第3話

 


 次の土曜日。やって来た菅井は大きな袋を抱えていた。


「ドッグフードです。重かった~」


 おどけた表情をした。


「……ありがとうございます」


 袋を受け取ってブッチーを見ると、しっぽを振りながら菅井を見上げていた。


「ブッチー、一週間ぶり。会いたかったよ」


 菅井はそう言ってブッチーを抱き上げると、頭を撫でた。


「どうぞ。ホットとアイス、どちらにします? コーヒー」


 居間に通した。


「アイスを」


 即答すると、ブッチーとじゃれ始めた。




 菅井はアイスコーヒーを飲みながら、噛むとブーと音が出るブタのおもちゃと遊んでいるブッチーを眺めていた。優梨はアイスコーヒーを飲み終えると、話を切り出した。


「……菅井さん。ブッチーのこと知ってますよね? 以前から」


 その言葉に菅井は動きを止めると、顔を上げず黙ってブッチーを見ていた。


「あなたが捨てたんですか? ブッチーを。いや、ボギーを」


「……すいません」


 頭を下げた。


「……段ボール箱に捨てられているのを見つけて。飼うつもりで拾ったのですが、妻が動物嫌いなのを知らなくて。結局、また捨てることに。保健所に届けたら殺処分さつしょぶんされるかもしれない。そんな不安がよぎり、どうしたらいいかと困り果てていました。そんな時、引っ越してきたあなたを見かけたんです。この人ならかわいがってくれる。そう直感しました。優しそうなあなたに飼ってもらいたくて……」


 菅井はうつ向いたままでボソボソと言った。


「つまり、私をだましたんですね」


 優梨は語気を荒らげた。


「そんなつもりじゃ」


 顔を上げた菅井が弱い視線を向けた。


「だってそうじゃないですか。ブッチーに初めて会うような素振りで近付いて」


「すみません。……ブッチーに会いたくて」


 そこまで言うと、駆けてきたブッチーが菅井の頬を舐めた。そんなブッチーを菅井が優しく撫でた。その様子を見て、優梨はとがめる気力を失った。


「どうか、ブッチーを飼ってやってください。ブッチーの養育費は毎月払います」


「ぷっ」


 優梨が噴いた。人間の子供扱いで、“養育費”と言ったのが可笑おかしかった。


「お願いします」


 菅井は正座をすると、深々と頭を下げた。


「やめてください。そんなつもりじゃ」


「分かってます。でも、僕がそうしたいんです。どうか、お願いします」


 更に深く頭を下げた。


「……分かりました」


「ほんとですか?」


 一変して、菅井が少年のような笑顔を向けた。


「ええ」


「よかった。ブッチー、よかったな」


 菅井はそう言って、ブッチーを撫でた。ブッチーも嬉しそうにじゃれていた。


「一つだけお願いがあります。時々、ブッチーに会いに来ていいですか?」


「……ええ。菅井さんのブッチーでもあるのですから」


「ありがとうございます。やったー。ブッチー、やったー」


 菅井はブッチーを胸元に抱くと、頭を撫でながら見つめていた。ブッチーも菅井の顎を舐めながら喜びを表現していた。それはほのぼのとした光景だった。



 それからも、土曜日になると菅井はやって来た。来る度にブッチーのベッドやトイレを買ってきてくれて、ブッチーに必要なものはすべてがそろった。まるで、菅井が生みの親で、優梨が育ての親のようだった。


 

 優梨は畑に種を蒔いたり、レース編みをしたりして毎日を過ごしていた。そんな時、テーブルクロスの購入者からメールが届いた。


〈先日、篠田様のショップでテーブルクロスを購入した津島と申します。素敵な商品をありがとうございました。丁寧な仕上がりにとても満足しています。

 それで、お願いがあるのですが、ソファーの背もたれカバーを編んでいただけないでしょうか? デザインは篠田様にお任せします。時間がある時で構いません。よろしくお願いいたします〉


 それにはソファーのサイズが書いてあり、写真が添付されていた。早速、お礼の返事をした。


 優梨は七色の虹を感じた。菅井とブッチーの関係が明白になったことや商品の注文があったことで。これからどう生きるべきか、優梨は自分の進む道が見えた気がした。




 それは、樫の木が紅葉を始めた頃だった。味噌汁の具にする大根を畑から抜いていると、靄の中に何かが動いた。顔を上げると、黒いボストンバッグを提げた菅井が立っていた。


「妻と別れました」


 ぽつりと言った。


「……そうですか」


「自由の身になりました。で、一部屋貸していただけないでしょうか」


「えっ?」


「もちろん、家賃は払います」


 菅井はそう言って、まばたきのない目を向けた。


「クゥンクゥン……」


 家の中ではブッチーが嬉しそうな声で鳴いていた。


「ブッチーがお待ちかねですよ」


 優梨はそう言って、ゴム手袋をした手に持った大根の土を落とした。


「……ありがとう」


 菅井が小さな声で礼を言った。




 間もなくして、朝餉あさげの匂いと共に、楽しげにはしゃぐ子犬の声が聞こえてきた。





  完

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朝靄の中に 紫 李鳥 @shiritori

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