恋のおまじないはいい加減なものが多い

 狼の二人に導かれるまま歩いていくと、やがて三人は森の奥にある可愛らしい家にたどりついた。白い壁に真っ赤な屋根。窓枠は緑で所々に花が飾ってある。

 彼らはやはり『白銀の狼』に出てくるレティリエとグレイルだった。銀髪の女の子がレティリエで、黒髪の男がグレイル。彼らは夫婦になったばかりらしく、新婚ホヤホヤのカップルだった。

 レティリエが家の扉を開けて本間達に向き直る。


「はいどうぞ。ゆっくりしていってね」


 彼女に促されるまま本間は開いた扉に手をおく。分厚い木の板でできた扉は意外と重たかった。指でも挟んだら大変だろうと本間は片手で扉を抑えたまま姉を先に中へいれようと手招きする。


「姉さん。先に入って」


 だが、夏美は全く別のことを考えていた。

 先程レティリエと話をしようとした時、本間が近づいてきたと同時にグレイルが飛び出してきた。愛する女性を庇う男の行動に、夏美は感動していたのだ。


(私もあんな風にされてみたい……!)


 女性を庇うという行動は、何か危険なことがあれば真っ先に自分が盾になることを意味する。そんなことをされたら、絶対に嬉しいに決まってる。夏美は扉を押さえている本間を見上げた。


「続が先に入って」

「いやでも……この扉、結構重いよ。指を挟んだら大変だし、俺が開けておくから姉さんが先に入りなよ」


 本間の言葉に、夏美はプクッと頬を膨らませた。


「もし中に入って危険なことが起きたらどうするの? 私は続に守ってほしいの」

「もちろん守るよ? だからとりあえず中に入って」


 本間が優しく声をかけるが、夏美はますます頬を膨らませた。おそらく彼ら狼達の人となりを見ても、中に危険なものがないのは確かなのだが……例えば物音がしたりだとか、見慣れないものなどがあって驚いた時に、本間がパッと自分を守ってくれることを夏美は期待していた。だから、自分から先に入るわけにはいかないのだ。自分を守ってくれる本間が見られないから。


「続が入って」

「だから姉さん、この扉は重たいから。俺が押さえているうちに中に入って」

「続、違うの。続が先に中に入って、何か驚いたことがあったら私の前に飛び出してきて庇ってほしいの」

「は? え? どういうこと? だってなかには何もあふゅにゃひひょのはにゃひ」

「お邪魔しまーす」


 本間の頬をムニーッと両手でサンドイッチする夏美の後ろを、都道が颯爽と通っていった。

 

※※※


 中はカントリーハウスのような可愛らしい部屋だった。白い壁に温かい木の温もりを感じる木製の家具。窓枠にはレースのカーテンがかかっており、色とりどりの花が飾られていた。

 レティリエがお茶の準備をする為にキッチンに向かい、夏美も手伝うために彼女を追った。


「あの髪の毛が少し茶色の人があなたの好きな人?」


 軽く談笑をしながら並んでりんごを向いていると、突然レティリエが確信をつく発言をし、夏美は持っていたりんごを落としそうになった。


「どうしてわかったの?」

「さっき扉の所で膨れていたあなたが可愛かったから」


 レティリエがニコッと笑う。大人しそうに見えるが、なかなか鋭い女性だ。夏美はそっとレティリエに近付くと、彼女の耳元に口を寄せた。


「それ、あの人に言わないでね」

「もちろんよ。心の中で応援しているわ」

「あのグレイルって人はあなたの旦那様?」

「ええそうよ。私の大好きな人なの」


 そう言ってレティリエがクスクス笑う。女性が二人揃うと、すぐに恋の話になってしまうのは古今東西同じだ。それが例え異世界であっても。それを皮切りに、二人は和気あいあいと恋の話を始めた。いつから彼を好きになったのか、どこを好きなのか。どういう時にドキドキするのか。どういうことをされると心が弾むように嬉しくなるのか。

