空色

 おとうさん、と驚いた声が響いた。


 ばたばたばたとせわしない音が聞こえる。頰が冷えている気がする。肩に誰かの手が置かれる感触。揺さぶられている。揺さぶられている? 誰に。ここはわたしの家のはずで、ここにはわたしひとりしかいないはずで、わたしは、いや、なにを言っている。わたしには娘がいるじゃないか。

 薄く目を開けて、じわじわと視界を広げていく。ほら、目の前に心配そうな娘の顔が。けれど、あれ? 五年前、いや。五年前の怪我ならまだ完治はしていない。いやそうじゃない。そうじゃない? なにがそうじゃないんだ。とりあえず娘を心配させたままではだめだ。大丈夫。大丈夫ですよ。ちょっと、そう、眠っていただけですよ。そう、わたしは眠っていたのだ。夢だって見ていた。夢? 眠っていた? 夢を見ていたのだろうか? いいや、わたしはずっと彼女に出会い続けていたはずだ。めくるめく夢を……夢? どんな夢を見たのだっけ。夏。遊具、草、電車。ベンチ、本。夏……夏? 夢なんて本当に見たのだっけ? ああ、もう、横になったままだからこんなふうに寝ぼけたことばかり思うのだ。

 彼女に手助けをもらい、ソファの上に座りなおす。まだ不安そうな彼女に、本当に大丈夫ですから、と心配させたことを謝る。

 どうせなにか深く考えごとでもしていたのだろう、と思った。それでいつの間にか眠りこんでしまったのだ。もうかけらも思い出せないけれど、きっとわたしは夢を見ていた。本当に、ただそれだけなのだ。だから、そんなに泣きそうな顔をしないでください。

 ようやく心配するのをやめてくれたらしい彼女が、床に投げ出されていた洗濯物の山をゆっくり持ち上げる。白い靴下、濃い青のワンピース、黒いズボン、水色のブラウス、薄いグレーのポロシャツ。

 抱えきれなかったひとつが、かたまりからぽとりとこぼれた。

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スリッパ クニシマ @yt66

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