていく。
その甘い刺激は唇だけでなく、頬や額、耳にも落ちて来る。
「り、リンっ……んっ」
「好きだ、晶穂」
ぼおっと霞がかった晶穂の頭の中に、染み込んでいくリンの真っ直ぐな言葉。その意味を理解するにつれ、晶穂は心臓が痛いほどに拍動していることに気付く。
全身が熱くて、赤く染まる。恥ずかしくて、幸せで。体に力が入らなくなる。
「きゃっ」
ぼすん、と晶穂の体は仰向けになった。柔らかなベッドが体を支えてくれ、痛みはない。
しかし晶穂の目に映ったのは、天井ではない。赤く火照ったリンの顔だった。
リンによってベッドに手首を固定され、身動きを取ることが出来ない。先程までのキスで骨抜きにされた晶穂は、潤んだ瞳でリンを見詰めた。
晶穂の黒い瞳に、熱っぽいリンの表情が映る。
「あの、リン。これ以上は……」
「かわいいよ、晶穂。一生懸命で、他人想いで、真っ直ぐで。そんな晶穂だから、俺は……」
「え、ちょ……きゃんっ」
褒め言葉とキスの嵐を許容し切れず、いっぱいいっぱいになった晶穂は何も言い返せない。
しかし、突然電池が切れたようにリンが覆い被さってきて狼狽えた。ドクンドクンという言葉では言い表せない程の緊張に覆い尽くされ、晶穂は動けない。
しかし、しばらくしてリンが動かないことに気付いた。何かあったのかと顔を青くするが、静かな寝息が聞こえて来て脱力する。
「寝てる、だけ……。驚かせないでよ、もう」
「……あき、ほ」
「っ」
寝言だとわかっていても、耳元で名前を囁かれるのは心臓に悪い。
ドキドキが収まらず、尚且つ動けずにいた晶穂は、そろそろと体をずらしてリンの下から這い出ることに成功する。
ようやく一息ついた晶穂だが、寝ぼけたリンに後ろから抱き締められて悲鳴をあげかけた。なんとか思い留まり、抜け出そうとしたが抜けられない。
「……あったかい」
大好きな人に抱き締められて、嬉しくないわけがない。
やがて安心感と眠気に負け、晶穂も目を閉じて寝入ってしまった。
翌朝。
朝の陽射しに起こされたリンは、自分が何かを抱き締めていることに気付いた。それが晶穂だと知った途端、ぼんやりとしていた頭が覚醒する。
「あ、晶穂っ!?」
「……んっ、リン?」
「お前、何で俺の……ベッドじゃない?」
はたと自分がいる場所に気付き、リンは顔を真っ赤に染める。それにつられ、晶穂も赤面しつつ説明を試みた。
「き、昨日、リンが夜にわたしのところに来たんだよっ。それで……そのまま寝ちゃって」
まさか、普段言わないような言葉を言われ、キスをたくさんされたなどと口に出来るわけもない。晶穂が色々とすっ飛ばして説明すると、リンは腕を組んで考え始めた。
「昨日……? 待てよ、昨日の夜か」
「何か、あったの?」
晶穂が問うと、リンは頷く。
「ああ。昨日の夜、『もう二十歳過ぎてるし良いだろ』って言って、克臣さんが酒入りのチョコレートを持って来たんだ。チョコレートは好きだから数個貰ったんだが……部屋に帰って寝たと思っていた」
「……」
リンの話で、何故彼が普段しないことをしたのかわかった。つまり、リンは酒に酔っていたのだろう。
覚えていないのも無理はない。リンは酒に弱いため、滅多に口にしないのだ。
晶穂はほっとしたような残念なような、どちらとも言えない複雑な気持ちを抱いて苦笑した。
「もう。寝ぼけて
「悪い。……っ、頭
「はい、水飲んで」
「助かる」
晶穂からコップ一杯の水を貰い、リンはそれを飲み干した。
それから、他の誰かに気付かれる前にと自室に戻ることにする。
「じゃ、迷惑かけたな」
「ううん。……あ、あのね」
「何だ?」
廊下に出て歩き出したリンを、晶穂が呼び止める。
まだ頭痛がするのか、リンは若干顔をしかめながら体ごと振り向いた。その彼の胸に、晶穂が飛び込む。
「あっ、晶穂!?」
「……昨日の、お返し」
「お返し?」
「何でもない」
狼狽して赤面するリンを見上げ、晶穂は小さく微笑んだ。自分の頬が熱いこともわかっているが、晶穂は頑張ってそれを無視した。
いつか、昨晩の出来事がお酒のない状態で本当になることを期待して。
そっとリンから離れ、もう一度彼の顔を真っ直ぐに見る。
「リン」
「ん?」
「―――大好き」
「つっ。……」
愛しさを一言に籠め、晶穂は精一杯の気持ちを伝える。
晶穂の告白に息を詰めたリンは、そっと向かい合う晶穂の細い指に自分のそれを絡めた。まだ酒が残っているのかもしれないなと思いながら、硬直した彼女の耳元に囁く。
「俺も、晶穂が大好きだ」
「―――っ、うんっ」
泣きそうに潤む晶穂の瞳を見て、リンの中で何かが溢れそうになる。それをぐっと堪え、照れ笑いを浮かべるに
この後、何処かで見ていたらしい克臣とジェイスに、リンが散々からかわれたのは言うまでもない。
―――――
この物語は、本編終了の後のお話です。
本編『銀の華~宿命は扉の向こうに~』も宜しくお願い致します。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054896272424
チョコレートにご用心 長月そら葉 @so25r-a
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