- 7月29日 - (後)
大学前のコンビニであたりめを買うと相場は駅とは逆の方向へ向かって進みだした。
「なぁ」
なるべく疑問は先に解決したほうがいい。この暑い中、予期せぬアクシデントで計画が頓挫でもすればしばらくは無気力に耐えられないだろう。
「こっちの方に川なんてあったか?」
そもそも駅から大学までの範囲でしかこの土地は知らないが、それでもこの先に目ぼしい水場が無いことくらいは分かる。
大学近くの川は駅の方向から流れ込んでそのまま学校手前でゆるやかにカーブを描き、そのまま線路沿いに進んでいく。その先は知らないが、少なくともこの方角に川とぶつかる箇所があるとは思えなかった。
「お前まさか……適当に人様の田んぼとかで釣ろうって考えか?」
「おいおい、んなことやるわけねえだろ」
どうやらこの歳になってそんな小学生じみたことをやらかすつもりはないようだ。
しかし、暑さのせいもあってか俺の中の帰りたい気持ちはすでにかなり高い領域に存在している。
俺の中で実行できる限界の童心ラインはザリガニ釣りというだけですでにデッドゾーンに片足を突っ込んでるというのに、こんな炎天下を歩かされるとあれば好奇心より不快感の方が勝っても仕方ないだろう。
「この時期じゃあ水抜いてるとこもあるだろ?流石にそれを考えないほど俺だって馬鹿じゃねえ」
どうやら違うベクトルの理由だったようだ。こいつの中に一般的な倫理観や常識というものがあるのか、一度頭の中をかち割って調べてみたくなってくる。
意気揚々とザリガニに心を奪われてる22歳を愛すべきバカと呼ぶか、自分を振り返れないやつと呼ぶかはこの際言及は避けよう。
「じゃあどこでやるんだ?」
「こっちの方に寺があるの知ってるか?」
「寺?」
そんなものがあることを今の今まで聞いたこともない。
それに寺とザリガニがどう結びつくのかもいまいちイメージが浮かばなかった。続けて相場が発した寺の名前も特に思い当たる内容はない。
「池にザリガニがいる、みたいな?」
「それに近い。寺の近くに細いが別の川が通っててな。そいつが寺の敷地内を通過してるんだとよ。付近は開発されて住宅街になっちまってるからザリガニなんて捕れねえが、寺の中は自然がある。そこに居るらしい」
らしい、とはまた不確かな情報だ。
しかも伝聞系ということはどこかでその寺はザリガニが捕れる寺とでも紹介されていたのだろうか。神道系の学生ではないからはっきりと断言はできないが、神社仏閣の本分にザリガニのザの字はないはずだが。
「どこで知った情報だよ」
「調べた。これだよ」
相場が見せてきたスマートフォンの画面には誰かの個人ブログが表示されていた。
ザリガニ捕りの穴場として確かに俺たちが向かう寺が紹介されている。
「更新日が2009年……。10年以上前の情報だぞ?」
「行く価値あるだろうよ」
「おいおいおいおいおい」
思わず足を止めてしまった。俺の様子を見て相葉も立ち止まると振り返り、「どうした?」と声をかけてくる。
駅からだいぶ遠いが今ならまだ引き返そうと思えば全然問題ない距離だった。
「マジで言ってる?」
「俺がマジじゃなかった時があるかよ?」
両手を広げて得意げに言うが、その自信はどこから来るんだよ。
「普段の提出物」
「今回はプライベート面で評価してもらいたいもんだね」
だったらもう少し評価できるような材料を与えてほしいところだ。
相場の無駄な行動力と決断力は度々仲間内で話題になるが、それらの結果はたいていどれも微妙なオチで終わっている場合がほとんどだったりする。
「分かった。ザリガニに熱意があるのは理解したよ。でも、さすがにこんな暑い中連れ出された挙句に着いたら釣れませんでした、なんてことになったら時間の無駄だろ?」
「大丈夫だ。Google Earthで自然が残されてることは調査済みだよ。生き物が住むには十分だ」
そういうことではないが。もっとこうあるだろうと言いたくなる。
しかし、ここまで来てしまったからにはうだうだ文句を垂れて進んで気分を滅入らせることもない。
どうせ乗りかかった船であることに違いない。それが立派なガレオン船か筏かの違いだろう。
きっと後者だろうが、それでも海を渡ることはできるはずだ。
「分かった。で、あとどれくらいで着く?」
「もうすぐ。あの坂の上に林みたいのあるだろ?」
あれだよ、と。指差されるが、いつの間にか近づいていたのか。
無駄な言い争いをしているうちにだいぶ近くに来ていたのか。学校からここまでだいたい徒歩45分といったところ。まぁまぁな距離だ。
再び歩き出して期待に目を輝かせた友人の歩調を早めた背中を見ながら少しだけ空を見上げた。
こういう日に限って日差しを遮る雲は一つもない。写生しろと言われれば青色を画用紙にべた塗りするだけで済みそうなくらいに爽やかで吸い込まれそうな快晴だった。
と、そんな時。
「にしても暑っついなオイ!」
俺の考えを読んだわけではないだろう。独り言にしてはだいぶ大きな声量で相場が言う。
考えは読めないが思うことは最低限の部分では共通していたようだ。一匹も釣れなかった場合にどうしてやろうかと考えながら、俺はその背に応えた。
「わかるわ、それ」
∮
さて、寺についてからの行動は早かった。
無断で釣るわけにはいかないと、この寺のお坊さんを見つけると相場はすぐさま駆け寄っていた。
