9 青騎士の誓約(6)【完】
「さよなら、って……?」
しかしメテオラはわたしの問いには答えず、すらりと立ち上がると背を向けた。先には星空を透かす大きな窓がある。メテオラはそちらへ足を踏み出し、歩きながら上着を脱ぐ。どうやらここから飛び去るつもりらしい。
嫌な予感がする。ここでメテオラと別れてしまったら、もう二度と会えなくなるような……。
「いやだ……、まってくれ」
とっさに口からこぼれた言葉に、自分自身思いがけず心を掴まれる。
百年後の世界に連れ出してくれたのがメテオラでよかった。きっとほかの誰かでは、わたしはいつまでも百年前のまま、いま目の前にある世界を愛することができなかった。
メテオラのことを信じられたのだって、わたしひとりの心がけの話ではない。わたしが崖から落ちそうになったとき、シロカネを助けたとき、鳥の悪魔に襲われたとき、地龍に飲みこまれたとき、そして政庁までの道のりでも、いつもメテオラが手を差しのべてくれた。へらへらと笑いながら、まるで平気な様子で事態の矢面に立ってくれた。特効薬のためだけに、はたしてあれだけのことができるだろうか。
どんなときも、わたしに力を貸してくれた。感謝しても、しきれないほど。
床を手で掻くようにして立ちあがる。
わたしの胸のうちにあるやわやわとした塊りには、感謝だけではない手触りがある。夜空へと消えてしまいそうなメテオラの背を見つめながら、この感情に名前をつけてよいものかみずからに問う。
明確な理由もなく、ただ、ただ行かないでほしいと、こう心に。
「メテオラ、おまえはわたしが憎いか。それとも疎ましいか」
「なにそれ」
メテオラが立ち止まる。いつもはやわらかな声もいまは鋭い怒気を孕んでいた。
「わたしを縊ろうとしたのはそのためか」
「まさか! ルーチェを押さえつけながらおれがどれだけ苦しかったか……! 思い返すといまだって胸が張り裂けそうになる。特効薬を使っておけばと……砕いたことを心底後悔した!」
「だったらなんの問題もない。わかっているよ、おまえの本意でなかったことくらい。だからおまえはここにいていいんだ」
わたしは覚束ない足取りでメテオラに追いつき、その背中にしがみつく。そうしてから祈るように額を押しつけた。
「だってわたしは生きてる」
わたしがブーツを履いていないせいで、メテオラをいつもより大きく感じる。顔をあげると、目線のすこし上に首すじの紋様があった。わたしはそれを見つめながらもう一度繰り返した。
「生きてるんだ」
肩越しにメテオラが振り返る。スカイブルーの流星の眼差しがわたしだけを捉えている。清涼としたうつくしさのまま、わたしの言葉に揺らいでいる。
玄関のほうから話し声が聞こえた。ドアの開く気配がある。テオリアが客人と戻ってきたようだが、会話の内容まではわからない。
わたしはまっすぐメテオラを見つめた。
「メテオラ、わたしと契約を結ばないか」
「契約……?」
「そうだ。おまえのその罪の意識、わたしにも付き合わせてほしい」
メテオラは体をひねってわたしの片手を取ると、あのすこし冷たい手でぎゅっと握りしめ、向かい合った。
「言ってる意味わかってる? おれは一生自分を許せないかもしれないよ」
「そうだろうと思うからだ。おまえが自分を許せなくても、わたしがすぐそばからおまえを許し続ける。そうしないと、おまえはほんとうに一生背負い続けるだろう?」
「だけど」
「わたしの気が済むまでどんな罰だって受けるんじゃないのか。その覚悟は偽りか」
「それとこれとは話が……」
メテオラはしばらくわたしを見つめ返したまま、じっと息を詰める。その視線が一度わたしの後方を睨みつけて険しくなるけれど、ふたたびわたしへと向けられた。
「ほんとにその気がある?」
「帝国騎士に二言はない。もとの契約だって半端なままで終わりにはできない」
わたしは足を揃え、みずからの肩にこぶしをあてて敬礼した。
「誓おう。おまえをひとりきりにはしない」
