緑のアップルパイ VS 無口男子
micco
緑のアップルパイ VS 無口男子
きれいな夕焼けの空。ちぎれた雲も、誰もいないグラウンドも真っ赤に染まっている。
あぁぁあぁドキドキする……!
私は胸に抱えた紙袋が潰れないように、そっと、でもしっかり抱え直した。中には家庭部で作ったばかりのアップルパイが入っている。
友達の
でも私はどうしても出来たてを食べてもらいたくて、科学部の鳳凰院くん――ホウくんの部活が終わるのを、今か今かと校門で待っている。
「どうしたのかな、遅いなぁ」
とっくに部活の時間は過ぎてるのに、と私が呟くと、一緒に待ってくれていた優花がスマホから顔を上げた。
「ミィ。私、塾の時間だから先に帰ってもいい?」
「あ、ごめんね優花! ありがとう。うぅ、ひとりで渡すの緊張するぅ。ホウくん喜んでくれるかな」
「……あんた達付き合ってるんだよ。大丈夫でしょ。絶対大喜びよ! じゃ、また明日」
ユウカの長い髪が夕陽に透けて揺れるのを見送って、あたしは紙袋をそっと見下ろした。
大喜びなんて、きっとしてくれないよ……。
透明な小窓がついた、100均ショップの可愛い紙袋。でもその小窓からは焦がした緑色になった林檎が、香ばしいパイ越しに透けて見えている。私ははぁ、とため息を吐いた。夕陽を受けて緑色はますますグロテスク。
どうしてあたしが作ると、美味しくなさそうになっちゃうんだろう。
しばらく緑の林檎をぐぬぬ、と見つめたけど、気を取り直す。
「……大丈夫だよね。だって味は美味しいって優花も言ってたもん!」
「何が美味しいって、ミィちゃん?」
え、と驚いて振り向いた。そこには同じクラスで友達の山本くんと、ホウくんが立っていた。山本くんはおもむろに近寄ってくると、紙袋に顔を近づけてくんくんと鼻を動かした。「ホウくんにアップルパイ?」と上目遣いでニヤつく。私は近すぎる距離に後ずさりながら、こくこく肯いた。彼には全部お見通しなのが恥ずかしくて、頬が熱い。
山本くんは面白そうに「ごちそーさん」と私達に背を向けて、手をひらひらさせて帰って行った。
何もあげてないのになんでごちそうさんなんだろ、とその後ろ姿をぼんやり見送っていると、ホウくんが何も言わず私の横を通り過ぎていく。
あ、ダメ! 帰っちゃう!
私はすぐ追いかけて、ホウくんの白シャツの袖を掴んだ。
「ホウくん、あの私……ホウくんのこと、待ってたの」
「……うん」
3年の初め頃。優花と山本くんとホウくんと――4人で一緒にお昼を食べるようになってから、私はすぐに彼が好きになった。
ホウくんはとても無口だ。本当に、全然話をしない。
どこで話しかけても、こうやって二人きりになって話しかけても「うん」とか「分かった」しか言わない。
でも、ただしゃべらないだけで彼が話を聞いていない訳じゃないし、困ったときは真っ先に気づいて助けてくれる。彼はすごく優しい。
私は、とってもホウくんが好きだ。
二人で道をただ歩く。先に行った山本くんの姿はもうなかった。
夕陽が翳ってきた空気の中をてくてく歩く。私は右手でホウくんの袖を握って、反対で紙袋を抱えたまま。脚の長いホウくんの薄い影が私の影と並んでいて、ちょっと照れる。
ふ、2人で一緒に帰れるなんて、嬉しい!
こんな風に帰るのは初めてだった。だから私は舞い上がって、アップルパイを渡すのをすっかり忘れていた。
ホウくんの顔、見たいなぁ。
少しだけ足を速めて半歩、彼の前に出てそっと顔を見上げる。少し前髪が長めのホウくんは無表情で、私が見つめていることには気づかなかったみたいだった。切れ長で目つきが鋭いホウくん。でも下から見上げると、いつもは前髪に隠れた長い睫毛が確認できて、また照れた。
ホウくん、かっこいいなぁ。
――告白は、1週間前の金曜に私から。
「好きです」って言ったら、いつもの調子で「……うん」とホウくんは答えた。
さすがにそれにはめげそうになったけど、事前に優花と対策をしていた通り、続けて「付き合ってください!」ってお願いした。
そして返事は「……いいよ」。
嬉しくて、思わず「やったぁ!」と叫んだ私に、ホウくんは珍しく目を瞠ってたっけ。
思い出し笑いで「ふふ」と顔を下げたとき、自分がまだアップルパイを持っていることに気づいた。しかも強く抱えすぎたのか、袋がひしゃげていた。
「あ……」
知らず足を止めた。右手がつん、と引っ張られて離れた。ぱた、と自分の手が戻って来た。
私は酷くがっかりして座り込んでしまいそうになった。
周囲はいつの間にか暗くなっていて、もう中のパイがどうなっているのか分からない。
アップルパイ、潰れちゃったよぅ。ホウくんに、食べてもらいたかったのに!
