ネクストプロローグ

『■■はほんと黒猫好きだね』

『だって可愛いもん。うちでも飼いたいくらい。……可愛いよね?』

『可愛い可愛い』


 よく分からない空間。

 全体的に暗いのに、不規則にぼんやりと白く光り出す。

 私は何故かそんな場所にいて、誰かと誰かの会話を耳にしている。

 どちらの声にも聞き覚えがあるけれど、誰と誰なのか思い出せない。


『く~ろ~ね~こ~カチュ~シャ~』

『それ青くない? 青い猫さんっぽくない●●』

『しっ! それは言わない約束!』

『ならそれ風に言わないで』


 どちらも女の子なのは分かる。

 とっても楽しそうな、■■と●●。

 声は全体的に聴こえるわけじゃなくて、一方向から聴こえてくる。

 分からない。

 もう何もかも分からないから、ひとまず声のする方へ、足を……。


「ぷにっ!」


 動かそうとして、柔らかい何かにぶつかる。

 下を見たら、ちっちゃい黒猫がそこにいた。


「ぷにっぷ、ぷにぷに!」


 何が言いたいんだろう。

 触れてみようと手を伸ばして、避けられる。

「……」

 また手を伸ばす。結果は同じ。

 ちょっとショックで動けなくなった私を、黒猫が不思議そうに見てる。

「ぷにー」

 私を放ってどこかへ行く。声がするのとは反対の方。でもすぐに止まって振り返り、私に「ぷにー」と言ってくる。

 ついてこいってこと?

 歩き出したら、黒猫も動き出した。


『弟くん似てるね』

『よく言われる』

『いや私の兄さんと』

『●●の?』

『雰囲気は違うんだけど、顔の造りが似てる気がする』

『●●と私みたいに?』

『うん』

『変だね』

『変だよ』


 声は徐々に遠くなり、やがて何も聴こえなくなった。

「どこまで行くの?」

 返事なんて期待してなかった。

「ぷーにー」

 でも何か言ってくれたらしい。

 誘導されるまま、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて。


 辿り着いたそこは、紺色のテントの前。


『入ってみ?』


 誰かの声を思い出す。


『後悔なんてさせねぇからよ』


 男の人みたいな話し方の、真っ赤なお姉さん。

 強くて優しい、信頼できる人。

 そんな人がそう言ってくれたから、私──私と●●は信じて、中に入った。

 ●●。──●●?

 何か、思い出し掛ける。

「ぷに」

 黒猫が鳴く。器用なことに、指差すようにしっぽをテントに向けている。

 あの人みたいに、中に入れと言っているのか。……一緒には、来てくれないのかな。

 しゃがみこんで、手を伸ばす。今度は触らせてもらえた。やっぱり、ここでお別れなのか。

「最後にさ、訊かせて」

 答えてもらえなくてもいい、ただの思い出作りだ。


「黒猫の鳴き方ってそれで合ってるの?」

「我々はこういう鳴き声を上げる種族なんだ」


「……」

 まさかのお返事がきた。

 喋れるんだ。

「えっと」

「ぷにっ」

 またしっぽをテントに向けてる。気持ち強めに。

 喋らないんだ。

 テントと黒猫を何度か見比べて……まぁ、いいかと、頭から手を離した。

「ここまでありがとう、バイバイ」

「ぷにー!」

 手としっぽを振り合って、私一人、テントの中へと入った。


 ──あの時は二人だったのに。


◆◆◆


 スマホのアラーム音で目を覚ます。

 それなりに大きな音は、直前まで視ていた夢の内容を簡単に忘れさせた。別に困ることはないからいいけれど。

 アラームにスヌーズも消して、朝の準備。三連休の二日目、今日は美術館に行く予定を立てている。随分昔に活躍したらしい、外国の有名な女性画家の展示が先週から始まってて、前から楽しみにしてたんだ。

 美術館の後は何をしよう。映画館かカラオケか。

 そんな風に楽しいことを考えていれば、準備はあっという間に終わり、後は外に出るだけ。

 同居人はいない。……まだ。

 その内、黒猫を飼おうと思ってる。

 一言も発する予定もなく、ドアを開けた。


「わっ。……お、おはようございます」


 つもりだったけれど、ドアの傍に誰かいたらしい。

「すみません、おはようございます」

 顔はよく見えなかったけれど、「いえ、よく見てなかったこっちが悪いです」と頭を下げるのが見えたからこっちも下げて、先に相手に行ってもらい、少し待ってから外に出た。

「危なかったね、まふちゃん」

「茉白がどんどん先に行くから」

「ごめんなさーい」

 鍵を締める最中、そんな会話が聴こえたから、何となく、本当に何となく、ぶつかりそうになった誰かのいる方に視線を向けた。

 背中しか見えない。いや、話す時に横顔が見える。

 ……。

 …………。

 ………………あれ?

 鍵を引っこ抜いてポケットに突っ込み、その背中を急いで追う。

 かなり足音を立てていたから、相手は振り返って私を見た。

 見覚えのある顔。

 でもどこだろう、思い出せない。……思い、出せない、けれど、


「──茉冬?」


 彼女のことをそう呼んでいたのだけは、思い出した。

「……」

 茉冬はじっと私を見てる。

 傍にいた小さな子がまふちゃんと呼び掛けても、茉冬は微動だにしなくて。

 じっと、じっと、私を見て、


「──夜花?」


 私の名前を呼んだ。

 頷くと、首を傾げられた。私も正直そうしたい。

 どこで出会ったのかは全く思い出せないのに──私達が昔友達だったことは、何となくお互い思い出している。

 何でだろう、何でだろうね。

 疑問をそのままにしたくなく、今日の予定は変更して、皆で近所の喫茶店に向かうことになった。茉冬達のお気に入りの所らしい。


「店長が白熊さんでね、全体的に白熊感が強い喫茶店なの」

「その白熊さんって、白熊みたいな感じ? 名前が白熊なだけ?」

「着いてからのお楽しみ。……そういえば、今は黒猫コラボやってたな」

「やった、黒猫好きなんだ。楽しみ」

「だね」


 どれくらい会っていなかったのかも思い出せないくらい、懐かしい相手。

 きっと話は、尽きないはず。

 時間の許されるまま、とことん話そう。


 ──黒猫と共に過ごしてきた日々を。

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黒猫がいる日々 黒本聖南 @black_book

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