春の川、甘い花 陸
屋敷は広く、廊下は静かだ。当代は三人いる世話役の婆は、屋敷に立ち入る際は必ず二人一組で行動し、私や雛子の前には極力顔を出さない。みな藍染の着物に茶色の帯を締め、眉を落とした青白い顔で、年の頃は四十から六十くらいまで。年齢には関わりなく一律に婆と呼ぶ。茶のお代わりなど欲しくなれば、奥へ行って声をかけると用意してくれる。磨き抜かれた廊下はつるつるとよく滑るが、この行き届いた手入れも婆たちの手腕だ。
不意に、背中にひやっとしたものが当たった。
濡れた感触が広がっていく。いつのまにか背後に人の気配があり、動こうとしても動けない。
服を濡らす水は恐らく血であり、私は刃物を刺されている。
ずるりと引き抜かれると生温かい水がだくだくとあふれた。足から力が抜けてその場にへたり込む。混乱して息を吐くことができない。そうすると悲鳴をあげることもできない。はっはっと犬のような音を立てながら、かろうじて顔を上げて相手を見ようとした。
背筋の伸びた立ち姿――光を背にしているせいで黒い影にしか見えない。
ほっそりした体格の持ち主だ。男か女かもわからない。
私を刺した人影は、濡れた刃物を片手に下げて、ゆっくりと歩き去っていく。
――このまま行かせてはあの子が危ない。
這いずると、身を裂くような痛みがはじけた。叫ぼうとしてもやはり声は出ない。届きはしないが手を伸ばす。全身全霊で止まれと念じる。決して座敷に行かせてはならない。間違いなくあれは壊れ内裏だ。どうにかして人を呼ばなければならない。どうにかして逃げろと叫ばなければならない。どうにかして――
そこで意識が途切れた。
私たちの雛ちゃん 桐谷はる @kiriyaharu
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