春の川、甘い花 肆
薄暗い座敷に伏せてぴくりともしない。
黒髪が畳にのたうっている。漆を塗ったように黒々とした髪だ。私は縁台を飛び越えて、大きな足音を立てながら慌てて駆け寄る。
雛子はするりと身を起こした。
「まあ、ユキちゃん。いらっしゃい」
そう言ってにっこり笑うので、私はへなへなと座り込んだ。驚かせないでくださいよ、と声に恨みがましさがこもる。心臓が早鐘を打っていた。
「何があったのかと思いましたよ…」
「ごめんなさい。急に眠くなってしまったの。きょうはとっても良い風が吹く日だから」
腕枕をしていた側の頬がほんのり赤い。照れたような笑いを浮かべ、
「そうだ、ユキちゃん、お散歩に行かない? 蓬のお饅頭を持っていって、川辺でお茶を飲みましょう」
私は意図的に眉根を寄せ、怒った顔をしてみせる。
「駄目です。前にも言ったでしょう。しばらくはおうちにいてください。危ないやつがいるんです」
「危ないの? お外に出てはいけないの?」
「怖いものがいるんです。いいですか、絶対に駄目ですよ。さもないと――」
「さもないと?」
私は下げてきた袋から紙包みを取り出す。
包み紙の屋号を見るなり、真っ黒な瞳が丸くなる。
「涼月庵の蜂蜜菓子、今年は手に入れてきたんですよ。昨年は買いそびれましたから」
雛子は目をきらきらさせて、「買ってくるのは大変だったでしょう。ありがとう、ユキちゃん」と嬉しそうにしている。大きな黒目から星が飛びそうだ。この時期の数日、しかもごく限られた数しか作られないもので、雛子の好物だ。昨年は買いそびれてしまった。
「三時になったらいただきましょう。それまでお外に出られない代わりに、お家でゆっくり遊びましょう」
千代紙も紙人形も持ってきましたよ。端切れを縫って匂い袋を作るのはどうですか。歓心を買いそうなことを次々に言う。
「外には決して出ませんね?」
雛子はこっくりと頷いた。
少し眠たげに目をこすりながら、お茶をいただきましょう、と言って笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます