で、それどうすんの?
カラミティ明太子
7月29日
- 7月29日 - (前)
大学生の時間割において、履修登録の都合などから生まれた授業と授業の空白の時間──例えば、2時間目と4時間目に授業はあるが3時間目は何もないというような──は空きコマと度々称される。
空きコマ。することもない暇な時間を今まさに学食で過ごしていた。
30度を越えようかという真夏の正午の日差しの下、どこかに行こうという気力はどれだけ振り絞っても乾いた布を絞って水滴を出すのと同じくらいに一切出てくる気配はない。
結果、学内で最も涼しくかつ適当な時間潰しができる場所というと学食に限られ、吸い寄せられるように足を運ぶと、なるべく邪魔にならないよう端のあたりの席に荷物を置いて暇を持て余していた。
空きコマと昼休みが繋がっているおかげで2時間近い暇が生まれている。すっかり涼んだ皮膚は、むしろ少しの寒さを感じてにわかに鳥肌が立ち始めていたが、当然外に出るつもりは毛頭ない。
まるでサウナで追い込むかのように限界まで体に冷気を染み込ませる覚悟を決め、椅子に深く座り直した時だった。
テーブルを挟んで対面に座る友人──相場が何かを思いついたようにスマートフォンから顔をあげた。あ、と声が漏れていた。普段よりはワントーン高い声だった。声を発して見開いた目と半開きの口のまま俺を見据えると、上空を彷徨っていた視線はまっすぐ俺に固定された。
何か言いたいのか。何を言い出すのか。いつ言うのか。静止した喉が震えて僅かに開いた口元から言葉が発せられるまでに時間はそうかからなかった。
「夏、終わるじゃん」
はぁ、と妙な緊張感が抜けて一気に脱力する。何を突拍子もないことを言うかと思えばいたって平凡な言葉だった。
「まだ7月なのに?」
7月の終盤といえばむしろ夏の盛りではないのか。
「俺の中じゃあ8月から秋なんでね」
旧暦で生きているようだが、相場と出会ってから今まで一度もそんな奥ゆかしさを感じたことはなかったし、こいつが四季折々の風情を愛でるような場面を見たことはない。
「じゃあ、何かする?次の講義まであと30分くらいだけど」
「そうだなぁ。学校前の川に行ってもいいけど……30分じゃ物足りねえな」
どれだけ遊ぶ気なんだろうか。
「お前さ、今日の講義って次で終わりだろ?」
相葉に問われスマートフォンで今日の時間割を確認した。水曜日。1限と3限しかない。このスケジュールは一緒に履修登録を行った相場も同じはずだ。
確か残単位の数もさほど違いはなかったはずだし、水曜日に俺たちが取るような講義はなかった。
つまり3限以降、お互いには十分すぎるくらいにたっぷりとした余暇の時間が控えているのである。
「授業後付き合えって?」
「よく分かってんじゃん!」
学食中に響きそうな大声と呆れるのもうんざりするように楽し気な笑みが返ってくる。パチン、と鳴らした指の音が天井に反響して僅かにビィィンと振動音を鳴らしていた。
こいつがこういう顔をする時、大体何かを──基本はくだらないことを──思いついた時であるということを俺は知っている。
大学に入学して早々に知り合った相場との付き合いも今年で3年目だ。3年目ともなればこの男の人となりはある程度把握できるし、大体の思考回路や行動のパターンも読めてくる。
それに、この男ほど感情表現が豊かであれば察することは容易であった。
一年浪人したらしいことから歳は俺より1つ上なはずだが、一緒にいる俺の方が年上なんじゃないかと錯覚するほどの元気を持て余している男だった。
「すぐ終わるのか?」
「うーん、ノリが良ければ夜までやるかも?」
「無茶言うなよ。そんな長時間かかることなんてこんな暑い日にやりたくないぞ」
「まあ、今日の授業が終わってから大まかなことは話すからよ」
相葉がにやりと笑う。そして、片眉を吊り上げると得意げに言った。
「きっとワクワクするぜ」
∮
口元を手で覆い隠して欠伸をする。一体多数になる大教室での講義はどうしても緊張感が薄れて眠気との戦いになるのは全生徒が抱える共通の悩み事だろう。もしかしたら教師の中にもそういう人はいるのではないだろうか。
「おい、授業終わったぞ」
イヤホンを耳に挿し、Youtubeで安眠用の動画を再生しながら眠りについている相場の背を叩く。なんとも堂々とした睡眠だ。大きな欠伸ともに背筋を伸ばし、周囲を見渡すと外したイヤホンを無造作にポケットに突っ込んで席を立つと再び背筋を大きく伸ばして相葉は言った。
「いやぁ、良い講義だった」
どの口が言うんだよ。
ためになるよ、と言いつつ首回りをほぐす姿のなんと白々しいことだろう。
「それで……何をするって?」
「まじすっげぇやばいの思いついたんだよ。絶対楽しいから!」
語彙力云々よりもフィーリングで全てを伝えようとする姿勢は嫌いではないが、さすがにここまで中身が無い返答をされるとどう返せばいいものかと少しだけ言葉に詰まる。
そんな俺の様子を見て何を思ったのか、相場は人差し指を立てて不敵に笑っていた。
「そろそろ分かっちゃった?」
「お前の考えを察してたら少しは楽し気な顔を作れてると思うけど?」
立てた人差し指に意味は無さそうだ。多分。
「まじかよ。まだ分かんない?!夏といえば……だよ!」
「検索結果が多すぎるね」
「じゃあこれな。えーと、ヒント、あたりめ!」
あたりめ。
「おつまみの?」
特に考えず言葉を返す。
あたりめという単語を聞いてイカの乾き物しか連想しない発想力の乏しさを悲しめばいいのだろうか。あたりめと読む言葉が他にないかを少しだけ考えてすぐにそれを辞める。くだらない問答に大事な脳細胞を疲れさせるのも癪だ。
しかし、相場は特に何を言うでもなく自信ありげに頷いた。
あたりめ。夜までかかる用事。さて何があるか。
シンプルだが、多分俺の考えは当たっていると思う。ここにきて俺はようやく合点がいった。きっと今頃頭の外では拳大の豆電球が点灯しただろう。
たしか去年の夏にビアガーデンに行く予定を立てていた。結局予定は流れ、去年の間にリスケジュールされることはなかった。
つまり、今年こそはと思ったのか。
「酒飲みたいってことね。いいよ、付き合う。他の奴らも呼ぶ?」
蛯名とか伊佐とか、とよくつるむメンバーの名前を挙げると相場は首を横へ振った。
「飲みたいわけじゃねえよ。いや、まあ飲みたいってのは常々思ってるけど」
「じゃあ何だ?」
他にあたりめを使うものが思い浮かばない。
ニヤリと笑うと相場は言った。どうもこいつは不敵に、あるいは挑発するような挑戦的な笑みをするのが癖らしい。
嫌な予感というか、ダルいことを言い出すに違いない。頼むから大人しくしててくれよ、相葉の好奇心よ。
そして、その笑みから発せられた言葉は俺の想像していた範疇には無かった。
「ザリガニ釣ろうぜ!」
本当にダルいことを言いやがった。
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