春の川、甘い花 伍

 過去に何度か出たという壊れ内裏は、一度だけ、雛子を害したことがある。


 殺したわけではない。

 正しくは「代替わりをさせた」だ。

 具体的に何をしたかは知らない。しかし、尋常な手段で害されるとは思えない。手足を縛っても戸に鍵をかけても、このお姫様はいつのまにか抜け出てしまう。どこまで無茶ができるのか図ろうと、鉄製の手枷足枷をつけて柱に縛り付けた事例も過去にはあったらしいが、それはさすがに雛子が怒った。その場にいた人間は顔を真っ黒にしてぱたぱたと息絶え、その代のユキちゃんが必死で機嫌を取ってなんとか収めたという話だ。この娘はそういう化け物だ。どうすれば傷つけられるというのか。

 

 狡い手段を用いたのだと思う。

 

 雛子はユキちゃんの言うことしか聞かない。逆に言えば、役目を終えたユキちゃんであっても、情に訴えて泣きついてきたのなら否とは言わなかっただろう。

 後継は用意されていた。おおよその仕込みも済んでいた。しかし「元はユキちゃんであった者が当代の雛子を害した」という事実が一門に与えた衝撃は大きく、一時期は勤めを終えたユキちゃんは必ず遠方へ移されることになっていたらしい。

 私も、時期が来ればこの地を去り、遠い南にある学校で薬学を学ぶことになっている。

 もともと実家は薬屋で、畑の隅で薬草を育てながら細々と村の医者代わりをしていた。私は魔女のように賢い祖母にかわいがられて、庭や野に生える野草が何にどのように使えるかは大抵知っている。どうせなら上の学校に進んで、民間療法以上のことを知ってみたかった。しかしそんな金などないこともよく知っていた。下に双子の弟がいる。どちらも私ほどではないが出来がよく、学校に行かせる金が要る。女が学問をやるのも昔ほど珍しくはなくなったらしいが、家の金に限りがある場合、優先されるのはやはり男だ。祖母が不憫がって手を尽くしてはくれたが、私自身、弟たちを押しのけてまで道を切り開きたいわけでもなかった。

 双子はどちらも医者を目指している。どちらかは家を継ぐだろう。

 私は家の仕事を手伝いつつ、適当な相手がいれば嫁に行くのもいいかと呑気に考えていた。自分はどこで何をやっても、それなりにうまくできるだろう。

 何もかもが変わったのは祖母の葬儀の日だった。

 伯父は幽霊のように現れて、私の人生を変えてしまった。


「――これ、おいしいですね。お茶とよく合いますねえ」

「甘いでしょう? とても好きなお菓子なの。なかなか手に入らないのに、大変だったでしょう。ありがとうユキちゃん」

「いえいえ、予約をしておいただけですから。……薔薇の匂いがするお菓子って、最初は違和感がありましたけど、慣れると癖になりますね。塩っ気も欲しくなってきたな。おせんべいか何か、あったらいただけませんか」

「お醤油のあられがあったと思うな。お台所に行けばもらえるよ」

 

 では、と座敷を出て廊下を歩く。

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