メテオラはかたく握ったわたしの拳を、あの岩穴でしたように大きな手で包み込んだ。すこし冷たい手は輪郭がはっきりとしていて、わたしの肌にぴたりと添う。
「おれも誓うよ、ルーチェ。たとえ死がきみを連れ去ろうとも、冥府まで追いかけて死神をぶっ殺すね」
「物騒なおとこだな」
「そうだよ。だってきみはおれの光なんだから」
触れあう肌がかすかに震えている。メテオラの心に突き刺さった罪の意識は、わたしが想像するよりずっと深く重いのだ。メテオラはわたしの手をみずからの額へ押し当てて、胸を引き絞るような切れ切れのため息を静かに吐いた。
ありがとうと囁いて、メテオラはわたしの指先へとささやかな口づけを寄せる。それはあまりにも優しく、はかない。言葉でいうほど誓いを、そして未来の許しを受け入れきれていないメテオラの迷いや悔恨やみずからに対する怒りが、彼のそばから剥離してわたしの肌に降る。
吸い込まれるようだった。わたしはもう一方の手をメテオラの頬へ伸ばした。ざらりとした紋様を撫でて、爪の先で前髪をなぞる。わたしの様子に気づいたメテオラがわずかに顔をあげた。曇りのない、祈りたくなるような流星がゆっくりと瞬きをする。
わたしはその瞼をそっと撫でて、彼の頬に掠めるようにして唇を寄せた。
あーっ、というシロカネの声が後方からあがる。どうしてここにシロカネが、と思っているうちに、視界は流星で染まる。ほんの一瞬でわたしはメテオラにしっかりと抱きしめられていた。
「どうして、ルーチェ」
「おまえだけが誓いを示すなんて、それはあまりに不公平だ。わたしたちは永遠の味方だろう?」
眷属だとか、人間と悪魔だとか、そういった区分のない地平でわたしはメテオラの横に並び立っていたい。きっとそれが永遠の味方の姿だから。
メテオラは紋様を歪めるようにして、途切れ途切れに乾いた笑みをこぼした。
「なにこの盛大で完璧なプロポーズ……。もはや悔しいんですけど」
「はあっ?」
「だってそうじゃない? 罪深いおれと一生添い遂げてくれるんでしょ? 永遠の味方として」
「あ、ああ。そうだが……しかしプロポーズというのはちょっと」
わたしが口をもごもごとさせていると、メテオラはいつものへらへらとした笑顔を見せる。
「え、なに? それともおれのこと嫌いだった?」
「まさか、嫌いなやつと契約の話などしない」
「じゃあ、すきなんだ」
「すっ……!」
メテオラの大きな手がわたしの頬を包みこむ。その手がいつもよりずっと冷たく感じられた。……いや、そうではない。わたしの頬がいつもよりずっと火照っているのだ。
「そこは否定しないんだね。ルーチェのそういうところ、だいすきだよ」
言いたいことはあるのだけれど、うまく思考がまとまらない。メテオラはわたしと額をあわせる。
「契約成立だ、ルーチェ。死ぬまでおれをきみのものにして」
わたしたちにしか聞き取れないような吐息だけの声で誓いは結ばれた。
にっこりと隙なく微笑むメテオラに、わたしはなんと言葉を投げつければいいのかわからなくなる。
はたしてこの契約は結んでよいものだったんだろうか。わたしは大きな失態をおかしてしまったのではないのか……。
いや、そうではない。
失態は、はじめから失態なのではない。わたしがそうさせてしまうのだ。
そばにいればすれ違って傷つけあうことだってあるだろう。画一的な正しさだけではわかりあえないこともある。だが、だからといってすべてが過ちになるわけではない。そのたびに認め、許しあう道が必ずある。
わたしはそう信じたい。
透徹としたスカイブルーの瞳がわたしを見ている。
だって、どんな嵐の夜だって、ここにはうつくしい星が流れるから。
―おわり―
青騎士の失態 〜百年越しで目覚めたカタブツ女騎士とゆるふわ系ハイブリッド悪魔男の契約〜 望月あん @border-sky
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