出来たてをあげたかった、色は悪いけどせめて形がいいものをあげたかった。
すると、ホウくんが立ち止まった気配がした。
心配して止まってくれたのかな、と喜ぶ反面、どうせ彼からは話しかけてくれない、と当たり散らしたくなった。
だって、告白したからって付き合ったって、私達の関係は何も変わらなかった。
私が話しかけても、優花が話しかけても返す言葉は一緒。メッセアプリなら、と思ったけど、家庭の事情でスマホを持ってない彼とは学校でしか話せない。詰んでる。むしろ山本くんとは、二人きりだとたくさん話してるみたいで、見ているのも辛い。
私はもう、彼女のはずなのに……。どうして……私もホウくんとたくさん話したいよ。もっと仲良くなりたい!
だから私は、彼にアップルパイをあげたくて待っていた。それなのに。
「ホウくん、私ね……私」
上手く言葉にならなくて、「私」とか「あの」しか言えず、とうとう自分で焦れて強く紙袋を抱きしめてしまった。
――ぐしゃ。
決定的に潰れた音。反射的に涙が込み上げた。
唇がわなわなして、言いたかったことが引っ込む。もう出てきそうにない。
もう何もかもぐしゃぐしゃだった。
「や、やっぱ何でもない! ごめ、ごめんね、ホウくん。帰ろっか」
パッと顔を上げると、ホウくんが近くにいた。ヒクっと喉が鳴る。消えかけの夕陽がホウくんの顔をかすかに照らして、彼が私をじっと見ていると分かった。
「ミィ」
彼の日焼けしてない手が、私の熱を持って固まった左腕から紙袋を救出した。
「ホウ、くん?」
初めて名前を呼ばれた驚きで、頭が回らない。彼の手の甲が私の濡れた頬をぐい、と拭った。そして力を失っていた右手を取って、恋人つなぎにすると、
「行こ」
と、私の手を引っ張った。
「あぁ」とか「うぅ」とかホウくんがせっかく拭ってくれた頬をまた濡らしながら、私は家まで送ってもらった。初めて一緒に帰ったのに道が分かるなんて、ホウくんはやっぱり観察力がすごいんだ、と思った。
そして家に入る前、私はやっと「それ、ホウくんに食べてもらいたくて作ったんだ」と言えた。家の玄関灯がオレンジにホウくんを照らしたけど、辺りはもう真っ暗。すぐ袋を開けて食べてくれた彼に、きっと緑色の林檎は見えなかったと思う。
「ホウくん、あの、また月曜ね」
帰り際、離れがたくて彼の袖を引っ張った。「うん」と返してくれた彼が大好きで、私はまたちょっと泣いた。
***
可愛いかわいい、なんであんなに可愛いんだ。え? 俺に? アップルパイ? なんで? マジでミィは俺のことすk……ダメだそんなの考えちゃ。考えるな感じろ? いやダメだ感じても。後で辛くなるのは俺だ。平常心、平常心、無理だ! あぁぁぁぁぁあぁ! てか何、さっきの袖引っ張るやつ! 俺を殺す気か、可愛すぎる!
待て、少し落ち着こう。もう1度ミィの可愛い場面を確認するために巻き戻そう。そう、校門であったところから。
……てっめぇ山本! ミィに近すぎだろ! 俺のだぞ! なんだ「ごちそーさん」ってかっこつけやがってぇ! お前のせいで話しかけるタイミング見失ったぞゴラァ! あ、そこで動揺した俺をミィが追いかけてきて、袖……! そで! しかも上目遣い。あぁぁぁぁぁぁしかもその後、こっそり俺の顔見てただろ、見てたの知ってるぞ。チラチラ見上げてくるの、卑怯、ホント反則。見えないと思ってるのか、俺の視界にミィが入らないと思ってるのか? 入ってるんだよ……! ふぅはっはっははぁ! そんで俺へのアップルパイ潰して泣くとか、泣くとか、何? 何なの、可愛いの? 思わず名前を呼んじゃったじゃん! あぁもうミィは俺のことマジですk……俺もすっごい好きだあぁぁぁぁ!
