第3話 どこへも行けない道


 

 このたびカクヨムトップ頁で第2回「角川武蔵野文学賞」の募集を知った諒子は、雑誌社を畳んでフリーになった現在なら現地取材を兼ねて深大寺そばを賞味できると勇んだが、何度目かの緊急事態宣言で、ささやかな旅も延期せざるを得なくなった。


 ならばせめてと、若き司法研修生と謎めいた人妻との邂逅から始まるサスペンスを再読してみると、一編集者だったころと、アマチュアながら小説もどきを書くようになった現在では、同じ作品にまったく異なる景色が見えていることに気づかされた。


      🌺


 そうか、プロはこんな場面をこんなタッチで描かれるのか、まさに手練れだよね。

「中央に光を集めた諏訪湖」とは、俳諧味に富み、なおかつ斬新な客観写生だよね。

 あ、こんなところでもうひとつのサイドストーリーがさりげなく展開されている。


 スマホのなかった時代のほうが、かえってロマンスを発展させやすかったかもね。

 人物の表情や光の当たり具合、心理の綾など、さすがにディテールが緻密だよね。 

 いまさらだけど、作品の随所に巧妙な伏線を張り巡らせていらっしたんだね~。


      🌼


 そうするうちにも、古い記憶に塗り重ねられた青い翳がすっと脳裡を掠めてゆく。


 ……名を聞いたこともない雑誌社に電話をかけてみようと思い立った清張さんは、陰陽の妬心に兆すさまざまな毀誉褒貶の末、ペン1本で文壇の巨匠と呼ばれる地位を獲得された作家ならではの大きな何かを抱えていらしたのではなかったろうか……。


 同時に、恋人の小野木と武蔵野を歩きながら「道があるから、どこかへ出られると思ったけれど、どこへも行けない道って、あるのね」……完璧な破綻の最後、ひとり富士山の裾野の樹海(小野木曰く「迷いこんだら生きて出られないくらい」深い)に分け入って行く運命にある頼子の、さびしげな声も聞こえて来るような気がした。


 一方で、随所で迷ってこその人生、一本道を真っ直ぐ歩いて行ける人は稀だろうと思っている諒子は、検事の職を辞した小野木の諦観にも気持ちを寄り添わせていた。


      🍃


 ――実体は、それが過ぎてしまえば、何もないと同じことだった。現実感はいつも現在であり、でなければ、現在から未来へわたる瞬間に限られていた。実体は現在にしかないのだ。それが過去になると幻影に変わってしまう。(中略) 人生の過去は断片的な堆積である。かつての希望も努力も、そのことが終わったとたんに、ガラスのように透明な破片でしかなかった。


      🍃


 小野木の述懐のとおり、現在と未来とのあわいを綱渡りしてわれわれは生きている。

 せっかくの時機を逸すれば、チャンスは永遠に逃げ去ってしまうかもしれない。


 であるならば、籠の鳥の妻を虐げる夫のような(笑)コビット19が鎮まったら、さっそくにも武蔵野へ足を運び、貫禄ある風貌と裏腹に、やさしい心と声の持ち主でいらした清張作品の軌跡を丁寧になぞり、念願の深大寺そばを賞味してみたい。🍶


      *


 そう思いながらも、文字どおりの蛇足を承知の上で付言しておきたいことがある。

 

 容姿や財、学歴、社会的地位に恵まれた男女の恋愛を基にする長編小説『波の塔』よりも、生来の障害ゆえに優れて聡明な頭脳を活かしきれなかった(あるいは活かしきれたとも)青年とその母親の、哀歓交錯する人間模様を寸分の弛みもない緊張感で描ききった『或る「小倉日記」伝』や、デビュー作『西郷札』、のちの『装飾評伝』『張込み』等々の短編にこそ、巨星・松本清張さんの真骨頂が潜んでいるのだと。🌟

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松本清張さんと深大寺そば 🌠 上月くるを @kurutan

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