清野勝寛

本文

 とつとつと降りしきる雨が不規則に屋根を叩いている。雨の日は髪がごわごわするので嫌いだ。

「いってきます」

 誰もいない屋内に声を掛け、傘を開く。とつとつと音が自分の後を付いてきているようで鬱陶しい。


 踏み切りの音を聞きながら、足元を見つめる。傘で上半分の視界がないと、つい俯いてしまう。

「おはようございます」

 雨の日だというのに、朝から選挙でもあるのか、スーツを着たおじさんが立ち演説をしている。その周囲で別のおじさん達がビラを配っている。学生服を着た私には目もくれない。だから別にそれがどうと言うわけでもないのだが、朝の挨拶くらい目を見てしろと言いたい。


 電車がホームに滑り込んで来ると、風に乗って小さな雨粒が私の足を濡らす。小さく舌打ちをしたが、誰も聞いちゃいないだろう。

「ドアが閉まります、ご注意ください」

 籠った汗の匂いに吐き気を覚える。仕方ないのだろうが、もう少しなんとかならないだろうか。いや、もしかしたら私も他の人からしたら臭いのだろうか。それはちょっと嫌だった。


「おはよう」

「おはようございまーす」

 校門の前で傘を差し、先生が立っている。学校に吸い込まれていく生徒一人一人と挨拶を交わしていた。年寄りだらけのこの学校の中では比較的若い方なので、生徒からはそれなりに好かれているというか、気軽にやり取りされているようだ。私は、あまり好きではない。

「おはよう」

「……」

 傘で視界に入らないようにしてすり抜けようとしたが、身体を屈めこちらを覗き込んできた。この雨の日に、嘘みたいな晴れ晴れとした笑顔を携えている。

「おはよう、樋口」

「……おはようございます」

 どうやら名前まで覚えられているようだ。きっと一人一人の名前を覚えているに違いない。

「俯いて歩いてると良いことないぞ、前見て歩けー」

 おまけに有難いお言葉まで頂戴した。鬱陶しい。仕方なく挨拶を返し、足早に玄関へ向かう。


「おはよう」

「……おはよう」

「どうしたの、すごい機嫌悪そうじゃん」

 教室に着くなり秋田にそう指摘され、思わず顔をしかめる。

「別に」

「失礼、悪そうじゃなくて悪いだったね。でどうしたの、痴漢でもされた? だから言ってんじゃん、あんたみたいな見た目大人しそうな奴がそんなスカート短くしてたら親父どもの格好の標的だよってさぁ」

 そう早口で捲し立てられると、反論するのも面倒くさい。そうだねと適当に相づちを打ち、席に座って窓の外を見つめる。


 椅子に座ると、ちょうどチャイムが鳴った。朝からめんどくさいことばかりで嫌になる。窓の下では走って学校に向かう生徒の姿と、校門でその生徒に向かって急げだのと声を掛けているだろう先生の姿が見えた。なるほど、確かに下ばかり見ていても良いことはないようだ。目線を上げ、空を見てみる。視界の端から端まで、黒褐色の雲が覆っていて、いっそ青空よりも清々しい。

「帰りには雨、止んでるといいな」

「そうだね」

 いつの間にか隣に来ていた秋田がそう呟いた。雨が上がれば、少しは気も晴れるだろうか。


……いや、あんまり変わらない気がする。

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清野勝寛 @seino_katsuhiro

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