参拝客もいない──言い方を変えれば寂れた小さな寺だ。敷地の入り口には小さな鳥居があり、そこから数歩歩けば賽銭箱が置かれている。そこまでの道筋は雑草や枯葉の掃除はされているようだが、そこ以外はほぼ手つかずと言っていいくらいに雑草の背丈は高い。
きっとこの先に踏み入るのだろうが、正直行きたくなくなってくるなこれは……。
周囲を見渡していると相葉の明朗な声が聞こえた。
「大学の課題で近隣の生物調査をしてまして──」
嘘つけ。よくもまあ淀みなくそんな嘘が言えたなお前。
軽く一礼をした相場は会話が終わったのかこっちに振り返った。
満面の笑顔にサムズアップ。今のお前ならオダギリジョーと張り合えるよ。
「こっちから入っていいってさ!」
わしゃわしゃと雑草をかき分けて裏手に周ると確かに水が流れている。
川だ。確かにこれは川だった。敷地外から流入した水は寺の裏庭の林を通ってまた敷地外のどこかへと流れていく。
水底にはいくらか泥や石が溜まっているのが見えた。半ば水草と化した雑草の根元あたりを漁れば確かにザリガニの1匹はいそうだ。
「よっしゃ釣るぞ!」
無造作に地面に置いたリュックから割りばしとタコ糸、あたりめの袋を取り出すと手際よくザリガニ用の釣り道具を拵え手渡してきた。
もう抵抗はしない。こうなれば同じ目線に立って楽しむしかない。俺は釣り糸を垂らして手先で軽く上下させることに専念した。
と、この姿勢に入ったところでまた一つ疑問が湧いて出た。
根本的な疑問だが今まで訊きはしなかった。そもそもここまで自信ありげな様子だったから問うのは愚問だろうと思っていたからだ。
だが、改めて問いただしておかねばなるまい。
「ザリガニ釣りやったことあんの?」
「無いけど?」
何か問題ある?と言いたげにこちらを見てくる。
お前、嘘だろ?
「ないの?」
「おう」
本気で言ってるのか?
お前のその自信、まじでどこから出てくるんだ?
「え、じゃあ……あたりめで釣れるわけじゃないってことか?」
「さっき見せたブログの人はあたりめで釣ってた。てことは俺らもいけるだろ」
「まじかよ……」
無駄に手際よくタコ糸を巻いていたからすっかりこの手のことはお手の物かと思ってしまった。
騙された。そう思ったがもう遅い。第一こいつは俺を騙したつもりはないだろうし、こいつの不敵な笑みを信用した俺の浅さが招いた失望感だ。
しかし、俺は言わずにはいられなかった。
「くそったれ」
「ひどい言いようじゃねえか」
「ザリガニ釣りしたことないって分かってたらここまでついて来なかったよ」
「誰にだって初めてはあるもんだろ?それが俺にとって今日だったってだけだろうよ」
ちなみに、と相葉が言う。
「お前はどうなのよ?」
「俺だってないよ」
少しだけ苛立ちを混じえて返すと、相葉は嬉しそうに笑った。
「やったな。俺たち2人の初めてだぜ」
「気持ち悪い言い回ししやがって」
相葉がウインクをしてきやがったからそれを無視して水面へ視線を落とす。この調子だと今日はボウズで終わるだろうし、撤退まで時間はかからないかもしれない。
「それに」
と、少しだけ真面目なトーンの言葉が聞こえた。
「釣れなくても正直そこまで関係ねえ」
また何を言い出すのか。しかし、様子はつい先程までの軽薄極まりない表情とは違いいたって真剣そのものだった。
あまり見たことがない表情だ。喜怒哀楽がこれでもかと分かりやすいこの男だが、シリアスな様子を見せることは意外と少ない。それがまさかこのようなところで出てくるとは、これだけでも来た甲斐があったとしてやるべきなのか。
「こういうこと、一回やってみたかったんだよ」
そう言うと相場は真剣な眼差しで水底を見つめていた。
なるほど、と合点がいく。
憧れってやつだったのか。こいつはこの炎天下を歩く過程も、釣れるかも分からない焦燥感も、こうしてやり取りを交わすことの一つ一つを思い出として楽しんでいたわけだ。
それを思えば愚痴を漏らしていたのは謝るべきかもしれないが、今さらそれをどうこう言うのも野暮だろう。きっと、相場は俺が不満を漏らしていたことも今日という日の記憶として脳に刻み込んでいるに違いない。
いつの日か、炎天下の下で振り返る夏の思い出として。
「相場」
だったら、乗ってやる。
思い出されたときにつまらなかったって思われて俺の顔が横に並ぶのは癪だからな。
どうせなら楽しい出来事として記憶に留めてもらいたい。
けど──
「釣れなかったらお前、あとで飯奢れよ」
「おっと、手厳しいな」
だからといって、甘くはするわけないだろう?
さあ勝負だ。きっと相葉は終わる頃にはそう言うに違いない。
1匹釣れたらあとはどちらが多く釣れるかを競うなんて目に見えている。だとしたら、まずは最初の1匹は俺が釣ってやろうじゃないか。
夏は甘くないってこと、教えてやるよ。
∮
それから、日も暮れて──
「俺が10匹、お前が16匹……」
めっちゃ釣れた。
7月29日
了
で、それどうすんの? カラミティ明太子 @Calamity-Mentaiko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。で、それどうすんの?の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます