レジスタンスの竹

有馬 礼

 おじいちゃんの困った顔を見て、私も困りきってしまった。


「皆さまお上の覚えもめでたく、いずれ劣らぬ貴公子方……。かぐや姫や、何が不満なんじゃ」


 お上、というのは、当地におけるアルファ男性の呼称だ。求婚者たちはアルファ男性に認知されているほどの出世の見込みのある者たちだから、彼らの中の誰かと結婚するのが得である、と当地の育ての親であるおじいちゃんは言いたいのだろう。


「ねえおじいちゃん。不満、とかじゃないの。ただ私は、今はまだ結婚するつもりはない、と言っているだけなの。結婚の申し込みには、そうお返事してとお願いしたはずよ」


 そう、まだ私は目的を果たしていない。目的は、果たされねばならない。そのために生死をかけて肉体退行術に挑み、この未開の地にやってきた。


「しかしじゃな……」


 押しの強い貴族を相手に、断り続けるのも限界なのだろう。仕方ない。おじいちゃんは元々、竹を取って籠やらざるやらを作って売っていた職人だったのだから。

 何か良い方法はないか……そう考えていた私の胸に、ひとつの考えが閃いた。


「わかりました。では、私が直にお会いするわ」


「そ、そうか。ようやくその気になってくれたか」


 おじいちゃんはあからさまにほっとした顔をした。


「ええ。ただ、お一人ずつ会っているのでは大変だから、みなさまを一度に集めてくださらない?」


「それは構わんが……姫、一体何を……」


「それは、その時になったらお話しします」


 おじいちゃんは何か思うところがあるようだったが、きっぱりとした私の態度に負けて引き下がった。

 私に求婚のゴリ押し、否、申し込みをしていた者たちが集められたのは、数日後のことだった。

 私は簾越しに求婚者たちを見る。

 当世風の化粧、当世風の上等な衣、当世風の着こなし。確かに彼らは上等の男たちだった。しかし私が求めているものはそのようなものではない。

 私は、おじいちゃんを通じて伝える。当地では、女は血縁者でない男に姿を見せても直接話しかけてもいけないのだ。


「みなさまはいずれ劣らぬ素晴らしい方と聞き及んでおります。わたくしがどなたかを選ぶなど、到底できぬこと。そこで、わたくしのお願いするものを一番早くお持ちいただいた方にお仕えしとうございます」


 私は求婚者にそれぞれ「仏の御石の鉢」、「蓬莱の玉の枝」、「火鼠のかわごろも」、「龍の首の珠」、「燕の産んだ子安貝」を持ってくるよう頼んだ。

 彼らは、求婚者をこのように試すなど面妖な女であると思ったに違いないが、私の予想に反して辞退者は出なかった。会ったことも言葉を交わしたこともない女になぜこれほど執着できるのか、私の理解の範疇を超えている。それはともかく、レジスタンスが月帝国から奪って当地に隠した対消滅シールド「火鼠のかわごろも」、大出力反物質砲「竜の首の珠」、この2つだけでも持ち出すことができれば、危険を冒して当地に来た甲斐があったというものだ。本来は自分の手で探すつもりだったが、当地における女性の扱いの調査が不足していたせいで、屋敷に閉じ込められ、結果、このような周りくどい方法を取らざるを得なくなった。

 一瞬、月帝国の「体置換術」を使って、男性として当地に来ればもっと簡単だったのかもしれないという思いが脳裏をよぎり、慌てて打ち消す。人の精神と肉体は分かち難く結びついているものだ。精神を肉体から切り離し、代わりの身体に移植したものは、最早同じ人間ではない。私という存在は、この肉体にこの人格を備えていてこそ、全きものとなる。私は「体置換術」を拒否した。私は、自分の身体に誇りを持っている。それなのに。


 数日後、求婚者たちが意気揚々と、あるいは、おずおずと持ってきた宝物は、全て偽物だった。予想された結果とはいえ、その事実は私を落ちこませる。


「姫や……、本当にどなたとも結婚せんというのか」


「ええ。だって、どなたも私のお願いを叶えてくださらなかったんだもの」


「そのような……そんなことでは、嫁の貰い手がなくなってしまうぞ? そろそろわしを安心させておくれ」


「意に染まない結婚をするくらいなら、ずっとおじいちゃんとおばあちゃんと一緒にいたいわ」


 おじいちゃんは複雑な顔をして、黙ってしまった。私だっておじいちゃんを困らせたいわけじゃない。だけど。



 ある日、おじいちゃんがうきうきした様子で私のところにやってきた。


「姫や、今度、お上の行幸がある。その際に、当家でご休息を取られることになったのだ」


「それは名誉なことだわ。良かったわね、おじいちゃん」


 お上をお迎えするのは、当地ではこれ以上ない誉れなのだ。


「そこでな、姫、お上は姫の琴など聞きたいと仰せなのだ」


 なるほど、と私は心の中で相槌を打つ。当地のアルファ男性は、琴の演奏にかこつけて私の部屋に入り込み、「既成事実」を作る心づもりなのだ。なんと恐ろしく、野蛮なのだろう。


「畏れ多いわ。私の琴など、やんごとなき方にお聞かせするのは心苦しくて……。お断りできないかしら」


「姫よ、それは無理というものじゃ。お上の仰せは絶対なのじゃから……」


 私はため息をついた。


「仕方ないわね……」


「おお、わかってくれるか、姫よ」


 おじいちゃんこそ、私がその時どんな目に遭うのかわかっているのだろうか。それとも、喜んで抱かれるとでも?

 仕方ない、それで全てを飲み下すことができたなら、どんなに楽だっただろう。体置換術のことも。私は私でなくなってしまう、でも仕方ない、と。


 気分は一向に晴れぬまま、お上の行幸の日になった。この日のために都から琴の名手が呼ばれ、私はその指導を受けた。でも本当にお上は、私の琴など聴くのだろうか。


(嫌だ、嫌だ、嫌だ……。私の身体は私のものなのに。私の身体を作り変える権利など、誰にもないはずなのに。それを証明するためにここまで来たのに。私に触れていいのは……彼だけなのに……)


 いっそ消えてしまおうか。今日は人手がみな表に取られていて、普段は私の部屋に詰めている者たちも、私の身支度を終えると慌ただしく次の持ち場に行ってしまった。ああでも、私がいなくなれば、おじいちゃんとおばあちゃんは無事では済まないだろう。私を本当の娘のように慈しんでくれた2人を悲しませたくはない。私に家族の温もりを与えてくれた人たち。仕方ないと思えたなら、どんなに楽だろう。おじいちゃんとおばあちゃんはお上に不敬を働いた罪で処刑されるかもしれない、でも仕方ない、私は嫌だったんだから、と。


(バカなこと……)


 それなら、仕方ないと体置換術を受け入れた方がマシだし、その「マシなこと」すら私には耐え難い苦痛なのに。

 夏の盛りを過ぎた空は高く澄み渡り、蜻蛉がその独特な飛行方法で空をすいと横切っていく。

 私は懐から美しい絹の織物で包まれた懐炉を取り出した。いや、懐炉というのは、おじいちゃんに説明するため、便宜的にそう呼んでいるだけのものだ。包みを解くと光が溢れる。レジスタンスから当地に来るために使った高エネルギー体。これを押しつけてショックを与えれば、一時的に意識を奪うくらいのことは可能だろう。


 表からは賑やかな楽の音が聞こえてくる。私はそれに合わせて、傍の琴を何となく爪弾いた。


「おや、この妙なる調べは天女が爪弾く天上の琴の音か」


 若い男性の声に、私は飛び上がらんばかりに驚いてそちらを見る。

 この前の貴公子たちとも明らかに格が違うとわかる、高貴な男性。お上だ。言われずともわかる。

 私は慌てて扇で顔を隠した。

 人を呼ぼうかと思うが、この部屋の周りには誰もいないことを思い出す。そうか、こういうことか。


「天女よ、そなたのかんばせを私に見せてくれぬか」


「……お許しくださいませ」


 何の許しを乞うているのかまったく意味不明だが、私はなんとかそれだけを言う。


「では、そなたの琴を聞かせてはくれぬだろうか。少々疲れておるのでな」


 私は扇で顔を隠したまま几帳の陰に下がり、琴を引き寄せる。そうしておいて、すぐに使えるよう、懐炉を袖の下に隠し持つ。

 敢えて、練習していた曲とは違う曲を弾く。どうしてそうしたのかは自分でもわからない。

 さら、とかすかな衣擦れがして顔を上げると同時に、さっと几帳の裏に身体が滑りこんでくる。


「お前はどこまでも反抗的な女だ。聞いていた曲目と違うではないか」


 大きな手で顎が捉えられる。


「な……」


「体置換術を拒絶したうえ、よりにもよってレジスタンスに与するとはな。月帝国皇家の恥晒しめ」


 ギラギラと光る目で見据えられ、さっと血の気がひく。こいつは……。


「お兄様」


 こいつは私の一つ上の兄、第5皇子ウゥだ。


「やっと気づいたか、愚鈍な恥晒しよ。この世界のどこを探したものかと思っていたが、あの色ボケどもに武器を集めさせるとはなかなか考えたじゃないか。だがおかげで手間が省けた。あんなものを欲しがる女は、お前くらいだからな」


 完敗だ。

 私の表情を見たウゥは満足げに手を離す。

 私はがっくりと項垂れ、床に両手をついた。


「次の満月、お前を帝国に送還する」


 ウゥはそう言い捨てるとあっさりと背を向けて去っていった。

 ぼろぼろと両目から涙が流れた。月帝国支配を覆す足掛かりを作るどころか、却って足を引っ張ることになってしまった。これまで払われた犠牲に、どう顔向けすればいいというのか。命懸けで月帝国から武器を奪い、この地に隠した後消息を絶った同志たちの面影が脳裏にちらつく。

 ウゥは私を月帝国に連れ帰ることで、王位継承権争いの手札とするつもりなのだろう。私の記憶を探り、レジスタンスの拠点を暴くとともに奪われた武器を奪還するつもりだ。


(そんなこと、させてたまるか)


「姫……!」


 どたどたと走ってくる音。


「おじいちゃん……」


「喜べ、姫。お上が、姫を宮中にお召しになると仰った。こんな、これほどの喜びがあろうか、姫や……」


 おじいちゃんは泣き崩れた。


「……いつ?」


「次の満月の夜と」


「そう……」


 思わず沈み切った声を出してしまう。


「……どうしたんじゃ?」


「おじいちゃん、実は、言っていなかったことがあります」


 私はおじいちゃんに向き直った。


「姫……?」


 おじいちゃんも何かを感じ取ったのか、その目に緊張が走る。


「私は、もともとは月の住人なのです」


「……」


 おじいちゃんは口をぽかんと開けて私の顔を見た。それはそうだろう。


「突然、何を……」


「私は月の支配から逃れてこの地にやってきました。でも、この生活ももう終わり。次の満月、私を迎えに来るのはお上の使者ではなく、月の使者よ。私を連れ戻すための」


 私はおじいちゃんの顔を見続けることができなくなって、顔を背けた。涙がとめどなく溢れる。悔し涙が。


「姫や……」おじいちゃんがそっと私の肩に手を置いた。「姫は、どう思っているんだね? 月に、帰りたいかね?」


「いいえ」


 私はキッと顔を上げた。


「決して」


「それならば、わしが姫を守ろう。命に変えても。月の使者になど引き渡すものか」


「無理よ。敵う相手じゃないわ」


 でも、その言葉だけで十分だった。そう思ってくれるその気持ちだけで十分だった。この身を帝国に引き渡さないための方法は、もう、ひとつしか残されていない。


(必ず生きて再会すると約束した……屈して、たまるものか)


 しかし固めた私の決意を蹴散らすように、荒々しい足音が複数近づいてくる。


「あの、これより先は姫ぎみの……」


「我々はお上の命を受けている、そこを退け」


 引き留めようとする下男の声、それをかき消すような男の野太い大声。

 私は思わずおじいちゃんに縋りつく。

 

「失礼する!」


 金属の触れ合う音。庭から声がかかる。武装した兵士のようだ。


「どうしたことでしょうか、女人の部屋にこのような……」


 おじいちゃんが抗議の声をあげかける。


「われわれは姫ぎみを輿入れの日まで警護せよと命を受けております。これより姫ぎみが無事に宮中に着くまで、昼夜の別なくおそばでお守りいたします」


「おお、おお、それはありがたい。姫や、お上の兵が守ってくださるのならば、安心じゃ」


 おじいちゃんはほっとした顔で私を見る。違う、そのお上こそが私を連れ去ろうとしてる元凶であって、彼らは私に自殺させないよう見張りに来たのだ。

 それまで側近くいてくれた者は遠ざけられ、全てウゥの息がかかった者に置き換えられた状況下では、いずれにせよ決行は困難だった。しかしながら中途半端に自殺を図って、死にきれなければ結局記憶を利用されることに変わりはない。月帝国において、死はもはや過去の遺物なのだ。それになにより、自ら死んでなどたまるか。私は、生きる。私として。