 一緒にリンゴの皮を剥きながら仲良く話す。レティリエが笑うと、獣耳の下で結ばれている青いリボンがサラサラと揺れた。


「そのリボン、可愛いね。ずっとつけてるの?」

「ええ。彼が可愛いって言ってくれるから」


 そう言って、レティリエはほんのりと顔を赤らめた。彼女は本当にグレイルのことが大好きなのだろう。同時に夏美の胸中もじんわりとあたたかくなる。


「レティリエちゃん。あのね、恋のおまじないを教えてあげる。そのリボンを借りてもいい?」


 夏美の言葉に、不思議そうに首を傾げながらもレティリエがリボンをほどいて夏美に渡す。夏美は胸元から油性ペンを取り出すと、リボンの裏側にさらさらと文字を書いた。


「これ。恋のおまじないなの。持ち物に好きな人の名前を書いておくと、ずっと一緒にいられるのよ」


 そう言ってリボンを返すと、レティリエが目を見開き、キラキラとした目でそれを見る。


「本当に?」

「ええ、本当よ。末永くお幸せにね」


 にこりと愛らしく微笑む夏美は天使そのものだった。

 しかし本間は知らない。夏美がありとあらゆる自分の持ち物に本間続と名前を書いていることを。ペンケース、鞄、ブックカバー。おまけに髪飾りに時計、ぬいぐるみなどなど。ここまでくると、もはやこれはおまじないではなく単なる本間の持ち物だった。

 そして夏美はお気に入りのレースのフリルつきハンカチとリボンがついた麦わら帽子にも本間の名前を書いている。このハンカチと帽子をうっかり失くしてしまい、これらが都道の勤務する警察署へ届けられるのはまた別の話。


 マイナスイオンを発しながら楽しく恋の話をする女性達をよそに、本間と都道はリビングのソファに座り、どうやってこの物語を完結に導くかを話していた。


「さて。どうやって作者にこの小説が未完の状態になっているかを伝えるかだが……」

「まぁこれを使うしかないよなぁ」


 腕組みをして顎に手を当てる本間に、ちゃっかり椅子に座った都道がテーブルの上に山積みになっている夏ミカンを指差した。なんとなく洞穴に置きっぱなしにしておくのも良くないと思い、グレイルにも手伝ってもらって全て持ってきたのだ。


「夏美さんから聞いたが、この作品はあらゆる場面でヤマモモがモチーフとして使われているようだ。これを使わない手はない」

「なぜヤマモモ?」

「花言葉が『一途』だかららしいな。ヤマモモの木の下でキスをするなど、ことあるごとに象徴的に使われている」

「なるほど」


 頷く本間を横目に、都道は夏ミカンをひょいと手に取る。


「今からありとあらゆる場所にこの夏ミカンを置く。サブリミナル効果のように夏ミカンを読者に刷り込むのだ。作者もヤマモモが『ミカン』に置き換わっていれば嫌でも気づくだろう」

「いやそれは暴論すぎないか? そもそも夏ミカンで『未完』を連想するなんてそんなうまい話があるか」

「問題ない。この作者は物語終了課を読みこんでいるからすぐにわかるはずだ。レビューも書いてる」

「あんまりメタ発言はするなよ。世界観が壊れる」

「ブーメラン刺さってるぞ?」


 そう言うと、都道は「だが試してみる価値はあるだろう」と夏ミカンを持って立ちあがった。壁にもたれかかって先程からずっとこちらの様子をうかがっているグレイルの側へ行き、チョイチョイと手招きして窓の側へいざなう。


「どうしたんだ?」


 いぶかしげな顔をしながらグレイルが身を起こして都道の側へやってくる。都道は持っていた夏ミカンを窓枠にそっと置いた。


「ちょっと今日から毎日このミカンの下でキスをしてくれないか」

「なぜだ?」


 グレイルが本気で困惑した顔をしている。無理もない。本間も同じことを言われたら同じ反応を返すだろう。


「俺達の世界のおまじないだ。これをやると、君の妻は永遠に美しく、可愛く、君にメロメロぞっこんだ」

「本当か」


 グレイルの目がキラリと光るのを見て、本間は目眩がした。


「もちろんだ。ついでに毎日寝る前に『みかーんみかんだみかなーだ』と三回唱えるとより効果的だ。間違えないようにな」

「間違えるとどうなる」

「君の妻が禿げる」

「本当か」

 

 間違えて覚えては大変とばかりに何回も呪文を繰り返すグレイルを見て、文字通り本間は頭を抱えた。真面目で素直な獣人と都道。この組み合わせは最悪すぎる。いや、逆にある意味でシンデレラフィットと言えるくらいに運命的な組み合わせだった。


