ガラスペンのワルツ

ヨウメイ

ガラスペンのワルツ

手紙を書く。

遠いところに住むあの人へ、

笑顔が素敵で、花のようなあの人へ、

喧嘩をしてしまったあの人へ、

もう手の届かない場所に行ってしまったあの人へ。

手紙を書く。

誰かの代わりに、

誰かと一緒に、

誰かのために。

「手紙書きさん、こんにちは」

「こんにちは。頼まれていた手紙なら、もう書き上がっていますよ」

「本当ですか。どうもありがとう。この羽と爪では、上手くペンが握れないのです」

部屋に吊るしていた便せんを、木で作った洗濯バサミから外して、丁寧に折り畳んで封をする。

「お待ちどおさま。お代は銀貨一枚でいいですよ」

「うん、いい出来だ。こちらがお代です、また頼みに来ますね」

そう言って、お客は綺麗な瑠璃色の羽をせっせと動かして、青い空に飛んで行った。

ここは夜が来ない街。朝と昼を繰り返す、太陽の街だ。

「ああ、いけない。インクが切れかかっている。替えはあったかしら……」

この街にはいろんな人が、いろんなものが住んでいる。その人たちの届けたい思いを、太陽みたいに赤いインクで文字に起こすのが、手紙書きの僕の仕事だ。

「しまった。これで最後のひとつらしい。また手紙を書かないと……何ヶ月ぶりになるのかな」

いろんな人が住んでいるから、僕は色んな思いを書き記さなければならない。そのためのインクは、とても綺麗だがすぐに無くなってしまうのだ。

インクが切れそうになったら、僕は決まってある人に手紙を書く。そうすると、インクの瓶が沢山入った箱と一緒に、嬉しそうな返事も帰ってくる。

「君は、元気にしているのかな」

夕暮れ時を知らせる鐘がなった。空はずっと青いままだから、この鐘の音が時間を知るたった一つの方法だ。

「もう暮れどきになってしまった。手紙を書くのは明日にしよう」

僕には仕事がもうひとつある。それは、書き上げた手紙を太陽に見せること。

ここで出来上がった手紙を太陽に見せないと、ここから出たときに夜に奪われてしまうのだ。

「これも、君が教えてくれたのだったね」

月の街、僕が住む太陽の街からずっと西にある、静かな街。かつて僕が、暮らしを営んでいた街。

そこに住む、大事な人。僕にインクと手紙をくれる大事な人との一日を、最近はよく思い出す。

「……あれは、満月の綺麗な夜のことだったかな」

君は、窓から丸い大きな月が見えるたび、便せんが欲しいと僕に頼んで来た。

夜の更ける頃に、コーヒーとスティックシュガーを持って君の部屋を訪ねると、大抵書き終えたばかりの手紙たちが部屋いっぱいに吊り下げられている。

月の光さえも眩しいくらいの静かな部屋には、君が使う青いインクの匂いが漂っていて、夢を見ているみたいだな、と思ったのを今でも忘れていない。

君は一枚手紙を書き終えると、そっとガラスペンを筆置きに寝かせて、窓から星を眺めては、

『はぁ』

と幸せそうにしていた。

『どうして満月の日に手紙を書くの?他の日ではいけないの?』

『うん。いけない。他の日ではどうしてもいけないんだ』

甘いほうが好きな君のために、もう充分甘くしてあるコーヒーに、スティックシュガーを三本分ほど注ぐ君。

『どうして?』

と、問いかける僕。

そうしたら君は笑って、

『満月の光を浴びせておかないと、この街を離れた時に朝にとられてしまうからだよ』

と穏やかに答えていた。まるで、あの月みたいに。

『満月の光?太陽の光はだめなの?』

『君は質問ばっかりだね。』

君がもう一度握ったガラスペンが、夜のとばりをぎゅっと集めて、吐き出して、夜そのもので体を飾っているのを見た。

『太陽の光は強すぎる。私の書いた文字は焼ききれてしまう。私のように』

『そうか。それは、少し残念だね』

『どうしてそう思う?』

今度は君が訊く番なのか、と言い返す。

君は、微笑んでやり過ごす。

『だって、君の言葉はうつくしいんだもの。世界の何より、うつくしいんだもの。きっと太陽はずるいと思っているよ。君が生み出す、うつくしい言葉を知ることが出来ないから』

『そうかい』

最後の一枚を仕上げたらしい君は、その手紙を洗濯バサミに挟み込んで、満足気に便せんだらけの部屋を見渡す。それが、仕事終わりの君のくせだった。

『なら、君が書けばいいんだよ。君が、太陽に君の言葉を見せてやればいい。道具は私が買ってあげる。やり方も私が教えてあげる。だから、やってご覧』

その翌日、少しかけた月が揺れている日、君は僕に仕事の道具一式を買い与えた。それから、少しのお金も。

『君が太陽に手紙を書いて見せてやるようになったら、太陽は喜ぶね。喜んで、ここに来てしまうかもしれない。私は多分、それに耐えられやしないから、残念だけどここでお別れだ。太陽の街に行くといい』

旅立つ日の夜には、僕が好きだった林檎のパイが食卓に並んでいた。君はずっと笑っていたけれど、今思うと寂しがってくれていたことに気づく。

「……それも、もうずっと昔のことだけれど」

今は、あの時貰った、君の目みたいにきらきらした赤いインクと、君の髪みたいにつやつやした白いガラスペンを思い出替わりに使っている。

君がよくやっていたように、机に肘をついて、手のひらで頬を支えて、指でリズムをとりながら、明くる朝を望んだ。君は僕と同じように、夜を待っているのだろう。

また、鐘が鳴らされた。眠っていた街が目覚めて、やがて活気に満ちていく。その喧騒の中で、今日も僕は筆を執る。

まずは君に手紙を書こうか。昨日諦めた、君への手紙を。

「おはよう手紙書きさん、頼んだ手紙は出来ていますか」

やあ、いけない。お客の願いを叶えてこその、街に一人の手紙書きだ。

「おはよう。もちろん出来ていますよ、今お渡しいたします」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ガラスペンのワルツ ヨウメイ @Honya_youmei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