 チャンスは一度。


 私は周囲の者に不信感を抱かれないよう、素直に言われるがままに過ごした。

 

「姫や、お上の兵が必ず守ってくださる。安心するんじゃ」


 私はおじいちゃんとおばあちゃんと共に、屋敷の一番奥まった部屋にいた。もうすぐ月が昇る。庭も、屋根の上も、兵士たちで固められている。


「見ろ!」


「月が昇るぞ!」


 屋根に登った兵士の叫び声がする。おじいちゃんとおばあちゃんは、両脇から私を抱きしめた。


「今までありがとう、おじいちゃん、おばあちゃん。大好きよ」


 私も2人の小さな身体を抱きしめる。


「姫、礼など言わないでおくれ」


 おじいちゃんがガサガサの手で私の手を握った。


「そうですよ、姫。あなたは宮中に上がってお上にお仕えするのです。月へなど行くものですか」


 おばあちゃんは涙を流しながら私の背中をさすった。

 ワアッ、と鋭い悲鳴が上がる。

 固く閉ざされた蔀の僅かな隙間から鋭い光が差し込み、さっと部屋の中央を走る。おじいちゃんとおばあちゃんの身体が緊張する。

 その光は真っ直ぐに私を照らし出す。続いて釘で打ちつけられていたはずの蔀がいとも簡単に内側に吹き飛び、御簾がはためく。捲れ上がった御簾の向こう、満月に同化するように浮かんでいるのは、見紛うことのない、月帝国の大気圏内フロート、サイホウ。

 派手な駆動音を鳴らしながら、雲を模した小型ドローンを操る、つるりとしてつなぎ目の見えないアーマーに身を包んだトルーパーが数体向かってくる。


「ひ、姫は渡さんぞ!」


 おじいちゃんが叫ぶ。しかしトルーパーは何も聞こえていないかのように言う。


「月帝国第7皇女にして第一級犯罪者タナバタ、帝国法に基づき連行する」


 久しぶりに聞くその合成音声も、全く懐かしくなどなかった。

 大型の昆虫のような小型飛翔体が放たれ、器用に私だけを拘束し、空中に吊り上げる。


「姫、姫……!」


 おじいちゃんとおばあちゃんが必死に私を呼ぶ。

 私は拘束されたまま雲形ドローンに乗せられた。ドローンの圧倒的な加速。風に煽られた人々の悲鳴があっという間に遠ざかり、フロートに連行される。

 宙に浮かぶ1枚の布のような、雲のようなフロートは、風を受けてその形を僅かに変えながらその場に止まっている。フロートの一番高い所では、ウゥがこの様子を見下ろしているだろう。私が観念したと思って、油断し切っているに違いない。お前になど、屈してたまるものか。私を、明け渡してたまるものか。

 私は後ろを振り返る。屋敷は十分に遠ざかった。


「KASASAGI、展開」


 私の呟きに気づいたトルーパーが僅かにこちらを振り返った時にはもう遅い。私の懐から飛び出した懐炉、高エネルギー体が目覚め、鳥の形に姿を変える。私は光の鳥の背に飛び乗った。光に包み込まれる。一体化する。

 ウゥの失敗は、私が当地に来た方法を知ろうとしなかったことだ。レジスタンスの技術をみくびっていた。それが、お前の死因だ。


「異世界転移、開始」


 私と一体化したKASASAGIは、爆発的に加速する。その直線上にあるフロートを引き裂いて。身体が重くなり、意識は闇に塗りつぶされていく。本当なら、レジスタンスの武器を積んでいるはずだったし、目的地はレジスタンスの合流地点のはずだった。しかし、今はまず生き延びなければ。

 私は私として、生きてみせる。だからあなたは――。


(トゥルーエンドで、待っていて)

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