梯子を掛けた先の雲

藤咲 沙久

そして僕たちは夫婦になる


「和装が見たいです」

「洋装以外却下です」

「自分にどれ程着物が似合うかご存知ないんですか」

「それは胸がない事が一因だとご存知ないんですか」

 ちゃぶ台を挟んで二人のにらみ合いは続く。両者とも譲る気はないようだった。

 恭子きょうこはつい数分前、一朗いちろうからプロポーズを受けたばかりである。何の異論も無いことはお互い承知の上だったため、滞りなく話は進んだ。しかし問題は次の一朗の発言から起こった。

「恭子さんの白無垢姿、楽しみですね」

 これが恭子の胸に引っ掛かった。なお、ここに大きさは関わらないものとする。そして突如始まったのが挙式をどのようにするかという戦いなのだ。

 本当に取っ組み合いでもする気なのか、恭子は先ほどから、利き腕をブンと大きく振り降ろす動きを繰り返している。空気を切る音すら響かせるそれに多少怯みつつも、一朗とて引こうとしない。

「恭子さんの特技は何でした?」

 少し考える仕草をしてから、恭子はキッパリとした口調で答えた。

「お茶とお花とお裁縫、あとは糠漬けを作ることでしょうか」

「そうです。それだけ純和風、むしろ古風に育っていながらどうして和装を拒むんですか」

 何を隠そう振袖姿の恭子に一目ぼれした一朗だ。漆を思わせる黒髪、絵に描いたような二重ふたえの目、視線を釘付けにする首筋。初めて会ったその瞬間から、息を飲む麗しさに骨抜きにされている。

 こんな美しい人に惚れるなど畏れ多いと思いつつも、惹かれずにいられなかった。そして、紆余曲折を経て現在に至ったわけだ。

 着物が大事なのではない。着物のよく似合う恭子が好きなのだ。だからこそ思い出に残る二人の一大イベントにも、白無垢を着てほしい。これが一朗の主張だった。

 対して、恭子は強気な表情を崩さない。

「いいですか一朗さん。和服が似合うことは大変結構です。でも良く考えましょう、白無垢には日本髪が定番ですよ。そして日本髪と言えばおでこバーンです。ご覧なさい、この猫どころでない狭苦しい額。そこにおでこバーンした日本髪のカツラを被る。バランスが悪いったらありません」

 まるで脅すように腕をもう一振りしてから、恭子は一朗を見据えた。何か文句があるかと言いたげだ。やっぱり怯みつつ、一朗は反撃の糸口を探す。探し過ぎて、実際に指先がそわそわと動いた。

「僕の意見に対する反論は分かりました。じゃあ、恭子さんがど~~~っしても洋装にこだわる理由とはなんですか」

「だから、おでこが」

「それは和装の否定です。洋装の肯定を聞かせてください。当然、あるんですよね?」

 恭子の目が一瞬揺れた。これだ。何かはよくわからないが、とにかく何かしらを掴んだような気がして、一朗はウロつかせていた指を止めた。

 ちゃぶ台の下で行われている小さな動きを知らない恭子は、ううんと唸る。

「笑いませんか、一朗さん」

「笑いませんよ、恭子さん」

 疑い深く視線を向けてくる恭子に、一朗は胸を張って見せる。

「いいですか、恭子さん。あれは吐く息も白くなる冬の日でした。まるで炬燵こたつを殻にしたカタツムリのように、それと一体化して和室中を這い回っていましたね。そんな貴女を目撃しても覚めなかった僕の愛をなめてはいけません」

は、コタツムリは最大限冬眠に近づいた冬の正しい過ごし方です! 炬燵に入ったまま移動する、素晴らしいスタイルです!」

 ハッとした表情を見せてから、恭子は「声を荒げてしまいました」と小さくなった。今日初めてしおらしくなった瞬間だ。一朗がにっこりと微笑む。

「雲にかけはしだと思った出会いから、素の貴女を知るたびに好きになっていった僕です。むしろ貴女の魅力は外見だけに留まらないとよく知っている。さあ、信じて話してください」

「……そこまで言われては仕方ありませんね」

 少しばかり不満げではあるが、恭子は諦めたように肩を落とした。腕を振り回すのも併せて中断される。さすがに高嶺の花のごとく感じていたとまで打ち明けられては、意地も張れないというものだ。

「教会でブーケトスをすることが……私の、長年の夢だったのです」

「え、衣装ではなくて?」

「そもそも衣装など気にしてないんですけども。意味があるのは、結婚式というイベントとブーケを投げることだけです」

 気持ちがいいほど断言した恭子を見て、一朗は少しの間ぽかんとしてから、ふはっと小さく吹き出した。それを恭子が見逃さない。

「今確かに笑いました。笑いましたね。そんな脆い愛では信用に値しません、これは求婚を承諾することから考え直すべきでしょうか」

「いや、その、違うんです。ふふ、結婚式が大事だと言ってもらえて嬉しくって。あと……ブーケを投げたいというのが、あまりに可愛くて」

 すっかり拗ねた様子の恭子だが、俯いたままの頬が徐々に染まっていく。蕩けた笑顔で一朗が繰り出す甘い賛辞にめっぽう弱いのだ。骨抜きなのは恭子も変わらないらしい。恥ずかしさを誤魔化すためか、またブンと腕を回した。

 一朗はすっかり林檎となった恭子を照れくさそうに見つめてから、ちゃぶ台に少し乗り出した。

「恭子さん、ひとつ教えてあげましょう」

「何ですかクスクス笑わないでください何ですか」

 恭子は振る動作を止めない。だというのに、さっきよりも凶暴な印象はずいぶんと薄れて見えた。それ、とそっと指をさして、一朗は優しく笑った。

「何をしているのかようやくわかったんですけど。ブーケ向けじゃないですよ、その投げ方」

 これじゃないと物が投げられないんです、と唇を尖らせる恭子も、一朗と目が合えば思わずといったように笑みを浮かべた。

「さっき、雲に梯と言っていましたね。高望みと思っていたのが私だけじゃなかったとは驚きです。だって一朗さんは……こんなにも素敵な人なんですから」

 ちゃぶ台を挟んで二人の見つめ合いは続く。恭子はつい数十分前、一朗からプロポーズを受けたばかりである。何の異論も無いことはお互い承知の上だったため、ここからが幸せな生活の始まりだ。

「ねえ恭子さん。挙式は洋装で、披露宴に和装で手を打ちますよ」

「……貴方も譲らない人ですね!」

 届かないと思いつつ梯子をかけた雲。落ちそうになっても必死で伸ばした手を、貴方は、貴女は掴んでくれた。それぞれにそんな愛しさを感じながらも、二人の戦いはもうしばらく終わらないようだ。

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梯子を掛けた先の雲 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

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