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妄想と願望は違うという話

おはようございます、清野です。
十二月に入り、一層寒くなりましたね。我が家は古い建物のため、すきま風が多く、足元が冷えてしまい、靴下を履いて朝の寒さやらをやり過ごしています。

先日、僕の書籍を読んでくれた方から、エンディングの表現について、「これは君の願望なの?」と言われたのですが、これが僕の中で非常に引っかかっていたので、ちょっと文字起こしさせてください。

結論から言えばノーです。僕は良く妄想で生きていると色んな人に伝えているのですが、例えば電車の中や、街中で見かけた人達、誰かのツイッターでの呟きをヒントに、その人たちの人生を妄想してお話に昇華したり、物語の登場人物にしたりとすることがあります。もちろん妄想ですから僕の趣味嗜好が出てしまうところはあるでしょう。

しかし、それは願望ではありません。僕は主人公ではないし、その物語の中にいません。そうなれたらどれだけ良かっただろうと思うことはあっても、僕は存在出来ないんです。

例えばRPGゲームをする時、僕はゲームの世界に入り込むためにレベル上げなどを極力抑え、ギリギリの死闘を演出したりします。レベルを上げまくって、ボスを一瞬で倒した後、物語が死闘の演出から入ったりすると、一気に醒めてしまうからです。

夢の中に現れた女の子にだって、本気で恋をします。目覚めた時、どうして目覚めてしまったんだろうと後悔することだったあります。その子への気持ちを忘れないよう、歌を作ったりもします。そういう気持ち悪い人間です。

けれど、やはり物語の中に僕は登場出来ないのです。彼らはそうあるべくしてそうなった、と認識して頂ければ嬉しいです。彼らは僕の妄想と細胞を少しだけ得て、違う世界に生まれた一人の人間です。仮にそれで卑しい男が出てきたら、その男が卑しい人間だったというだけです。

殺人をテーマに扱う小説の作者が皆、殺人衝動を持っていたら怖いでしょう?笑

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今は短編賞に応募しまくっているところですが、なんとか一作二作は長編でも応募したいなと思っています。
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