 そうこうしているうちに、夏美とレティリエが切ったリンゴを皿の上にのせて持ってきた。


「おっ良いところに来たね。レティリエちゃんも、グレイル君とこのミカンの下でキスをしてくれないか?」

「キス……? どうして?」

「これをすると、俺達がもとの世界に帰れるかもしれないんだ。人助けだと思って頼むよ」


 都道が申し訳なさそうに両手をあわせてお辞儀をすると、レティリエが頬を赤らめながらチラリとグレイルを見上げる。金色の目で視線を返してくるグレイルを見て、レティリエは恥ずかしそうに俯いた。


「……目を瞑っててくれる?」

「もちろんだよ」


 そう言って都道が両手で顔を隠す。だが、指と指の間が不自然にあいていた。これはあれだ。絶対に指の隙間から見る気だ。

 まぁ都道に会ってしまったのが運のつきだ。本間と夏美も静かに目を伏せる。暫しの沈黙。


「……はい、もういいわ」


 目を開くと、レティリエが恥ずかしそうにグレイルの後ろに隠れていた。都道の言う通りにしてくれたのだろう。都道がニヤニヤしながらうんうんと頷くと、今度は本間に向き直る。


「あれー? おかしいな。まだミカンの効果が低いみたいだ。ここは本間君、君もやりたまえ」

「は?」


 正気か?


 だが、都道は笑いを隠しきれませんみたいな笑顔で夏美を呼んだ。


「夏美ちゃん、悪いんだけど今ここでキスしてもらえる? ほっぺでいいからさ」

「いや姉さん。こんなやつの言うことに付き合わなくていいから。さ、真面目に他の方法を考えよう」

「続。やるわよ」

「姉さん!?」


 意外にも夏美はやる気だった。いやもうやる気しかなかった。夏美が目をきらりんと光らせながら本間に近付く。


「あら、続も有名なおまじないはいくつか聞いたことあるでしょう? 消しゴムのカバーの下に好きな人の名前を書いておくと恋が叶う。金色の折り紙を財布にいれておくと金運があがる。夏ミカンの近くでキスをすると元の世界へ戻れる」

「いや最後のやつだけ時空を超えてるからね?」


 「いいから」と言って夏美が静かに目を伏せる。本間もつられるがままに夏実の両肩に手を置いた。

 伏せられた瞼を彩る長いまつげが色白の肌に影を落としている。正直に言ってものすごく可愛い。自分の胸が激しく鼓動を打ち始めるのを感じる。おいおい嘘だろこんな付き合ってもいないのにいきなりキスは無い。ああでも姉さん可愛いなぁじゃなくて違う違う違う。ここは断らなければいけないんだから。ああでもやっぱり姉さんは宇宙一可愛いんだけどそうじゃなくて、いやそれより原作を差し置いてよくわからないコラボ作品でこんなことしてはいけない、でも姉さんは可愛いああーーーーーーーーーーーー



 ───────


 気がつくと、本間は自分の家にいた。どうやら無事に戻ってきたようだ。都道が側で笑い転げているが無視する。姉も無事のようで本間は安堵のため息をついた。

 夏美にスマートフォンを貸してもらう。なぜだか姉がすごい形相をしていたようだが、多分気のせいだ。スマートフォンの画面を確認すると、ディスプレイの上には「完結済、65話」の文字が踊っていた。


「ふぅ……一件落着か」


 本間がどさりとソファに座り込む。休日なのにこんなことに巻き込まれてクタクタだ。


「まさかweb小説のステータスひとつでこんなことになるとはな……上にも報告しておかなければ」

「でも思ったより面白そうだな、web小説って。俺も好きなものを詰め込んで書いてみるか」

「絶対にやめてくれ」


 都道の「好き」が詰め込まれたweb小説なんて考えただけでも恐ろしい。嘘だよ、と都道は笑っていたが、その指先は既に手に持つスマートフォンでカクヨムのアカウントを登録していた。


 窓から夏の風がふわりと入りこみ、部屋を夏みかんの香りで満たしていった。

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【コラボ作品】目が覚めたらそこは、狼の森でした 結月 花 @hana_usagi

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