俺はくたびれたタオルケットに顔を押しつけて、「ああぁぁぁぁ」と叫んだ。銀縁眼鏡が歪んだ音がしたが、それどころではない。感情が処理しきれず、反芻は途中で止まってしまった。
と、スマホがピコン、と鳴り、画面には『山本』の文字。タップした。
『二人きりにしてやったんだから、明日なんかおごれ』
ぐ、と喉を詰まらせて苛立たしく通話をタップする。一言、言ってやらないことには気が済まない。
『……なによ、ホウくん』
「うっせー山本! お前、調子のんなよ」
『ははぁ、さては何の進展もなかったな』
「あったし! 手ぇ繋いだし!」
ミィの手は泣いていたせいか、柔らかくて温かくて、可愛かった。
一瞬、通話を切って反芻の続きをしようか、と思ったが、山本が余計なことを言い出す。
『手だけかよ……マジ、この会話録音してミィに聞かせてやりたいぜー。好きすぎて会話できないとか、ホウくんピュアァ! スマホもない振りして、いつまで続くかなー?』
「……コロスぞ」
俺は今すぐ
『こわっ! 来んなよ! てか、アップルパイの味どうだった? わざと眼鏡掛けてないホウくんには見えなかったかもしれないけど、あれ緑色だったぜ』
「……美味かった」
『だよねー、ごちそーさん。じゃ、おやすみ~』
ブツッ! と通話が切れた。「あいつ」と言いながら再び繋げようとするが、電源を切ったようで無理だった。
「クソッ……山本、まさか本当にバラすつもりじゃ……」
俺は焦って自分の部屋の中をウロウロした。
確かに、俺がミィに偽りの姿を見せているのは事実。しかし、それを他の奴らにバラされるのは最悪の展開だ。
だって、ミィが好きなのはきっと、無口な俺だ。俺が本当は普通にしゃべれるって知ったら、嫌われるんじゃないか?
俺は全身から力が抜けて、ベッドに座った。ぼふ、とそのまま横に転がる。さっきベッドに放った眼鏡がまた歪んだ音がした。
「あー、アップルパイ美味かったー……あぁぁもうミィに会いたい」
目を覆った手に、まだミィの手の感触が残っていて、痺れたみたいになっていた。それは俺のついてる嘘を責めるみたいに、一晩中残っていた。
***
「受験勉強しなさい!」と、朝食――青紫色のパンケーキを食べた後、お母さんからお昼までテレビ禁止を言い渡された。私は仕方なく、自分の部屋でぼうっとスマホをいじっていた。勉強をしたい気持ちはあるけど、昨日のホウくんを思い出せば出すほどかっこよくて、全然勉強に集中できないのだ。
「はぁー。ホウくんに会いたいなぁ」
でも彼には連絡が取れないし、かといって自宅に電話する勇気もない。それに電話越しでもきっと無口だから、自分が一方的にしゃべったって、きっとホウくんは楽しくない。
……ダメだ、全然集中できない!
気分転換に、私は窓を開けようと立ち上がった。明るい陽射しが差し込んで、外は気持ちが良さそうな天気。せっかくだから近くの本屋に参考書でも買いに行こうかな、なんて思ってガラス戸を開けたとき。
「……ほ、ホウくん!?」
ホウくんが目の前の道路に立っていた。
彼も私に気づいたようで、こっちに手を振っている。
私は走った。
階段を駆け下りて、慌ててスニーカーの踵を潰した。玄関を飛び出すとき、お母さんが何か言ったけどそれどころじゃなかった。
――ホウくん!
駆け寄った私を、ホウくんはいつものようにただ見下ろした。
「ほ、ホウくん、ど、どしたの?」
はぁはぁ、と息を切らしながら問いかけた。でも彼は困ったように少し首を傾げて、口を開け閉めしただけ。
「何か、用だった? あれ、私、何か忘れたかな?」
そっか忘れ物か! と納得した私は、ホウくんのTシャツの裾を引っ張った。すると彼はギギ、と体を硬くしたまま停止。あれ? と思っていると、彼の手から何かが飛んだ。
ひら、と風に浮いて近くの地面に着地したのはメモ用紙。私はすぐにそれを拾い上げて、書かれた文字にハッと息を飲んだ。
『
「これ、もしかしてアプリのID……!? ホウくんスマホ買ったの? わざわざ教えに来てくれたの? 私、連絡先を交換してもいいの?」
ギギ、と音がしそうな動きで、ホウくんは確かに肯いた。
「やったあぁー! ありがとう、ホウくん! 嬉しいよう!」
私は感極まって、思わず彼に抱きついた。ギ、とまた彼の体が硬くなった気がしたけど、そんなことは構っていられない。
私は好きなだけ、ぎゅうっと彼のことを抱きしめた。
「大好きだよ、ホウくん!」
彼が私に初めて送ってくれたメッセは、
『アップルパイ、美味しかった』
だった。
(了)
緑のアップルパイ VS 無口男子 micco @micco-s
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます